第14話「友達でいいから」
ネネと勇次郎の大阪レジスタンス入団会見から一夜明けた日曜日。
ネネの父親は朝から近所のコンビニエンスストアをハシゴして、手に入るすべてのスポーツ新聞を買い占めてきた。
ペナントレースも終わったプロ野球のシーズンに『女性初のプロ野球選手、羽柴寧々』は、絶好の話題の的だった。どのスポーツ紙もネネのことをこぞって取り上げていた。
『女性初のプロ野球育成契約選手、その名は羽柴寧々』
『羽柴寧々、入団会見で吠える。男には負けない。必ずプロの世界で結果を出す』
(う……わ~、こうして新聞になると、インパクトがあるなあ……)
ネネは父親が買ってきた新聞に目を通した。レジスタンスの「R」のロゴが入った帽子、それとピンストライプのユニフォームを身に着けた写真を見ると、自分じゃないみたいだった。
「ネネ、すごいな! お父さん、何か夢を見てるみたいだ!」
野球好きの父は、自分の娘がプロ野球選手になることに喜び、夢中で新聞記事を読んでいる。
「わ~、可愛く映ってるね~」
姉の菜々も新聞を見て微笑んでいる。
「新聞に載るなんて、ネネちゃん、すご──い!」
いつもは昼まで寝ている妹のキキも、新聞を見てはしゃいでいる。
家族が喜んでくれて嬉しく、ネネもニコニコと笑った。
ただ……母だけは新聞に目を通さず、黙々と家事をしているのが、ネネには気がかりだった。
ネネは改めて新聞に載っている写真を見た。写真には今川監督を囲んでネネと勇次郎が映っているが、勇次郎はどこか不機嫌そうで、不意に昨日の焼肉屋での勇次郎の笑う姿とのギャップが大きかった。
(無愛想で冷たいイメージだったけど、子供みたいに無邪気に笑ったり、さりげなく気を遣ってくれたりとか、何かイメージが変わったなあ……)
「ネネちゃん、織田勇次郎とのツーショット、結構お似合いだよ。連絡先とかは交換したの?」
すると、妹のキキがからかってきたのでネネは「こんな不愛想な男、興味ないわよ」と言い、ふふっ、と笑った。
明けて月曜日、学校に登校したネネは一躍注目の的だった。
まずは校長室に呼ばれ、一連の出来事を報告。その後は全校生徒の前で発表。教室ではみんなからの質問攻めにあい、ネネの姿をひと目見ようと全校生徒が押し掛けたので、ネネは一日中、愛想笑いをして過ごした。
そして放課後、野球部の部室でネネはぐったりしていた。
「すげえ人気だな。まるで芸能人みたいだぜ」
幼馴染で元野球部キャプテンの石田雅治がネネを茶化した。
「やめてよ! あ──、疲れた!」
「しかし、すげえよな。こんなに大きく新聞にまで載っちまって……」
石田は目の前のネネと新聞のネネを見比べた。幼い頃から一緒のネネがプロ野球の選手になったことに石田はまだ実感が湧いてこなかった。
「それでネネ……練習のことなんだけど……」
「あ! それは付き合うよ! 早くグラウンドに行こうよ!」
石田は大学野球のセレクションを受験するためにネネに練習のパートナーを依頼しており、今日はその練習の日だった。
ユニフォームに着替えたふたりはグラウンドに出た。するとそこに新聞記者がいた。
「来た、来た! 羽柴選手、ぜひ練習している姿を撮らせてよ!」
ネネと石田は急なマスコミの訪問に驚いたが、練習の邪魔をしないから、という条件で写真を撮る許可を出した。
カメラマンは、ネネと石田がキャッチボールをするところから写真を撮り出したが、キャッチボールをしながら、石田はネネのボールに衝撃を受けていた。
プロのコーチの教えを受けたと聞いていたが、以前のネネのボールとはまるで質が違っていた。ボールにかかるスピン、手元での伸び、すべてがレベルアップしているのだ。
石田はキャッチボールをしながら、ネネがどこか遠くにに行ってしまったかのような寂しさを覚えた。
ひと通り練習を終えると、石田は取材を受けた。
「石田君は羽柴選手と一緒に練習しているけど、どういう関係なの?」
「はい、ネネ……いや、羽柴選手とは小学校のリトルリーグからのチームメイトで、最近までは野球部のマネージャー兼練習相手をしてもらってました」
新聞記者からはネネのことばかり聞かれた。ネネに迷惑が掛からないよう無難なことばかり話したが『羽柴選手』という言葉に、石田はネネが本当に自分と違う世界に行ってしまうのだと否応なしに思い知らされた。
練習が終わると、記者たちも帰り、駅までの帰り道をネネと石田は並んで歩いていた。
「今日はゴメンね、私のせいであまり練習ができなくて……」
ネネがすまなさそうに謝ってきた。
「あ、ああ……全然いいよ。それよりネネ、今週の日曜日空いていないか? セレクションも近いから、少し練習したいんだけど……」
「あ……ゴメン、今度の週末は、ちょっと大阪に行かなきゃならないの……」
ネネの「大阪」というワードに石田は反応した。大阪イコール「レジスタンス」絡みの用事だと察知した。
「そっか、ネネはもうプロ野球選手だもんな、忙しいよな」
石田は嫌味っぽく返した。
「ゴメンね、来年のキャンプのことや練習メニューのこととか、色々あって……」
だがネネは石田の言葉を嫌味と受け取っておらず、普通に返してきた。そのことが逆に石田のカンに触った。
「いいって言ってんだろ! 俺のことなんかほっといて、自分の都合を優先しろよ!」
石田は声を荒げた。
「雅治……」
ネネは申し訳なさそうな顔をして、それ以上、言葉を発することを止めた。
(しまった……)
石田は怒ったあと後悔した。ネネがプロ野球選手になり、自分と違う世界に行ってしまうことに腹を立てて、ついネネに八つ当たりしてしまったのだ。
ふたりは無言で、駅までの道のりを歩いた。
翌日の放課後、この日も自主練の日だったので、授業が終わり石田が野球部のグラウンドに向かうと、ネネは既にユニフォームに着替えて身体をほぐしていた。
昨日のことがあって気まずかったが、とりあえずふたりでストレッチを行った。ふたりとも無言だった。
ネネが開脚をして石田がネネの背中を前に押す。ネネの身体は柔らかく、上半身がペタッと地面に着いた。ネネの小さな身体に触れながら石田は考えた。
(俺は一体、いつからネネを異性として意識しだしたんだろう? そしてネネは俺のことを、本当に単なる幼馴染としか見ていないんだろうか?)
そんなことを考えていると、ネネが口を開いた。
「……雅治、昨日はゴメンね。もうすぐセレクションでピリピリしてるのに、私、自分のことばかり話しちゃって」
その言葉を聞いた石田は「ば、バカ言え! 昨日の件は俺が悪かった! ネネ、すまない!」と、即座に謝った。
「でも……」
「それ以上言うな! 昨日のことは俺が悪かった! 以上だ!」
ネネは、ふふっと笑った。
「変わらないね、雅治は」
ネネが笑うのを見て、石田は安心した。
(ネネとは昔から何度も喧嘩しているが、いつもこうして仲直りしてきた。大丈夫だ……ネネがプロの世界に行っても、俺とネネの仲は壊れない……)
「私ね……レジスタンスに入団が決まった時、真っ先に雅治に伝えようと思ったのよ」
「え?」
「だって、雅治はいつも私のことを自分のことのように喜んでくれるじゃない。だから、今回のことも雅治は喜んでくれると思ったの」
「う、嬉しいさ、ネネがプロ野球選手になれて……でも、その代わり、ネネが遠くに行っちゃうような気がして、素直に喜べなかったんだ……ゴメン……」
石田がそう言うと、ネネは身体を起こして、潤んだ瞳で石田を見つめた。
「雅治……私、プロ野球の世界に行っても、雅治への気持ちは変わらないよ」
ネネのその愛くるしい表情に石田の胸の鼓動は高鳴った。
(ね、ネネ……! 俺だってお前への気持ちは変わらない! お前が……お前が好きだ!)
そう思い、ネネを抱きしめようとした時だった。
「雅治は何でも話せるベストフレンドだよ。その関係はプロ野球の世界に行っても変わらないよ!」
ネネはそう言って笑った。
ズ、ズコ──!
石田は心の中でずっこけた。
(『ベストフレンド』……友達かよ……)
悲しかった。しかし「お、おう、そうだな! お前のことを一番分かってやれるのは、俺しかいないからな!」と強がった。
「ありがとう、じゃあ柔軟交代ね!」
ネネは石田の腕を掴んで立ち上がった。今度は石田が開脚して、ネネが石田の背中を押す。
「相変わらず硬いね──」
ネネの手の温もりを背中に感じ、石田は苦笑いした。
(ま、いいか……いつかきっとネネに自分の気持ちを伝える日が来るだろう。その時までにネネに相応しい男になってやる。そのためにはまずセレクション合格だ!)
と、その頃、ネネのスマホには、球団から一通のメールが入っていた。
『レジスタンス育成選手全員に告ぐ。来年の1月15日の13時、レジスタンスドームにて育成選手同士の紅白戦を行う予定。当日は全力でプレーできるよう各自コンディションを整えておくこと。尚、詳細は追って連絡する』