第13話「君の名前は」
記者会見が終わると、入団祝いということで伊藤スカウトに連れられ、ネネと勇次郎は高そうな焼肉屋にやって来た。
玄関には滝が流れて、しっかりした身なりの店員が出迎えてくれる。ネネは、こんな高級な焼肉屋に来たことがないので緊張した。
個室に案内されると、そこには五十代らしき、身なりがしっかりした男性がいて、ふたりに挨拶をしてきた。
「織田くん、羽柴さん、今日は記者会見、ご苦労様」
「広報部の浅井部長だよ」
伊藤スカウトが紹介してくれる。
ネネと勇次郎は頭を下げると席に着き、ウーロン茶で乾杯をした。
「ささ、今日は君たちの入団祝いだから、好きなものを食べてね」
浅井部長がそう言って、ネネと勇次郎にメニュー表を手渡してきた。
(どれどれ……)
だが、ネネはメニュー表を開くと、ひっくり返りそうになった。
(な、何よ、この値段!? どれもめちゃくちゃ高いじゃない!)
普段は食べ放題の店にしか行かないネネはその値段に驚愕したが、対照的にこういう場に慣れているのか、勇次郎は涼しい顔で注文を始めた。
「上タン、カルビ、ハラミ、ロース……」
「はは、織田くんはバッティングと一緒で思い切りがいいねえ、ささ、羽柴さんも遠慮しないで頼んで。ここは球団が持つから」
浅井部長がニコニコして注文を促してくる。
(ど、どうしよう……私だってせっかくの焼肉だから、好きなものを思う存分食べたいけど、値段が値段だし、それと高いものばかり注文する卑しい女と思われるのはイヤ……)
と、悩んでいたネネだったが、急にピンと閃いた。
「あ、あの~……私も織田さんと同じものをお願いします」
(織田勇次郎と同じものを頼むなら悩まなくてもいいし、カドも立たない……名付けて『あの人と同じものをください』作戦よ!)
しかし、その場いる全員と店員があ然とした顔をした。
(え……何、何? 私、何か変なこと言った……?)
「お前なあ……俺と同じもの注文するのはいいけど、内容をよく聞いてからにしろよ」
勇次郎が呆れたように口を開き、店員が注文を繰り返した。
「は、はい、こちらのお客様の注文は上タン、上カルビ、上ハラミ、上ロースをそれぞれ三人前、それと白ごはんの超特盛、特製サラダの大盛、キムチの盛り合わせ大盛の注文になっています」
「羽柴さん、織田くんに合わせなくても、食べれる量で好きなものを頼めばいいよ」と、浅井部長が優しくフォローしてくれる。しかし逆にネネはホッとしていた。
(何だ……おかしなことを言ったと思っていたけど、みんな私がその量を食べきれるか、心配していたのか……)
「あ、全然、問題ありません。同じ注文内容で大丈夫です」
ネネはにっこり微笑み、皆は、はあ? という顔をした。
数分後、注文した肉や料理がドカドカとテーブルに並んだ。
肉は計十人前以上、白いごはんはラーメン丼のような器に山のように盛られ、サラダも大盛のため山のような盛り付けになっている。
浅井部長と伊藤スカウトは、その大量の料理を見て顔が引きつり、ネネも運ばれてきた料理を見てうつむいていた。
(だから言ったんだ。こんな量を食うなんて、女には絶対に無理だ……)
勇次郎はため息をついて、肉を焼こうとトングを手にした、ところが……。
「わ、わあ~、美味しそう~♪」
とネネは顔を上げて、喜びだした。目はキラキラと輝いている。
(は、はあ?)
勇次郎は思わずトングを落としそうになった。
そこからは圧巻だった。ネネはまず特製の野菜サラダを一気に食べると肉を焼きだした。そして、焼けた肉を山盛りご飯にバウンドさせると、キムチをつまみながらガンガンと食べまくる。そのあまりの食べっぷりに、一同言葉を失った。
「美味しい~♪ 肉、超柔らかい~ 超幸せ~」
見る見るうちにネネの前から肉が消えていった。
「お、お前、いつもそんなに食べるのか?」
あまりの豪快な食べっぷりに、勇次郎はネネに問いかけた。
「そ、そう? 普通だと思うけど……」
ネネはぽかんとした顔で言葉を返す。
「す、すごいね、羽柴さん。さっきも言ったけど、今日は君たちの入団祝いで球団がごちそうするから足りなかったら、どんどん食べていいよ」
浅井部長がニコニコしながら話すと、ネネは「え? いいんですか? やった──!」と、先程の遠慮はどこかに吹き飛んだようで、メニューを食い入るように開くと、更に肉を追加し、チヂミ、石焼ビビンバ、クッパ、ユッケジャンスープ……とサイドメニューを頼みまくった。
(う、嘘だろ……何なんだコイツは……?)
勇次郎はとなりで食べまくるネネの底知れぬ食欲に驚愕した。
(ウチの野球部では身体を作るために、とにかくよく食わされたが、コイツの食べる量は野球部の男子と比べても全然見劣りしない。いや、それ以上だ……食べる量が多いということは、内臓が強い証拠で厳しい練習にも耐えれる体力があるということ……しかし、どこに入っていくんだよ、この小さな身体で……?)
勇次郎はまるで珍獣を見るかのような目付きでネネを見つめたが、ネネは勇次郎の視線には気付かずに幸せそうに肉を頬張っていた。
やがてネネが追加分の肉やご飯ものをすべて平らげる頃、浅井部長がデザートを勧めてきた。
「さ、さあ、僕らはそろそろデザートを頼むけど、キミらはまだ食べるかな?」
すると、ネネは何か言いたそうにモジモジした。
「どうしたの? 羽柴さん。まだ食べ足りなかったら、追加注文してもいいんだよ?」と、浅井部長が聞くと、ネネは「は、はい……あの……羽柴家では焼肉の締めに冷麺を食べるのが決まりで……」と照れながら話した。
「ゴ、ゴホゴホ!」
すると、お茶を飲んでいた勇次郎が急にせき込み、テーブルに突っ伏して身体を震わせた。
「だ、大丈夫? どうしたんだ? 織田くん!」
浅井部長が心配して声をかけた時だった。
「ア……アハハハハ!」
勇次郎が大声で笑いだした。
「な、何が羽柴家の決まりだよ? 締めに冷麺が食べたいなら食べたい、って言えばいいじゃないか? あれだけ食っておいて、何が羽柴家の決まりだよ、今更、何を遠慮してんだよ!」
ネネの顔が真っ赤になった。
「わ……笑いすぎ! 今日は『ちょっと』食べすぎたから、気を使ってんのよ!」
「ちょ、ちょっとだって? 焼肉を二十人前近く食べておいて、何がちょっとだよ! アハハ……」
勇次郎は涙を流して笑っていた。ネネの発言が相当ツボにはまった様子で、普段クールな勇次郎が大笑いするのを伊藤スカウトと浅井部長はあ然とした顔で見ていた。
「ハアハア……」
ようやく笑いが収まると、勇次郎は店員を呼んだ。
「すいません、冷麺を二人前お願いします」
「え?」
「俺も冷麺が食べたくなっちまった。ふたりで食べるなら恥ずかしくないだろ?」
勇次郎はネネに向かって笑いかけた。
そして、ふたりが冷麺を食べ終わる頃、店員が勇次郎にお土産をふたつ持ってきた。
「何、それ?」
ネネは追加注文したデザートの杏仁豆腐を食べながら、勇次郎に問いかけた。
「あ? ああ……持ち帰りの焼肉弁当だよ」
「え? 何それ、あれだけ食べたのにまだ家で食べるの─?」
先程のお返しとばかり、ネネはニヤニヤしながら、勇次郎をからかった。
「お母さんとお兄さんへのお土産かな?」
伊藤スカウトが口を挟むと、勇次郎は黙ってうなずいた。
「え……自分で食べるんじゃないの?」
ネネが真顔になると、勇次郎は「ウチは母親と兄貴と俺の三人家族なんだよ。ふたりとも遅くまで働いている。俺だけ旨いもん食って帰るなんて申し訳ないからな」と、弁当を見つめながら話した。
「そ、そうだったの……ゴメン、そんなことも知らずに、からかったりしちゃって……」
ネネは本当にすまない、と言った顔で謝った。
「別に……気にしてないから、大丈夫だ。それに知らなかったことだから、仕方ないだろう」
勇次郎はいつもの無愛想な表情に戻っていた。
こうして、ふたりの入団祝いの食事会は終わった。
焼肉屋を出た後は新大阪駅に向かい、そこで浅井部長と伊藤スカウトと別れると、ネネと勇次郎は名古屋行きの新幹線に乗った。
三人掛けのシートに真ん中を空けて、窓際に勇次郎、通路側にネネが座った。
(しかし、今日は入団会見から焼肉と色々あったなあ……)
ネネは長い一日を振り返った。
勇次郎はずっと窓の外を見ている。日も落ちて外は真っ暗だ。真ん中の席には勇次郎が家族のために注文した弁当がふたつ置かれている。
ネネはその弁当を見て物思いに耽った。
(自分は今日、プロになった喜びでいっぱいで、自分のことしか考えてなかった。それに比べ、この人は家族のことも考えていた。それから冷麺のこともそう。あれは私をさりげなく気遣ってくれたのかもしれない。入団会見での落ち着いた対応といい、本当にすごい人だなあ……敵わないや……)
自分のことしか考えてなかったネネには、勇次郎がずっとずっと大人に思えた。
「ね、ねえ」
ネネは窓の外を見ている勇次郎に声をかけた。勇次郎は、相変わらず不機嫌そうな顔でネネの方を見た。
「あ、あのさ……私、アンタのこと、同い年なんだけど、くん付けしていいのか、さん付けしていいのか、分からないのよね。何て呼んだらいいかな?」
「何でもいいし、好きに呼べば」
勇次郎は愛想なく答えた。
「そ、そう……」
ネネは少し寂しげな顔をした。すると……。
「……勇次郎」
勇次郎はボソリとつぶやいた。
「え……?」
「『勇次郎』、チームメイトや家族からはそう呼ばれてる」
ネネの顔がパアッと明るくなった。
「分かった! 勇次郎ね! これからはそう呼ぶ! あ、私のことも、ネネって呼んでいいからね!」
「お前が支配下登録選手になったら、そう呼んでやるよ」
そう言うと、勇次郎はネネに再び背を向けた。
「え──? 何それ──?」
ネネは拗ねたような声を出した。
勇次郎は真っ暗な窓ガラスに映る自分の顔を見ていた。気のせいか口元が緩んでいる気がした。
(こんなに笑ったのは、いつ以来だろう……?)
そして目を閉じると、新幹線の揺れに身を任せた。猛スピードで走る新幹線のように、自分の運命が走り出したかのような気がしていた。