第126話「私を野球に連れてって」後編
午後二時、レジスタンス対Tレックスのデーゲームがプレイボール。
先行はビジターのレジスタンス。Tレックスの先発は背番号18の館山、二年前に埼玉バンディッツからFA移籍したベテランピッチャーだ。
だが、初回に館山は制球が乱れ、先頭バッターを四球で歩かせると、そこから連打を浴び、いきなり三点を奪われた。
「うわ〜いきなり三点のビハインドかあ、厳しいなあ……」
スタンドでは長田がビールを飲みながら苦笑している。
「大丈夫ですよ。試合はまだ始まったばかり。ネネには悪いですけど、逆転しちゃいましょう」
あまりお酒は強くはないが、サービス券で購入したビールを飲みながら、菜々が笑顔で長田を慰めた。
そして三点のリードをもらい、一回裏、ネネがマウンドに上がった。
菜々はネネが開幕戦にキングダムドームで投げる姿を見ているが、あの時に比べると雰囲気が違った。プロ野球の世界に馴染んでいるように見えた。
Tレックスの選手への大声援が飛ぶ中、先程の中年たちからネネにまた不快な野次が飛んだ。
菜々はムッとしたが無視することにした。そして「ネネ頑張って……」と心の中で声援を送った。
敵地での野次が飛び交う中の登板だったが、ネネは初回の攻撃を三者凡退に打ち取り、無難な立ち上がりを見せた。そんなネネに菜々は心の中で拍手をした。
「凄いな、妹さん……」
間近でネネのピッチングを見て長田がボソリと呟いた。
「ホップするストレートが武器だって言ってたけど、ネット裏から見てると、ホント、浮き上がって見えるよ。本当に凄い」
長田がネネを絶賛した。逆に先程の中年たちはネネのピッチングの前に黙り込んでいて、菜々は胸がスッとした。
一回裏の守りを終えて三塁側ベンチに戻るネネだったが、その途中で足を止めると、バックネット裏に向けて帽子を上げた。菜々はそれを見て「あっ……!」と声に出した。
「あの帽子を上げる仕草は何なの?」
長田が尋ねる。
「あれは……子供の頃からのふたりのサインなんです……」
「サイン?」
「はい。ネネは目がいいから、試合を見に来ている私の姿を見つけたら、ああして『見つけたよ』って帽子を上げて教えてくれるんです。まだ覚えててくれたんだ……」
菜々は目頭が熱くなった。
「立ち上がりから球が走ってる。いいぞネネ」
レジスタンスベンチで北条がネネに声を掛けた。
「はい! お姉ちゃんも見つけました。私、お姉ちゃんが見に来た試合で負けたことないんです。今日も勝ちますよ!」
「はは……頼もしいな」
「ただ……」
「ん? ただ、何だ?」
「いえ、何でもないです……」
そう言うとネネはベンチに腰を下ろした。
(ただ……Tレックスドームは観客の野次がひどい。特にお姉ちゃんが座っているのはバックネット裏、あそこは熱狂的なファンが多くて、汚い野次が飛ぶから心配だなあ……)
ネネは不安そうにグラウンドを見つめた。
その頃、菜々と長田はネネの昔話をしていた。
「そうなんだ。妹さんは子供の頃から野球が好きだったんだね」
「はい、私は妹ができたから嬉しくて、一緒にお人形遊びとかしたかったんですけど、ネネは近所の男の子に混ざって野球ばかりしてました」
菜々は昔を思い出して笑った。
「でも、ネネの球を打てる男の子はいなかったなあ……」
「子供の頃から凄かったんだね」
「ええ……私は運動が得意じゃないから、ネネがうらやましかったです」
その後、回は進み、四回を終えてレジスタンスは追加点を加え、5対0と大量リード。ネネの調子は良く、ここまでノーヒットピッチングだ。
しかし、五回の裏、ノーアウトランナーなしから、四番マルチネスに甘く入ったストレートをスタンドに運ばれて一点を返される。
Tレックスが一点返し、5対1になると沈黙から一転、Tレックスファンの声援も大きくなり、中年組の野次も復活した。
「ザマーミロ、バカ女! こっからどんどん崩れろ!」
「オンナのくせに偉そうにマウンドに立ってるんじゃねえよ!」
「とっとと消えろ!」
飛び交う野次を聞いた菜々は怒りを鎮めるため、二杯目のビールを頼んだ。
また中年組だけではない。バックネット裏からはネネに辛辣な野次が飛ぶ。
観客の野次はネネにも届いているだろう。菜々はネネを心配したが、そんな野次にもネネは動じない。後続をきっちり打ち取り、勝ち投手の権利である五回を投げ切った。
「すごいな、妹さん。一発は打たれたけど、その後は完璧なピッチングだよ!」
長田がネネのピッチングを絶賛しているが、その反面、Tレックスファンのストレスは溜まり、中年組の野次が飛び交い、菜々はムッとしながら三杯目のビールに手を出した。
そして、六回の攻防が終わると、七回表のレジスタンスの攻撃でネネが打席に入った。
ネネのバットを構えた姿を見て、中年組の野次がヒートアップした。
「ピッチャー当てろ! そんな生意気なオンナ、やっちまえ!」
「頭だ! 頭にいけ!」
「当てろ! 当てろ!」
(……ひどい)
菜々の怒りはますます増幅し、四杯目のビールに口をつけた。
そして、次の瞬間、ドームがざわめいた。何とピッチャーの第一球が本当にネネに当たったのだった。
デッドボール。バックネット裏から見ていた菜々には、ボールがネネの頭に当たったかのように見えて血の気が引いた。
(ね……ネネ!)
ネネはその場に倒れ込んで動かない。
騒然とする場内、レジスタンスベンチから医療班が飛び出し、オーロラビジョンにはデッドボールの瞬間が映し出された。
館山の投げたボールはストレート。上手く指に掛からなかったのか、ボールは抜けて、ネネに向かって飛んでくる。
ネネは咄嗟にボールを避けようと身体を捻ったが、ボールはネネの左肩に当たり、その衝撃で倒れ込んでいた。
医療班がネネの元に近づき、状態をチェックしようとすると、ネネはムクっと起き上がった。
すぐに医療班がボールが当たった箇所を確認するが、どうやら大怪我ではないようで、ネネは左手をグルグルと回した。
場内から拍手が起こり、ネネは左肩に冷却スプレーをかけられながら一塁へと進んだ。
ネネが無事なのを確認した菜々はホッとした。
(良かった……顔や頭に当たらなくて……)
だが、ホッとしたのも束の間で、背後から中年組の悪態を付く声が聞こえてきた。
「よくやったぞ、ピッチャー!」
「惜しいな! もうちょっとで顔面直撃だったのに!」
「顔面に当たったほうが良かったのにな。そうすれば、ブサイクな顔を整形できたのに」
笑い声が上がり、その時、菜々の中で何かがキレた。
あまりの酷い言い方に長田も気分を害し、隣の菜々を見た。菜々はビールが入った紙コップを両手で包み、うつむいていた。
「大丈夫か、羽柴?」
菜々に声をかけるが、黙ってうつむいている。その間にも中年組の野次はエスカレートしていく。
「……ちょっとあの野次はひどいな。俺、注意してくるよ」
長田は立ちあがろうとした。しかし、その長田の手を菜々が押さえた。
「は、羽柴……?」
菜々は手に持っていたビールを一気に飲み干した。
「ね、ネネは……」
「え?」
長田は菜々を見た。菜々は酔っているのか目が座っていた。
「ネネは昔から私のヒーローだったんです……おとなしくて気が小さい私なんかと違ってネネは明るくて元気で……意地悪で乱暴な男子も野球ではネネには敵わないからコソコソしてた……ネネは私の自慢の妹なんです。だから……」
「は、羽柴?」
「ネネのことを悪くいう人は許さない!」
バシッ!
菜々は空の紙コップを三人組に投げつけた。そして唖然とする三人組に詰め寄った。
「アンタたち! 黙って聞いてれば何なのよ!? さっきからネネにひどいことばっか言って!」
「何だてめえ! 関係ねえだろうが!」
三人組も応戦するが、菜々は一歩も引かない。
「関係あるわよ! ネネは私の妹なのよ! それを黙って聞いていれば、ひどいことばっかり言って! 謝りなさいよ! ネネに謝りなさいよ──!」
菜々は中年組の胸ぐらをつかみ出す。
「な、何だこの女は──!?」
「や、止めろ! 羽柴!」
騒ぎを聞いて警備員がすっ飛んできて、バックネット裏で大乱闘が始まった。
……その後、試合は5対1とレジスタンスの快勝で終わった。
ネネは大事をとって、七回裏から交代したが、六回を投げて無四球、3安打、1失点の好投で勝ち投手になっていた。
そして、球場の医務室では菜々がスヤスヤと寝息を立てていた。傍には長田。先程の騒ぎの後、アルコールが回って菜々は寝てしまったのだ。
中年組の野次は相当ひどく、周りの人達が弁護してくれたため菜々にお咎めはなかった。
長田は普段大人しい菜々が妹のために怒る姿を見て、意外な一面を見た気がしていた。
トントン。
医務室のドアがノックされたので、長田が「はい」と答えると「失礼しま─す」と言い、ユニフォーム姿のネネが入ってきた。
「え!? は、羽柴選手……!」
突然のネネの訪問に長田は驚いた。
「長田さんですよね? いつも姉がお世話になってます」
ネネはペコリと頭を下げた。
「い、いえ、こちらこそ……あ……今日はナイスピッチングでした。デッドボールは大丈夫でしたか?」
「はい、まだ痛いけど、上手く避けれたから、骨には異常ないし大丈夫です」
ネネは左手を上げてニコニコと笑った。
「警備員さんから聞きました。お姉ちゃん、大分、派手に暴れたみたいですね」
ネネはクスクス笑うとベットで眠る菜々に声をかけた。
「お──い、お姉ちゃーん、ネネだよ──、大丈夫──?」
だが、ネネの問いかけに菜々は少しも反応しなかった。
「大分、飲んだみたいだから、当分目を覚さないと思うよ」
「そうなんですか……今日はお姉ちゃんの誕生日だから、おめでとうって伝えたかったけど、ちょっと無理みたいですね」
「え? 羽柴って、今日誕生日なの?」
「そうなんです。起きたら、おめでとうって言ってあげてください」
ネネはニッコリと笑った。
それからネネは椅子に座り、長田と話しだした。
「お姉ちゃんは私から見て、本当に理想の女性なんですよ。優しくておしとやかでキレイで、料理もすごく上手で家庭的で──」
ネネは愛おしそうに菜々の顔を見つめる。
「私は子供の頃から今もユニフォーム姿ばっかだけど、お姉ちゃんはどんな服を着ても似合ってキレイだった。ピアノの発表会でドレスを着たときはとても良く似合って、本当のお姫様みたいでした」
「へえ、そうなんだ……」
「私もお姉ちゃんみたいにキレイになりたかったなあ……私にとって自慢のお姉ちゃんなんです」
菜々はネネの明るさに憧れていて、ネネは菜々のおしとやかさに憧れていた。
ネネの話を聞いた長田は本当に良い関係の姉妹だな、とつくづく思った。
「小学生の頃にも同じことがあったんです」
「え? そうなの?」
「はい。リトルリーグの試合中に、スタンドから私に野次が飛んだんです。『ブス』とか『男オンナ』とか……そうしたら、お姉ちゃんが持ってた日傘で、その男の子たちをバンバン叩いて……」
その時のことを思い出し、ネネはクスクスと笑った。
「『妹のことを悪く言うな──っ!』て。昔も今も変わってないですよね」
長田もつられて笑みを見せた。
「でも嬉しかったなあ、お姉ちゃんが私のために怒ってくれて」
ネネは遠い記憶を思い出すかのように天井を見上げた。
「じゃあ、私、戻ります。長田さん、後はお姉ちゃんのことよろしく頼みます」
「うん、分かったよ」
ネネは寝てる菜々に声をかけた。
「お姉ちゃん、それじゃあ帰るね。お誕生日おめでとう」
そう言い残すと、ネネは出て行った。
ネネが出て行って少し経つと、菜々が目を覚ました。
「ん……ここは……?」
「医務室だよ。ビールを飲みすぎて、今まで眠ってたんだ」
「え……アレ? さっき、ネネの声が聞こえたような……あ! そういえば試合は? ネネは……ネネは大丈夫!?」
「妹さん、大丈夫だよ。試合にも勝ったよ」
「ほ、本当ですか!? 良かったあ〜……」
「なあ、羽柴」
「は、はい?」
「誕生日おめでとう」
「え? 何で私の誕生日を?」
驚く菜々を見て、これから色々と話すことがあるな、と長田はニッコリ笑った。
これにて、第六章「交流戦開幕編」完、となります。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
作品の紹介欄で本作品は電撃大賞に応募して四次選考まで進んだと書きましたが、その際、五人から評価シートをいただきました。
文字規定もあり、応募したのは第一章なのですが「物語が唐突に終わり尻切れトンボ」とか「主人公のキャラが弱い」等、結構辛辣なコメントがありました。
ただそんな中で、ひとりの方がとても高評価をしてくださり「できれば主人公が交流戦までどう戦っていくのかを見たかった」と言ってくださいました。
そのため、今回自己満足かもしれませんが、こうして交流戦まで書けたことを嬉しく思います。
また、ネネのお姉ちゃんが野球を見に行く回は個人的に書いてみたかったエピソードですので、こうして書き上げられたことに満足しています。
さて、第七章はセリーグ対パリーグの「夢のオールスター編」を書こうと思っています。
面白い! と思ってくれたり、続きを読みたい! と思ってくれたら、ブックマークや評価等をしてもらえると励みになりますので、よろしくお願いします。