第19話「サバイバルゲーム」⑤
「な……何だ!? この変化は!?」
丹羽が驚きの声を上げた。
八回表のAチームの攻撃中、ネネから変化球を受けてほしいと頼まれ、ベンチ前で投球練習を行ったのだが、ネネが投じたボールの変化にミットが追いつかず後ろに逸らしてしまっていた。
今まで見たことがない変化だった。ストレートと全く同じ腕の振りから投じられたボールは、大きく曲がると鋭く落下してきた。
「『懸河のドロップ』です」
ネネが笑みを浮かべ説明する。
「け、けんがのドロップ?」
「はい」
丹羽はネネの秘められた能力に改めて驚愕した。
(ホップするストレートといい、この鋭い変化球といい、コイツは一体、何者なんだ? いや……そんなことを考えるな! 今、考えないといけないのは、俺がこの球をしっかり捕れるかということだ!)
「羽柴、もう一球、頼む!」
丹羽はボールを返球すると、ネネに再びドロップを要求した。
そして、ネネが投球練習を行なっている間に、八回裏のAチームの攻撃が終わった。
この回、無得点でスコアは依然8対7。Aチームが一点負けている状況は変わらなかった。
だが、ここでAチームに変化が起きた。投球練習を終えてマウンドに向かおうとするネネにベンチの選手たちが話しかけてきたのだ。
「お、おい、さっき変化球を投げていたけど、この回から使っていくのか?」
「は、はい、そのつもりですけど……」
「ベンチで見ていたけど、すげえ変化だったな。あと二イニングだ。頑張れよ」
今まで無関心だった選手たちが少しずつ変わってきた。ネネのピッチングが周りの選手たちを惹きつけ始めたのだ。
「はい! 行ってきます!」
ネネは笑顔で頭を下げた。
また、ネネのピッチングは敵であるBチームにも影響を与えだしていた。
Bチームのメンバーは、全員ネネのことを色モノ扱いで見ていたが、先程の回、ランナーを出しながらもトリプルプレーで無得点に抑えられたことから、妙な連帯感が生まれていたのだ。
それは『女のピッチャーにいいように抑えられて悔しくないのか?』という男のプライドだった。
八回裏、ネネはチームメイトの声援を受け、マウンドに上がった。
Bチームの先頭バッターが打席に入ったが、バッターはネネの球の軌道を見極めるため打席の一番後ろに立ち、バットを指一本分、短く持っていた。
(コイツら、ようやく羽柴を自分たちと対等だと認めたな……)
丹羽はバッターを観察しながらサインを出した。ネネはサインに頷くと投球モーションに入った。
ランナーがいないため、ゆったりと大きく振りかぶる。それはまるで肉食獣が獲物に飛び掛かる前の動作のように見えた。
左足を高く上げ、軸足になる右足をヒールアップする。続いて左足を強く地面に踏み込み右腕を引き絞る。
そして、短いテイクバックから弾丸のようなボールが放たれた。
コースは内角高め、バッターはボールを十分に引きつけるとスイングを始めた。
(羽柴の球は、ここから伸びる!)
丹羽はミットを構えなおすと、ボールの軌道を凝視した。
バッターはボールの軌道に合わせてフルスイング。
だが、ネネの投じたボールには強烈な縦のスピンがかかっており、重力を無視して浮き上がった。
「ストライク!」
ボールはバットの上を通過して丹羽のミットにズバン! と飛び込んだ。
空振りしたバッターはネネのホップするストレートに、あり得ない、といった表情を浮かべた。
「ナイスボール! 羽柴!」
丹羽はネネにボールを返球しようとした。だがその時、ミットをしている左手の指に痛みが走った。
(? 何だ?)
ビリッとした痛みだったが、良い流れを止めたくなかったので、丹羽はあまり気にも留めずにボールを返球した。
二球目、丹羽の出したサインは外角低めの「アウトロー」、そのコースにストレートが決まると、瞬く間にツーストライクになった。
丹羽は打席に立つバッターを観察した。ネネのストレートを警戒して、バットを更に短く握っている。
(羽柴にはストレートしかないと思ってるな……)
丹羽は満を辞してドロップのサインを出した。ネネはそのサインに頷く。
ネネは振りかぶり、ボールに鋭い回転をかけドロップを投じた。
ボールはバッターの肩口に飛んでいく。ストレート狙いのバッターは急に肩口にボールが飛んできたので、のけぞってボールを避けた。
しかし、ネネのドロップはバッターをあざ笑うかのように、途中で大きく曲がり、ストライクゾーンに落ちた。
「ストラ─イク! バッタ─アウトォ!」
ボールを避けたバッターは、見たことないボールの変化に目を白黒させながら、尻もちを付いた。
「何だあれ!? あんな変化球もあったのか!?」
Bチームのベンチから驚きの声が上がった。
先頭バッターを見逃し三振に切って取ると、ネネのピッチングは更にエンジンがかかった。
次のバッターに対してはドロップでカウントを取り、最後はホップするストレートで空振りの三振を奪いツーアウト。
最後のバッターに対しては、際どいコースにストレートを集め、最後は「懸河のドロップ」で見逃しの三振を奪い、スリーアウト。
終わってみれば、この回もBチームに得点を許さず三者三振。
七回裏の登板から八回裏の計二イニグを無失点で締めた。
「すげえな、お前!」
「一球くらい、こっちに打たせろよ!」
マウンドからベンチに帰るネネに野手陣の称賛の声が飛んだ。
ネネのピッチングは、いつしか皆を魅了し出していた。
ネネが照れながらベンチに戻ると、ベンチ内にいる選手からもネネを称える声が挙がった。
「いいぞ! 羽柴! ナイスピッチングだ!」
ネネの女性とは思えない豪快なピッチングは、いつしかAチーム内の選手を鼓舞し、闘争心に火を点けた。
「勝つ」という本能を目覚めたAチームは、この土壇場で初めてひとつにまとまった。
「みなさん、ありがとうございます! でも、これから最終回の攻撃です! ここで一点取らないと負けちゃいます。まずは一点取って同点にしましょう!」
ネネが明るく声を張り上げると、ベンチ内から「おう!」という声が挙がった。
「どうやら、両チームともひとつにまとまったようだな」
バックネット裏の今川監督は大きく伸びをしながら呟いた。
すると、隣にいる岩田コーチが不安そうに尋ねた。
「し、しかし、試合はAチームが負けています。このままなら羽柴寧々の支配下登録は……」
「ないよ」
今川監督はキッパリと言い切った。
「負けたチームの選手は全員解雇だ」
「で、でも、もったいないですよ、あの娘は逸材ですよ。あのトリプルプレーを取った反射神経、ホップするストレートに伝説の変化球、抜群の制球力、男相手でもひるまない精神力……ここで見捨てるのは、もったいないですよ!」
「アイツが持っている奴なら、このまま終わらないさ」
そう言うと、今川監督は再びグラウンドに目を落とした。
(そう、このまま終わるわけがない……羽柴寧々、お前は天性のムードメーカーだ。お前のプレイに引っ張られ、チームは奮起するに違いない。その力を見せてもらうぜ)
そして、九回裏、Aチーム一点ビハインドの状況で最後の攻撃が始まった。
この回は五番からの攻撃。ベンチが反撃に向けて盛り上がっていたが、丹羽はひとりベンチ裏に隠れていた。
丹羽はミットを外して左手の人差し指を見つめていた。
指は真っ赤に腫れ上がり、痛みが脳天を突いた。
それはネネの投げたボールが原因だった。
ホップするストレートをキャッチする際、取り損ねて左手人差し指の根元で何度かボールを受けてしまったのだ。
試合中はアドレナリンが出ていたせいか、痛みには気付かなかったが、八回の守備が終わる時に、指の痛みと腫れに気付いた。
すぐさま、ベンチ裏に隠れてコールドスプレーで指を冷やし続けたが、痛みは全く取れなかった。
(マズいな……まさかこんなことになるとは……俺の打順は八番、ひとりでもランナーが出塁すれば、打席が周って来る。だができるのか? この指で……)
丹羽は苦悶していた。
「わああああ!」
すると、突然ベンチから大声が聞こえてきた。
(何だ? 試合はどうなった?)
丹羽が慌ててベンチに戻ると、ベンチが盛り上がっていて、二塁上にランナーが見えた。
ワンアウトから六番バッターが出塁し、七番バッターの送りバントで、ツーアウトながら、ランナー、二塁のチャンスを作り出していたのだ。
「あ! 丹羽さん、戻ってきた!」
ネネが丹羽の元に駆け寄ってきたので、丹羽は反射的に左手を隠した。
「丹羽さんの打順ですよ! ツーアウトですけど、同点のランナーが出ました!」
ネネがにっこり笑って、丹羽を見つめる。
「あ、ああ……」
丹羽は強張った表情でバットを握った。
(い、痛っ!)
左の人差し指は痛みで曲げることができず、バットを握ることもおぼつかなかった。
(ここで自分が打たなければAチームは負ける……だが、ここでタイムリーを打てば、Aチームは同点に追いつくことができる。そうなると、起死回生の同点打を放った自分は一気に支配下登録選手に近づくことができるだろう)
丹羽にとっても千載一遇のチャンスであることに間違いはなかったが、今一度、真っ赤に腫れあがった左手人差し指を見つめた。指の痛みは治らず、痛む一方だった。
(ダメだ……痛みでバットを握れない。ここで無理すれば選手生命も終わりかねない。コーチに言おう……足手まといになるくらいなら交代しよう……)
丹羽がそう決意して振り返ったときだった。次のバッターであるネネが、ベンチ前でバットを振るのが見えた。
ネネはこの状況にもあきらめる様子はなく、ブンブンとバットを振っていた。
「心配しないでください! 私、こう見えて、バッティングも得意なんです」
緊迫の場面なのに、ネネはニコニコと笑っていた。
その姿を見て、丹羽は急におかしくなった。
目の前にいるのは、まだ高校生の可愛らしい顔をした少女だ。そんな少女が育成選手とはいえ、男ばかりの中で精いっぱい頑張っている。こんな絶体絶命のピンチにも、全然あきらめていない。
丹羽の口元は自然と緩んだ。
(見てみたいな。女性初のプロ野球選手として、羽柴が一軍のマウンドに立つ姿を……)
「羽柴……」
「はい!」
「肩を冷やすなよ。九回裏もオール三振で締めるぞ」
そう言い残すと、丹羽は打席に向かった。
(羽柴、見ていろ。これで最後にはさせない……絶対に打つ……!)