第202話「灼熱の夜を抱きしめて」後編
九回裏、5対5の同点、レジスタンスの攻撃はツーアウトランナーなし、この場面で打席には四番織田勇次郎が入った。
勇次郎は今季29本のホームランを放っていることから、キングダムバッテリーは敬遠も視野に入れたが、最終的には沢村との相性も考慮し勝負を選択した。
また、ここで四番を打ち取れば、勝負の流れが変わるという狙いもあった。
一方で打席に立った勇次郎は初球を狙っていた。
実は先程打ち取られた明智とすれ違う際、耳打ちをされていたのだ。
『今日の沢村はやけにストレートが多い。恐らくネネのピッチングに影響を受けているのかもしれない。だから狙うなら初球、それもストレートだ』と。
勇次郎のバットを握る手に力が入る。
(ホント、大した奴だよ、アイツは……あの大ピンチを無失点で切り抜け、相手ピッチャーのピッチングまで狂わせてしまうんだからな)
ネネがベンチに到着すると同時に、沢村が振りかぶった。
そして次の瞬間、勇次郎の周りから全ての音が消えた。シン、としずりまりかえった空間に勇次郎は取り残され、沢村の動きだけがやけにゆっくりと見えた。球をリリースする指の動きまでしっかり見えた。
(ストレートだ)
明智が予想した通り、外角高めのコースギリギリに152キロのストレートが飛んできた。ストライクゾーンに入っているが厳しいコースだ。
だが、勇次郎は迷わずバットを振り抜いた。
カキ──ン!
バットがストレートを捉えた感触と同時に周りの音が戻った。勇次郎の耳に大歓声が飛び込んでくる。
打球は流し打ちとなり右方向……ライトへ高く飛んだ。
「入れ! 入れ──!」
レジスタンスベンチでは、選手全員が身を乗り出して打球の行方を見守った。スタンドインすればサヨナラ勝ちだ。
ライトスタンドに陣取るレジスタンス応援団たちも自分たちに向かってくる打球を見て「来い! 来い!」と叫んだ。
「どうだ!?」
ベンチから、皆が目を凝らして打球の行方を追った。目が良いネネが口を開く。
「ダメ……弾道が低い。スタンドまでは届かないわ」
打球はグングン伸びていくが、弾道は低く、スタンドインするには高さが足りない。ライトの守備に就く名手亀田が打球に追いつき、フェンス間際でジャンプした。
「捕られる!」
ベンチやスタンドから悲鳴が響く。だが、グラブはわずかにボールに届かなかった。ボールはフェンスに当たり、グラウンドに転々と転がった。
勇次郎は快足を飛ばし、一塁ベースを蹴った。ふたつ(セカンド)までは余裕だ……皆がそう思ったとき、ライトでは異変が起きていた。
何とライトの亀田がジャンプしたとき、フェンスに激突したため、うずくまっていたのだ。
「ま、マズイ!」
慌てて、センター中西がバックアップに走った。
「みっつ(サード)いけるぞ!」
ベンチから声が飛ぶ。勇次郎はセカンドベースを蹴って三塁を狙う。その頃、ようやく中西がボールに追いついた。
三塁に全力疾走する勇次郎。その時、勇次郎は明智とのふたりきりでの会話を思い出していた。
『勇次郎……お前の正直な気持ちを言えよ』
あの日の会話が甦る。
自分はネネのことを本当はどう思っているのだろう?
答えは……分からなかった。
だが、一緒にプロに入り、傍にはいつもネネがいた。それはいつしか、当たり前の事になっていた。
言葉には出さなかったが、ネネの明るい笑顔にどれだけ救われたか分からない。またネネの活躍に触発され、負けじと頑張ることで、プロの世界で活躍してきた。ネネがいたからこそ、今の自分があるのだ。
(俺の……俺の本当の気持ちは……とっくに決まっている……ただその気持ちから目を背けていただけだ……)
勇次郎は走りながら、チラッとベンチを見た。アイシングを終えたネネの姿が見える。
「勇次郎、ストップだ!」
サードコーチャーがストップをかける。中西が内野にボールを返球していた。
しかし、勇次郎は速度を緩めず、三塁ベースを蹴った。
サードコーチャーの「バカ! 止まれ!」の声が聞こえて、ホームベースの向こうに一塁側レジスタンスベンチが見えた。「やめろ!」「暴走だ!」とベンチやスタンドからも悲鳴が聞こえる。
そんな中、勇次郎にはネネの声がハッキリと聞こえた。
「走れ──!」
ネネは勇次郎に「走れ!」と大声で叫んでいた。
「走れ──! 勇次郎──!」
信じてくれているのだ。自分を。必ず一点取るといった自分をネネは信じてくれているのだ。
(ああ……待ってろ、必ずそこまでいく。約束したもんな、必ず一点取るって……そうしたら……)
「舐めんな! クソガキ!」
中西からのボールをカットしたショート牧村がキャッチャーに送球した。
(俺は……お前に本当の気持ちを伝えることができる)
勇次郎は迷うことなく、頭からベースに飛び込みんだ。牧村からボールを受けたキャッチャーの矢部が勇次郎にタッチを試みる。
土煙が上がる。クロスプレーだ。
観客が手で顔を覆う。ベンチで顔を背けるナインもいる。
しかし……ネネは勇次郎から目を離さなかった。