第205話「羽柴家の秘密」
10月7日の死闘から二週間後、大阪レジスタンスと埼玉バンディッツの日本シリーズが開幕した。
だが、レジスタンスは満身創痍だった。
切り込み隊長の毛利、エース朝倉を欠き、また織田勇次郎も怪我のためスタメンから外れ、他の選手たちも疲労が抜けず、敵地バンディッツドームで二連敗。
レジスタンスドームでかろうじて一勝したものの、結局、バンディッツに一勝四敗で敗れて日本一を逃した。
そして、全日程を終えて、最終成績も出揃った。
ネネは10勝3敗10セーブ、防御率は2.12。ルーキーのピッチャーとしては破格の10勝10セーブを達成。
対する勇次郎は、打率.328、打点100、ホームラン30本、と高卒ルーキーとしては規格外の数字を達成し、首位打者を獲得した上に、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、さらに新人賞……とありとあらゆる賞を総なめにしていた。
但し、セリーグのMVPは50本のホームランを打ったキングダムの中西が獲得した。だがそれも勇次郎とは僅差の得票数だった。
そんなある日、ネネと由紀は宇喜多明里のお墓参りに出かけた。明里に優勝の報告をしに行くのが目的だった。
初めに自宅に寄ると、明里の母と一緒に藤崎がいた。藤崎はフリーのパパラッチから足を洗い、新たにスポーツ新聞にカメラマンとして再就職していた。
藤崎はネネに一枚の大きな写真パネルをプレゼントした。
それはノーアウト満塁のピンチを切り抜け、ガッツポーズするマウンド上のネネの写真だった。
「ところで、浅井さん……織田選手の移籍の話は本当なの?」
不意に藤崎が由紀に問いかけた。
勇次郎は最終戦でヘッドスライディングした際に手を痛めて、日本シリーズには代打での出場だったのだが、その間にある噂が球界を賑わせていた。
それは『織田勇次郎が東京キングダムに移籍する』という噂だった。
一年目のルーキーが移籍するなんて、普通ならあり得ない話だが、この噂にはしっかりした根拠があった。
勇次郎はレジスタンス入団の際に交わした契約に『入団時の年にレジスタンスが優勝し、且つ何らかの打撃タイトルを取った際には、他球団への移籍を了解してもらう』という異例の条項をオプションで付けていたのだ。
まさか球団もこんなことになるとは予想もしておらず、今になって後悔したが、すべては後の祭り。条項を確認したキングダムが織田勇次郎獲得に動いてる、というものだった。
「勇次郎の移籍は……正直分かりません……」
由紀は視線を落とした。
「当の本人は?」
「それが、行方をくらませていて、球団も探してるんです」
そう……日本シリーズが終わってから、勇次郎は姿をくらませていたのだ。
「監督に相談しても『アイツがキングダムに行きたいなら、行かせてやればいい』って笑ってるし……」
由紀はため息を吐いた。
その後、宇喜多家を出たネネと由紀は明里の墓参りに向かい、墓前でネネは明里に優勝の報告をした。
(明里ちゃん、ありがとう。明里ちゃんのおかげでマウンドに立てたよ。私、これからも逃げずに立ち向かっていくね)
そして、車に戻ろうとしたときだった。
「おねーちゃん」
ネネは突然、小さな女の子に話しかけられた。
「ん? どうしたの?」
ネネがしゃがんで女の子に話しかけると、女の子は一枚の封筒を差し出した。
「あそこにいるおじさんが、お姉ちゃんに渡してくれって……」
ネネは女の子が指さす方を見るが、そこには誰もいなかった。
「あれ? どっかに行っちゃった」
女の子は駆け出していく。
ネネは首を傾げて封筒を見た。そこには「羽柴様」と書かれていて、封筒を裏返すと「千野」の文字があった。
「千野……!?」
ネネの動悸が高鳴る。それは沖縄キャンプで、斎藤を脅した暴力団の名前だったからだ。
「ね、ネネ……それ……?」
由紀も心配そうに見ている。
(千野組が今頃、私に何の用だろう?)
ネネは意を決して封筒を開けた。すると、そこには達筆な文字で文章が書かれていた。
『羽柴寧々様、どうしても貴女に伝えたいことがあって筆を取りました。私は千野組の組長です』
(千野組の組長……!?)
沖縄でひいおばあちゃん……羽柴ルイのことを教えてくれた暴力団組長からの手紙だった。ネネは手紙を読んだ。
『レジスタンス優勝おめでとう。貴女のピッチングは、私に幼少の頃を思い出させてくれました。戦争が終わったばかりの昭和20年の夏、私は両親を亡くし、焼け野原の大阪の街をあても無く彷徨っており、あまりの空腹に食べ物を盗みました。しかし、その現場を抑えられ、男たちに袋叩きにあいました。痛みと苦しみの中、私は死を覚悟しました。そんな時、私はある人に助けられました。それが、貴女の曽祖母『木下ルイ』様でした』
(木下……? それが、ひいおばあちゃんの旧姓?)
ネネは更に手紙を読んだ。
『ルイさんは、手に握り込んだ石を投げて、男たちを撃退すると、私の手を握り、にっこりと笑いました。私は七十年以上経った今でも、その手の温もりと向日葵のような笑顔を思い出すことができます』
ネネは沖縄で組長の手を握ったことを思い出した。
『当時、ルイさんには一緒に生活を共にする男性がいました。その人は「羽柴英吉」(えいきち)という、戦争帰りの軍人でした』
(は、羽柴英吉……? あれ? 確かひいおじいちゃんの名前は、羽柴藤吉って名前だったはず……?)
ネネは慌てて文章を目で追った。
『英吉さんとルイさんに見守られ、私は幸せな時間を過ごしました。しかし、そんな時間は長くは続きませんでした。ある日、暴力団の抗争に巻き込まれた英吉さんが亡くなったのです。その時、ルイさんは英吉さんの子供を身籠もっていました。私は英吉さんを殺めた暴力団と対立している組に入りました。そして、ルイさんは私の前から姿を消しました』
『生前、英吉さんは言ってました。自分の故郷は北海道だと、親が牧場をやっているが、自分は勘当され今は弟が跡を継いでいると。いつかルイに北海道の大地を見せてやりたい、とも言ってました。私はルイさんは北海道に渡ったのだと確信しました』
『一方で私は気が付けば、この世界で一代を築くまでになりましたが、ルイさんの行方を探すことは断念していました。ルイさんは暴力団を非常に嫌悪しており、私はルイさんに会う資格はないと思っていたからです。ですが、いつも頭の中にはルイさんのことがありました。ルイさんの安否だけが気掛かりでした』
『そして時は流れ、今年に入り、貴女の存在を知った時は心臓が止まるくらい驚きました。ルイさんは焼け野原の大阪で賭け野球をしていましたが、ルイさんのストレートを打てる者はひとりもいませんでした。後にプロ入りする打者も同じでした。貴女が投げるボールは、あの日、幼い頃に見たルイさんのストレートにそっくりでした。いや、顔もピッチングフォームも生き写しのように、ルイさんにそっくりでした』
『そのため、貴女をひと目見ようと沖縄まで出向いたことで、貴女にはご迷惑をお掛けしましたが、その代わり、直接話したことで私は確信しました。やはり貴女は、あのふたりの血を引いている、と』
『気が強く義侠心があり、男顔負けのボールを投げる姿はルイさんに。また周りの人を魅了する天性の明るさは英吉さんにそっくりです。私はあのふたりには一生をかけても償いきれない恩があります。羽柴寧々様、私はこれからも陰ながら貴女を応援していくつもりです』
『追伸……私は裏の世界に生きる人間です。もし私と貴女との繋がりが分かれば、貴女のプロ野球での生活は終わりになります。そのため、貴女との関わり合いはこれで最後にします。そこでお願いです。私は貴女に迷惑を掛けたくない。この手紙は読んだら焼き捨ててください』
手紙はそこで終わっていた。手紙を読んだネネは全ての謎が解けた。
なぜルイが北海道の羽柴家を訪ねたのか? それは恐らく羽柴英吉の遺言だったのだ。そして子供を宿していたルイは英吉の弟、羽柴藤吉と結婚し、羽柴家で子供を産んだのだ。その子供が自分の祖父であり、また自分のルーツでもあったのだ。
一緒に手紙を読んでいた由紀も謎が解けた。
なぜネネのバッシング記事が収束したのかを……千野組だったのだ。千野組がネネを守るために行なったのだ。
ふたりは手紙を片手に呆然としていた。
勇次郎からネネに連絡が入ったのは、その日の夜だった。
大事な話があるから、ふたりきりで会いたい、という内容だった。