第199話「Cat Fight」前編
「キングダム、五番サード、伊達美波、背番号24」
伊達は金髪をなびかせて、トレードマークの長尺バットを持つと打席に向かった。
「伊達──!」
「頼むぞ! お前が最後の砦だ──!」
「美波ちゃん、打って──!」
ライトスタンド、キングダム応援席から大声援が飛んだ。
(ノーアウト満塁がツーアウト満塁に変わった。しかも一点も奪えずに……だが、それが何だ? 今、ここで私がネネを打てば何の問題もない。勝つのはキングダムだ)
伊達はヘルメットを被り直すと、バッターボックスの一番後ろに立ち、ベースから少し離れると38インチの長尺バットを構えた。
「さあ、東京キングダムはこの場面で羽柴寧々と同じ、女子プロ野球選手、伊達美波が登場です!」
「伊達美波は羽柴寧々に対し、2打数2安打、内1安打はサヨナラホームラン、と相性はかなり良いです! これは期待できるでしょう!」
実況席が興奮する中、マウンドに立つネネは伊達を打席に迎えると、大きく息を吐き出した。
(ノーアウト満塁がツーアウト満塁に変わり、状況は幾分、楽になった。でも、まだ終わっていない。まだだ……あとひとつアウトを取るまで、絶対に気を抜いちゃいけない)
ネネは自分に喝を入れると、バッターボックスの伊達を睨みつけた。さっきまでのバッターが大きかったため、伊達の165センチの身体を見ると、ストライクゾーンが極端に狭くなった気がした。
一方の伊達はネネに対して狙い球を絞っていた。
(ストレートだ、変化球はない。さあ、ネネ、どっちが女子プロ野球選手として上なのか、決着をつけようじゃないか)
伊達もマウンドのネネを睨みつけた。
そして、キングダムベンチでは、中西と渡辺がふたり並んで座り、ネネ対伊達の対決を見守っていた。まずは渡辺が口を開く。
「しかし、情けねえなあ。ノーアウト満塁でキングダムの三番四番が二者連続三振とはな」
「そうですね……でも今日の羽柴のストレートはいつにもなく伸びてますよ」
中西がそう返す。
「アイツは……伊達は打てるか?」
「わかりませんね……でも、伊達は羽柴とはかなり相性が良いですから、打つ確率は高いと思いますよ」
そんな会話を交わすふたりの後ろでは、成瀬が祈るように伊達を見つめていた。
成瀬は試合前にフロントに言われたことを思い出していた。
伊達の入団は羽柴寧々に対抗する意向があったが、伊達の存在はもう充分世間にアピールできた。球団の盟主であるキングダムには毎シーズン、メジャーや他球団からのFA選手、それと新人選手……とレベルの高い選手が続々と入団する。
故に対羽柴寧々の切り札、悪い意味で言えば、客寄せパンダのような存在の伊達は真価が問われる。
今日、勝ち越しの逆転スリーランを放って残留の可能性を遺したが、同点に追いつかれたことでインパクトは小さくなった。
いや、むしろこのチャンスに凡退すれば、伊達の評価は一気に急落する。そうなると、来季キングダムに伊達の居場所はないだろう。
(美波……打つのよ。打って、来年もキングダムで……日本でプレーを続けて……)
成瀬は両手を組んで目を閉じた。
そんな成瀬の姿をレジスタンスベンチの由紀は見ていた。
(成瀬さんが祈ってる……きっと心配なんだろう、伊達美波のことが……でも、私も同じ気持ちだ。もし、ここでネネが打たれたりしたら、ネネは責任を感じて二度とマウンドに立てなくなるかもしれない……)
由紀も両手を組んだ。
(ネネ……頑張って……抑えて……)
「はっはっはっ! しかし、ここにきて女同士の戦いとは、まさに野球は筋書きのないドラマだな!」
すると、今川監督が明るい声を出したので、由紀はムッとした顔で今川監督を見た。あまりの能天気な態度に文句を言おうとしたが、今川監督の手がブルブルと震えているのが見えて、言い掛けた言葉を飲み込んだ。
百戦錬磨の今川監督も実は緊張しているのだ。いや、今川監督だけでない。杉山コーチやベンチの選手、またブルペンの投手陣たちも皆、最後の決戦を緊張の面持ちで見つめていた。
「なあ、浅井、真澄から聞いたが、伊達美波もネネと同じらしいな」
今川監督が話しかけてきたので、由紀はコクリと頷いた。
「真澄」とは、ネネの入団テストの前にネネをマッサージした凄腕のマッサージ師だ。
実は試合前に真澄が伊達をマッサージしていたのだ。その後、真澄から今川監督に連絡が入った。
『伊達美波の筋肉は……ネネと同じです。ネコ科の肉食獣のような……しなやかなで強靭な筋肉を持っています……』
……そう、伊達もネネと同じ筋肉を持つ同類だったのだ。
「とんでもねえ話だな。二匹の肉食獣が己のプライドを賭けて大勝負だ」
今川監督は血走った目でグラウンドを見た。
そして、マウンド上のネネは北条のサインを確認していた。サインはライジングストレート。ネネは頷く。
(美波は絶対に初球からガンガン振ってくる……)
ネネはセットポジションから、左足を大きく踏み出して一球目を投じた。内角高めにストレートが飛ぶ。
(来たあ! ストレート!)
球の勢いに負けないように、伊達は長尺バットを一気に振り抜いた。
ガチャン!
だが、ボールの下を叩いたようで、ボールは真後ろのバックネットに突き刺さった。スピードガン表示は146キロ。
ファールだが、真後ろに飛んだというのはタイミングは合っている証拠だ。
(少し下だったか……意外に伸びるわね)
伊達はバッターボックスを外すと、素振りをしてスイングを修正した。
そんな伊達のスイングを見た北条は心底身震いした。
(とてもオンナとは思えないスイングだ。今日のネネのストレートをいきなりバットに当てるとは……そして、コイツは特にストレートには無類の強さを発揮する。ネネとの相性は最悪だ……)
北条の思惑をよそに打席に入り直した伊達は心の中でほくそ笑んだ。
(ほら、やっぱりストレートだ。間違いなく次もストレートだろう。でもネネ……悪いけど打たせてもらうわ。米軍基地やアメリカで150キロ以上のストレートは何度も打ち込んできた。アンタのたかだか146キロ程度のストレートは私には通用しない)
カウント0-1からの二球目、ネネは再びストレートを投じた。だが、コースは先程と同じく内角高めのストレートだった。
(なっ……! また同じコース!?)
伊達はフルスイング。
カキン!
引っ張った打球は一塁線側のファールゾーンに飛び込んだ。
これでカウントは0-2となる。スピードガン表示は147キロ。先程、渡辺を三振に取ったストレートと同じ自己最速タイだ。
(しまった……まさか一球目と同じコースとは……油断したわ)
伊達は打席を再度外すと、素振りを繰り返した。
(でも、ストレートの軌道は確認できた。もう打ち損じはないわ)
勝利を確信した伊達は密かに微笑んだ。