第159話「大乱闘レジスタンスドーム」
頭部にデッドボールを喰らった黒田は倒れ込んだまま動かなかった。
流石にキャッチャーの立浪もマズイと思ったのか顔面は蒼白。
またマウンド上の今井に至っては、気を失ってもおかしくないくらいの表情を見せていた。
「た、退場──!」
審判が今井に退場を命じた。
しかし、今川監督の怒りは消えない。ベンチから飛び出すと、立浪の胸ぐらを掴んだ。
「テメエ! やってくれたな!」
「ちょ……ちょっと待ってください! 今のは完全に逆球ですよ!」
「うるせえ! ウチの選手に何さらしとんじゃ!」
今川監督は完全に頭に血が上っていて、立浪にヘッドロックをかけると地面に叩きつけた。
更に両軍ベンチから選手たちが飛び出し、そこらで小競り合いが始まった。
そんな光景をブルペンからモニターで見ていた島津は大興奮だ。
「乱闘かよ!? よっしゃ、俺が行くまで待ってろよ!」
グラウンドに向かおうとするので、ネネが慌てて島津のユニフォームを掴んで止めた。
「ちょ……ちょっと! 何やってんのよ!? 行ったらダメだってば──!」
「お、お前も退場だ──!」
グラウンドでは審判から今川監督に退場宣告が下されていた。今川監督は皆に引き離され、立浪は首を押さえてゲホゲホと咳き込んでいる。
そんな中、レジスタンスナインはデッドボールを受けた黒田を見た。黒田は立ち上がっていたが、ボールが当たった頭ではなく脇腹を押さえていた。
「く、黒田さん……?」
明智が声を掛けるが、黒田はうめきながら、脇腹にスプレーをかけていた。
オーロラビジョンに先程のリプレイが流れた。頭部にデッドボールを喰らった黒田はその場に倒れ込んだのだが、その際に身体と地面の間にバットが挟まり、脇腹を強打していた。
「だ、大丈夫ですか? 黒田さん……」
明智が声をかける。
「ちょっと……まずいかもしれん……」
黒田は苦痛で顔を歪めている。頭部死球より脇腹の方がダメージが大きいみたいだ。
「明智……レジスタンスを頼んだぞ……」
黒田はトレーナーに付き添われ、ベンチに下がっていった。
そして、今川監督が退場を宣告されたため、この後の試合の指揮は岩田打撃コーチが執ることになった。
黒田には代走が送られ、ツーアウト一、二塁の状況でゲームが始まり、バッターボックスには六番斎藤が立った。
「隼人……」
ベンチで蜂須賀が明智に声をかけた。
「今川監督に黒田さんもいない。ここは正念場だな……」
「ああ、今日は絶対に勝たないといけないゲームだ。ここを落としたら、レジスタンスはズルズルと失速する」
明智は真剣な顔でグラウンドを見つめた。
しかし、結局、この回斎藤は三振に倒れ、得点は奪えなかった。
そして、八回は両チーム無得点のままで、スコアは変わらず2対1。レジスタンス1点リードでのまま九回表、エンゼルス最後の攻撃を迎えた。
レジスタンス九回表のマウンドには、クローザーの島津が上がった。
だが、この日島津は制球が定まらない。ツーアウトを取ったが四球が続き、ランナーは一、二塁になってしまう。
一打同点のピンチに広島エンゼルスは代打デービスを送ってきた。来日一年目の一発のあるパワーヒッターだ。
キャッチャーの北条がサインを送る。
(内角へのストレートだ)
島津がセットポジションから第一球を投じた。
バシッ!
バッターの顔面近くにストレートが決まった。大袈裟に避けるほどではないが、少し危ない球だった。
島津は顔色変えずにキャッチャーからボールを受け取った。その時だ。
デービスがヘルメットを叩きつけ、怒りの形相でマウンドの島津に何かを叫んだ。どうやら島津の球を報復行為とみなしたみたいだった。
「何だテメエ!?」
島津も応戦する、その態度にデービスはキレて、マウンドへ走っていった
「ま、まずい!」
キャッチャーの北条が止めに走るが、それより早くデービスは島津に殴りかかった。
「上等だよ、やってやんぜ!」
バキッ!
マウンド上でふたりの拳が交わった。お互いが手を出し、クロスカウンターのような形になった。
すぐに北条がデービスを押さえ、黒田の代わりにファーストに入っている斎藤が島津を抱き抱えた。また両軍ベンツから、選手たちがグラウンドになだれ込んだ。
ブルペンでモニターを見ていたネネは青ざめた。
(い、今、殴ってたよね……栄作、大丈夫……?)
ネネは咄嗟にベンチへ走った。
グラウンドは再び大乱闘が始まった。審判団は総動員で乱闘を収める。
「た、退場だ、退場──!」
先に暴力を振るったデービスが退場処分となった。
「し、島津! 大丈夫か!?」
殴られてフラフラしている島津に杉山コーチが駆け寄った。
「ヘッ、舐められてたまるかよ……一発入れてやったぜ」
島津は口元から血を流し、右手で握り拳を作ると杉山コーチに見せた。その右手を見た杉山は青ざめた。
「お……お前、まさか利き腕で殴ったのか……?」
「あ……ああ……咄嗟に出ちまった……」
島津の右手は真っ赤に腫れ上がっていた。
島津が杉山コーチに付き添われ、ベンチに戻ると、ネネが不安そうな顔で島津を見ていた。
「ヘッ、悪い、やっちまった」
島津は笑いながら、ネネに右手を見せた。真っ赤に腫れ上がった島津の手を見たネネは思わず、両手で口を押さえた。
「ば……バカ……何で利き手で殴るのよ……」
ネネは泣き出しそうな顔で島津を見上げた。
「ああ……しまったな。あとワンアウトだったのによ」
島津はネネから顔を背けた。
「そ……そういう問題じゃないわよ! 選手生命を失うかもしれないのよ!?」
ネネは大声を上げた。それを見て島津は事の重大性に気付いた。
「わ、悪い……」
「バカ……バカよ、本当に……」
ネネはうつむいて両拳を握った。
「島津、病院に行くぞ」
杉山コーチの問いかけにうなずくと、島津は何も言わずにネネの肩をポンポンと叩くと、ベンチ裏に消えていった。
「杉山コーチ……」
今川監督代行の岩田打撃コーチが話しかけてきた。
「島津の代わりを……どうします?」
そう、まだ試合は終わっていない。九回表、ツーアウトながら、ランナー、一、二塁の状況は続いているのだ。
「そうだな……念のために三好が肩を作っているから、すぐに準備させる」
「あ……あの、杉山コーチ……」
ネネが杉山に話しかけた。
「どうした?」
「私……少し投げればすぐに肩は作れます」
「バカ言え……お前は待機だ。肩も充分に作ってないのに投げさせるわけにはいかん」
そう言うと、杉山コーチはブルペンに電話をかけた。
そして、島津の代わりには元抑えの三好が上がった。対するバッターはデービスの代打谷村、しかし、ストライクが入らず、フォアボールで満塁になる。
続くバッターは一番バッター、セカンド服部。だが、ここでもストライクが入らない……。
カウントはスリーボールとなり、運命の四球目は無情にもボール。
レジスタンスドームは悲鳴と怒号に包まれた。ここにきて押し出しで2対2の同点に追いつかれてしまった。三好はマウンドで顔面蒼白。
なおもツーアウト満塁は続き、バッターは二番サード原田を迎えた。大卒二年目の24歳、時期エンゼルスの主軸を担うバッターと言われ、今季はホームランを15本打っている。背番号は8。
(どうする……?)
レジスタンスベンチで岩田コーチは頭を抱えた。
(今川監督なら……どうする?)
岩田コーチは杉山コーチと顔を見合わせた。
この試合はあまりにデッドボールから始まり、様々な事件が起こりすぎた。選手たちの動揺も激しく、もしこの試合に負けたとしたら、今後の戦いに悪影響を及ぼすのは明確だった。本来なら、ここでピッチャーを代えて流れを変えなくてはいけない。
(だが、今のレジスタンスに、この場面で投げることができるタフなピッチャーなんているのか……?)
杉山コーチは腕組みをしたまま思案した。その時だ──。
「杉山コーチ、肩は作ってます。指示を出してください」
背後から声がしたので、杉山コーチは振り返った。
そこには覚悟を決めた目をしたネネが立っていた。