第147話「復活のライジングストレート」前編
「ゆ、勇次郎……?」
ネネは呆然とした。それはいきなり勇次郎がバットを持ってベンチから出てきたからだ。
「打ち砕いてやるよ、ヘボピッチャー。聖峰高校の怖さを思い知らせてやる」
ネネは勇次郎が何を言っているのか、すぐに理解できた。一年前の聖峰高校三軍との練習試合のことを言っているのだ。
(19対0……私たちの野球部はワンアウトも取れずに滅多打ちにされた。そして、あと1点取られたらコールド負けを告げられた。そこに代打で現れたのが織田勇次郎だった……)
あの日あの時、あのグラウンドの光景がネネの頭に浮かび上がった。
聖峰高校の無礼な態度に怒りを覚えた。
ノーアウト満塁で、打席には高校生ナンバーワンバッターの織田勇次郎が立った。
一矢を報いたかった。
髪を切って男のふりをしてマウンドに立った。
あの頃の自分には怖いものなんて何もなかった。
「ね、ネネ……?」
皆が心配する中、ネネはフラフラと再び投球ポジションまで歩いた。
「さあ、来いよ、お前の球筋は掌握した。お前のストレートは俺には通用しない」
勇次郎がネネを挑発し、ベンチ前でバットを構えた。
(……そうだ。この男に私のストレートは通用しない。なら、どうする? 何を投げる?)
勇次郎の圧力が全身を襲う中、ネネは何かに導かれるように大きく振りかぶった。
(あの日……投げるたびに私の中の何かが目覚めた。ただのストレートじゃダメだ。石投げだ。ボールを弾け、石を風に乗せるようにして投げるんだ……!)
ネネは左足を高く上げると、軸になる右足をヒールアップして右腕を引き絞った。そして左足を強く地面に叩きつけ、全てのパワーを指先に集約させると、石投げの要領でボールを強く弾いた。
(いけえ!)
ネネの指先から放たれたボールは地を這うようにミットに向かって飛んだ。
「藤堂! ボールを押さえこめ!」
「はい!」
杉山コーチの指示で藤堂はミットを差し出した。
しかし、低めに飛んできたボールは唸りを上げるとグンと伸びてホップした。
「う、うわ!」
浮き上がったボールは藤堂のミットを弾くと、転々とベンチ前に転がった。そのボールの威力に皆、言葉を失った。
「はっはっはっ、やればできるじゃねえか」
転ってきたボールを拾った今川監督がニヤッと笑った。
「ね、ネネェ──!」
由紀が思わず歓声を上げた。ベンチ内もワッと盛り上がった。
「う……浮いた……投げれたよ。ホップするストレートが……」
ネネはホッとした表情を浮かべた後、笑みを浮かべた。
「フン……世話、焼かせやがって……」
勇次郎はネネのストレートの復活を見届けると、憮然とした表情でベンチに戻った。
「勇次郎! お手柄だよ!」
由紀が勇次郎の肩を叩いて褒めるが、勇次郎はずっと不機嫌な顔をしている。
「あら? どうしたの? 嬉しくないの?」
「……演技だとしても、見逃し三振は気分が悪いです」
ムスッとする勇次郎を見て、由紀は笑みを浮かべた。
すると、八番北条が三振に倒れ、五回裏の攻撃が終わった。北条がベンチに戻ると、ベンチ内の雰囲気が明るく、そこでネネのライジングストレートの復活を知った。
「そ……そうか! よくやったぞネネ! 勇次郎もナイスフォローだ!」
「どうも」
勇次郎は帽子を被りながら無愛想に北条に返事を返した。
「ガハハ、照れるな、照れるな!」
北条は勇次郎の頭をガシガシと触った。
「や……やめてくださいよ」
勇次郎は北条から逃げるように一目散にベンチから飛び出した。
「あれ? 何か相手さん、元気になってますよ?」
一方、ファルコンズベンチではヘルメットを被りながら西田が児嶋に話しかけていた。
「カラ元気だろう。それよりベーブ。初球からストレートを狙って行けよ」
「はい」
西田はニコニコして打席に向かう。
「ファルコンズ、三番サード、西田」
左バッターボックスに入った西田はバットを大きく構えた。
(打ち気満々だな、コイツ……それじゃあ初球からガツンといって、ビビらせてやるか)
北条がストレートのサインを出すと、大きく振りかぶったネネは右腕をしならせ、渾身のストレートを放った。
(いけえ!)
ストレートは真ん中高めに飛んでいく。
(来た! ストレート、もらった!)
西田がスイングを開始した。しかし……。
ベース手前でボールがホップした。
(え!?)
ネネの投げたストレートは西田のバットをすり抜けて北条のミットへ飛び込んだ。
「ストライーク!」
「よし、いいぞ! ネネ!」
北条がボールを返球する。その一方で空振りした西田は呆然としていた。
(う……浮いた? 児嶋さん、話が違うぜ。ネネはもうホップするストレートは投げられないって……)
西田が児嶋の方を見ると、児嶋は青い顔をしていた。
(ククク……面食らってやがるな、アイツら)
北条は再びストレートのサイン。ネネは頷き振りかぶる。
(いけえ!)
二球目も高めのストレート。
(ふ……ふざけんな!)
西田がフルスイング。しかし、ネネの球はホップするので、ボールの下を叩きバックネットに突き刺さる。
(ほ……ホップしている。羽柴寧々のストレートは完全復活している……バカな……過去に誰も克服していない破滅のスライダーを……コイツは……)
ネクストバッターサークルで待機している児嶋は、目の前の光景が信じられない、といった顔で呆然と見ていた。
ネネが三度振りかぶるのを見て、西田はバットを握る手に力を入れた。
(クッ……だから何だ? 打ち砕く。たかが女のストレートなんぞ、打ち砕く!)
ネネの指先から三球目が投じられた。西田はストレートを想定して、右足をグッと踏み込んだ。
(!?)
しかし、西田の視界からボールが消えた。ネネが投じたボールは外角高めに飛んでいる。コースを外れていることから西田はバットを止めた。
すると、次の瞬間、ストライクゾーンから外れていたボールが急激に曲がり落ちてきた。
(し、しまった……忘れてた! こいつには『あの』変化球があった……!)
「ストライーク、バッターアウトォ!」
弧を描いたボールはストライクゾーンに落ち、北条のミットに収まる。西田は思わず「あ──!」と声を上げ、天を仰いだ。ネネの懸河のドロップが炸裂し、西田は見逃し三振だ。
「いいぞ! ネネ!」
ネネは北条が返球したボールを受け取ると、ボールを両手でこねて手に馴染ませた。ドロップも指にかかり完全復活だ。
ベンチに戻る西田に児嶋が声を掛ける。
「べ、ベーブ、どうだった?」
西田は青ざめている。
「ヤバいっす……ストレートが手元でギュンと伸びてホップします。あと変化球もキレキレっす」
児嶋は猫の首から鈴が取れたことを知った。
(そんな馬鹿な……無理だ……首に付いた鈴を取るなんて……)
児嶋はふと、サードの守備につく勇次郎を見た。勇次郎が笑みを浮かべているように見えた。
(お前か……お前が鈴を取った張本人か……!?)
児嶋は勇次郎を睨みつけた。