第195話「Rising Cat」前編
ペナントレース最終戦、レジスタンス対キングダム。勝ったほうが優勝という大一番。
スコアは5対5の同点で、九回表キングダムの攻撃。ノーアウト満塁の場面でピッチャー交代のアナウンスが流れた。
「レジスタンス、ピッチャーの交代をお知らせします。ピッチャー朝倉に代わりまして、羽柴寧々、背番号41」
派手なギターの音色がドームに響き渡った。ネネの登場曲「相川七瀬」の「Sweet Emotion」のイントロだ。ライト側の壁が開く。
「来たぞ! 羽柴だ!」
スタンドから大声で観客が指を指すと、そこには髪をバッサリ切ったネネがいた。
ネネの姿を見た一部の興奮したファンは立ち上がって声援を送った。
「あ──! 髪、切ってる──!」
「やだ──! ショート、可愛い──!」
一方でネネはライト側の壁が開くと、その光景を眺めていた。
レジスタンスドームの眩いカクテル光線と足元には柔らかい人工芝の感触。
久しぶりに登板するレジスタンスドームは明智とのスキャンダル以来だから、約半月振りだ。観客たちが自分を受け入れてくれるか心配していたが……。
「待ってましたあ! 羽柴──! このピンチを凌げるんは、お前しかいないでえ!」
「おかえり、ネネちゃん! 頑張りや──!」
「頼むぞ、羽柴──! 東京の奴らなんか、いてもうたれ──!」
ネネを迎えるのは罵声やブーイングではなく、温かいファンの声援だった。ネネは胸が熱くなった。
正直に言えば怖い。足は地に着いていない。身体もフワフワしている。
場面はノーアウト満塁、打順は恐怖のキングダムクリーンナップ。でも……。
ネネの頭には、今日の投手陣の踏ん張りが浮かんだ。
(みんな、死に物狂いで投げた……私だけ……私だけ、逃げるわけにはいかない!)
そして、ネネは目を閉じた。宇喜多家で見た遺影の中の明里の笑顔と、最後の手紙の文面が頭に浮かぶ。
『私も羽柴選手のように強くなりたいです』
(うん、見ててね、明里ちゃん……私、絶対に逃げないから)
『いいか? 大声出して恐怖を吹き飛ばすんだ』
その時、不意に初登板のアスレチックスドームでの勇次郎の言葉を思い出した。
『俺が『行くぞ』って言うから、お前も何か大声出せ』
ネネは大きく息を吸い込むと「おお──!」と吠え、キッと顔を上げると、マウンドに向かい歩き出した。
「ネネ! 頑張れよ!」
無口なレフトの斎藤が声援を送ってくる。
ネネは右手に持っていた帽子を被ると、右手で握り拳を作った。
「いやあ、驚きました! この大ピンチにマウンドに向かうのは、今日1軍登録したばかりの羽柴です!」
「いや……しかし、羽柴選手、落ち着いていますね! この絶対絶命のピンチに、とてもルーキーとは思えない落ち着きぶりですよ!」
実況席も大興奮だ。
熱狂に包まれるドーム。キングダムベンチ前では渡辺が「えげつない声援やな、ドームが揺れてるぜ」と呆れたように呟いた。
「ホント、まるでアイドルね、でも……」
伊達はマウンドへ向かうネネを見つめ「すぐに悲劇のヒロインにしてあげるわ」と言って、不適な笑みを浮かべた。
ネネはゆっくりとマウンドへ向かう。「Sweet Emotion」はサビに入り、観客たちのボルテージも最高潮に達する。
「羽柴、頑張れ──!」
中年男性の野太い声。
「ネネちゃん、頑張って──!」
ピンクのユニフォームに身を包んだ小さな女の子の声。
「羽柴寧々」「NENE」とプリントされたピンクのタオルを掲げて応援するファン。また、ビールの売り子も曲に合わせて踊っている
「ノーアウト満塁! このピンチを凌いで、文字通りレジスタンスの勝利の女神になれるか、羽柴寧々! 威風堂々と今、マウンドに到着です!」
実況が叫ぶ頃、ネネはマウンドに着いた。マウンドには今川監督と杉山コーチ、そして、内野野手陣が待ち構えていた。
「……また、バッサリいったな」
今川監督が笑いながら、ネネの帽子を取った。肩まであった髪はなくなり、短くなっている。
「はい、気合い入れてきました」
ネネはニッコリと笑った。
「それじゃあ、状況をおさらいするぞ、九回の表、ノーアウト満塁、打順はクリーンナップ」
今川監督が口を開く。ネネはボールを両手に馴染ませながら、キングダムベンチに目を向けた。
「今季50本のホームランを放っている怪童中西、目下打点王の渡辺、それから絶好調の伊達美波……キングダムが誇る最強打線だ」
ネネはベンチ前に目を向けた。屈強な中西と渡辺に囲まれた金髪の伊達の姿が見えた。
「一点もやるな、0点に抑えろ! いいな!?」
今川監督がネネを見つめる。
「はい!」
ネネは今川監督を見て、力強く返事をした。
「……ネネ、今年の春先にしたのと同じ質問だ『ノーアウト満塁』、さあどうやって3アウトを取る?」
杉山コーチが問いかけ、ネネは笑顔で答える。
「はい! 全員三振に取ります!」
以前は怒られた回答だが、今度は杉山コーチは怒らない。逆に「はは、お前ならそれが正解だ。頼むぞ」と言って笑った。
「しかし、まあ……いいツラ構えだな。男でも、そこまで覚悟を決めたツラはできないぞ」
気合い十分のネネの顔を見た今川監督が感心すると、ネネはニッコリと笑った。
「女は度胸ですから」
ネネの言葉を聞いた今川監督は思わず「はっはっはっ、良い度胸だぜ!」と笑うと、帽子をネネに被せた。
「頼んだぞ、ネネ!」
「守りは任せろ!」
内野陣たちは自分の守備位置に戻り、今川監督と杉山コーチもベンチに下がっていった。
「さあ来い! ネネ!」
ネネは北条の掛け声に頷くと、久しぶりのレジスタンスドームのマウンドの感触を確かめながら、北条のミットにストレートを投げ込んでいった。
その頃、マスコットのレジーとコゼットは観客を煽っていた。バックスクリーンには「Rising Cat」の文字が浮かび上がる。
球場内に自然とウェーブが巻き起こり、そのウェーブをバックにネネは投球練習を続けた。