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ライジングキャット★ベースボール  作者: 鈴木涼介
第1章 プロ野球入団編
24/207

第24話「君のためにできること」

 勇次郎はネネから目を逸らしながら、白いタオルを差し出していた。

「ずっと借りてたタオルだ、返すぜ」

 それは、以前、入団テストの際に勇次郎に貸して、その後、新幹線でのケンカのどさくさで、再び勇次郎の手元に渡っていたタオルだった。

 ネネはタオルを受け取ると目に当てた。涙がタオルに吸い込まれていった。


「おふくろに頼んで、もう一回洗濯してもらったから……確かに返したからな」

 勇次郎はぶっきらぼうに言い放った。

 ネネはタオルで目を拭いながら、勇次郎との勝負のことを思い出していた。

(この人も丹羽さんと同じだ……私が……私がこの人のキングダム入団の夢を台無しにした……)


「ご、ごめんね……」

 タオルに顔を押し付けたまま、ネネは口を開いた。

「あ? 何が?」

「私……自分のことしか考えてなかった……ごめんね……アンタのキングダム入団の夢を台無しにしちゃって……」

「……あれは、俺が負けたんだから仕方ないだろうが」

「ううん……私がいなければ、アンタはキングダムに入団していたかもしれない……私……自分のことしか考えてない最低な人間なの……」

 ネネは、またグスグスと泣き出した。

 そんなネネを見て、勇次郎は呆れたように大きく息を吐きだした。


「バカじゃねえの、お前?」

「え?」

 ネネは涙に濡れた顔を上げて、勇次郎を見た。

「何が『最低』だよ、自分に酔ってんじゃねえよ。お前、もしかして自分のせいで、あの丹羽さんってキャッチャーが解雇されたのを気にしてんのかよ?」

「……」

「そんなことをいちいち気にしていたら、俺は何人、いや、何十人、何百人に謝らなきゃいけない、とんでもない最低最悪の人間になっちまうぜ」

 勇次郎はため息をついた。

「甲子園ではプロ注目のピッチャーを何人も打ち砕いてきた……小学校や中学校まで遡れば、もっとすごい数だ。俺は他人を踏み台にして、今、こうしてプロ野球選手になった。この世界、誰かを蹴落とさないと生き残っていけないんだよ」

「で、でも……私、アンタみたいに、そんな風に割り切れないよ……」

「俺だって割り切ってるわけじゃない。その代わり背負ってるだけだ」

「……背負う?」

「ああ、さっき丹羽さんって人も言ってただろう。お前がプロの世界で成功することを願っているって。俺は自分のせいで、プロ野球選手になれなかったヤツらの思いを背負ってるだけだよ」

 勇次郎は天井を見上げた。

「俺が活躍し続けることが、そいつらへの恩返しなんだよ」


『思いを背負う』

 勇次郎の言葉はネネの心に深く突き刺さった。

(……そうだ、私がここでメソメソ泣いていても丹羽さんはレジスタンスには戻れない)

 ネネはタオルで目を拭った。

(私は何をメソメソしていたんだろう? 丹羽さんだけじゃない。今日、支配下登録になれなかった他の選手たちも同じだ。彼らの思いも背負って、プロの世界で頑張ることが私に与えられた使命じゃないか……)


 涙を拭ったネネはスッと立ち上がった。そんなネネに勇次郎が再び声を掛けた。

「落ち着いたか?」

「う、うん……でも、私、アンタのキングダム入団のことについては……」

「それは、気にするなって言っただろうが」

「で、でも……」

 勇次郎は腕組みをして壁にもたれた。


「俺の家のことは話したよな?」

「うん……」

 入団会見後の焼肉の時に聞いた。勇次郎は母と兄の三人暮らしだと。

「正直、プロでやっていけるなら……金を稼げるなら、どの球団でも良かったんだよ。だがな……俺にはそれ以上に夢があった」

「夢?」

「ああ、日本一のバッターになって、いつかはメジャーに行きたいってな。そのために日本一の球団、キングダムに行きたかったのさ」

(日本一のバッター、そしてメジャー……!)

 ネネは勇次郎の夢を聞いて愕然とした。

 自分はプロになることに精いっぱいで、そんな先のことまで考えていなかった。でも、勇次郎はプロになった後のことまで考えていた。自分とは見ている夢のスケールが全然違った。


「……しかし、レジスタンスなんて弱小球団に入団するとは予定外だったがな」

 勇次郎は苦笑する。

「ご、ごめん……」

「バカ言え、今はそう落ち込んでいないぜ」

「え……?」

「弱小球団を俺の力で強くさせるのも悪くないな、って思ってるぜ。それに、今年のレジスタンスには、お前みたいな面白い奴がいるしな」

「勇次郎……」

 ネネはもう一度、目をゴシゴシ拭うと、じっと勇次郎を見つめた。

 その視線に気付いた勇次郎は慌てた様子で口を開いた。


「あ……! でも調子に乗るなよ! 支配下登録選手になったからと言っても、お前はまだ二軍。本当に活躍するには一軍に上がらないといけないんだからな!」

「う、うん……」

 ネネはタオルをギュッと握りしめた。いつの間にか涙は止まっていた。

「ありがとう、勇次郎」

 勇次郎は照れながら頭をかいた。

「全く……子供じゃないんだから、ピーピー泣くなよ」


 その時、ネネはあることに気付いた。

「ねえ、そういえば、何でアンタが丹羽さんが解雇になったことや、私との会話の内容を知ってるの?」

「え……? あ……あ──、えっと……何でかな……」

 勇次郎の狼狽した姿を見て、ネネは勘付いた。

「……まさかアンタ、私たちの会話を全部、聞いてたんじゃないでしょうね?」

「あ……その……えっと……」

(間違いない……!)

 勇次郎の態度から、ネネは会話を聞かれていたことを確信し、烈火のごとく怒った。


「サイテ──! 何、人の会話を盗み聞きしてんのよ! 信じられない!」

「ち、違う……監督と一緒に歩いていたら、オマエらの会話が聞こえてきたんだよ……そしたら、あのオッサンにお前のフォローをしろって言われて……」

「はあ? 何よそれ!? それに今日だって何なのよ! 何で、わざわざ名古屋から大阪まで試合を見に来てんのよ!」

「よ、用事があって大阪まで来たら、あのおっさんに誘われたんだよ!」

「何、言い訳してんのよ! このストーカー男! 人のこと追っかけまわして!」

「す、ストーカー!? ふざけんな! 誰がお前みたいな化け猫みたいな女を追っかけまわすかよ! 自意識過剰もいい加減にしろ!」

「な……何ですって? キ──ッ!」

 ネネは持っていたタオルで勇次郎をバンバンと叩いた。

「痛て! 痛て! やめろバカ! お前の鼻水が付いた汚いタオルで殴るな!」

「は……鼻水なんて付いてないわよ! 女の子に向かって、何てデリカシーのないことを言うのよ!」

「何が女の子だよ! 全然、女らしくねえじゃねえか!」

「い、言ったわね!」


 いつの間にか、ネネはいつもの元気を取り戻していた。ふたりのケンカの声は廊下に響き渡った。

 そして、ふたりのやり取りを廊下の陰から、じっと見つめるひとりの男がいた。それは今川監督だった。

「お─、こわ……勇次郎に任せて正解だわ……」


 ピロン!

 ふたりが言い合っている途中、ネネのスマホにメールが入ったので、ネネは勇次郎を叩くのをやめてメールの内容を確認した。

 メールは球団からで、送迎のタクシーがドーム前に着いたからすぐに移動してほしい、との内容だった。


「球団から連絡が来た。タクシーが迎えに来たみたいだから、もう私、行くね……」

 ネネはタオルを畳みなおすと、勇次郎に背を向けて出口に向かって歩き始めた。勇次郎はむすっとした顔をしている。


 「……一応、お礼は言っておくわ」

 少し歩いた後、ネネは勇次郎に背を向けたまま口を開いた。

「今日の試合……アンタがガツンと言ってくれなかったら、きっと立ち直ることはできなかった……ありがとね」

 一方的にお礼を言って、ネネは再び歩き出した。その時だ。


「おい、ネネ!」


 不意に下の名前を呼ばれたネネは思わず振り向いた。勇次郎はネネを真っすぐ見つめていた。

「俺も……一応、言っておく。支配下登録、おめでとうな!」


(あ……!)

『お前が支配下登録選手になったら、そう呼んでやるよ』

 入団会見の帰りの新幹線での約束だ。自分のことを名前で呼ぶという……。覚えていてくれたのだ。


 ネネは嬉しくなり胸が熱くなったが、照れ臭かったので、右まぶたを人差し指で引き下げてアカンベーをすると、背を向けて小走りで出口に向かっていった。


 勇次郎は走り去るネネの後ろ姿を見ながら、口元に微かな笑みを浮かべていた。


 ネネがドームから外に出ると、すっかり日は落ちて、冷たい風が吹いていた。

 白いタオルに顔を埋めた。柔軟剤の良い香りがした。ネネの口元は緩み、笑みがこぼれた。

 冷たい風が身体に当たり、身体は冷えてきたが、心はなぜか温かかった。

(何でだろう? こんなに胸が温かいのは?)

 その感情が何か分からないまま、ネネはタクシー乗り場へと走っていった。


 そして……育成選手同士の試合から一夜明けた日の正午。

 大阪市内のホテルの大広間にマスコミ各社が集まっていた。


 ネネは昨日、急遽、仕立てられたフォーマルな服を着て会見場に立っていた。

 日本プロ野球史上初の女性選手誕生を披露する記念すべき瞬間だった。

 球団社長からユニフォームを背中に掛けられた。マスコミ各社がカメラを構え、シャッター音が鳴り響いた。


「羽柴選手、振り返って背番号を見せてください」

 カメラマンから注文が飛び、ネネは記者たちにクルッと背中を見せた。

 背中には登録名の『HASHIBA』と背番号『41』が輝いていた。


 それから、今川監督がネネにレジスタンスの帽子を被せて写真撮影となった。

 まぶしいほどのフラッシュやシャッター音がネネを包む中、隣に立った今川監督がネネの耳元で囁いた。


「おい、感動の場面だぜ。今日は泣かないのか?」

(なっ……!)

 今川監督はニヤニヤしていた。

(この男も昨日、見ていた内のひとりか……!)

 ネネは急に腹が立った。


 ガン! 

 今川監督の足を思い切り蹴った。足元は机で見えない。

「痛い! 痛いよ──!」

 足を蹴られた今川監督はピョンピョンと飛び跳ねた。なぜ今川監督が飛び跳ねているのか分からない記者たちは、そのコミカルな動きに一同爆笑した。


「か、監督に蹴りを入れるとは、いい度胸してるじゃねえか……」

 今川監督は足を押さえながら悪態をつくが、ネネはフフンと、してやったりの顔で、口元に笑みを浮かべていた。

「クク……まあ、それ位、気が強くねえと、この世界でやっていけねえからな」

 今川監督は苦笑いした。


(そうだ。これからもっと辛いことが待ち受けているだろう。女の私がプロ野球の世界でやっていくにはもっと泣きたくなる時もあるだろう。でも私はもう泣いたりしない。私は皆の夢の犠牲の上にここにいる。やってやる……必ず活躍してみせる。男だらけのプロの世界で必ず成功してみせる)


 カメラのフラッシュを浴びながら、ネネは改めてプロの世界に飛び込んでいくための覚悟を決めた。


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