第140話「猫の首に鈴を付けろ」③
対神宮ファルコンズ戦、試合後に今川監督の怒りが爆発した。怒りのターゲットは勇次郎。監督室に呼ばれてカミナリが落ちた。
この日、大事な初戦をレジスタンスは1対3で落とした。
中でも勇次郎が大ブレーキだった。3打数ノーヒット、三振ふたつ。ランナーを置いた場面は2回あったが、いずれも凡退。しかも守備ではエラーをふたつ。うちひとつは失点に繋がり、あまりのひどさに途中交代したくらいだ。
監督室で勇次郎は今川監督から、戦う姿勢が見られない、と厳しい叱責を受けた。勇次郎はただただ黙って聞いていた。
勇次郎が不調に陥った原因ははっきりしている。それは児嶋による「ささやき戦術」が原因だった。
勇次郎は二打席以降も、児嶋から「ささやき」を受けた。内容はネネに関することだった。
無論、内容はデマなのだが、中には真実も含まれているからタチが悪い。虚実入り混じり本当のように思えていて集中力を欠き、勇次郎は攻守ともにボロボロになっていた。
散々怒られて、勇次郎は監督室を出た。明日も四番は替える気はないが、あまりに不甲斐ないなら降格も考える、と言われて。
肩を落としながらドームの通用口を歩いていると、角を曲がった先のベンチにネネと由紀が座っていた。
「アンタがあまりに覇気がないから、この娘、気になって帰れないって言うのよ」
由紀がそう話すと、ネネは心配そうな顔で勇次郎を見た。
「……勇次郎、アンタが見逃し三振やエラーなんてらしくないわよ。何かあったの?」
勇次郎はネネの顔を見た。いつもは意識しないネネの唇がなぜか赤く見えた。
『織田くん……ネネちゃんに可愛いって言ったら真っ赤になって照れちゃってね。それがとても可愛いんだ。キスも初めてみたいで震えてたよ』
児嶋の声が聞こえてくる。勇次郎はネネから目を逸らした。
「別に……俺が不甲斐ないだけだ」
「そ、そう……それじゃあ、児嶋さんのリードが良かっただけなのかな?」
ネネから発せられた「児嶋」というワードに勇次郎の頭は真っ白になった。
「お……お前が……」
「え?」
「……お前が児嶋さんに、俺のことをペラペラ話したから調子が狂ったんだよ」
勇次郎はそう吐き捨てると、ネネに一瞥もせずに廊下を歩いていった。
由紀は呆然としているネネに「ちょっと待ってて」と言い残し、勇次郎を追いかけていった。
ネネの姿が見えないところで、由紀は勇次郎を捕まえた。
「ちょっと! 何なのよアンタ!? ネネにあんな事を言って!」
だが、勇次郎は黙っている。
「ネネと児嶋さんのことを疑ってるの?」
「ち、違う! ただ俺は……」
由紀はため息をつく。
(全く……小学生かこの男は……!)
「私も気になって問いただしたけど、児嶋さんが一方的にネネにちょっかい出してるだけで、あのふたりには何もないわよ」
由紀は腕組みをする。
「まあ、児嶋さんが何を企んでるか分からないけど……」
(企む……?)
その言葉を聞いた勇次郎は何かを閃いた。
「あ、浅井さん……」
「何よ?」
「今から話すこと……絶対に誰にも話さないと約束してくれますか……?」
勇次郎の真剣な眼差しに由紀は思わず首を縦に振った。
そして翌日……対ファルコンズ第二戦、相手の先発はサウスポーの板倉。レジスタンスはネネが先発だ。
試合前のミーティングが終わると、勇次郎は明智に頼み込み、ふたりでファルコンズのベンチに向かった。そこには岡本と児嶋がいた。
「悪いな、岡本」
明智が岡本に頭を下げる。
「ああ、全然いいぜ。児嶋さん、大丈夫ですか?」
「うん、いいよ。じゃあ悪いけど、ふたりきりにさせてくれ」
実は勇次郎は児嶋とふたりきりで話がしたいと、明智を通じて岡本に頼んでいたのだ。
勇次郎と児嶋は誰もいない通路で向かい合った。
「で……用件は何なのかな?」
児嶋は腕を組むと、通路の壁にもたれかかった。
「ウソ……ですよね。昨日ささやいた件……」
「さあ、どうだかなあ」
児嶋はあくまで煙に巻く。
「昨日、確認したんですよ。アンタはウチの羽柴の手は握ったかもしれないけど、それ以上のことはしていない。昨日の話は全部デマです」
「ははっ、バレちゃったか。でも効果あっただろ? 『ささやき戦術』って言って、田村監督から教えてもらったんだ。昭和の頃に流行った戦術らしいよ」
児嶋はニコニコしている。
「でも……何でです? 何で俺にアイツのことを話すんですか?」
児嶋はその問いかけに笑いながら答えた。
「キミが羽柴寧々のことを好きだからだよ」
「な……!?」
勇次郎の顔色が変わった。
「ば……バカ言わんでください! 俺はアイツにそんな感情なんか抱いていません!」
「そう? その割には昨日は絶不調だったよね?」
児嶋は笑みを絶やさない。
「初めて見た時から分かってたよ。織田くんが羽柴さんのことを気にしていることを……そして、それはオールスターでのホームランで確信に変わった」
児嶋が言っているのは、九回の土壇場で勇次郎が放った同点ツーランホームランのことだ。この同点弾で、ネネは九回裏のマウンドに上がることができた。
「あのホームランは、羽柴さんのために打ったんだろう?」
勇次郎の顔が強張った。
「キミらふたりは危険なんだよ……ふたりが活躍した試合の勝率は100パーセントだ」
児嶋はデータマニア……勇次郎の脳裏に、その言葉が浮かんだ。
「僕はかなり前からこの事が気になっていた。だから、キミらふたりを分断することがレジスタンスを突き放すチャンスと思い、羽柴寧々に近づいたんだ」
「じゃあ……羽柴に気のある素振りを見せてたのは……」
「演技に決まってるだろう。キミと羽柴寧々を引き裂くための作戦だよ」
児嶋はふふっと笑った。
「僕があんな小娘を相手にするわけないじゃないか」
「あ、アンタなあ!」
勇次郎は思わず児嶋に詰め寄るが、児嶋は片手を出して勇次郎を制止した。
「おっと……怒るってことは、やっぱりキミは羽柴寧々のことが好きなのかな?」
「く……クッ……」
勇次郎は動きを止めた。
「まあ、そんなに気になるのなら……」
児嶋は勇次郎を見た。
「賭けをしないか?」
「賭け?」
「ああ、キミと僕、この試合に勝ったほうの言うことを聞く、ってのはどうだい? キミが勝ったら、もう羽柴寧々には手を出さないようにするよ」
「……羽柴寧々は関係ないですが、その賭けには乗りますよ。もうアンタにこれ以上、かき回されたくないですから」
勇次郎はブスッとした顔で話すと、児嶋は「じゃあ、了解ってことで」と笑みを見せた。
これ以上、話すこともないので勇次郎はクルッと背を向けた。だが、児嶋が畳み込むように話しかけてきた。
「あ……そうそう、せっかく会いに来てくれたから、サービスで教えてあげるよ」
勇次郎は足を止めた。
「羽柴寧々の首には大きな鈴が付いてるよ。今日も勝つのはファルコンズだ」
勇次郎が振り向くと、児嶋は笑いながら自分の首を指差していた。