第113話「理解不能投手」
「はあ? 九回まで投げ切りたい?」
ネネの発言に北条は思わず声を上げた。
「はい。この前、大谷さんが九回を投げ切りました。私も一試合を投げ切るピッチャーになりたいんです。それと……」
ネネは一塁側、バンディッツベンチを見た。
「天海さんより先にマウンドを降りたくないんです」
天海はスタミナもあり、先発した試合はほぼ完投している。近年、九回をひとりで投げ切るピッチャーはまずいない。そんなところも天海が「怪物」と呼ばれる由縁でもあった。
「……でも、女のお前が九回を投げ切るのは、簡単なことじゃないぞ」
すると、そこに杉山投手コーチがやって来て会話に参加した。
「ネネ、本気で言ってるのか?」
「はい」
ネネの信念は揺るがない。杉山コーチをじっと見た。
「分かった……北条、それなら今日のピッチング内容を考えよう」
「あ……ありがとうございます!」
ネネは頭を下げ、北条と杉山コーチは顔を見合わせて苦笑いした。
午後六時、天気は快晴、湿度が高い中、今季の交流戦が始まった。
まずは一回の表、レジスタンスの攻撃。後攻のバンディッツが守りにつき、各選手がアナウンスされる。
「埼玉バンディッツ……先発投手は背番号18を掲げる絶対的エース、天海──蓮──!」
「頼むぞ、天海──!」
ホームの大歓声に迎えられ、天海がゆっくりとマウンドに上がった。
「さてさて、今日のアイツの調子はどうかな?」
レジスタンスベンチでは、今川監督が顎ひげを触りながら呟いた。
「あの……監督は天海さんと対戦したことがあるんですよね。そのときはどうでしたか?」
ネネが尋ねる。
そう……実は五年前のオープン戦、天海がプロ初登板した試合で、当時まだ現役だった今川監督は天海と対戦しているのだ。
「ハハハ、五年前の俺は脂の乗った超ベテラン選手。それに対して相手は高校を出たばかりのルーキーだぜ」
監査の話に皆が息を呑む。
「155キロのストレートに空振り三振だったわ!」
今川監督はおどけながら話し、皆、ずっこけた。
「まあ、その時は気分がノってたみたいだからな。とにかくアイツほど気分にムラがあるピッチャーはいないぜ」
レジスタンスナインはグラウンドを見つめた。先頭バッターはスピードスターの毛利。ここまでで、チーム1の盗塁数を決めている切り込み隊長だ。
一方でマウンドに立つ天海は、気だるそうにバッターを見ると、ゆったりとしたフォームからストレートを投じた。
「ストライク!」
148キロのストレートがど真ん中に決まった。毛利はバットを振らず見送っていたが、ベンチに向かってバットでヘルメットを二回叩いた。
「おお、そうかそうか」
今川監督はうなずいた。
「監督、あれは何の合図ですか?」
ネネが尋ねる。
「今日の天海の調子だ。毛利はパリーグ時代に何度か天海と対戦してるから、今日の調子を確認してもらったんだ」
「で……その結果は……?」
「今日は調子が悪い天海だ」
今川監督はニヤッと笑った。
(……調子が悪い?)
ネネは首をかしげた。先程、天海は勇次郎に叩き潰すと宣戦布告した。
(それなのに調子が悪い?)
毛利への二球目はまたど真ん中へのストレート。しかし、スピードはあっても単調な球なら打てないことはない。毛利はそのストレートをセンター前に弾き返した。いきなりノーアウト一塁だ。
だが、天海は全く動じておらず、涼しい顔をしている。
二番バッターは蜂須賀。バントにヒットエンドラン……今季は何でもできる万能の二番バッターとして覚醒している。一塁ランナーの毛利は当然リードをとるが、その度に天海の牽制が入る。
「ネネ、アイツの牽制技術は見ものだぞ」
北条がネネに話しかけた。
「昨年は怪我のため逃したが、入団してから三年連続して、守備の名手に贈られるゴールデングローブ賞を取っている。投げるだけじゃない、守備も含めて、すべてが高いレベルだ」
ネネは天海のマウンド捌きを見つめた。毛利が走ろうとする度に矢のような牽制が入る。絶対的スピードを誇る毛利が塁に釘付けになっていた。
その状況を見て、今川監督がサインを送った。当初は「盗塁→送りバント」の戦法だったが、盗塁死の可能性が高くなったことから、蜂須賀に「打て」のサインを送った。
しかし、天海は制球が定まらない。二番の蜂須賀にフォアボールを与え、ノーアウト一、二塁で三番の明智を迎えた。
明智はここまで打率三割を超え、ホームランと打点もセリーグベスト10入りしている。
レジスタンスの攻撃がハマる時は、毛利、蜂須賀が塁に出て、明智が続くパターンが多い。
また明智の後も無類の勝負強さを誇る四番勇次郎、長打力がある五番黒田、打撃の職人六番斎藤、と強打者が続く。火が点いたらとまらないレジスタンスの強力打線はセリーグでも屈指の破壊力を誇っていた。
天海はセットポジションからストレートを投じるが初球はボール。制球が定まらない。
二球目はスライダーを選択し、これはようやくストライク。
カウントは1-1になり、天海は再びスライダーを投じる。しかし、スライダーが甘く入った。
カキン!
快音が響く。明智は甘いスライダーを逃さず叩き、打球は右中間を真っ二つ。
バンディッツファンの悲鳴が轟く中、俊足の毛利と蜂須賀が相次いでホームイン。
打った明智は二塁へ。先制のタイムリーツーベースが飛び出して、レジスタンスが幸先良く二点を先制した。
「明智さん、ナイスバッティングです」
明智がセカンド塁上で防具を外していると、ショートを守る青山が話しかけてきた。青山は今年4年目の22歳。バンディッツの先頭バッターを務めている。
「今日はやる気がない天海だな」
「はは、そうですね。でも……」
青山はニコニコしている。
「多分、そろそろギアが入りますよ」
いきなり二点を取られた天海だったが、マウンドで全く焦る素振りをしていなかった。
実は天海は全く試合に集中していなかった。
帽子を取り汗を拭いながら「はあ……今日は暑いぜ……」とぼやいていた。
(……ったく、六月なのに何で今日はこんなに暑いんだよ。それと、この球場なんとかしろよ。ドームと言っているが、実際は屋外の球場と変わりないから夏場は暑くて春は寒い。やってらんねえぜ)
「大阪レジスタンス、四番サード、織田」
天海が心の中で悪態を付いていると、勇次郎が打席に入った。
(おっと、ゴールデンルーキーのお出ましだ。高卒ルーキー……ってことは俺より四歳も年下か……)
天野は勇次郎をチラッと見た。
(さっき『叩き潰す』って言っちまったからなあ。しゃあねえ……そろそろギアを上げるか)
ワンアウトも取れず、二点先制されて、しかもノーアウト二塁。
だが、天海は口元に笑みを浮かべると、素早いクイックからストレートを投じた。
「ストライク!」
糸を引くようなストレートが内角に突き刺さった。スピードガンは150キロをマークしている。
「北条さん……ちょっと思ったんですけど、相手のキャッチャーの人、何気にキャッチング上手くないですか?」
ネネが北条に話しかけた。
「ああ、よく気付いたな。アイツがバンディッツの扇の要、伴だ」
伴雄太、33歳、埼玉バンディッツ一筋のベテランキャッチャー、背番号は27。
「福岡アスレチックスの長瀬と双璧を成す、パリーグを代表するキャッチャー。また個性派揃いのバンディッツをまとめるキャプテンでもある」
北条はそう説明した。
(ったく、やっとヤル気が出てきたか……)
その伴は眉間に皺を寄せながら、天海にボールを返球した。
(一体、何がきっかけでギアが入るのか全く分からん。理解不能だ。コイツは本当に分からん……)
天海は伴からのボールを受け取ると、両手で手に馴染ませながら、不敵な笑みを浮かべた。