第144話「猫の首に鈴を付けろ」⑦
四回表、神宮ファルコンズの攻撃はノーアウト満塁で四番の児嶋。
一縷の望みを賭けて、ネネはライジングストレートを放つが、ボールはホップしなかった。
最大の武器を失ったネネの動揺は激しく、その後、一球もストライクが入らずに四球を連発し、押し出しのフォアボールを献上してしまう。これでファルコンズが一点を返して、1対1の同点に追いついた。
「ね、ネネ……一体どうしちゃったの……?」
ベンチでもネネの異変に気付いた。由紀が心配そうに戦況を見つめる。
「何があったか分からんが、こりゃあマジでやべえかもな」
いつもはヘラヘラしている今川監督も真剣な表情でマウンドのネネを見ている。
「ちょ、ちょっと……これもまたネネの通過儀礼とか言うんじゃないでしょうね?」
由紀が今川監督をジロリと睨むと、今川監督は「ば、バカ言え! 完全に想定外の出来事だよ!」と言い返した。
一方、マウンドのネネはオーロラビジョンを見つめていた。1対1の同点、しかもノーアウト満塁のピンチ。
(今までダメだと思うことなんて何度もあった。でも、これ以上のピンチはあっただろうか?)
ネネは目をギュッと閉じた。
(私の最大の武器が……ホップするストレートが投げれなくなってしまった……しかもピッチャーとして一番やってはいけない押し出しまで……)
女性のネネが男だらけのプロ野球の世界でやってこれたのは「ホップするストレート」という武器があったからだ。だが、その武器が失われてしまった。
まるで爪を折られた子猫のような気分だった。そして、自分を仕留めようと獰猛な肉食獣が牙を研いで周りをとり囲んでいる……。
ネネは恐怖で足が震えた。しかし、そんなネネの耳にドームのスタンドから観客の声援が飛びこんできた。
「羽柴──! 頑張れ──! まだ同点だ──!」
「気にすんな! 切り替えろ──!」
「ネネちゃん、頑張れ──!」
(み、みんな……)
ネネは歯を食いしばり、震える足を必死で堪えた。
(そうだ……私はひとりじゃない。こんな私を応援してくれるファンの人たちがいる……)
そして、ネネはふと育成サバイバルゲームのときの勇次郎の言葉を思い出した。
『ピッチャーはチームの責任を背負ってマウンドに立っている』
それからアスレチックスドームでの松尾の姿も……。
『気持ちが入ったボールは打たれない』
(うん……原点に帰ろう。ホップするストレートを投げることができなくても、私にできることをやろう……)
ネネはバッターボックスに入る次のバッターを見た。五番ファースト、助っ人外国人のオズマだ。
北条のサインを確認する。サインはスライダーだがネネは首を振る。
(ストレートだ。私の原点に戻る)
ネネが首を振るのを見た北条はアウトローに構えた。
(私の原点……アウトローへのストレートだ)
ネネは振りかぶり第一球を投じた。
「ストライーク!」
アウトローいっぱいにストレートが決まった。
(よし……!)
次のサインは内角低め。
(ホップするストレートがないなら、とにかく球を低めに集めるしかない!)
第二球目のストレートを内角低めへ投じた。しかし、オズマはそのストレートを強振。
カキン!
鋭い打球が三遊間に飛ぶが、明智がそのボールをキャッチし、すぐさまセカンドの蜂須賀に送球する。
蜂須賀はセカンドを踏むとファーストへ返球。6-4-3のゲッツーを奪うが、その隙に三塁ランナーがホームに帰り一点を追加。
2対1、ファルコンズが勝ち越しに成功する。
この回、一気に逆転を許してしまったが、ネネは気持ちを切り替える。
(これでいい……ノーアウト満塁を最小失点で切り抜ければ、この回は十分だ)
状況はツーアウト三塁に変わり、六番バッターを迎え、ネネは内角に渾身のストレートを投げ込んだ。
カキン!
再び捉えられた打球が三塁線を襲うが、ライン際のボールを勇次郎が好捕。すぐさまファーストへ送球し、スリーアウト、チェンジだ。
「よっしよあ、よく抑えた、羽柴!」
スタンドからネネに声援と拍手が飛ぶ。
(よし……何とか凌いだよ……)
ネネは帽子を取り、汗を拭いながらベンチへ下がった。
「児嶋さんの狙い通りですね。あの女のストレートはもう怖くないです」
ファルコンズベンチでは次の回の守りに向けて、レガースを着ける児嶋に岡本が話しかけていた。
「ああ、この回一気にケリをつけたかったが、まあ仕方ない。だが次の回で終わりだよ」
児嶋は笑みを浮かべながらベンチを出た。
「よく粘った、ネネ!」
ベンチで今川監督が出迎える。
「ネネ、ナイスファイト!」
そして、由紀がネネを労う。
「北条、何があった? 詳細を教えてくれ」
今川監督が北条に問いただすと同時にブルペンから杉山コーチが戻ってきた。北条はネネの異変をふたりに伝えた。
「な……そんなことがあったのか!?」
今川監督と杉山コーチは絶句した。
「急に投げれなくなったのか? ホップするストレートが……」
「はい……」
ネネは力なく頷く。
「勇次郎の話では、ファルコンズの児嶋さんがネネに何かを仕組んだというんですが……」
由紀が代弁する。
「ま、マジで児嶋さんからもらったネックレスが呪われてたんじゃ……」
ビビリの毛利がそう言うと「バカ言え! 何が呪いだ!」と黒田が怒鳴った。次いで勇次郎が口を開く。
「児嶋さんが言うには、羽柴の首に鈴を付けたって言ってました。あと猫の首に鈴とか……」
「で……でも、ネックレスは引きちぎったはず……や、やっぱり、呪いだよ! 怖いよ──!」
毛利は真剣に怖がっている。
一方で、由紀は勇次郎の言葉の意味を考えていた。
(ネネの首に鈴……? 猫の首に……鈴!?)
「わ……分かった!」
由紀がパンと手を叩いた。
「その言葉通りよ! 児嶋はネネに鈴を付けたのよ!」
「おい浅井、どういう意味だよ、それは?」
今川監督が首をかしげた。
「『猫の首に鈴』っていう、寓話があるの……」
由紀は話を始めた。
ネズミを取るのが上手い猫がいて、ネズミたちは困っていた。
そして、あるネズミが言った「猫の首に鈴を付けよう。そうすれば、鈴の音で猫が近づいてくるのが分かるから、逃げることができるぞ」と。ネズミたちはナイスアイデアと喜んだ。
「でも、誰も猫の首に鈴を付けることは出来なかった。なぜなら、猫に鈴を付ける勇気のあるネズミはいなかった……っていうオチが付く話よ」
「それとネネに何の関係があるんだよ?」
今川監督が再び尋ねる。
「大ありよ! 児嶋はネネがホップするストレートを投げれないように何かを仕掛けたのよ!」
由紀の推理に一同驚愕した。
「それじゃあ、その『何か』って一体何だ?」
今川監督が疑問に思う。
「それは分からないわ……ねえ、ネネ、児嶋さんとに何かされた覚えはないの?」
「う……うん、スライダーを教えてもらったくらいだけど……」
「スライダー!?」
杉山コーチが驚いた声を出した。
「ね、ネネ……それはどんな握りだ! 見せてみろ!」
杉山コーチに言われたネネはボールを使ってスライダーの握りを見せた。
「こ……これは……!?」
杉山コーチは絶句した。
「分かった……分かったぞ! コレが鈴の正体だ!」