第175話「追憶の雨の中」
レジスタンス二軍の優勝が懸かった対福岡アスレチックス戦。
六回表、アスレチックスの攻撃を迎え、スコアは1対0でレジスタンスが一点リードしていた。
「お……降ってきたな」
観客が空を見上げた。試合開始前から怪しい天候だったが、雨雲が現れ、ポツポツと雨粒が落ちてきた。
太平洋から北に向かっていた台風が現在関西地方に接近し、今夜にも上陸する見込みらしく、その影響で雨が降り出してきたのだ。
観客たちは各々、傘を差したり、カッパを着込んだりしていたが、藤崎はジャケットを頭から羽織い、ネネをカメラで追い続けていた。
本降りではないが、雨に打たれながらネネは次のバッターに対しても、ストライク先行のピッチングを見せる。瞬く間に相手を追い込むと、最後はアウトローにストレートをズバンと決めた。
「ストライク! バッターアウトォ!」
審判の手が上がり、ツーアウト。これで圧巻の八人連続三振だ。
「ツーアウトォ!」
ネネは振り返ると指で「2」を作り、野手陣に笑顔で声を掛けた。
そんな状況下で、福岡アスレチックスはある男を代打に送ってきた。
「福岡アスレチックス、代打のお知らせです。バッター、ストロベリー」
アナウンスが響き、球場の空気が変わった。代打を告げられたのは腰痛のため二軍で調整中の主砲ストロベリーだった。
「パンテーラ」(豹)の異名を持ち、後半戦の多くを欠場したとはいえ、30本のホームランを放っている怪物バッターで、ネネとはオールスターゲーム以来の対決だ。
ストロベリーが左バッターボックスに入ると、急に風と雨足が強くなってきた。台風の影響だろう。ネネは顔に当たる雨粒をユニフォームの袖でグイッと拭った。
「おいおい厚化粧がとれてるぞ! タイム取らなくていいか!?」
スタンドから野次と笑い声が響くが、ネネは完全無視だ。しなやかなフォームから第一球を投じる。
「ストライク!」
アウトローにライジングストレートが決まりワンストライク。しかし、ストロベリーはネネのストレートの球筋をじっと観察している。それはまるで肉食獣が獲物の動きを観察するような眼付きだった。
キャッチャーは次に高めのサインを出したが、ネネは首を振った。『高めは危険、あくまで低めを攻める』という意思を込めて。
雨で指が滑らないように、ネネは滑り止めのロージンを多めに指に付けた。
しなかやかやフォームから、ストロベリーの内角低めにストレートを放つ。
「ストライク!」
内角低めのストレートにストロベリーのバットが空を切った。これでツーストライクだ。
ネネはキャッチャーからボールを受け取ると両手で球をこねた。雨と風は益々強くなってきている。
(次の球が勝負だ……!)
ネネは大きく息を吐き出した。
「時間稼ぎすんな!」
観客席だけでなく、アスレチックスベンチからも野次が飛んだ。
藤崎はファインダー越しにネネを見た。ネネはグッと歯を食いしばっていた。
今日のキャッチャーは二軍選手のため、キャッチングを心配し、全力投球ではないためフラストレーションも溜まっている。それに加えて、久しぶりの実戦、敵からの野次に雨と風……辛い状況が揃っている。それでもネネは決してバッターから決して逃げない、攻めのピッチングを貫いている。
(何てすごい奴なんだ……男性選手にもヒケを取らない精神力だ……)
藤崎は、いつしかネネのピッチングに魅了されていた。
「お前みたいな女がプロ野球にいることが間違いなんだよ! 消えろ!」
再びスタンドから飛び交う野次。藤崎はカッとなり思わず叫んだ。
「い……いいかげんにしないか! お前ら!」
野次を飛ばしていた観客は驚き、黙り込んだ。由紀も驚き藤崎を見た。
「……女性なのに、男のプロ野球選手を相手に必死で頑張ってるんだ! お前らにあの娘と同じことができるのか!? 何も知らないくせにあの娘を叩くな!」
そして、ネネに向かって叫んだ。
「羽柴選手、気にするな! 優勝が懸かってるんだ! 自分のペースで投げればいい! 悔いのないよう頑張れ!」
マウンドに立つネネはスタンドを見上げた。細身で眼鏡の男性が立ち上がって野次に抗議していた。ネネは藤崎の顔を知らない。感謝の意味を込めて藤崎に頭を下げると笑みを浮かべた。
また藤崎のエールを聞いた由紀もネネに向かって叫んだ。
「ネネー! その通りだよ──! 焦らないでいいよ──!」
すると他の観客たちもネネにエールを送りだした。
「そうだそうだ! 羽柴、焦らずに投げろ!」
「ネネちゃん、頑張れ──!」
降り注ぐ雨の中、スタンドからの声援を受けたネネはゆっくりと振りかぶると、渾身の一球を放った。
(いけえ!)
ボールは外角高めに飛び、コースを外れていたため、ストレート狙いのストロベリーはバットを止めた。
しかし、コースを外れたボールは鋭く弧を描き、ストライクゾーンに落ちてきた。
「ストライク! バッターアウトォ!」
その落差に驚くストロベリーだったが、時すでに遅し。
ネネのウイニングショット『懸河のドロップ』が炸裂し、ストロベリーは見逃し三振に倒れた。これでネネは圧巻の九人連続三振、しかもパーフェクト継続中だ。
マウンドで小さくガッツポーズをとるネネにピントを合わせ、藤崎は夢中でシャッターを切った。
……一方、横浜メトロポリタンズ球場。
この日は明智が好調で初回に先制ホームランを放ったが、珍しく前田も打ち込まれ、点の取り合いになっていた。
試合は五回に入りスコアは5対5、マウンドには二番手の大谷が上がっている。レジスタンスは今日負ければ終戦のため、なりふり構わない総力戦だ。
そして、大阪の二軍レジスタンス球場では六回の攻撃が終わり、七回に入ろうとしていたが、両チームともベンチで待機していた。
ここに来て雨が更に激しくなったのだ。皆、ベンチからグラウンドを見ている。地面には水溜りができていた。
すると土砂降りの雨の中、審判が出てきた。
「雨天コールド! 規定によりレジスタンスの勝利!」
「や……やったあ──! 勝ったあ! 優勝だあー!」
ベンチ内から歓喜の声が沸く。二位の福岡アスレチックスに雨天コールド勝利したことで、二軍ウエスタンリーグはレジスタンスの優勝が決定したのであった。
ゲームセットを見届けた藤崎は屋根の下に移ると、先程撮ったネネの写真をチェックした。
二軍戦とはいえ、ネネは六回を投げて、被安打0、与四球0、奪三振12のパーフェクトピッチングだった。
(何てヤツだ……明里、お前の言った通りだよ。羽柴寧々はすごいピッチャーだ)
藤崎は胸が高鳴るのを感じていた。
(しかし……)
藤崎はスマホでカレンダーをチェックする。
(明日、6日がレジスタンスの最終戦、そして、羽柴寧々が一軍に上がれる日は7日……遅かった……あと1日あれば、羽柴寧々は一軍で投げることができたのに……)
藤崎は空を見上げた。雨は強く、雲が流れるように飛んでいく。
(台風が近づいている……屋外球場なら雨天中止……試合の延期もあり得るだろう。だが、レジスタンスのホームはドーム球場、雨天中止は有り得ない……それに今日、キングダムが勝てばそのまま優勝だ)
雨足は強くなってきた。風も強く傘が翻っている。
(終わりだ……羽柴寧々のシーズンは今日で終わりだ……)
藤崎は激しく後悔していた。
(俺のせいだ……すまない……羽柴寧々……)
その頃、ウェザーニュースが台風の進路を伝えていた。
『大型で強い台風15号は本日未明に関西に上陸し、進路を東に変えて、関東方面に進む予定です』