第18話「サバイバルゲーム」④
「羽柴、落ち着け」
マウンドに駆け寄った丹羽はネネに優しい声で話しかけた。
七回裏、ヒットとエラーでノーアウト一、二塁のピンチだが、そんなピンチの状況にも関わらず、Aチームのメンバーは丹羽以外、誰もマウンドに集まっていなかった。皆、どこか醒めた様子で、それぞれのポジションから動かなかった。
ネネはマウンドで孤独感を感じていた。自分を鼓舞してくれるのは丹羽だけだった。
「聞いてるのか? 羽柴?」
丹羽の声で、ハッと我に帰った。
「多分、確実にランナーを進めるために、もう一度、スクイズをしてくるだろう。一球目は大きく外すぞ」
「は、はい……」
ネネは自信無さげに頷くと、バックネット裏を見つめた。
そこには今川監督の姿がはっきり見えた。ネネを見てニヤニヤと笑っている。
(何よ、ニヤニヤして……そんなに私のピンチが楽しいの?)
ネネは急に腹が立ってきた。
だが、その時、ネネの目に今川監督の後ろに座る男性の顔が飛び込んできた。
(え? ええ? あ、あれは……?)
その男の顔には見覚えがあった。短髪に鋭い眼光。
(お……織田勇次郎!? 何で……何でここにいるの……?)
予想外の人物の出現にネネは驚き、マウンドで固まったが、すぐに不安を振り払うように頭をブンブンと振った。心臓の鼓動は早くなっているが、頭は急速に冷めていくのが分かった。
(わ……私、何を弱気になっていたんだろう……?)
勇次郎との勝負の光景が、ネネの脳裏に浮かび上がった。
(勇次郎が見ている……あの人の前で、不甲斐ないピッチングを見せるわけにはいかない!)
ネネは鋭い目つきで丹羽を見つめた。
「丹羽さん……バッターから見て、スクイズしやすいコースってどこですか?」
「は? 突然、何を言ってるんだ?」
「そのコースに投げ込みたいんです」
「は? はあ? 何だそれ!? 相手にスクイズしろって言ってんのか?」
「いいえ、逆です。スクイズ失敗になるようなボールを投げます」
「そんなボールがあるのか?」
「はい、私のボールはホップします。その球でわざとスクイズを誘い、失敗させます」
ネネの発言に丹羽は目を白黒させた。
「ホ……ホップだって? 一体、何を言ってるんだ?」
「丹羽さん、私を信じてください。それと……」
ネネは丹羽を見つめた。
「ミットをなるべくボールに被せるようにして、キャッチしてください」
丹羽はキャッチーポジションに戻ったが、先程のネネの発言があまりに意味不明であったため、頭の整理が追いついていなかった。
(ホップ? 何だよそれ? ボールがホップするわけないじゃないか……それに羽柴、さっき受けてみたけど、お前の球はせいぜい120キロくらいだ。女性にしては速い部類だが、プロの男連中相手には通用しないぞ……)
試合が再開される。次のバッターは初めからバントの構えをしている。スクイズするのが見え見えだが、これはネネを揺さぶる意味もある。
この場合、一球外すのがセオリーだが、丹羽にはなぜか先程のネネの発言が気になっていた。何があったか分からないが自信に満ちた目をしていた。
丹羽はネネを信じ、スクイズをしやすい、ど真ん中のサインを出した。
ネネはセットポジションに構えるとランナーを警戒し、素早いクイックモーションから、ど真ん中にストレートを投じた。
……但し、指先には今まで以上に力を込めて、石投げと同じ感覚でボールを弾いた。
ど真ん中の『バントしてくれ』と言わんばかりのストレートに、バッターはバットをボールの軌道上に差し出した。
(やられた!)
と、丹羽が思った瞬間だった。ネネの投げたボールは唸りを上げてホップした。
ガキン!
鈍い音がした。バットにボールが当たった音だ。丹羽はグラウンドに目を移したが、地面にボールは転がっていなかった。
(ど、どこだ!?)
その時、空に白いボールが見えた。
ボールは力無く、ホームベースとサードの当たりにフラフラと浮かんでいた。
ネネの投げたボールがホップしたため、差し出したバットの上部に当たり、本来、小フライとなったのだ。それはスクイズ失敗を意味していた。ボールは空中を漂っている。
(い……いかん! 捕らなくては!)
丹羽は慌ててボールをキャッチしようと、ボールの落下点に入ろうとした。
だが、それより早く落下点に飛び込む黒い影が見えた。
それはネネだった。
ネネは投げ終えた後、フライになったボールの行方を見て、素早くマウンドを駆け下りていたのだ。
そして、何の躊躇もなく、ネネは落ちてくるボールに向かって飛び込んだ。
「は……羽柴──!」
ネネの危険なプレーに丹羽は思わず叫んだ。
しかし、ボールに飛び込んだネネは逆シングルでボールを見事にキャッチした。
「アウトォ!」
審判のコールが響く、スクイズ失敗、ワンアウトだ。
だがそれだけでは終わらなかった。
ネネはネコのように素早く体勢を整えると、二塁ランナーを見据えた。ランナーは飛び出している。
ネネは矢のような球を二塁に投げた。ボールを捕ったセカンドが二塁ベースを踏む。ランナー帰れず、これでツーアウト。
すると、一塁にいたランナーも塁を飛び出していた。セカンドはすぐさま一塁にボールを送球した。こちらもランナー帰れずにアウトとなった。
一瞬にしてスリーアウト。滅多に見ることがない一度に三つのアウトを取る『トリプルプレー』の完成だった。
一塁、三塁ベンチから敵味方関係なく驚きの声が上がった。
そして、その一連の流れを見ていたバックネット裏の織田勇次郎は、思わず席から立ち上がった。
「ト……トリプルプレーだと……?」
勇次郎はグラウンドのネネを見つめた。頭から地面に飛び込んだネネだったが、何事もなかったかのようにスッと立ち上がると、両手を上げて喜んでいた。
投げ終わった後のフィールディング、素早い判断と送球……すべてが一級品の動きだった。
「はっはっは、凄えプレーだったな」
今川監督が手を叩きながら、上機嫌な表情を見せた。
「あ……あり得ませんよ。あんなプレー……一歩間違えたら、大怪我じゃないですか?」
勇次郎は理解できない、という顔をしたが、今川監督は目を輝かせている。
「そうだな……だが、まるで肉食獣が獲物を狩るような……本能に導かれたプレーだったな」
そして、満足そうに笑った。
「は、羽柴、大丈夫か?」
一方、グラウンドでは丹羽がネネの様子を気遣った。ネネは満面の笑顔を見せた。
「えへへ、上手くいきました。スクイズ阻止してトリプルプレーです」
「い、いや、それよりも人工芝の上にダイブしたんだぞ、身体は大丈夫か?」
ネネは自分の身体を触るとニッコリ笑った。
「流石、レジスタンスドームの人工芝ですね。まるで本物の芝のようだから、全然平気です」
笑顔を見せるネネとは対照的に、丹羽は言葉を失っていた。
「ナ、ナイスプレー」
ベンチに戻ろうとするネネに、セカンドを守っている選手が話しかけてきた。あ然とした顔をしている。
「す、すげえ動きだったな」
他の内野手もネネの側に集まってきて、ネネに話しかけた。
「初めて成功させたぜ、トリプルプレーなんて」
「ああ、よくあのピンチを凌いだな」
(羽柴の今のプレイが停滞していた雰囲気を変えた。いける……これで流れは変わるぞ……)
丹羽はネネとチームメイトを見つめた。選手たちの表情は一気に明るくなっていた。
反撃はこれからだ……丹羽は拳を強く握りしめた。