第180話「決戦の10.7」②
球団上層部に呼ばれたキングダム広報部の成瀬聖子は、ドーム内の部屋を出るとため息をついた。
「聖子……」
部屋を出ると、通路に伊達美波が立っていた。
「聖子、大丈夫? 顔色が悪いよ、お偉いさんたちに何か言われたの?」
「う、ううん……何でもないよ、それより美波、あなたは……」
「うん、気分悪いよ。スタメンを外されて」
伊達は見るからに不機嫌そうな顔をした。
先の試合、ファルコンズ戦で伊達は児嶋のリードにやられノーヒットだった。また怪我で戦列を離れていた藤本が戻って来たので、今日の試合ではスタメンを外されていたのだ。
「頭くるわあ……こんな大一番でベンチなんて……」
プリプリ怒る伊達を見て、成瀬は苦笑した。
実は成瀬が球団上層部に呼ばれたのは、伊達の去就のことだった。
球団は伊達美波の来季の契約を渋っていた。伊達を獲得したのは、史上初の女子プロ野球選手、羽柴寧々に対抗する意味もあったのだが、球団はもう充分だと考えていた。
また、来季は藤本をセンターにコンバートした後、三塁手にバリバリのメジャーリーガーをスカウトしようと考えており、伊達と再契約する理由がなくなったのだ。
しかも、前試合で伊達は変化球に弱いことを露呈した。となれば、各球団の対策は練られ、伊達の必要性は更になくなる。
その話を聞かされた成瀬は憤慨して『今日の試合の結果を見てから、伊達の去就を決めてくれ』と言い放った。これが先程あった顛末だった。
「ど、どうしたの聖子? めちゃ怖い顔をしてるよ」
伊達が成瀬の顔を覗きこんだ。
(あ……いけない、いけない……)
成瀬は顔をゴシゴシとこすった。
「何でもないよ、ゴメンね」
そう言うと、ニッコリ笑った。
(止めよう、美波には余計な情報を入れたくない……それに美波なら大丈夫だ。今日は代打での出場が濃厚だけど、きっと結果を出してくれる……)
成瀬は伊達の横顔を見つめた。
そして、時は流れ、時計の針が午後5時30分を指した。
試合開始まであと30分、両チームがベンチに集まり、まずはアウェイのキングダムのスターティングメンバーが発表された。
一番、遊撃手、ルーキーの牧村。
二番、二塁手、守備の名手、東。
三番、中堅手、怪童中西。
四番、一塁手、番長渡辺。
五番、三塁手、若大将藤本。
六番、右翼手、助っ人外国人ゴンザレス。
七番、左翼手、ベテランの亀田。
八番、捕手、扇の要である矢部。
そして、先発ピッチャーは今季12勝を上げている牧野。エース沢村は二日前に先発しているため、今日は試合後半での出場が濃厚。その他、盤石な中継ぎを擁し、キングダムに死角はない。
刻一刻と試合開始時間が近づく。ネネはブルペンに入り、皆とモニターを見つめていた。
「は、始まるね……」
前田が青い顔で呟く。
今日勝てば優勝だが、レジスタンスは優勝から19年も遠ざかっていて、優勝争いを経験したピッチャーがひとりもいない。また、ダブルエースの朝倉、松永もAクラスすらない。
経験不足に加え、精神的支柱がいない投手陣はプレッシャーでガチガチだった。
(こんな時に柴田さんがいれば……)
ネネはふと引退したレジェンドピッチャー柴田に思いを馳せるが、すぐに頭を振ってその考えを打ち消した。
(ダメだ、ダメだ、そんなことを考えたら……私たちで何とかしないと……)
そんな時だ──。
「ヘッ、何だよ、お通夜みてえな雰囲気じゃねえか」
ブルペンに先発の島津がやってきて軽口を叩いた。
「栄作……」
「何、緊張してんだよ? こんな大一番に投げることができるんだ、俺たちは幸せだぜ!」
島津はそう言ってガハハと笑った。
流石クローザーを務めるだけある。島津の強心臓ぶりに皆、驚き、ピリピリしたムードは少し和らいだ。
「さあ、それじゃあ、先発の役目を果たしてくるかな!」
島津はクルッと背を向けると、颯爽とブルペンを出て行った。
ブルペンを出て、先発のマウンドに向かうため通路を歩いていた島津。だが、その途中で壁に背を付くと、大きく息を吐きだした。手足が震えて、冷や汗が吹き出している。
「栄作……」
すると、島津の後をついてきたネネがその姿を見て驚いた。
「ネネか……」
「栄作、大丈夫?」
「へへ……偉そうなこと言ってみたけど、一番びびってるのは俺だったりしてな……」
島津は震える自分の手を見ている。
「オメーはすげえよな……あれだけマスコミに叩かれたのに復活してよ……」
島津の言葉にネネは首を振る。
「ううん、私も怖いよ、でも……」
ネネは島津を見つめた。
「投げなきゃいけないの。私を信じてくれる人がいる限り」
『信じてくれる人』……島津の脳裏には深見先生の姿が浮かんだ。
今日、自分が先発のことを伝えたら、先生は九州から新幹線に飛び乗り大阪まで来てくれた。
深見先生がいなかったら今の自分はいなかった。島津は決心していた。今日、先発の務めを無事果たすことができたら、先生にプロポーズしようと……。
「……ああ、お前の言う通りだ。俺にも信じてくれる人がいるよ」
いつの間にか震えは止まっていた。
「私も信じてるよ、ガンバレ、栄作」
ネネは左手を突き出した。
「ああ、先発の務め、果たしてくるぜ」
島津も左手を出し、グータッチをするとベンチに向かった。
そして、レジスタンスベンチ……。試合開始まで10分を切り、勇次郎と明智が並んでグラウンドを見つめていた。
「……遂に始まるな」
「はい」
「なあ、勇次郎……恥ずかしい話なんだが、俺、小中高……それからプロに入ってからも一度も優勝経験がないんだよ」
明智がミットを触りながら口を開く。
「そうなんですか?」
「ああ……どうもここ一番に弱くてな。お前は甲子園でも優勝してるだろう? 何を考えてプレーしていた?」
「別に何も……」
「は?」
「普段通りのプレーを心掛けていただけです」
「ははっ、お前に聞いた俺がバカだったわ」
明智は苦笑いした。
「あ……でも」
「ん? 何だ?」
「それ以外にも、考えていたことはありました」
「お……何を考えてたんだ?」
「甲子園のときは……ここで優勝したら、みんな喜んでくれるだろうな、って思ってました」
「なるほど……」
明智は納得するように頷いた。
「誰かのために戦う、ってのもアリか」
勇次郎はその問いには答えず、代わりに鋭い眼光でグラウンドを見つめていた。
運命の試合時間は刻一刻と近づいていた。