第170話「消えた羽柴寧々」
ネネが勇次郎に冷たい言葉を浴びせられた翌日。レジスタンス球団事務所の広報部では由紀が事務処理をしていた。
すると、部屋の外からバタバタとせわしい音がして、ひとりの男が部屋に入ってきた。
「ちょ、ちょっと何ですか? あなたは!?」
「うるせえ! 羽柴寧々のマネージャー……浅井由紀に会わせろ!」
(な、何?)
由紀は男の前に立った。
「あ……浅井は私です。あなたは誰ですか?」
「俺か!? 俺は藤崎だ! 羽柴寧々のスキャンダル写真を撮った男だよ!」
その言葉に広報部は皆、凍りついた。
「あ……あなたが藤崎? その藤崎が私に何の用よ!?」
由紀が怒鳴り返すと、森崎は手に持っていた新聞を机に叩きつけた。
「しらばっくれんじゃねえ! これだよ、これ!」
それは関西スポルツだった。一面には『神戸にパンダを誘致』と書いてあった。
「は? パンダが何なの?」
首を傾げる由紀とは対照的に、藤崎の目は血走っていた。
「本当は……今日のこの一面は、羽柴寧々のスキャンダル記事になるはずだった……!」
「え! ええ!?」
「それがなぜかパンダの記事に差し替えられてた……それで俺が新聞社の社長を問い詰めたら、上から圧力がかかって羽柴寧々の記事を差し替えたと言いやがった……」
「う、上!?」
由紀は混乱した。
プロ野球球団とはいえ、新聞記事を差し替えるなんてできない……もしできるとしたら、それは政治家レベル……それもかなりの大物の圧力だからだ。
「おい……何なんだよ、あの女は? 羽柴寧々は何者なんだ!? アイツのバックにはどんな大物が付いてるんだ!?」
「し、知らないわよ! それよりアンタ、何なのよ!? ネネを目の敵にして!」
由紀が再び怒鳴り返したときだ。机の上のスマホに着信が入った。今川監督からだった。
「何よ、こんな時に……」
由紀は渋々、電話に出た。
「もしもし……ちょっと取り込み中だから、後で……え? ええ!? 分かりました! すぐ行きます!」
電話を切ると由紀は一目散に部屋を飛び出した。
「お……おい! 待ちやがれ! まだ話は終わってねえぞ!」
背後から藤崎の声がしたが、由紀は無視して走った。
「か、監督!」
由紀がレジスタンスドームに向かい、監督室に入ると、そこには今川監督と勇次郎がいた。
「か、監督……どういうことですか? ネネが行方不明って……?」
「……言葉通りだ」
今川監督は腕組みしながら言葉を発した。
「今日、二軍の練習場に姿を現さなかったらしい、無断欠勤だ。二軍監督が電話をしたが繋がらず、家にもいない」
由紀は口に手を当てた。
「昨日、土砂降りの雨の中、ずぶ濡れで二軍練習場からタクシーに乗ったらしい。タクシー運転手が、かなり憔悴していたと証言している」
「……!」
「それで、昨日二軍にいた連中に聞いたら、島津が教えてくれた。ネネと勇次郎の間に何かあったってな……」
由紀が勇次郎を見ると、勇次郎は下を向いていた。
「勇次郎……アンタ、ネネに何を言ったのよ……」
黙る勇次郎に由紀は更に問いただした。
「言いなさいよ! ねえ! ネネに何を言ったのよ!?」
「……よと」
「は!?」
「これ以上、俺のことに構うな。邪魔なんだよ。俺の前から消えろよ……と言いました……」
パン! 由紀の平手が勇次郎の顔面に飛んだ。
「さ……最低……アンタ、最低よ……」
由紀の目には涙が浮かんでいた。頬を張られた勇次郎は無言でうつむいている。
由紀はすぐさま部屋を飛び出し、部屋には今川監督と勇次郎が残された。今川監督は立ち上がると勇次郎の近くに寄った。
「いきなりビンタとはアイツも段々ネネに似てきたな」
ハハハと笑う。
「なあ、勇次郎……」
今川監督は勇次郎の肩に手を置いた。
「何でそんなことを言った? 何かワケがあるんだろう?」
勇次郎は何かにすがるような目で今川監督の顔を見つめた。
一方でドームを飛び出した由紀は車に乗ると、当てもなくネネを探し始めた。
携帯にかけるも電源が入っていないため繋がらない。LINEも同じだ。
(ネネ……どこにいるの……?)
由紀は後悔していた。
(球団からネネに連絡を取るなと言われていたが、そんな命令無視すれば良かった……ネネ……あなた一体どこに……?)
その時、由紀の脳裏に不意にネネとの思い出が浮かび上がった。
それは四月、敵地Tレックス戦の後のこと……サヨナラホームランを浴び、柴田の200勝を消してしまい、落ち込んでるネネを神戸港に連れて行ったときの思い出だった。
「うわあ……大きくてキレイ……神戸港には初めて来たわ。大阪から近いのね」
眼前に広がる港と海を見て、ネネの表情から緊張が解けた。
「うん、近いよ──。キングジョーはあの辺りに沈んでるのよ」
由紀は指で沖を指した。
「え? キングジョー? 何それ?」
「知らないの? ウルトラセブンに出てくるペダン星人が操るロボットよ。この神戸港でセブンと戦うんだけど、最後はやられて神戸港に沈むの」
「あはは、知らないよ──、何それ──?」
ネネはケラケラと笑った。
「あ……やっと笑った」
「え?」
「久しぶりにネネの笑顔を見たよ。やっぱりネネには笑顔が似合うね」
由紀の言葉にネネは照れてうつむいた。
「私ね……仕事のミスや人間関係に疲れたとき、ここに来てボーっと海を見てたの……」
カモメがミャアミャアと鳴いている。
「ここは私にとって元気が出る場所……ここで海を見て頭を空っぽにして、よし頑張ろう! って思ってたわ……」
「由紀さん……」
ネネは由紀を見つめた。
「ありがとう、由紀さん。私もこの場所好きだよ」
ネネはニッコリと笑い、由紀も微笑んだ。
(ネネはもしかしたらあそこに……!?)
由紀はアクセルを踏んだ。
……由紀の推理は当たっていた。
ネネは神戸港のベンチに座りながら手紙を読んでいた。
そして、手紙を読み終わるとバッグに入れて、ベンチの上で膝を抱えると顔を膝に埋めた。秋晴れの空の下、頭の上ではカモメがミャアミャアと鳴いていた。
「良い眺めでしょ──」
不意に懐かしい声が聞こえ、ネネは顔を上げて振り返った。そこには由紀が立っていた。
「ゆ、由紀さん……? 何でここに……?」
ネネは驚き、由紀を見つめた。
「キングジョーはあの辺りに沈んでるのよ」
由紀は笑いながら沖を指差した。