第132話「羽柴ルイ」
7月21日の日曜日、オールスターゲーム当日を迎えた。
試合は午後2時に札幌ブレイブドームにて開始予定。午前10時には選手たちはホテルから送迎のバスでドームへ向かうことになる。
ホテルを出たネネはオレンジ色のオールセントラル用ユニフォームに身を包み送迎バスに向かっていた。
昨日……ネネと勇次郎の家族、それに由紀を含めたメンバーで居酒屋に行った。未成年のネネと勇次郎以外はアルコールを飲み、賑やかな時間だった。
(昨日は楽しかったなあ)
余韻に浸っていたネネはふと前に勇次郎が歩いていることに気付いた。
「おっはよ──」
勇次郎の背中をポンと叩いた。
「お、おう」
「昨日はお父さんの相手、ありがとね。めちゃ喜んでたよ」
ネネの父は野球が大好きで、ゴールデンルーキー織田勇次郎と話せたことが嬉しかったみたいで、オールセントラルのユニフォームにサインまで貰っていた。
児嶋との件で疎遠になっていたふたりだったが、昨日の家族での食事会で自然と元の関係に戻っていた。
笑いながら、話しかけてくるネネを見て勇次郎は少しホッとした。
ネネはバスに乗り込むと、昨日の祖父との会話を思い出した。ひいおばあちゃんの名前を尋ねると「羽柴ルイ」という名前が返ってきた。
(……同じだ。千野組の組長は確かに「ルイ」と言った。ひいおばあちゃんは一体何者だったのだろう?)
ネネは千野組の名前を出さずに、ひいおばあちゃんの知り合いに会った話をすると祖父は大変驚いていた。
「そうか……おふくろは関西なまりがあったけど、どこの出身とは言わなかったからなあ」
「ひいおばあちゃんはどんな人だったの?」
「そうだなあ……とにかく気が強い女性だった。ワシもよく叱られた」
祖父は遠い目をして苦笑いした。
それから祖父はひいおばあちゃん……「羽柴ルイ」のことを話してくれた。
羽柴家は開拓民で帯広で酪農を営み「羽柴牧場」を経営していたが、そこにふらっと現れたのが、当時19歳のルイだったという。1946年の夏の出来事だった。
ルイは羽柴家の跡取り息子「羽柴藤吉」(とうきち)と仲良くなり結婚。ネネの祖父である「羽柴一朗」が産まれた。
だがその後、ルイに不幸が次々と訪れる。ひとり息子が産まれた直後に夫の藤吉が病死すると、その一年後には牧場を経営していた藤吉の父母が亡くなり、ルイはわずか20歳という若さで、幼い子供と羽柴牧場を抱えることになった。
ルイは幼い一人息子を育てながら、羽柴牧場を切り盛りさせると、その後は成長した一朗が牧場の後を継いだ。そして、現在は長男家族と一緒に牧場を経営している。
一方でネネの父「羽柴澄夫」は次男で、東京の大学に進んだ後、愛知県にある大手自動車メーカーに就職し、職場結婚して今の家庭を築いたのだ。
祖父に石投げのことを聞いたら、確かにひいおばあちゃんに教わったと答えた。牧場の近くに川があり、そこで、ひいおばあちゃんは石を投げていたらしい。
「おふくろは華奢な身体だったが、とにかく肩が強かった。力自慢の男でも届かない川の対岸に悠々と石を投げていた。ワシはおふくろから石投げのコツを教わったんだ」
祖父は石を投げるマネをした。
「名古屋に遊びに行ったとき、お前が川で石投げをしてるのを見てビックリしたよ。おふくろとフォームが似てた。それで、おふくろの投げ方を伝授したんだが、お前はあっという間にコツを掴んじまった」
(そうか……私の石投げのルーツはひいおばあちゃんだったんだ……)
ネネは同時にあることが気になった。それは千野組の組長が言っていた「ピッチングフォーム」という言葉だ。
「ねえ、おじいちゃん。ひいおばあちゃんは野球をやってたの?」
「いや……野球をやっていた様子はなかった。ただ……」
「何?」
「おふくろは古い野球のボールを物凄く大事に持っていた。それとワシが小学生の頃、旭川でプロ野球の試合をやるので連れて行ってもらったことがあるが、なぜかその時、プロ野球の監督がおふくろにペコペコと頭を下げていた」
「え? 何それ?」
「分からん。でもまあ、それくらいだ。おふくろと野球の接点なんて」
そう言うと祖父はビールをぐいっと飲み干した。
「でも……」
ネネは話を続けた。どうしても分からないことがあったからだ。
「何で、ひいおばあちゃんはわざわざ大阪から北海道まで来たの?」
ネネの質問に祖父の動きが止まった。
「それも分からん……」
祖父はそう答えた。しかし、本当は何かを知ってるようにも思えた。
ネネは千野組の組長の言葉を思い出した。
『私はね、キミのひいおばあちゃんに命を救われたんだ……』
皆の話を総括すると、ひいおばあちゃんは、昔、大阪にいたということは間違いなかった。そして、そこで幼い頃の千野組の組長の命を救った。その後、何らかの事情で北海道に渡ると羽柴家に嫁ぎ、羽柴牧場を繁栄させ、今から15年前に亡くなった、享年82歳。
昨日、祖父は言った。自身の母、ルイとネネはそっくりだ、と。千野組の組長も同じことを言っていた。
ネネは自分の曽祖母「羽柴ルイ」にかつてないシンパシーを感じた。
(ひいおばあちゃん……羽柴ルイさん。貴女は一体何者なの……?)
ネネがそんなことを考えながらバスを降りて、ドーム内に進むと通路に由紀がいた。片手に胃腸ドリンクを持っている。
「ね、ネネ〜、おはよ……うう、まだ気持ち悪いよ……」
昨日、大分飲まされたみたいで顔色が悪い。
「由紀さん、大丈夫?」
「うん……あ、そうそう……鬼塚監督がネネに話があるみたいだよ」
「監督が……何だろ?」
ネネは監督室に向かった。
午後12時、試合開始二時間前になり、観客がドームに入場してくる。オーロラビジョンには今日の先発の名前が表示されている。
「オールパシフィック 天海蓮 埼玉バンディッツ 背番号18」
「オールセントラル 佐々岡隆輔 横浜メッツ 背番号22」
「あれ……?」
スタンドの観客たちがザワザワし出した。なぜなら、オールセントラルの先発はキングダムの沢村のはずなのに、クローザーの佐々岡の名前が先発にあったからだ。
「ほう、これがドーム球場か。初めて来たが真夏なのに涼しくて選手たちもプレーしやすいな」
その頃、スタンドではネネの祖父がビールを片手に初めて訪れるドームに感心していた。
「お、お父さん……よくまた飲めますね……昨日あれだけ飲んだのに……」
対照的にネネの父は二日酔いのようで気分が悪そうだ。
「情けないのう、お前は。そんなんじゃあ、せっかくのネネの晴れ姿を見逃すぞ」
「あ……それなんですけど、さっきネネから連絡が来て……」
「え! ええ──! 今日投げないかもしれない──!?」
ドーム通路で由紀が驚きの声をあげた。
「う、うん……」
ネネは元気なくうつむく。
先程、鬼塚監督に呼ばれたのは、投げる順番が変更になったためだった。
今回、オールセントラルは先攻。本来ならネネが八回を投げて、オールセントラルが勝っていたら、九回裏を横浜メッツの守護神佐々岡が投げるが、負けていたら九回裏の守りはないため佐々岡は投げない、という決まりで佐々岡も了承していたが、条件が変わった。佐々岡が先発を志願したのだ。
実は佐々岡は北海道の出身で、病で療養中の母親がいた。その母親のため一度でいいからオールスターの先発マウンドで投げる姿を見せたい、との申し出があったのだ。
そして、佐々岡が先発することで各投手の登板回がスライドし、ネネは八回から九回に登板が変更したのであった。
つまり、オールセントラルが勝つか引き分けでないと、九回裏に投げることはできない……オールスターの登板がなくなってしまうのだ。
ネネも困惑したが、あの鬼塚監督に頭を下げられ、また理由が理由なので受け入れるしかなかった。
「な、何なの、それ──!? 少しだけでも投げるとかできないの!?」
「うん……オールスターのピッチャーは必ず1イニングは投げないといけないルールだから、イニング途中での登板はできないの……」
「それでも、そんな大事なことを試合当日に言わなくてもいいじゃない!」
由紀の二日酔いはどこかに飛んでいったみたいで、かなり怒っている。
「でも、佐々岡さんのお母さんは体調が悪く、少ししか病院を抜け出せないみたいだから……」
ネネは努めて明るく笑い
(おじいちゃんがせっかく来てるから、私の投げるところを見せたかったけど、こればかりは仕方ないよね……)
と自分に言い聞かせるようにした。
一方で観客席ではネネの祖父が説明を聞き「そうか……そんなことになっとるのか……」と呟いた。
「はい……流石のネネも、ちょっと落ち込んでました」
「でも、まあオールセントラルが勝ってれば、九回裏にネネは投げるんだろ?」
「そ、そうですが……」
「それなら大丈夫だろう」
「はあ?」
「おふくろは、ここ一番では負けたことがない強い勝負運の持ち主だった。何度『羽柴牧場』の危機を救ってきたか分からん」
「そ、そうなんですか……?」
「ああ、ネネはおふくろに瓜二つだ。そんなネネだから、おふくろの勝負運も受け継いでいるだろう。だから大丈夫だ」
そう言うと、ネネの祖父は豪快に笑った。