第111話「魔球シンカー」
レジスタンスドームで対横浜メトロポリタンズ、通称「横浜メッツ」との試合が始まる。
レジスタンスの先発は、今季一軍に上がったネネと同じ下剋上メンバーのひとり背番号16の大谷だ。
ネネはジャージ姿で由紀と一緒に観客席で試合を観戦していた。
「で? どうなの、大谷くんは?」
由紀がネネに尋ねる。
「う、うん……大丈夫だと思う」
ネネは先程の大谷の投げた変化球の軌道を思い出していた。
(あんな変化球、初めて見たわ。あの球を自在にコントロールできれば、バッターは手も足も出ないはず……)
ネネはマウンドに立つ大谷を見つめた。
初先発の大谷は、初回、緊張からか先頭バッターに四球を与え、送りバントでワンアウト二塁。
ここで三番ショートの外国人選手ペレスを迎える。バットコントロールが巧みなヒットメーカーの助っ人だ。
ペレスは大谷の初球を叩き、ライト前ヒット。ワンアウト、一、三塁となり、四番ライト、アレックスが打席に立った。
横浜はこの三、四番が打線の核だ。特にアレックスは歳は38歳とベテラン選手だが、外国人として2000本安打を記録するなど陽気なムードメーカーとして、横浜メッツを引っ張る人気選手でもある。
大谷はアレックスに対し、カウント1-1からカーブを投じるが、この球をアレックスは強振。打球はセンターへの大飛球、犠牲フライとなり、まずは横浜が先制した。
いきなりの失点で、いつもならここでズルズルと崩れていく大谷だったが今日は違った。
続く五番バッターを冷静にセカンドゴロに仕留め、初回のピンチを1失点のみで切り抜けた。
観客席に座るネネは大谷のピッチングを見て、あることに気付いた。
(どうやら「あの魔球」はまだ投げないみたいね……)
その後、試合はレジスタンスが三点を取り返し、3対1となる。
そして三回表、打順がひと回りし、ツーアウト二塁の場面で、再び三番のペレスを打席に迎えた。
大谷の初球はカーブ。そのカーブをペレスはコンパクトに打ち返すが、三塁線側へのファール。
その後、ボールを二球続け、次のストレートを再び強振。今度はレフト側への大ファールだ。
カウントは2-2になり、観客席のネネはあることを思った。「あの魔球」を使うなら今だ、と。
ネネは先程の大谷の魔球の軌道を思い浮かべた。
サイドスローから投げ込まれたその球のスピードは100キロくらいだった。
だが、その球は右バッターであるネネの目の前で一瞬浮き上がり、その後、内角へ沈んだ。まるでピンポン球のような変化にネネは驚愕した。
大谷は言った。これが独学で取得した「シンカー」だと。
シンカーは打者の手元で沈む変化球だが、一度浮いてから沈む軌道は稀で、まさに「魔球」と呼ぶに相応しい球だった。
また、特筆すべきはその握りだった。
大谷はボールを中指と薬指で挟んでいた。このほうが球の抜けがよく変化がかかる、と言っていたが、その独特の握りが不規則な変化をもたらしていることに間違いはなかった。
マウンドの大谷は北条とサインを交わした。スタンドでネネが感じたように大谷と北条もここがターニングポイントと思ったようで、北条はシンカーのサインを出し、大谷も納得したかのように深く頷いた。
セットポジションに構えた大谷は、サイドスローから遂に「魔球シンカー」を投じた。
ボールはほぼど真ん中に飛んでいくが、右バッターのペレスの目の前で一瞬浮き上がった。
ペレスは驚き、慌ててスイングを開始したが、バットを嘲笑うかのようにボールはスッと沈んだ。
「ストライク! バッターアウト!」
巧打者のペレスのバットは空を切り空振り三振。これで、スリーアウト、チェンジだ。
「な、何でしょう? 今の球は? ボールが浮かび上がり、そして落ちました!」
「今、入った情報によると、あの球は『シンカー』のようです!」
見たことのない変化に、実況席も騒然としている。
(よし! これで、大谷さんはリズムに乗るだろう)
スタンドのネネはそう予想したが、その予想は的中した。シンカーという球種が増えたことで、横浜打線は球種を絞ることが難しくなった。
こうなると、後は北条のリードが冴えた。シンカーを見せ球に大谷は横浜打線に追加点を許さない。気がつけば試合は九回まで進み、スコアは3対1とレジスタンスが2点リードのまま最終回に突入し、最後のマウンドには大谷がそのまま立った。
ここまでの球数は120球。こんな多くの球数と長いイニングを投げたのは、プロ入り後、大谷自身も初めてであり疲れも見える。
本来であれば最終回は抑えの島津に任せるのが順当だが、今川監督と杉山投手コーチには、ある目論見があった。
それは、大谷に完投させて先発ピッチャーとして独り立ちさせたい、という思いだった。
最終回の九回裏、大谷は必死で腕を振るが、流石に球威も衰えており、1点を返されスコアは3対2の1点差となった。
しかも、ツーアウト二、三塁からバッター三番のペレスに対し、四球を与えたことで、ツーアウト満塁となった。
球数は遂に140球を超えた。大谷はベンチを見るが、今川監督と杉山コーチはピクリとも動かない。しかも、ベンチには抑えの島津の姿が見えた。
普通ならブルペンにいるはずの島津がベンチにいるということは『この試合に交代はない。お前が最後まで投げ抜け』という今川監督のメッセージだった。
一打逆転のピンチ。ここで打席に立つのは四番のアレックス。今日は四打数一安打と抑えているが気は抜けない。
慎重にサインを交換した大谷は第一球を投げた。外角低めいっぱいに決まりストライク。
しかし、その後はボールが二球続き、カウントは2-1となる。
ボール先行のバッティングカウント。ここで北条は勝負に出た。シンカーのサインをど真ん中に出したのだ。
(アレックスは恐らく次の球を振ってくる。だが、今日はお前のシンカーにタイミングが合っていない。ここは勝負だ)
シンカーのサインに大谷は肚を括った。
下剋上メンバーとして戦った皆は全員、一軍で結果を出しているのに、自分だけ結果を出せていない。
(必ず結果を出す。そして皆と肩を並べるんだ。そのためにサイドスローに転向したんだ。必ず……必ず抑えてみせる!)
握力もほとんどない状態で大谷は渾身のシンカーを投じた。ボールはスーッと真ん中に入っていく。
(球が浮かない……失投か!?)
北条は息を呑みながらミットを構えた。
アレックスは失投を見逃さずフルスイング。ボールを完全に捉えた……はずだったが、ボールは不規則に揺れながら落ちた。大谷が投じたシンカーは最後にまた独特の変化を見せた。
アレックスのバットはボールの上を叩き、ボテボテのゴロがショートに飛んだ。
ショートを守る明智はそのボールを大事にキャッチし、セカンドの蜂須賀にトス。これでスリーアウトとなり、ゲームセット、辛くも3対2で逃げ切った。
「や……やった!」
スリーアウトを見届けた大谷はガッツポーズ。実に球数は145球。しかし、今季初先発を初完投初勝利という最高の結果で終えた。また、今季レジスタンスで完投した初めてのピッチャーになった。
「よくやったぞ!」
北条がマウンドに来て、大谷と勝利のハグを交わし、ベンチでは今川監督と杉山コーチがガッチリ握手をした。
「杉山さん、荒療治がうまくいったな!」
「ええ、これで大谷は立派なローテの柱になれます」
ふたりは笑顔を見せた。五人目の先発ローテーションピッチャーが確定した瞬間でもあった。
また、観客席のネネも拍手を送った。
(大谷さん、すごい……! 初先発で完投勝利なんて……!)
ネネはキングダム戦以降、一度先発しているが、五回で降板し、勝ち負けがついていない。
グラウンドでは大谷のヒーローインタビューが始まっていた。
「……はい、二軍から一緒に一軍に上がったチームメイトたちが結果を出していたから、今日はどうしても勝利が欲しくて、必死で腕を振りました」
「良かったね、大谷くん、これで下剋上メンバーに肩を並べたね」
隣に座る由紀がそう話すと、ネネは首を振った。
「ううん、大谷さん、完投してるもん。私よりずっとずっと上だよ。私、大谷さんに負けたくない……」
「ネネ……」
「由紀さん、私、決めたよ! 私ね……次は九回まで投げ切るよ!」
「え? えええええ!? 完投するってこと!?」
「うん」
新たな目標を掲げたネネはお立ち台に上がる大谷を見つめた。
これにて、第五章「先発転向編」完、となります。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
第六章はパリーグのチームと対戦する「交流戦開幕編」となります。
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