第158話「故意か偶然か」
レジスタンスドームで行われる広島エンゼルス三連戦の初戦。ネネは先発から外れ、ブルペン待機組に組み入れられていた。ここからは総力戦、状況によっては中継ぎ、抑えとフル回転の予定だからだ。
「明智さん」
練習もひと段落つき、明智にネネが声をかけた。
「おお」
ネネは今まで聞きたかったことを質問した。それは明智の内角打ちが得意な理由と死球が少ないことだ。
「ああ……俺、元々は左利きなんだよ」と明智は答えた。
「だからうまく言えないけど、内角を打つときは利き腕の左腕を抜く感覚かな……こんなカンジで」
明智はその場でスイングをして見せた。
「じゃあ、デッドボールが少ないのは?」
「それは分からんなあ……まあ、俺が内角球に強いから、内角にあまり投げてこないってのもあるかな?」
(確かに……もし自分が明智さんと対戦するなら、なるべく内角は避けるだろう)
ネネは納得した。
「今日の先発が今井だから、お前、俺がデッドボールを受けないか、心配してくれてるのか?」
明智がニヤッと笑って言う。
「は、はい……今井さんは右バッターで内角球が得意なバッターに死球が多いって言うから……」
「ははっ、お前が俺の心配なんて珍しいな。雪が降るぜ」
そう言うと、明智は打撃練習をしている黒田に目を移した。
カキーン、カキーン……。
快音を響かせ、黒田が打撃練習をしている。今季主に五番に座っている黒田だったが、最近は調子を落としている。また歳も歳なので、今季で引退の噂もチラホラ出てきていた。
「黒田さん、大分調子も上がってきたな。今日はスタメンだし、気合いも入ってるみたいだ」
「はい、スイングがとてもシャープです」
「お前のおかげだなあ……」
「え?」
「キャンプの紅白戦での一件以来、あの人は変わったよ。チームの雰囲気も良くなった。今、優勝争いしてるなんて夢みたいだ。お前があの人や俺らの目を覚ましてくれたおかげだよ」
「い、いえ! 私なんて何も……!」
ネネは両手で手を振る。
「はは、まあ今日はファルコンズの結果次第では首位の芽もある。頑張らないといけないな」
「はい!」
ネネはニッコリと微笑んだ。
そして午後六時、試合が始まった。
レジスタンスの先発は前田。相変わらず制球力は抜群で、初回を危なげなく三者凡退に仕留めた。
その裏、広島エンゼルスのマウンドには今井が上がった。キャッチャーの立浪が今井の背中をバンバン叩いて気合を入れる。
その頃、ネネはブルペンにいた。出番があるかないか分からないが肩を作っていた。
「悪いなネネ、便利屋みたいなポジションになってしまって」
杉山コーチが話しかけてくる。
「全然、大丈夫です! 私、どこでも投げますから、どんどん使ってください!」
ネネはニッコリ笑う。
「ホントにお前は昭和のピッチャーみたいだなあ……」
杉山コーチは苦笑いする。
「あの……コーチが現役の頃はこういうのが、当たり前だったんですよね」
「ああ、エースは先発だけじゃなく、ここ一番の大事な時にはどこでも投げていた。例え前日に投げていたとしてもな」
「そうなんですか……」
「まあ、今は時代にそぐわないから、そんなことはやらないけどな。キチンとローテを守り、球数も制限して、役割も明確にする……これが近代ピッチャーの在り方だ」
ネネはコーチの話に耳を傾けている。
「まあ、だからお前に無理をさせることはない。今日も待機しているが、あくまで何かあったときの保険だ」
「コーチ、大丈夫ですよ、私、投げます。今日も明日も明後日も」
ネネはニッコリ笑う。
「バカ言うな、そんなことしたらお前が壊れちまう」
「いえ……私、嬉しいんです。女の私がプロ野球の世界にいて、優勝争いの中、チームのために投げている……それが嬉しいんです。だから『行け』って言われたら、投げます」
「……ったく、ホントに昭和のピッチャーだな」
杉山コーチがそう言ったときだった、モニターの中で大声が聞こえてきた。
「あ──っと! 織田勇次郎、デッドボール!」
実況が叫ぶ。どうやら勇次郎がデッドボールを食らったみたいで、モニターにリプレイが流れた。内角へのカットボールが抜けて、勇次郎の左腕を直撃していた。
(ゆ、勇次郎……)
ネネはモニターの中の勇次郎を見つめる。
勇次郎は左腕に冷却スプレーをかけると、一塁に歩いて行った。どうやら無事のようでネネは胸を撫で下ろした。
「あの今井ってピッチャー、右バッターの内角に投げることを怖がっているな」
杉山コーチが眉をしかめた。
「それを承知で、あのキャッチャーは内角へ投げさせている。タチが悪いな」
「え? 立浪さんはデッドボールになる確率が高いのに、ワザと内角に投げさせているんですか?」
「ああ、ただコントロールが悪いピッチャーにワザと内角に投げさせて荒れ玉のイメージを付けさせてるのか、本当に偶然なのかは分からんがな……」
ネネは再びモニターを見た。バッターボックスには五番黒田がいた。この試合、何かが起こりそうな嫌な予感がした。
「しかしまあ、こう右バッターばかり当てられると、嫌な気分になるなあ……」
「やっぱり、イップスなんですか……?」
「分からん。だが、今井は今年のキャンプの紅白戦で同じチームの若手のホープ原田に死球を当てている。元々制球難だったが、それから更に酷くなったと聞く」
ネネはモニターを見つめる、今井の顔は顔面蒼白だ。
「だ……だったら、内角攻めを止めるとか…」
「そんなことをしたら、今井の投手生命は終わりだろうな。外角しか投げれないピッチャーなんか怖くはない」
「そ、そんな……」
「内角攻めが誰の指示か分からないが、アイツはアイツなりに苦しんでいる。ネネ、よく覚えておけ、プロはこうして生きていくしかないってことを」
杉山コーチは腕組みをしてモニターを見つめた。
勇次郎の後は五番の黒田だが、今井は先程のデッドボールが尾を引いているのか、ボールが二球続いた。
キャッチャーの立浪が「腕を振れ」と指示を送る。三球目、外角へのストレート、その球を黒田は叩きセンター前へ持っていく。
「ワアアアア!」
ドームに歓声が響く、ノーアウト、一、二塁と先制のチャンスだ。
続くバッターは六番の斎藤、同じく左バッターだ。その斎藤は初球を叩き、ライト前へ先制のタイムリーヒット。レジスタンスが先取点を奪い1対0になる。
レジスタンスのチャンスは続く、ノーアウト、一、二塁。ここでエンゼルスキャッチャー立浪はマウンドへ向かい、今井にひと言ふた言何かを話すと今井の頭をはたいた。
それで気合いが入り直したのか、今井はそこから踏ん張り、後続を切ってとった。
「……ったく、お前と対照的なピッチャーだな。さあいくぞ前田」
「は、はい……!」
北条に促され、前田がマウンドへ向かった。
試合はその後、硬直し、両チーム一点ずつ追加して、2対1でレジスタンスが一点リードとなり、回は七回裏に入った。
ツーアウトでバッターは勇次郎。今井はここまで110球を投げている。今季、ここまで投げたのは初めてだ。
息を整えて今井は111球目を投げるが、内角を突いたボールは抜けた。
ガン!
再びデッドボールが勇次郎を襲った。
(え!?)
ブルペンのネネは思わず息を呑んだ。
(に、2回目だよ……今日……)
肩のあたりに球は当たっていて、勇次郎はうずくまっている。
その姿を見て、顔面蒼白の今井は帽子を取って謝ろうとした。だが、キャッチャーの立浪は「謝らんでいい!」とジェスチャーをした。
すると、その態度に憤慨した今川監督がレジスタンスベンチから飛び出してきた。
「何だお前、今の態度は! 2回目だぞ、2回目! わざとやっとんのか!?」
今川監督が立浪に詰め寄った。
「野球やっとったらデッドボールくらいあるでしょう!? いちいち謝っとったら、やっとれんですよ!」
立浪も言い返した。
「な……何だとテメー!」
今川監督が立浪の胸ぐらを掴もうとするのを審判が止めた。
「ちょ、ちょっと……監督、やめなさい!」
マウンドでは今井がオドオドしている。
「……そうですよ、監督……落ち着いてください」
勇次郎が顔をしかめながら、スッと立ち上がった。肩をかばっているが、大丈夫そうだった。
「勇次郎……」
「ツーアウトですけど、ランナーは一塁になります……あとは黒田さんに任せましょう……」
医療班に冷却スプレーをかけられながら、勇次郎は一塁に向かった。その姿を見た今井は帽子を取った。
今川監督は立浪を睨みつけると、そのままベンチに戻った。
審判はここで警告試合の指示を出した。この先のデッドボールは報復行為とみなされ一発退場もあり得る。
ブルペンではネネがモニターで一塁に進む勇次郎を見て青ざめていた。
(だ、大丈夫かなあ……)
勇次郎はここまでルーキーながら全試合に出場してる。身体の疲労度はかなりのものだ。
「どうしたネネ? 勇次郎が気になるか?」
「は……はい、まあ……」
島津の問いにネネは動揺しながら答える。
「心配すんな、アイツは頑丈だ。これくらいで壊れたりなんかしないぜ」
「だ、だといいんですが……」
「ははっ、随分と勇次郎のことを気にするんだな。もし俺がデッドボールを食らって負傷退場したら、同じように心配してほしいもんだぜ」
「し、心配するに決まってんじゃん! 変なこと言わないでよ──!」
笑っている島津をネネは島津ポカポカと叩いた。
勇次郎が一塁に進み、五番の黒田が左バッターボックスに入った。
点差は一点差、ツーアウトだが、ここで追加点を取っておきたい状況だ。
マウンドの今井は何度も深呼吸をしている。立浪は腕を振れとジェスチャーをして、アウトローにミットを構えた。
「悪いな、織田、2回もぶつけてもうて」
一塁ベース上でファーストを守る金田が勇次郎に話しかけてきた。
「いいですよ、勝負なんだから」
勇次郎は素っ気なく返す。
「今井を擁護するわけじゃないが、アイツも苦しんでいる。そして、立浪も今井を一皮むかせるために、敢えて厳しいコースに投げさせているんだ」
(意地と意地のせめぎ合いか……)
勇次郎はリードをとりながら、今井の背中を見つめた。
岩井はセットポジションから、第一球を投じた。思い切り腕を振って投げたストレートはアウトローに……いかなかった。
ガン!
ボールは黒田の頭部に直撃した。
「う、うわあああ!」
ドームに悲鳴と絶叫が轟き、黒田はその場に倒れ込み、レジスタンスベンチからは鬼の形相をした今川監督が飛び出してきた。