第200話「Cat Fight」後編
カウント0-2、伊達美波をあと一球まで追い込み、スタジアムからは手拍子が響く。
「は、羽柴寧々、伊達美波をあとワンストライクまで追い詰めましたよ……」
「そうですね……ただ、キングダムクリーンナップに対して、全てストレートで勝負しています。これは危険ですよ。羽柴には『懸河のドロップ』というウイニングショットがありますが、一体どこで使ってくるのでしょうか?」
実況席はそう解説していたが、伊達はドロップのことを完全に頭から排除して、ストレート……しかもライジングストレートだけにヤマを張っていた。
(無いわよね……今更、変化球なんて。可愛い顔してるけど、アンタ、闘争心と負けん気の塊だもんね。特にストレートは私にホームランを打たれている。ストレートしかないよね? 私にリベンジするなら)
一方で北条のサイン交換を終えたネネは右足をプレートに置くと、グラブを正面に構えた。
「三球勝負だな……」
ベンチで今川監督が呟いた。ふたりの勝負を見つめる由紀の目に涙が浮かんだ。
(ネネ……すごいよ。こんな優勝を左右する場面で堂々と……。私ね……あなたのマネージャーを任されたとき、本当は物凄く落ち込んでたの……広報部で役立たずだと言われてて……)
由紀はネネと初めて会った日のことを思い出していた。一月の寒い朝、ネネはスーツケースを持って、大阪駅で不安そうに佇んでいた。
(でも、私はあなたに感化され生き方が変わった……前向きで、努力家でいつも頑張っているあなたを見て、自分も変わりたいと真剣に願った。ありがとう、ネネ……例えどんな結果になろうとも、私はあなたを誇りに思う。あなたのマネージャーだったことを誇りに思うわ……)
ネネは一塁ランナーを目で牽制した。その時、ベンチの由紀と目が合った。
「ネネ──! いけ──!」
由紀の声援を聞いたネネの身体から力みが取れた。
(ありがとう、由紀さん。由紀さんを悲しませるような結果には、絶対させないからね)
そして、三塁ランナーに目を向けると、勇次郎の姿が見えた。先程の言葉が甦る。
『俺が必ず一点取る』
(うん、アンタはいつも有言実行してきた。信じてるよ、勇次郎……)
そんな中、ネネは不意に勇次郎に昔、言われた言葉を思い出した。
それは育成サバイバルゲームの後の出来事だった。自分のせいで丹羽が解雇になり、自己嫌悪に陥り、泣いていたときに勇次郎から告げられた言葉……。
『思いを背負う』
かつて勇次郎は言った。プロ野球選手になり、また活躍していくためには、自分以外の選手を蹴落としていくしかない、と。
そして、そのために消えていく選手たちの『思い』を背負い、夢を繋ぎ、自分が活躍していくのが残された者の使命だと──。
(あの時は漠然としてたけど、今なら分かるよ、勇次郎……)
ネネは打席に立つ伊達を見た。すると目が合ったので、ネネは思わず微笑んだ。
その笑みを見た伊達は頭に血が上った。
(な、何……? その笑いは……? 追い込んだ余裕? それとも私を舐めてんの!?)
……そのどれでもなかった。ネネは伊達を身近に感じていた。
(美波……その規格外のスイング、バットを振り続け固くなった手のひら……あなたも私と同じ……皆から好奇の目で見られても野球を止めなかった……それは、野球が大好きだったから……)
ネネは大きく息を吐き出した。同時に周りから音が消えていく。伊達美波の姿だけを残して辺りの景色が消えて、北条のミットだけが、暗闇の中にぼうっと浮かび上がった。
(敵同士でなかったら、色んな話ができたよね。きっと仲良くなれたと思う。ふたりでいっぱい野球の話ができたと思う……でもね……私、これからあなたを叩きのめさないといけない……)
ネネは大きく振りかぶった。
(ごめんね、美波……あなたにもきっと背負うものがあるはず。でも、私にも背負うものがあるの……)
左足を高く上げ。右足をヒールアップする。
(私のせいで解雇になった丹羽さん。私のせいで引退した柴田さん。私をずっと信じてくれていた明里ちゃん。こんな私を応援してくれるファンの人たち……そして……私の大事な居場所、大阪レジスタンス……負けない……勝つのは私よ!)
伊達はネネが振りかぶるのを見て、全力のストレートが来ると確信した。
(コースなんて関係ない! ストライクゾーンに来た球をぶっ叩く!)
伊達はバットを握る手に力を込め、右足を上げるとタイミングを取った。
満塁だから振りかぶっても、おかしい状況ではない。ランナーは一斉に走る素振りをしたが、ネネは動じない。
158センチのネネの身体が大きく見える。レジスタンスドームが『あと一球』の手拍子に包まれる。
(美波には二度も打たれている。一度目はドロップをライト前に運ばれ、二度目はストレートをライトスタンドに運ばれサヨナラ負けを喫した。この世界で生きていくなら……やり返さなくてはいけない!)
ネネは高く上げた左足を力強く踏み込むと、強靭な足腰を地面に固定させ、腰をグイッと回転させた。
そして、右腕をしなやかに振り抜くと、渾身の力を指先に込めて、ボールを思い切り上から弾いた。
(いけえ! ミットに飛び込め!)
ネネの指先から強烈な縦のスピンが効いたボールが放たれたが、そのボールの軌道を見た伊達は一瞬、目を疑った。
(な……内角高めのストレート!?)
ネネが投じたのは三球連続して、同じコースへのストレートだった。
(ふ……ふざけんなあああああ!)
同じコースに同じ球を三球も投げられるなんて、今までそんな経験はない。あまりの屈辱に再び伊達の頭に血が上った。
伊達はドン! と右足を踏み込むと、怒りに任せて長尺バットを思い切り振り抜いた。
内角を抉るストレートにタイミングは合っていた。伊達の風神のようなスイングがグラウンドに巻き起こった。
(もらったあ!)
そう勝利を確信した瞬間だった。
ネネの渾身のストレートは、伊達の手元でグンと伸びてホップした。
バットは空を切り、ボールはキャッチャーミットに一直線に飛び込み、ズバン! とミットの乾いた音が響くと、審判の手が上がった。
「す……ストライ──ク! バッターアウトォ!」
フルスイングして、勢い余った伊達は片膝を付き、ヘルメットが地面に落ちた。
「お……」
北条はミットに収まったボールを見て、一瞬、沈黙した後、雄叫びを上げた。
「おおおおお!」
「あ……あああああ!」
伊達の空振りを見たネネも右拳を握りしめてガッツポーズをした。
「よし! よくやった!」
レジスタンスベンチからは大歓声が上がる。今川監督もガッツポーズ、由紀も両手を挙げて喜んだ。
「やった──!」
「ネネ! すげ──ぞ!」
ブルペンの投手陣からも大歓声。先発を務めた島津、中継ぎで投げた、大谷、前田……他の選手たちも、皆、モニターの前で大喜びでハイタッチをした。
スタンドに陣取る観客からも大歓声。
「羽柴──! よくやった──!」
「すげえ! ノーアウト満塁をゼロで抑えやがった!」
「ネネちゃん、最高──!」
ノーアウト満塁を三者連続三者、無失点で切り抜けたネネのピッチングにレジスタンスドームはお祭り騒ぎとなった。
九回表のスコアボードには「0」が点滅、バックスクリーンのスピードガンは「148キロ」とネネの自己最速をマークする数字が浮かび上がっていた。
(う……ウソ……。な、何、今のボール? ボールが浮き上がった……? アメリカでも見たことないわ、何なのよ……あのストレートは……?)
伊達は片膝を付いたまま動けなかった。完璧に捉えたと思ったボールは手元で浮き上がり、バットは空を切った。今まで体験したことがないストレートの衝撃に伊達は呆然としていた。
三球とも同じコースにストレート。
完膚なまでに叩きのめされ、伊達のプライドは粉々に砕け散った。ベンチに戻るネネの背番号41の背中が見えた。伊達にはその小さな背中がとてつもなく大きく見えた。
「よくやった! ネネ!」
黒田と明智、蜂須賀がネネの背中を叩き、ネネは笑顔を見せた。そんなネネの元に勇次郎が近づいてきた。
「……ナイスピッチ」
勇次郎はグラブを付けた左手を差し出した。
ネネも右腕を突き出してタッチをすると、勇次郎を見てニッコリ微笑んだ。