第131話「オールスター前夜祭」
ブレイブドームで軽く練習した選手たちは練習が終わると、ユニフォーム姿のまま球場の外に移動した。午後はこれからファンたちとの交流会……握手会が始まるのだ。
選手たちは設置されたブースに立つと、来場するファンたちと握手をしたり、会話をしたりする。普段、遠くからしか見ることができない選手たちと触れ合える握手会は、ファンにとっては最高の時間だ。
老若男女……それぞれがお気に入りの選手の元に行くのだが、面白いのはファン層が分かれること。
「お前、いいなあ、若い女の子がいっぱい来て、俺なんか男ばっかりだぞ」
「そ、そうですか……」
西田がうらやましそうに、隣にいる勇次郎に話しかけた。勇次郎の列に並ぶのは比較的、若い女性が多かった。
「まあ、お前は見栄えがいいからなあ」
西田は苦笑する。西田の列にはベーブというあだ名が示すように子供がたくさん並んでいた。
「いやあ、羽柴さんのおかげで、今年は女性ファンが多数来場して、いいカンジだよ!」
その頃、握手する選手たちを横目に、ブレイブハーツの広報部長が満面の笑みで由紀に話しかけていた。
「はは……ありがとうございます」
一日遅れて、広報として北海道に着いた由紀は恐縮した表情を浮かべながら、ネネのブースを見つめた。
ネネのブースには大行列ができていた。あまりの人気に急遽、整理券を配ったくらいだ。
なんといっても、女性初のプロ野球選手なのだ。今まで野球に興味がなかった若い人たちをはじめ、ネネのオールドピッチングに惹かれたコアな野球ファンたちも並んでいる。
そして、中でも目立ったのは小さい女の子の姿だった。親と一緒だったり、ひとりだったり、皆、ネネと握手するのを楽しみにしていた。
「ネネちゃん、頑張ってね!」
「ネネちゃん、可愛い──!」
小さな女の子がネネを見て喜びの声をあげる。ネネは女の子たちと握手するたびに嬉しそうに微笑んだ。
(こんなに喜んでくれるなんて嬉しいなあ。これを機に、この子たちが、もっと野球を好きになってくれるといいなあ……)
握手会も終わりに近づき、ネネがふと辺りを見渡すと、児嶋のブースが目に入った。
(しかし、さっきはビックリしたなあ……)
ネネは先程のブルペンでの出来事を思い出した。
ブルペンでふたり腰掛けていると、不意に児嶋に右手を握られた。
男性に手を握られるなんて今まで経験がない。児嶋は笑みを浮かべながら自分を見ている。ネネは激しく動揺して、胸の鼓動が早くなった。すると……。
「羽柴さん、今日のピッチングのお礼に変化球を教えてあげるよ」
その言葉にネネはずっこけた。
(な、何だ……ああ、恥ずかしい……)
「この変化球はね。指先の感覚が優れていないと投げれないんだ。羽柴さんにはピッタリの球だと思うよ」
「え! そうなんですか!?」
ネネの右手を取った児嶋は優しくボールを握らせた。これがブルペンでの出来事だった。
(優しいなあ、児嶋さんは。敵の私に変化球を教えてくれるなんて、ホント優しい。誰かさんとは大違い)
ネネはその誰かさん……勇次郎のブースを見た。勇次郎は若く綺麗な女性と握手をしており、心なしか笑ってるようにも見えた。
(フン……綺麗な女性相手だから、鼻の下を伸ばしちゃって……)
ネネは急に不機嫌になったが「ネネちゃん、どうしたの?」という小さな女の子の声でハッと我に返った。
「あ……ご、ゴメンね──!」
慌てて女の子と握手をした。
握手会が終わると、宿泊ホテルに用意された大広間で簡単なパーティーが行なわれた。また、ここで選手たちは家族たちと会えたりする。
ネネが由紀と雑談していると、ひとりの中年の女性が話しかけてきた。
「あの……羽柴……寧々さんですか?」
「は……はい」
(誰だろう?)
その中年女性は頭を下げて「いつも息子がお世話になってます。織田勇次郎の母です」と挨拶してきた。
(え……!? ええ! 勇次郎のお母さん?)
ネネがビックリしていると、勇次郎の母は「キングダムドームでは、羽柴さんのお母さんをはじめ、ご家族の方に本当にお世話になりました。ありがとうございます」と、お礼を言ってきた。
「はい、羽柴選手、弟がいつもご迷惑をかけて、申し訳ございません」
すると、今度は隣にいた眼鏡で色白の痩せた青年が一緒に頭を下げてきた。
「勇次郎の兄の宗一郎です」
(え……え──!? 勇次郎のお兄さん!?)
ネネは、これまたビックリして、慌てて頭を下げた。
「羽柴さん……良かったら、コレ……」
勇次郎母がバックから包み紙を出した。それは地元名古屋では有名なお店の天むすだった。
「空港で買ってきました……ご迷惑じゃなければどうぞ……」
「え? いいんですか!? 天むすは大好物です! ありがとうございます!」
ネネは満面の笑みで天むすを受け取った。
天むすを大事に抱えるネネを見た勇次郎母は「ホント、明るくて感じがいい女性だわ」と笑みを浮かべた。
「うん、テレビで見るより可愛いよね」
兄もニコニコしている。勇次郎の家族に褒められたネネは照れ笑いをした。
「あ……おふくろに兄貴……!」
すると、家族に気付いた勇次郎が近づいてきた。
オールスターゲーム出場選手には、家族や知人用に二枚チケットがプレゼントされるため、勇次郎は母と兄にチケットを渡していたのだ。
「勇次郎……アンタもこれ好きでしょ?」
母が天むすを差し出すと、勇次郎は「あ、ああ……」と言って、特にリアクションもなく天むすを受け取った。
「全く、アンタはいつもムスッとした顔して……少しは愛想よくしなさい。そんなんじゃあ、羽柴さんに愛想つかされちゃうわよ」
「べ……別に、こんなヤツに愛想つかされても、全然構わね─し」
勇次郎は母の前でも関係なく、憎まれ口を叩く。
「勇次郎! 何て失礼なこと言うの!」
そんな勇次郎を母がピシャリと叱り、ネネの方を見て頭を下げた。
「羽柴さん、失礼な息子でゴメンなさい……この子、野球ばかりで女性に免疫がないから照れてるのよ」
「うん、小学生が好きな女の子に意地悪するのと同じ感覚だから、気にしないでね」
兄も笑いながら口撃した。
「な、何言ってんだよ!? ふたりとも!」
勇次郎は焦って挙動不審になった。
(へえ……勇次郎にも苦手な人がいたんだ……)
ネネはおかしくなり、クスッと笑うと「全然、大丈夫ですよ。ありがとうございます」とにこやかに頭を下げた。その時だ。
「お─い、ネネ!」
不意に名前を呼ばれて振り向くと、そこにはスーツを着た白髪でがっしりした体型の老人がいた。
「お、おじいちゃん!?」
「久しぶりだなあ、ネネ」
ネネに「おじいちゃん」と言われた老人は笑いながら近づいてきた。
「お、お父さん! ちょっと待ってくださいよ!」
後ろからネネの父が追いかけてきた。
「お父さん、おじいちゃんと一緒に来たの?」
「……ああ、今回のオールスターは北海道が舞台だから、ちょうど良くてな」
ネネはチケットを父に渡したのだが、父の父……つまり、ネネの祖父と一緒に来ていた。祖父は北海道の帯広で牧場をやっており、今回は試合場所が北海道なので、観戦するには都合がよかったのだ。
「お久しぶりです、羽柴さん。キングダムドームでは、奥様には本当にお世話になりました」
勇次郎母がネネの父を見て頭を下げた。
「いえいえ……その節はこちらこそ失礼を……あ、ああ! 織田……勇次郎選手!」
ネネの父は頭を下げた後、勇次郎がいるのに気付くと、手をゴシゴシ拭って握手を求めた。
「いつも応援してます! ルーキーながら、全試合四番に座りホントすごいです! あと、娘がいつもお世話になってます!」
「あ……ありがとうございます」
勇次郎はネネの父ということで、少し緊張しながらも握手に応じた。
「勇次郎、さっきから言ってるでしょ! もっと愛想よくしなさい、って! ゴメンなさい羽柴さん……本当に無愛想な息子で……」
勇次郎の母がまたまた謝る。
「いえいえ! それにしてもすごい手のひらですね! 織田選手は今時、珍しいグローブをしないバッターだから、握手できて嬉しいですよ! いやあ、感動したなあ!」
(へえ……よく見てるな……)
と勇次郎が感心してると「お父さんは野球が大好きなんだよ」とネネが笑いながら話しかけてきた。
「ネネと違って上手くはないけどな」
すかさず祖父が突っ込むと、父は照れ笑いして、皆がドッと笑った。
「それにしても、ネネ、大きくなったな。いくつになるんだ?」
祖父がネネに尋ねる。
「18だよ、来年の一月に19になるけど」
ネネがそう答えると「そうかそうか。ワシの死んだおふくろ……お前のひいおばあちゃんにそっくりになってきたな」と祖父はワハハと笑った。
(ひいおばあちゃん……?)
ネネはふと沖縄での暴力団「千野組」の組長が言った言葉を思い出した。
『間違いない……キミはその女性にそっくりなんだよ……顔も、その性格も、そしてピッチングフォームも……』