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ライジングキャット★ベースボール  作者: 鈴木涼介
第11章 史上最大の決戦編
194/207

第194話「たった一度の今日という日」

「ね……ネネぇ! ネネ──!」

 由紀はレジスタンスドームの関係者通路をネネの名前を呼びながら走った。

 先程、今川監督から話があった。ネネがアンダーシャツを着替えに更衣室に行った後、姿をくらましたというのだ。


 その一方で打球を右足で止めた朝倉はタンカで運ばれ、ベンチ裏で治療を受けていた。

 その間、レジスタンスの内野陣はマウンドに集まっていた。

「俺のせいだ……すまない。フィルダースチョイスに加え、ヒットエンドランを見抜けなかった」

 北条が苦悶の表情で皆に頭を下げる。

「バカ言っちゃいかんすよ、北条さん! 誰のせいでもない、切り替えてください! どうすれば、この回をゼロで切り抜けるか考えましょう!」

 黒田が声をかける。

「でも……もし朝倉さんがダメなら、その後は誰が投げるんだ……?」

 蜂須賀が口を開くが、全員沈黙した。明智はオーロラビジョンに映るキングダムの打順を確認した。


『三番中西、四番渡辺、五番伊達』


(よりによってノーアウト満塁で、キングダムの最強クリーンナップが相手とはな……)

 明智は言葉には出さずに小さく舌打ちをした。


 そして、ブルペンでは杉山コーチが、ネネの行方を島津たちに聞いていた。

 しかし、誰もネネの姿を見ておらず、気付いたら煙のように姿を消していたという。


 杉山コーチはネネを探す由紀と合流した。

「浅井さん、ネネはいたか?」

「い、いません……ネネ──! どこにいるの──!? いたら返事して──!」

 由紀が大声で叫ぶと、ガチャッと少し離れた女子更衣室のドアが開いた。何とそこにはネネの姿があった。


「ね……ネネ──!」

 由紀が一目散にネネに向かっていく。

「由紀さん……あれ? コーチも……」

「ネネが姿を消したって言うから……どうしたの、ネネ!? 大丈夫!?」

「え? アンダーシャツを着替えてた後、医療室にコレを取りに行ってただけだよ」

 ネネは笑いながらテーピングを切る大きなハサミを見せた。

「ど……どこか怪我をしたの……?」

「ううん……怪我じゃないけど……」


「ネネ……」

 会話を遮るように杉山コーチが口を挟んだ。

「朝倉が打球を右足で受け止め治療しているが、もしかしたら降板するかもしれん。俺は今から様子を見に行ってくるから、ここにいろよ」

 ネネの顔が強張る。


「朝倉が降板するとなると、次に投げるのはお前だ、頼むぞ」

 そう言うと、杉山コーチはベンチ裏に走っていった。


 その姿を見届けると、ネネは再び更衣室に入った。

「ね、ネネ……?」

 ネネの様子がおかしいことに気付いた由紀は後を追って更衣室に入った。


 ネネは更衣室の真ん中のソファーに腰掛けた。

「ネネ……どうしたの?」

「由紀さん……」

 ネネは何かにすがるように由紀を見た。その時、由紀はネネの足が震えていることに気付いた。

「は、はは……どうしたんだろう、私……さっきから震えが止まらなくて……」

「ネネ……」

「情けないよね。皆、頑張ってるのに……」

 由紀はうつむくネネに近づくと、ネネの身体をそっと抱きしめた。

「そんなことないよ、ネネはまだ18歳じゃない……それがこんな優勝が懸かった大事な場面での登板なんて……震えるのは当たり前だよ……」


 由紀に抱きしめられたネネは震えが少し収まった。

「ありがとう……由紀さん」

 そう言うと、ネネは右手を伸ばして、テーピングを切るハサミを取った。

「ネネ……さっきも聞いたけど、そのハサミは……?」

 由紀は身体を離してハサミを見つめた。するとネネが口を開いた。


「由紀さん……私ね、高校時代に髪を切って、男のフリをしてマウンドに立ったことがあるの」

「え……?」

「その時の相手は勇次郎だった」

 ネネは遠い目をした。

「思えばあれが始まり……私はその時のピッチングを認められて、レジスタンスにスカウトされたの」

「そ、そうだったの……?」

 そう言うと、ネネはハサミを由紀に手渡した。

「え?」

 そして、由紀にクルッと背中を向けた。


「由紀さん……お願い。私の髪をバッサリ切って……」

 ネネの髪は肩にかかるくらいの長さだった。由紀は身体が固まった。

「ね、ネネ……何で……?」

「覚悟を決めたいの。あの時みたいに、マウンドに立つ覚悟を……」

 必死な声だった。

「お願い……私、由紀さんを信頼してる……由紀さんにしか頼めないの……」

「ね、ネネ……」

「お願い……」

(本気だ……ネネは本気だ……)


 由紀はネネの髪を左手で束ねた。髪は柔らかくハサミを持つ手が震えたが、覚悟を決めて髪にハサミを当てた。

 ジャキッ! 一気にハサミを入れると、左手がスッと軽くなった。

 由紀は左手を見つめた。ネネの髪が握り込まれている。目の前にはネネの白い首が見えた。かなりの長さを切ったのが分かった。

「あ……あ……あ……」

 由紀は思わずハサミを落とした。


「……ありがとう、由紀さん」

 ネネはグラブと帽子を持って立ち上がった。

「もう大丈夫、行ってくるね」


「ネネ!」

 その時、更衣室の外からネネを呼ぶ声が聞こえた。杉山コーチの声だった。

「朝倉は無理だ! あとは頼む!」

「はい!」

 ネネの声にもう迷いはなかった。


 一方、由紀はネネの髪を左手で握りしめながら呆然としていた。

(何で……? 何でここまでして、投げないといけないの……?)


「ね、ネネ!」

 由紀は叫んだ。更衣室のドアの前まで来ていたネネは立ち止まった。

「な……何でネネがこんな苦しい場面で投げなきゃいけないの……? ひどいよ……ひどすぎるよ……」

 由紀の目に涙が浮かんだ。

「私……ネネと同じ歳の頃は大学生だった。いつも友達と笑って遊んで過ごしてた……責任なんて何もなかった。自分のことだけ考えてればよかった……それなのにネネは……ネネは……」

 すると、ネネは由紀に振り返らずに口を開いた。


「……ねえ、由紀さん、知ってる?」

「え……?」

「お父さんがよく話してたの。マンガのセリフらしいんだけど、人は誰しも一生に一度、必ず自分の出番が来る『たった一度の今日という日』があるんだって」

「……」

「でもね……大体の人はそんな日に気付かない、気が付いたら終わっているかもしれないんだって」

「ネネ……」

「私ね……今、とても感じるの……」

 ネネはキッと前を見据えた。

「私にとって、それは『今日』なんだって」


 ネネの言葉を聞いた由紀の目から涙がこぼれた。

「由紀さん、私、幸せだよ……優勝を決める試合で投げれるなんて……それから、由紀さんに出会えて……由紀さんがいなかったら、きっとここまでプロの世界でやってこれなかった。本当にありがとね」

「ね、ネネ……」

 由紀はネネに声を掛けようとしたが、言葉にならなかった。何を言っても陳腐な言葉になってしまいそうだった。


「由紀さん、私、頑張ってくるね」

 ネネはそう言うと、ドアを開けて出て行った。


 由紀は左手を開いた。ネネの髪がパラパラと床に落ちた。

「う……うう……」

 由紀はソファーに突っ伏すと、ワンワンと泣き出した。


 カチャカチャと通路にスパイクの音が響く。左手にグローブ、右手に帽子を持って、ネネはライト側登場口につながる通路を歩いていた。

 そんなネネを見つけた島津や前田たちは声を掛けようとして「え、えええ!?」と驚きの声を上げた。他のスタッフたちも同じ反応だった。

 ネネは口元に笑みを浮かべながら、登場口に向かって歩き続けた。


 そしてグラウンドでは、朝倉がベンチに下り、十分が経っていた。キングダム鬼塚監督が早く試合を再開するよう抗議している中、ようやく今川監督はピッチャー交代を告げた。


「おっ、どうやらピッチャー交代のようやな、さてさて、誰が投げるのやら……」

 キングダムベンチ前では、渡辺がバットを握りしめながら伊達に話しかけた。

「そりゃあ、決まってますよ、あの娘しかいないでしょ」

 伊達は長尺バットを手元に引き寄せると、不敵な笑みを浮かべた。


 次の瞬間、ドーム内にアナウンスが流れた。

「レジスタンス、ピッチャー交代のお知らせです。ピッチャー、朝倉に代わりまして……」

 観客全員が息を呑んだ。ノーアウト満塁、この大ピンチに一体、誰が投げるのかを……。


「……羽柴寧々、背番号41」


 ネネの登場を告げるアナウンスが終わると同時に登場曲「Sweet Emotion」のイントロが鳴り響いた。観客がどよめき、レフトスタンド側のフェンスが開く。


 そこには髪の毛をバッサリ切ったネネが立っていた。

作中に出てくる「たった一度の今日という日」というのは、車田正美先生の漫画「リングにかけろ」の中の台詞です。

個人的に素晴らしい名言だと思っていて、私の人生における支柱でもあるため、今回引用させていただきました。

実際の台詞は「人生、長い短いは関係ない。そのたった一度の今日という日を感じ取れるのが、本当の男だ」というような趣旨が続きます。

ただ、私自身、そんな日は感じたことはありませんが……(笑)

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