第168話「Still Love Her」後編
ネネはスマホでプロ野球速報を見ていた。
対キングダムの二戦目は先発の大谷が滅多打ちにあい、キングダムがレジスタンスに10対0で圧勝。これでゲーム差はなしになり、遂にキングダムがレジスタンスに並び、首位に立っていた。
……ズキン。結果を見たネネは胸が痛んだ。
そして、もう一回、ベッドに寝転んでボールを真上に投げた。
ボールは天井ギリギリではなく、かなり手前で失速し、受ける手よりズレて落ちてきた。
(やっぱり……)
ネネは右手の指先を見た。
(感覚がズレてる……もし打たれた原因が、この感覚のズレだとしたら……)
ネネは先程の速報を思い出していた。伊達美波が絶好調で二本のホームランを叩きこんでいた。
(……やり返せるかもしれない。美波にリベンジをすることができるかもしれない)
そう考えたネネだったが、すぐに首を振った。
(ダメだ……私がもし一軍に上がってもペナントレースは終わっている。今年はクライマックスシリーズもない。終わりだ……もう私の今季の登板はないんだ……)
そして翌朝、ネネは荷物を持って部屋を出た。
「ネネ、今日帰るの?」
玄関で母が話しかけてくる。
「うん、明日から二軍で投げるかもしれないから……」
ネネはスニーカーを履きながら答えた。
「じゃあね、お母さん、ありがとう」
「ネネ……」
母は何かを言いかけようとしたが、それ以上、言葉にしなかった。
ネネは笑顔でブンブンと手を振ると玄関を出て行った。母はネネの後ろ姿をずっと見つめていた。
家を出たネネは近所のコンビニに向かっていた。
昨日の石田の連絡は「実家にいるなら、久しぶりに会わないか?」というもので、ネネは「大阪に帰る前なら」という条件で承諾した。
石田は約束の時間ピッタリに軽自動車に乗って現れた。
「え! どうしたの、この車!?」
「ああ……免許とって親から貰ったんだ。ちょっと古いけど」
「すごいじゃ──ん!」
ネネは荷物を持って助手席に乗り込んだ。
ネネが石田に会うのは久しぶりだった。最後に会ったのは三月のオープン戦の戦だから約七ヶ月ぶりの再会だった。
「大分、髪の毛が伸びたね」
ハンドルを握る石田の横顔を見てネネが話しかける。石田は高校時代は短髪だったが、大学生になり少し色気付いたのか、今風の髪型にしていた。
「ああ、これでも大学生だからな。青春を謳歌しないと」
そう言って石田は笑った。
やがて石田の運転する車は名古屋市内のホテルに着いた。
「ここはランチヴュッフェが有名なんだ。まずは腹ごしらえしよう」
「え……? でも、結構高そうだよ」
「大丈夫、大丈夫。バイト代が入って懐はあったかいから」
石田はネネの背中を押してホテルに入った。
石田の言う通り、ホテルのビュッフェは豪華で美味しそうな料理が並んでいたが、ネネはあまり食べれなかった。
「どうしたネネ? あまり食べてないな」
「う、うん、最近ちょっと食欲なくて……」
苦笑いを浮かべるネネをみた石田はスキャンダル記事やキングダムドームでのサヨナラ負けを思い出した。
「そっか、それならここはスイーツも有名だから、そっちを食べたらいいよ」
「ありがとう」
ネネは笑みを浮かべた。
食事をしながらふたりは久しぶりの会話を楽しんだ。
「今日はどういう予定なんだ?」
「夜の新幹線で大阪に戻るわ」
「そうか、それなら俺、名古屋駅まで送るよ」
「え? 悪いよ。電車で行くから、近くの駅まで送ってくれればいいよ」
「気にすんなよ、送るよ」
ランチヴュッフェを食べた後はカラオケに行った。野球部のみんなで行ったことはあるが、ふたりきりで行くのは初めてだ。
楽しそうに歌うネネを見て石田は微笑んだ。
カラオケの途中、ネネはプロ野球の速報をチェックした。レジスタンス対キングダムの試合は始まっていて、同点のまま回は進んでいた。
「心配か? レジスタンスの試合が」
飲み物を飲みながら、石田が尋ねた。
「う……うん、でも大丈夫、きっと勝つよ」
ネネはそう言うと、スマホをバックにしまった。
カラオケを出ると、ふたりは幼い頃に石投げをした川に向かった。
「わ──! 久しぶり!」
川辺に降りたネネは石を探すと、早速、対岸に向かって石投げを始めた。
そんなネネを石田は黙って見つめていた。
夕暮れが近づくと、ネネと石田はふたり並んで河原に腰掛けた。
「雅治、今日はありがとう」
「全然いいよ、俺も久しぶりにネネに会えて嬉しかったよ」
石田はニッコリと笑った。
「色々あって落ち込んでたけど、良い気分転換ができたよ」
ネネの言う色々と言うのは、明智との記事のことだろうな、と石田は思った。またネットでネネがかなり叩かれてるのも知ってる。石田は意を決してネネに質問した。
「なあ、ネネ。明智さんとの記事のことなんだけど……」
「ああ、あれは本当に事故みたいなものだよ。それをマスコミが面白く書き立てたの」
ネネは苦笑いしながら即答した。
「じゃあ、明智さんとは……?」
「ははっ、明智さんは先輩で、それ以上の関係はないし、恋愛感情もないよ」
(……そうか、やっぱりマスコミの記事なんてデタラメなんだな)
石田はネネの答えにホッとした。
「それなら、ネネは好きな人とか、付き合ったりしてる人はいないのか?」
石田はドキドキしながら聞いた。
「ははっ、いないよ──」
ネネは笑って答えた。
「……織田勇次郎とかはどうなんだ?」
石田は探るように聞いた。以前の札幌での勇次郎の態度が心に引っかかっていたからだ。
「ぜ──んぜん! 私なんか女として見てもらえないよ。化け猫とかめちゃめちゃ悪口言われてるよ」
ネネは笑いながら話したので、石田は更にホッとした。
「私のことより雅治は? 大学には可愛い女の子がいっぱいいるんじゃないの? 彼女とかできた?」
今度はネネが石田に質問をした。
「い、いや……彼女はいないけど、気になる娘はいるかな……」
石田がいう『気になる娘』、それは当然ネネのことだった。
「え! ホント!? 私、応援しちゃう! どんな娘なの?」
だが、ネネはそのことには気付かず、逆に興味深々に尋ねた。
「あ、ああ、明るくて元気で……」
石田は恥ずかしそうにうつむいた。
「告白しちゃいなよ。雅治はいい人だから、断るならその娘、見る目ないよ」
「そ、そうかなあ……」
「うん、私が保証するよ」
ネネはニッコリと笑った。
やがて陽も暮れてきた。ネネは「最後にもう一回だけ石投げしよっと。ねえ、昔みたいに勝負しない?」と言って立ち上がった。
「え……無理だよ。だって俺、一回も向こう岸に届いたことないもん」
「コツがあるのよ。なるべく平らな石を風に乗せるの。私が石を探してあげる」
ネネはしゃがみこんで石を探しだした。
石田は石を探すネネの後ろ姿を見つめた。
小さい頃からネネとここで石を投げて遊んだ。子供の頃からずっとネネを見てきた。
(例えプロ野球選手になって住む場所が違っても、俺が……俺が一番ネネのことを理解している……)
石田は覚悟を決めると、しゃがみこんで石を探しているネネに近づき、ネネを後ろから強く抱きしめた。
「え……? ま、雅治?」
突発の出来事にネネは身体が固まった。石田が口を開く。
「ネネ……俺、お前のことが好きだ。友達じゃない、ひとりの女性としてお前が好きだ」
「え? え……?」
「ずっと……ずっと好きだった」
石田はネネの肩を掴み振り向かせた。ネネは戸惑いの表情を見せている。
石田はネネに顔を近づけた。
「い……嫌っ!」
ネネは唇を近づけてきた石田を突き飛ばした。石田は後ろに転がり尻もちをついた。
石田は呆然とした表情を浮かべ、ネネは自分の身体をギュッと両手で抱きしめた。
「ご、ごめん……大丈夫?」
少しの沈黙の後、ネネが口を開いた。
「い、いや……俺のほうこそ……ごめん……」
石田はゆっくりと立ち上がった。気がつくと辺りは暗くなりかけていた。
ふたりはそれ以上何も話さなかった。いや……話せるような雰囲気ではなかった。
石田はネネを車に乗せて名古屋駅までの道を走らせた。
ネネは「近くの駅でいい」と言ったが、石田は名古屋駅まで送ると言い張った。
車内では沈黙が続いていたが、名古屋駅の近くまで来ると石田は「ネネ、さっきは本当にゴメン……忘れてくれ……」と言葉を発した。
それに対してネネは「雅治……ゴメン。私、雅治のこと好きだよ。でも、それは友達としてであって……本当にゴメン……」と小さな声で答えた。
「は、ははっ! いいっていいって! 忘れてくれ!」
ネネの言葉が石田の心の傷をえぐったが、石田は努めて明るい声を出した。
やがて車は名古屋駅に着いた。
「じゃあな、ネネ」
ロータリーに車を停めて、運転席の窓を開けた石田が笑顔でネネを見送った。車を降りたネネは必死で笑顔を作った。
「……雅治、今日は一日ありがとう。帰り道、気をつけてね」
「ああ……じゃあまたな」
手を振りながら、石田は車を出した。
大阪行きの切符を買い、新幹線に乗り込んだネネは座席に座ると、今日一日の出来事を振り返った。
石田の気持ちに気づかずに酷いことを言った。だが振り返ればそういう兆候はいくつかあった。自分はそれに気付かなかった。いや、自分に都合が良いように気付かないフリをしていただけかもしれない。
スマホを開いて野球の結果を見た。
延長十回……レジスタンスは力尽きていた。サヨナラ負けでレジスタンスは悪夢の8連敗。首位陥落し、逆にキングダムにマジック1が点灯していた。
残り試合は2つ。次の試合でキングダムが勝てば逆転優勝。また負けてもレジスタンスが負ければ優勝、と。キングダム圧倒的有利な状況に変わっていた。
そして同時刻、路肩に車を停めた石田がハンドルに顔を埋め涙を流していた。
今日、はっきりとネネの口から「友達」と言われ、長い片思いは終わった。
だが、それ以上に石田の脳裏には、ネネの怯えた様な表情が焼き付いていた。
石田はハンドルを拳で叩いた。
(ネネは傷ついていた。それを助けてやれるのは俺だけだったのに俺は更にネネを傷つけた……俺は最低だ……最低だ……)
石田は泣き続けた。
ネネを乗せた新幹線は大阪に向けて走る。窓の外には真っ暗な景色が広がっている。
ネネは、長い間一緒にいたのに石田の気持ちに気づいてやれなかった自分が心底嫌になり、スマホをバッグにしまうと、静かに目を閉じた。