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ライジングキャット★ベースボール  作者: 鈴木涼介
第10章 不死鳥編
172/207

第172話「Progress」

 明里の母親に案内され、とある部屋に通されたネネと由紀はその光景に言葉を失った。

 その部屋は和室で奥に仏壇があり、仏壇には少女の遺影が置かれていた。


「娘の明里です……」

 母親が今にも消えそうな声でつぶやき、ネネは手に持っていたユニフォームとボールを落とした。

「え……? ど、どういうこと……?」

「お母さん……もしかして、明里ちゃんは……?」

 由紀が尋ねると、母親は突然、その場に土下座をした。

「羽柴さん! 本当に……本当にごめんなさい! 私たち……ウソをついていたんです!」

 ネネと由紀はその言葉に更に呆然とした。


 「明里の心臓に異常が見つかったのは、二年前のことでした……」

 仏壇のある部屋で明里の母親が真相を語りだした。

「現代医学では、どうすることもできない難病でした。明里は病院で過ごす時間が長くなり、日に日に塞ぎ込むようになりました……」

 そう言うと母は仏壇の遺影を見つめた。

「医者からは、いつ亡くなってもおかしくない、とまで言われてました。明里は生きる気力をなくし、手術に耐えられる体力もなく、後はただ死を待つだけの日々が続いていました……」

 ネネと由紀は黙って話を聞いている。

「そんなある日のことです……周りのことに何の興味も示さなかった明里が突然、私にプロ野球のことを尋ねてきたんです……」


『お母さん……大阪レジスタンスの羽柴寧々って知ってる?』

「レジスタンスの羽柴寧々……? ああ……女性初のプロ野球選手って騒がれてた女性ね、それがどうしたの?」

『さっき、たまたまテレビで投げてるところを見たの! すごいね羽柴さん! 女の人なのにプロの男性相手にバンバン三振を取って!』


「明里は……羽柴さんの投げる姿に夢中になりました。そして、その日から明里は変わりました」

 母はネネを見て笑みを浮かべた。

「野球のことを勉強して……羽柴さんとレジスタンスの大ファンになりました……」


『お母さん! お母さん! 昨日はネネちゃんが初勝利をあげたよ!』

『サヨナラホームラン打たれちゃった……でもネネちゃんなら、絶対やり返すよね!』

『すごいよ! ネネちゃん、柴田選手の200勝がかかった試合でパーフェクトリリーフだよ!』


「明里は羽柴さんを……レジスタンスを応援するようになって、人が変わったかのように明るくなりました……」

 明里の母は一冊ファイルを差し出した。

「明里が作った羽柴さんのファイルです……」

「こ……こんなにたくさん……」

 ネネはファイルを手に取り、中を見て驚いた。ファイルはネネに関する記事で埋め尽くされていた。

 育成入団、支配下登録、春季キャンプ、オープン戦、初登板、初勝利、初セーブ、初先発、初安打、初完投、オールスター、伊達美波との女性対決……。

 それはネネのプロになってからの軌跡……。新聞の小さな記事から雑誌の記事まで、ネネに関することが事細かくスクラップされていた。


「羽柴さんに憧れて……私も羽柴さんみたいになりたいって……だから手紙にも、リトルリーグのエースだってウソをついたんです……」

 ネネは思わず明里の最後の手紙を取り出した。そこには、来週は大事な試合があり先発を任された、と書いてあった。

「じゃあ、大事な試合っていうのは……?」

「はい、心臓の手術の日でした……」

 その言葉を聞いたネネは愕然とした。

「明里は手術の日を『試合の日』と手紙に書いて覚悟を決めました。そして手術が成功したら、羽柴さんに本当のことを打ち明けるつもりでした……」

「そ、それで手術は……?」

「はい……手術は成功したんですが、術後に急に体調が悪くなり……亡くなりました……」


 その言葉を聞いたネネはファイルを落とした。

「わ……私がいたから……? 私がいたから明里ちゃんは手術を受けたの!? 私のせいで明里ちゃんは亡くなったの!?」

「ね、ネネ! 落ち着いて!」

 取り乱すネネの肩を由紀が抱いた。

「……違います。明里は手術をしなければ治らなかったんです」

 母親は激しく首を振り否定した。

「明里は自分がこのままでは長くないことを知っていました……だから一縷の望みを賭けて手術の道を選んだんです」


 母親は手術室に向かう明里の姿を思い出していた。明里は白いベッドの上に横たわっていた。

「……明里、大丈夫?」

『大丈夫だよ、お母さん。ネネちゃんはね、どんな相手でも絶対に逃げないの。だから私も逃げずに頑張ってくるね』

 明里はニッコリ笑うと、手術室に入っていった。それが明里の最後の言葉だった。


「明里は……マウンドから絶対に逃げない羽柴さんから勇気をもらっていました。明里があんなに前向きになれたのは羽柴さんのおかげです……」

「お母さん……」

「短い人生でしたが、羽柴さんと出会えた明里は幸せでした。だって最後までずっと笑顔だったんですから……」

 そう言うと母はハンカチで目元を拭った。

「羽柴さん……今日は来ていただいてありがとうございます……ずっと……ずっと憧れていた羽柴さんに会えて、明里もきっと喜んでいると思います……うう……うう……」

 母は頭を下げると泣き出した。


 ネネは呆然としながら、明里が書いた最後の手紙を見直した。手紙の最後にはこう綴られていた。

『明日は大事な試合の日です。とても怖いですが、いつも逃げずに立ち向かっていく羽柴選手みたいに頑張ります。私も羽柴選手のように強くなりたいです……』


 ネネの胸に痛みが走った。

 いつも死の恐怖に怯えていた明里。そんな明里の救いは自分だった。明里は自分の活躍に励まされ、病気と戦っていた。

 でも……でも、今の自分は明里の憧れていてくれた姿だろうか? 世間のバッシングや個人的な悩みに振り回されて、メソメソして逃げ回っている自分を見て、明里はどう思うだろうか?


 ネネは泣き続けている明里の母に声を掛けた。

「か、顔を上げてください、お母さん……違うんです……私……そんな立派な人間じゃないんです……」

「羽柴さん……?」

「私……野球をやめようと……辛いことから逃げようとしてたんです……今日はその言い訳をしに来たんです……私……本当は全然強くないんです……」

 ネネは明里の手紙を握りしめた。

「こ……こんな私の姿を見たら、明里ちゃん、きっと失望しますよね……」

 そして目をゴシゴシと拭った。

「明里ちゃんのほうが、ずっと強いです……こんなに小さいのに病気と戦って……そ、それなのに私は……」

 ネネの涙がポタポタと手紙に落ちた。

「私には丈夫な身体がある……速い球だって投げることができる……それなのに、私は……私は……!」


 ネネは仏壇の明里の遺影に振り返った。遺影の中の明里はレジスタンスのユニフォームを着て笑っていた。

「わ、私、明里ちゃんに謝らないと……私、明里ちゃんが思ってるような人間じゃない……私なんかより明里ちゃんのほうが、ずっとずっと強いよ、って……うっ……ううっ……」

 ネネの目から涙がドッと溢れた。これ以上は言葉にならなかった。


「わ……わ──っ!」

 ネネはその場に突っ伏して号泣した。感情のせきが切って溢れ、涙は止めどなく流れ泣き続けた。

「わあああ……! わあああああ……!」

(ゴメンね……ゴメンね……明里ちゃん……)

 ネネは明里の期待を裏切った自分を責め、心の中でずっと謝り続けた。


「ね……ネネ……」

 由紀は大声を上げて泣き続けるネネの背中を抱いた。その姿を見た明里の母も泣き出した。遺影の中の明里はそんな三人を黙って見つめていた。


 ……ひとしきり泣いたネネは感情が落ち着くと、仏壇の前で明里の手紙を読み返していた。すると母が由紀を別室に呼んだ。


「浅井さん……ゴメンなさい、実は話したいことがあるんです……」

「何でしょう?」

 母は一枚の写真を出した。そこには明里とひとりの男性が写っていた。その男性の顔を見た由紀は思わず、あっ、と小さく声を上げた。その男性には見覚えがあった。

「な、何でこの人が明里ちゃんと……?」

「この男性は……離婚した私の夫。そして、明里の実の父親です……」

「え……?」

 由紀は絶句した。

「彼が羽柴さんを恨んでいることは知っています……そして、明里の死の原因を羽柴さんのせいにして、酷いことをしていることも……」

 そう言いながら、明里の母は一枚の手紙を由紀に手渡した。

「こ、これは……?」

「お願いです、浅井さん……彼を止めてください……もうこれ以上、明里が大好きだった羽柴さんを傷つけたくないんです……」

 母は頭を下げた。


 宇喜多家を出る頃には辺りが暗くなっていた。ネネは持ってきたユニフォームとボールを仏前に供えた。

 母親も明里の影響ですっかりレジスタンスファンだという。最後にレジスタンス優勝を楽しみにしていると伝えられた。


 大阪への帰り道、由紀は先程の明里の母との会話を思い出していた。

(やっと分かった。なぜ彼がそこまでネネに執着するのかが……)

 由紀は今までの疑問がすべて繋がったことを確信していた。


「……由紀さん」

 すると助手席のネネが話しかけてきた。泣いて感情を解放したせいか、ネネは心なしか憑き物が落ちた顔をしていた。

「なあに?」

「由紀さん、今日はありがとう」

「何の何の、全然いいよ」

 ネネはうつむきながら言葉を続けた。

「由紀さん、私ね……野球やめるって言ったこと取り消す」

「そう……取り消すのね……って、えええ! ほ、本当に!?」

「うん……由紀さん言ってくれたよね。私にしかできないことがあるって……」

「う、うん……」

「私が投げることで……明里ちゃんみたいに勇気を貰える人がいるなら……私、もう一回頑張ってみようと思うの……」

 ネネは由紀に向かって微笑んだ。


「それにね……私、このまま終わりたくない」

 ネネは真っ直ぐ前を見据えた。

「私……このまま、やられっぱなしで終わりたくないの」


 由紀はハンドルを握りながら横目でネネを見た。ネネの目にはもう迷いや畏れはなく、闘志という炎が宿っていた。

 

「ね、ネネ……じゃあ……また……またマウンドに立つネネの姿が見れるんだね……」

 由紀の頬に涙が流れた。

「ううう〜……」

 ハンドル操作がおぼつかず、車がセンターラインを越えようとする。

「わ……わ──! 由紀さん、前見て、前!」

 由紀は涙を拭い、ハンドルを戻した。

「う……嬉しいよお〜」

「由紀さん……色々迷惑かけてゴメンね」

 ネネは作り笑いじゃなく、心からニッコリ笑った。


 車は大阪に向けて走る。空には満月。ネネは月を見上げて心の中で明里に話しかけた。


(明里ちゃん、今日はありがとう。弱音を吐いたけど、もう大丈夫。明里ちゃんが憧れていてくれた「私」でいれるよう頑張るね。だから、明里ちゃん……天から見守ってて……)









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