第138話「猫の首に鈴を付けろ」①
オールスターゲームが終わり、暫しの休息の後、ペナントレース後半が始まる。
オールスター明けのレジスタンスの試合日程は、レジスタンスドームで首位を走る神宮ファルコンズと三連戦から始まる。
「これが児嶋に教えてもらったスライダーか?」
オールスターから三日後、ネネは覚えたばかりのスライダーをドームのブルペンで北条に受けてもらっていた。
「はい、どうですか?」
ネネは目をキラキラさせて北条に感想を求めた。
「……全然ダメだ。よくこんな球を実戦で投げたな、お前」
北条が呆れながら言ったので、ネネはずっこけた。
(おかしいなあ……児嶋さんは褒めてくれたのに……)
「だ……ダメですかね……?」
「うーん……投げてもいいけど、絶対にストライクゾーンには投げるなよ」
「はい! ありがとうございます!」
ネネは微笑んだ。そう、ネネは対ファルコンズ三連戦の二戦目で先発が決まっているのだ。
その頃、神宮ファルコンズの本社会議室では、田村監督、児嶋、岡本、西田の一部選手が集まっていた。
「皆、忙しいところ集まってもらって悪いな。今から対羽柴寧々のミーティングを始めようかと思う」
児嶋がパソコンを操作すると、部屋に設置されたスクリーンに動画が映し出された。画面にはネネが映っている。
「今から見てもらうのは羽柴寧々の映像だ。オールスターでなるべくデータを収集して、ようやく完成した」
そう言うと児嶋はパソコンを叩いた。
「では早速、動画を見てほしい」
スクリーンにネネのピッチングフォームが流れる。
「羽柴寧々のピッチングフォームはオーバースロー。特筆すべきは女性とは思えないほどのダイナミックなフォームだ」
全員が画面の中のネネを見つめる。ネネは左足を高く上げ、軸足をヒールアップしている。
「球団のAIに解析してもらったところ、羽柴寧々の全身の筋肉の稼働率は98%とあると出た。ちなみにウチで似たような体型の細川さんが85%だから、その凄さが分かるだろう」
『稼働率』、これはファルコンズが導入したピッチャーの力がどれだけピッチングフォームに反映されてるかをAIが調べる数値であり、一般的に優秀なピッチャーの稼働率は約80%と言われている。
「98%というと、身体の力をほぼすべて投げる力に使っていることになる。信じられない数値だ」
「はあ? 98%!? 何でただの女がそんな驚異的な数値を叩き出すことができるんだ?」
岡本が驚き疑問をぶつけた。
「恐らく、筋肉の質だ」
「筋肉?」
「ああ、関西の凄腕マッサージ屋から情報を収集した。羽柴寧々は稀にみる極上の筋肉を持っているらしい。ネコ科の肉食獣に近い、しなやかで強い筋肉をな……」
「それが稼働率の秘密ってわけか……『ライジングキャット』っていう通り名も大げさじゃないわけだな」
「そうだ。本当は直に身体を触ってデータを取りたかったが、そこまでは親密にはなれなかった。残念だ」
児嶋は真剣な顔で話す。
「続いて球種だ。羽柴寧々の球種は基本ストレートとドロップの2種類だが、その精度は非常に高い」
ネネのストレートの映像が流れると全員が息を呑んだ。
「う……浮いてないか? このボール……」
岡本が思わず口に出した。映像で見るネネのストレートは浮き上がって見える。
「ああ、俺も直に受けてみたが、ベース上でグンと伸びてホップした。恐らくオーバースローから繰り出されるストレートに強烈な縦スピンがかかっているからだと思う」
「で……でもボールがホップするなんて物理的にあり得ないだろう?」
「俺もそう思っていたが、羽柴寧々からボールをリリースする動きを聞いて、あり得ない話ではないと思わされた」
「……と言うと?」
「羽柴寧々はボールを投げる瞬間に、ボールを浮かすように弾くらしい。それがボールがホップする理由だと思う。現にアイツの指を確認したが、指にはマメがなかった。ピッチャーであんな綺麗な指をしたヤツを今まで見たことがない。更にもっと言うと、女性ゆえに指が短いため支点が短く、ボールを離す際にスピンをかけやすい。また身長も低く、通常のピッチャーよりボールを離すポイントが低いため、ストレートは下から上に向かってくる軌道になり、ボールがホップする感覚に陥りやすい」
皆は黙り込み、次に三振を奪う映像が流れた。
「羽柴寧々の球のスピードは平均140キロだが、このホップするストレートが決まれば、まず打てるバッターはいない」
「ほっほっほ」
すると、今まで沈黙していた田村監督が笑い声を上げた。
「懐かしいのう……ワシが現役の頃にはおったぞ、こういうタイプのピッチャーが……」
監督の現役というと昭和の時代だ。
「スピードは140そこそこだが、スピンが効いた球は手元で異常に伸びる……」
「え──? 監督は打てたんですか?」
西田が無邪気に尋ねる。
「ほっほ……上手く打てたときもあれば、打てないときもあった。指にうまくかかったボールは流石に打てなかったがな……」
田村監督は昔を懐かしむように楽しそうに笑った。
「この娘……女の子のくせに、中身は昭和のピッチャーじゃな」
「じゃあ、次にいこう」
児嶋が更にパソコンを操作すると、ネネがドロップを投じる映像が流れた。
「羽柴寧々のもうひとつの武器……『懸河のドロップ』だ」
ドロップの軌道をスローで見ることでその変化がはっきり分かり一同言葉を失った。
ボールは一瞬浮き上がるような軌道を見せ、そこから大きく弧を描いてストライクゾーンに落ちた。
「ほっほ、これも懐かしい変化球じゃな。いわゆる『縦カーブ』じゃ」
田村監督がまた嬉しそうに声を上げた。
「縦カーブ?」
西田が聞き返す。
「ほほ……現在ではほとんど投げるものがいない、縦に変化するカーブじゃよ」
「何で誰も投げないんすか?」
「投げ方を指導するコーチがいないからじゃ。それと、昔はこの変化球がメインじゃったが、今は他に様々な変化球があるから、わざわざ過去の遺物を持ち出すことはあるまい」
田村監督はそう言っているが、何か懐かしそうだった。
「ホップするストレートと落差の大きいドロップ……これが羽柴寧々のピッチングの柱だ。この二種類の球種に加えて『沈むストレート』に『微妙に変化するツーシーム』と『落差の小さい五本指カーブ』でカウントを整えて、最後はストレートとドロップでバッターを仕留めている。そして、羽柴寧々の良さを最大限に引き出しているのが、この北条さんの熟練されたリードだ」
今度は北条のキャッチング映像が流れた。
「北条さんの頭の中には全球団のバッターのデータが入っている。このデータを駆使して、バッターを手玉に取る。またキャッチング技術も超一流で、羽柴寧々が大崩れすることはまずない。更に厄介なのは……」
次いでネネのピッチングフォームが間違い探しのようにふたつ映し出された。
「ベーブ、このふたつの違いが分かるか?」
突然、当てられた西田は慌てて映像を眺めた。
「え……えっと……あ! 分かった! 右の映像の方が振りかぶった時のヒジの位置が高いです!」
「大正解だ。そう、ヒジの位置が高い方がドロップのフォーム。そして、口元にも注意、ドロップを投げるときの口元はへの字口になっている」
「あ……本当だ……」
西田は再度映像を見る。
「しかし、コレはオープン戦の時の映像……今はコレだ」
次に映し出された映像は全く同じに見える。
「さあ、これはどうだ?」
西田はじっと映像を見るが、頭を捻っている。
「う、う──ん、コレは……」
「はは、分からなくて当然だ。このフォームからストレートとドロップの球種を見分けることはできない。コレが羽柴寧々の現在のフォームだ。フォームから球種を絞ることができないんだ」
西田はホッとしているが、逆に岡本は青ざめていた。
「児嶋さん……コイツ、女だからと甘く見てましたけど、実はとんでもないヤツじゃないですか?」
「そうだよ、岡本。更に羽柴寧々は制球力も良く、与四球率はリーグトップクラス。また九回を投げ抜くスタミナもある。女だからといって甘く見ていると、とんでもないことになる。コイツはピッチャーに必要な能力を全て搭載しているんだ」
皆、シーンと黙りこくった。
「武器はストレートとドロップの二種類に先発完投型……ますます昭和のピッチャーじゃな。まさか令和の時代にこんなピッチャーが現れるとは長生きしてみるもんじゃわい」
田村監督が腕組みして嬉しそうに呟く。
「で……児嶋、肝心なこの娘のメンタル面はどうじゃ?」
「ええ……」
児嶋はある映像を映し出した。それは五月の対キングダム戦、ネネが先発したものの、弱点を炙り出され崩れかけた試合だった。
「これはキングダムが羽柴寧々を揺さぶった試合。羽柴寧々は再起不能に近いくらい追い詰められたが、途中で立ち直った」
ネネがキングダムの藤本をダブルプレーに打ち取る映像が流れ、その機敏な動きに一同息を呑んだ。
「ふむ……あのキングダムドームでここまでやられたのに立ち直るとは、並大抵の精神力じゃないのう」
田村監督が感心する。
「はい……その他にも、柴田投手の200勝がかかった試合でも抑えで登板して、パーフェクトリリーフを達成しています。プレッシャーにも負けない強いメンタルの持ち主です」
「……恐ろしい女っすね!」
西田が驚きの声を上げる。
「……もっと恐ろしいものを見せようか」
児嶋は真剣な顔でパソコンを操作した。そこには「野球能力年齢診断」と映し出されたアニメ風の映像が浮かんだ。
「これは球団が作った機能だ。各選手毎のデータを入れるとAIがその選手の野球能力年齢をデフォルメして映し出してくれる。例えば岡本のデータを入れると……」
映像にスーツを着た青年の姿が映った。
「映し出される画像は一般の人間と同じだ。20代中盤から後半あたりが力のピークと見ている。つまり、岡本の野球選手としての成長は、今がピークに達する手前を示している」
皆がホーッと感心している。
「面白え! 児嶋さん、俺は? 俺は!?」
西田が目をキラキラさせて、児嶋にリクエストする。
「ふふ……じゃあベーブを試してみるか」
児嶋が機械を操作すると、学生服を着た映像が映った。
「これは……高校生だな……」
「え!? 俺、もう二十歳超えてますよ!」
「お前はまだガキってわけだよ」
岡本がそう言うと皆が笑い、西田は口を尖らせた。
「ははは……だが高校生ってことは、まだまだ伸び代がある。ベーブが全盛期を迎えるのはもっと先ってことさ」
児嶋が誉めると西田は笑った。
高校生の野球能力ながら、西田はセリーグ2位のホームランを放っている。末恐ろしい潜在能力ということだ。
「でも、児嶋さん……このシステムと羽柴寧々の恐ろしさにどんな関係があるんだ?」
岡本が尋ねる。
「……羽柴寧々のデータだ」
児嶋はそう言うと機械を操作した。
皆が画面を見つめる中、ある映像が映った。それはランドセルを背負った小さな女の子の姿だった。
「ははは! ネネの野球年齢、小学生じゃん! 何だよそれ? おれより遥かに年下じゃん!」
西田は大笑いするが、対照的に岡本と田村監督は青ざめていた。
「あれ? どうしました?」
「お前……本当にベーブ(赤ちゃん)だな……この恐ろしさに気付いてないのか?」
岡本が呆れたように言う。
「何を? ネネはまだ小学生くらいの能力しかないってことですよね?」
西田はまだ笑っている。
「……そうだよ。だが逆を言えば、小学生の能力しかないのにプロの世界で活躍してる、ってことだろ?」
岡本の言葉に西田は、あっと言う顔をした。
「児嶋……このシステムで成長が止まることはあるのか?」
田村監督が青い顔で尋ねる。
「ありません……あくまで潜在能力と今後の伸び代を判定していますので……」
「児嶋さん……てことはネネは……?」
西田も事の重大さに気付いたみたいだった。
「ああ、人は成長する。小学生から中高生に……そして成人になるように……」
児嶋はふうっと息を吐き出した。
「羽柴寧々はプロの世界で既に6勝を挙げている。だがそれはまだ小学生の力でだ……」
西田の顔も青ざめていく。
「つまり羽柴寧々がこれから経験を積んで成長すれば、奴はいずれ化け物みたいなピッチャーになることをAIは示唆しているんだ」
児嶋の発言に皆、黙り込んだ。
「そうなる前に……子猫が虎に化ける前に退治せんといかんのう……」
沈黙を破ったのは田村監督の言葉だった。
「ええ、だから今日はメンバーを絞って、この話をさせていただきました」
児嶋は腕を組みながら話した。
「で、でもどうすれば……」
西田が動揺しながら問いかける。
「……大丈夫、実は羽柴寧々を攻略する方法はある」
「え?」
「俺はアイツの首に鈴を付けた。鈴を付けられた猫はもう獲物を狩ることができない」
そう言うと児嶋はニヤッと笑った。