第17話「サバイバルゲーム」③
育成選手同士の試合は午後一時にプレイボールとなった。まずは一回表、Aチームの攻撃が始まる。
ネネの出番は七回からなので出番はまだ先だ。そこで、逆算して肩を温める時間を計算した。
五回くらいからキャッチボールを始めて、六回から丹羽とキャッチボールをすれば肩は十分温まる。それまでは戦況を見つめ、各バッターの特徴を掴もう、と思った。
そして、試合は序盤から大きく動いた。何しろ負けたチームは全員解雇になるのだ。気合いが入らないほうがおかしい。
初回にAチームが二点取れば、その裏にBチームが二点を返して同点に追いつく。
そして、またAチームが猛攻撃を仕掛け、Bチームが喰らい付く……といった展開で、三回の裏のBチームの攻撃が終わる頃には、スコアは5対4の乱打戦になっていた。ネネたちが所属しているAチームが現時点では一点負けている状況だ。
三回裏の守りを終えたAチームの選手たちがベンチに戻ってくる。
その中に先発した背番号「001」のピッチャーの姿が見えた。Aチームのピッチャーはネネを含めて三人。先発ピッチャーは予定の三イニングを投げ終えていたが、五失点したこともあり、疲弊した表情を見せていた。
ネネはそんな背番号「001」のピッチャーの元に向かった。
「お疲れ様です」
ベンチに備え付けられていたペットボトルの水を手渡した。
「……」
背番号001は無言でペットボトルの水を受け取ると、キャップを開けてグビグビと飲み始めた。ネネは背番号001に話しかけた。
「あの……ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
「ああ? 何だよ?」
001は不機嫌そうにネネに振り向いた。
「三回までに対戦したBチームのバッターの特徴を教えていただけませんか?」
その質問を聞いた001はネネを睨んだ。
「何言ってんだ? そんなこと聞いてどうする気だ?」
「はい、私を含めてAチームのピッチングの参考にしたいんです」
「は?」
001は怪訝そうな顔をした。
「お前、ピッチャーだったよな? 何回から投げるつもりだ?」
「な、七回からですけど……」
すると001は、ベンチ内に響き渡る声で叫んだ。
「お─い! このお嬢ちゃん、七回から投げるってよ! それまでに大量点を取っておかないと、俺たち全員クビだぜ!」
その失礼な物言いにネネの表情は強張った。
「な……! まだ投げてもないのに、そんな言い方ないんじゃないですか!?」
バン! すると、001は持っていたペットボトルを床に叩きつけた。
「はあ? 馬鹿じゃねえのか!? オンナのお前が、プロの男のバッターを抑えられるわけねえだろうが!?」
床に叩きつけらえたペットボトルがコロコロとベンチ内に転がり、ベンチ内の選手たちは、ネネと001を見つめた。
「テメェが投げるまでに、大量得点を取ってリードしておかないと、俺たちの負けが確定なんだよ!」
001は更に言葉を続ける。
「ツいてないぜ、クビがかかっている試合にお前みたいなヤツと同じチームになっちまってよ!」
「そ、そんな……」
「口に出さないが、ここにいる全員、同じこと思ってるぜ。お前みたいなド素人の女と同じチームになって不幸だってな!」
ネネは思わずベンチ内を見渡した。001に同調する者はいなかったが、誰もネネと目を合わせる者もいなかった。
「女のくせに、でしゃばってプロ野球の世界に飛び込みやがって……目障りなんだよ!」
あまりの険悪なムードに、これ以上は会話にならないと判断したネネは丹羽の元へ戻った。
「羽柴……気にすんなよ」
「え? あ、ああ……全然、大丈夫ですよ」
丹羽の隣に座ると丹羽が気遣ってくれた。
ネネは、大丈夫だという笑顔を作ったが、内心は穏やかではなかった。
正直、自分がここまで疎まれているとは思っていなかった。また自分が女だということで、皆からお荷物だと思われているのが、とてつもなく悔しかった。
その後、それぞれの思惑を抱え試合は進んだ。四回、五回、六回……七回表の攻防が終わる頃には、スコアは8対7になっていて、依然Aチームが一点負けている展開だった。
そして七回の裏、Aチーム守備の回になり、遂にネネの出番がやってきた。
「よし、行くぞ羽柴!」
キャッチーのレガースを着けた丹羽が声を掛けてくる。
「はい!」
ネネはグラブを取ってベンチを出ようとした。その時だった──。
「おい、本当に投げる気なのか?」
先程、いざこざを起こした背番号001がネネの前に立ちはだかった。
ネネは少しムッとした顔で「はい、それが何か?」と言い返した。
「棄権しろよ」
「は?」
「棄権しろ、って言ってるんだ。お前が棄権すれば、俺がもう一回投げることができる。これ以上、点を取られるわけにはいかないんだ」
「な、何を言ってるんだ、お前!?」
丹羽が反論する。
「そうだ。この試合に怪我以外の棄権はあり得ない。もし棄権するなら、その時点でAチームの負けだ」
Aチームのコーチがそう言うと、背番号001は舌打ちをしてベンチ裏に引っ込んだ。
「羽柴、気にすんなよ。俺のミットだけ見て投げ込んでこい」
丹羽がネネを気遣い、ネネは頷いたが胸の奥の不安は消せなかった。
なぜなら001だけでなく、丹羽以外の選手は誰一人として自分に話しかけてこなかったからだ。誰もが自分のことを001と同じように思っているように思えた。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、ネネはレジスタンスドームのマウンドに立った。
初めて立つプロ野球のマウンド。本来なら女性の自分が立つことはできない夢のような場所だ。
だがそんなことを考える余裕はなかった。スコアは一点ビハインド。もう一点もやれない場面での登板だからだ。
それと自分の投げるボールを丹羽がキャッチできるか? という不安もあった。
ネネは杉山コーチの言葉を思い出していた。
『お前のボールは異質だ。打者の手元で急激に伸びてホップする。かなり打ちづらいボールだ。しかし、それは同時にキャッチャー泣かせのボールでもある。お前のボールを完璧に捕球できるキャッチャーはプロの中でも限られてくるだろう……』
二軍グラウンドのマウンドと違いレジスタンスドームのマウンドは固く、スパイクがよく刺さる。これなら下半身の力を余すことなくボールに伝えることができる……ということはボールの威力も増すということだ。
(しかし、丹羽さんの実力を疑っているわけではないが、本当に私のボールをキャッチできるのだろうか?)
本来であれば、登板前に全力投球でボールの軌道を見ておいてもらうのがベストであったが、その計画は崩れ去った。
丹羽は七回の攻撃中、四球で塁に出ていた。そのため自分のボールを受ける時間がなかったのだ。
(ああ……せめて自分の球質だけは伝えておくべきであった……)
ネネは激しく後悔しながら、規定の練習投球を終えた。五割の力で投げているため、傍から見るとスピードはでていない。
『噂では、男顔負けの球を投げると聞いていたが、全然大したことないな……』
投球練習を見たBチームのベンチからは、そんな陰口も聞こえてきた。
プレイ! 審判の掛け声に合わせ、Bチームの選手がバッターボックスに入った。
「さあ来い! 羽柴!」
丹羽が大声を出してミットを構えているが、ネネはマウンドでまだ悩んでいた。
(仕方ない……この回は、なるべく威力を抑えてコントロール重視でいこう)
ネネはセットポジションから、素早いモーションで丹羽のミットを目掛けて投げた。
「ストライク!」
丹羽が構えた内角にストレートが決まったが、バッターはバットを振らずに見送った。ボールの軌道を確かめているかのようだった。
次に、丹羽はミットを外角低めに構えたがネネは首を振った。
球種が少ないネネにとって、外角低めのアウトローは勝負球にとっておきたかったからだ。
サインに首を振られた丹羽は内角のコースにサインを出した。但しコースは先程よりボール一個分外に外れるように。
ネネは頷くとセットポジションに構えた。
(丹羽さんは何の心配なく私のボールをキャッチしている。大丈夫かもしれない。よし、次はもう少し指先に力を入れてみよう)
自分に言い聞かせるように指先に力を込めてストレートを投じた。だが力んだせいかコースが甘くなり、一球目とほぼ同じコースに飛んだ。
ガキン! 鈍い音がした。バッターは内角の球を打ち損じて、ボールはフラフラとセカンド後方に上がった。
(よし! 打ち取った!)
と、ネネがホッとしたのも束の間、予想以上に伸びたボールはセカンドとライトの間にポテンと落ちた。
(あ……)
完全に打ち取った当たりだったが、飛んだ場所が悪かった。先頭バッターを塁に出してしまった。
「羽柴、切り替えろ!」
丹羽の声が聞こえる。打ち取ったはずの当たりがヒットになることは、ピッチャーにとってかなり精神的にダメージを与える。
ネネは気持ちを落ち着かすために足元をスパイクでならした。
気持ちを落ち着かせ、セットポジションに構えると、一塁ランナーがリードを取っているのが背中の気配で分かった。
ランナーを背負った時の対処法は杉山コーチとの特訓で何度もやった。ネネは牽制を二回繰り返し、ランナーを塁に釘付けにすると、素早いクイックからストレートを投じた。
すると、投げ終えた瞬間、バッターがバントの構えをするのが目に入った。「スクイズ」だ。確実にランナーを二塁に送る戦法だった。
バッターはネネのストレートを難なくバントしたが、バントしたボールはネネの前に転がった。
ネネは素早くマウンドを下りると、ボールをグラブに収めた。一塁ランナーの動きを確認すると、スタートが遅れたのが分かった。
(二塁まで距離がある。いける! 刺せる!)
ネネは二塁へ送球した。
……しかし、ボールはそれて二塁手のグラブをかすめた。
暴投だった。
それたボールを見たランナーは三塁まで走ろうとしたが、センターがボールを収めるのを見て、二塁上に留まった。
ネネは登板して、たった三球でノーアウト一、二塁のピンチを招いてしまった。
(し、しまった……)
「ヘイヘイ! ピッチャー、焦ってるぜ! 全然ボールが手についてないよ!」
Bチームベンチから野次が飛ぶ。
「タ、タイム!」
丹羽が慌ててタイムをかけてマウンドに駆け寄った。
その頃、バックネット裏では今川監督をはじめコーチ陣がグラウンドの様子を伺っていた。
「ははっ、バント処理はこれからの課題だな」
今川監督が顎髭を触りながら笑う。
「ええ、経験が浅いですからね。これからしっかり鍛えますよ」
杉山投手コーチがそう答えると、岩田打撃コーチが口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 何、言ってるんですか!? 羽柴寧々のAチームは負けてるんですよ!? このままなら羽柴寧々は解雇ですよ!」
「そうだな、しかし……」
今川監督は笑いながら、岩田コーチに目を向けた。
「何で俺がこんな理不尽な試合を組んだか分かるか?」
「い……いえ」
「俺はな……欲しいんだよ、レジスタンスの雰囲気を変える選手が。だからそういう選手を見つけるために、負けたら解雇っていう、厳しい条件の試合を組んだんだ」
そう言いながら、再びグラウンドに目を向けた。
「羽柴寧々……アイツには勝ちを引き寄せる『勝ち運』をビンビンに感じる……このままでは終わらねえと思うぜ」
今川監督はニヤリと笑い、後ろの席を見て振り返った。
「なあ、勇次郎ちゃんよ?」
だが、勇次郎は返答をせずに、マウンドのネネをじっと見つめていた。