第110話「第五の男」
抑えに島津、先発にネネを配置した新しい投手陣は早速機能し、レジスタンスはキングダム戦後の神宮ファルコンズ戦、広島エンゼルス戦を勝ち越し、貯金を作ることに成功。順位も、東京キングダム、神宮ファルコンズに次ぐ三位へと浮上した。
そんな中、今川監督と杉山投手コーチは次の問題に着手し始めた。
それは先発投手だ。打線はセリーグ屈指の破壊力を誇っているが、先発の頭数が少なく弱い。
そこで先発ローテーションの見直しを図り、投手陣の戦力を底上げしようという目論見だった。
現在の先発ローテーションは、まずエース格の朝倉と松永、今年ブレイクした前田、そしてネネの四人が確定していて、後は流動的だ。
近代プロ野球の基本先発ローテーションは五人。そのため、ここにもうひとり先発の柱を入れて、先発陣の安定化を図りたいと思っているのだが、問題はその五人目の先発ピッチャーがいないことだった。
「杉山さん、二軍に先発をやれるヤツはいないか?」
今川監督に言われ、杉山は手元のファイルをパラパラとめくった。その途中、ふと手が止まる。
「……ひとり、目をかけてるピッチャーがいます」
「おお、いるじゃないか! 誰だ?」
今川監督は嬉々としてファイルを覗き込んだ。
そこには「大谷晃平」という名前があった。昨年のドラフト1位、一軍対二軍の紅白戦で二軍の先発だった選手だ。だが、大谷は一軍に上がったものの結果が出ず、現在は二軍に落ちている。
「大谷かあ……スピードはいいものを持ってるんだが、コントロールがイマイチなんだよなあ……」
今川監督が渋い顔で腕組みをする。
「はい。ですが、現在フォームを大幅に改造しているところで、制球力の問題はかなり改善されてます」
そう言うと、杉山コーチは手元のタブレットの動画を再生して今川監督に見せた。
「お、おい! こ、コレは……!?」
今川監督は動画を見て、驚きの声を上げた。
そして、五月最終週、レジスタンスドームで対横浜メッツ戦が行われた。このカードを最後に次戦からは交流戦に入る予定だが、その初戦の先発に指名されたのは、何と昨日一軍登録されたばかりの大谷だった。
その横浜メッツ戦の初日、ネネは登板予定ではないが、お忍びで観戦に来ていた。
同じ二軍選手の下剋上メンバーとして一軍と戦った大谷が先発で投げるので、応援しに来たのだ。
「大谷さん!」
控え室でコーヒーを飲んでいる大谷を見つけたネネは手を振って声をかけた。
「ああ、ネネか……」
ネネの姿を見た大谷はぎこちない笑顔を見せた。
「今日、先発ですよね。頑張ってください!」
「ああ……」
ネネがエールを送るが、大谷は歯切れが悪い。かなり緊張している様子だった。
二軍から一軍に上がった下剋上メンバーのピッチャーは四人。その中でネネと前田は先発ローテーションに定着し、荒木は一軍の中継ぎでフル回転の大活躍していたが、大谷だけが二軍でくすぶっていた。
「ネネはすごいよな、一軍でバリバリ活躍して……下剋上メンバーで結果を出してないのは俺だけだからなあ、情けねえよ」
大谷は苦笑いをしながら話す。
「そ、そんなことないですよ! いつも監督や北条さんから怒られてます!」
ネネは手を振り否定するが、大谷はため息を吐いている。
大谷はスピードはあるが、制球力が悪く、四球から崩れるパターンが多いので、そこが課題と指摘されていた。
そこに北条がやって来た。
「おっ、ネネ、来てたのか。それで大谷、今日のサインのことだが……」
すると、大谷が北条を見上げた。
「ほ、北条さん……それとネネ……ちょっと、俺の頼みを聞いてもらえませんか?」
ネネと北条は、何だろう? と顔を見合わせた。
ネネと北条は大谷に頼まれて、ドームのブルペンに来た。
大谷の頼み事というのは他でもない、ネネに球筋をチェックしてほしい、ということだった。
「私なんかより、もっといい人がいると思うんだけど……」
「いや、ネネに見てほしいんだ」
大谷はマウンドに上がり、ネネはキャッチャーを務める北条の後ろに立った。
マウンドの大谷はグラブを胸の前で構え、右手をテイクバックした。そこから、オーバースローで投げ込むのが大谷のピッチングフォームなのだが、今は違う。右腕がサイドから出てくる。
大谷はサイドスローに転向していた。
きっかけは杉山コーチの助言だった。杉山はストライクが入らず悩む大谷の姿を見て、腰の回転がサイドスロー向きだと見抜き、フォーム変更を提案したのだ。
大谷はストレートで押す速球派なので、拒否すると思っていたが、意外にもフォーム変更をすんなり受け入れたことは意外だった。
だが、大谷にフォーム変更を受け入れさせたのは、本当はネネが原因だった。
紅白戦、先発で炎上した大谷は、その後に登板したネネのピッチングを見て度肝を抜かれた。
フォームが綺麗なのは勿論のこと。球はキレがあり、コントロールも良い。まさに速球派のお手本のようなピッチングだった。
大谷はネネのピッチングを見て自信を失った。
その後、一軍に上がったが、ネネのピッチングを見るたび、大谷はますます落ち込むことになった。
ネネと大谷の年齢差は1歳、しかも大谷はドラフト1位だがネネは育成契約。それなのにネネのピッチングは大谷よりはるかにレベルが高く、また結果も出している。
高校時代、豪速球投手で鳴らした大谷のプライドは粉々になった。いくら球が速くても、このままではプロでは通用しない、と。
だから、杉山コーチからフォーム変更を進められたときも拒否せずに受け入れたのだ。それはプロの世界で生き残るために、大谷がプライドを捨てた瞬間だった。
ズバン!
サイドスローから放たれた大谷のストレートがアウトローいっぱいに決まった。
「ナイスボール! 厳しいところにバッチリ決まってるぞ!」
北条が声をかける。
(す、すごい……!)
北条の後ろから見ていたネネは驚いた。サイドスローに転向したことで、大谷のコントロールが劇的に改善されていたからだ。
スピードは若干落ちたが、サイドから球が来る分、球のキレは上がっている。更にコントロールが良くなり、この球がコーナーに決まれば、バッターはまず打てないだろうと思った。杉山コーチの見立て通り、大谷にはサイドスローが合っていたのだ。
「じゃあ、次、カーブいきます」
サイドスローからカーブが投じられた。カーブは大きく曲がりミットに収まる。
「よし、カーブの精度も制球もいいぞ」
北条がボールを返球する。
「ネネ、どうだ?」
大谷が尋ねてきたが、ネネは少し黙り込んだ。
なぜなら、サイドスローにして確かに制球力は上がったが、その分、球種が少なくなった。ストレートとカーブ。この2種類の変化球では、打者を一巡目は抑えることができても二巡目は難しいかもしれない、と思ったからだった。
また、この球種の少なさが杉山コーチが大谷を一軍に上げるのを渋っていた理由だった。
ネネも二種類しか球種がないが、ライジングストレートと懸河のドロップは一級品で大谷とは違う。打者の目が慣れれば、大谷の球は打者のえじきになる可能性が高いと判断していた。
ネネが黙るこむ姿を見て、大谷が声をかけた。
「この二種類の球種だけでは、打者を抑えるのは厳しいよな」
図星だった。ネネが微かにうなずくと、大谷はニッコリと微笑んだ。
「実はまだ一球、変化球があるんだ。ネネ、頼む、打席に立ってくれないか?」
「え? 私がですか?」
「ああ、その変化球が使えるかどうか、打席に立って判断してほしいんだ」
「何でネネなんだ? 他の誰かじゃダメなのか?」
北条が尋ねるが、大谷は首を縦に振った。
「はい……俺がプライドを捨ててサイドスローに転向したのは、実はネネの影響が大きいんです。だからネネに見極めてほしいんです」
大谷は真剣な眼差しでネネを見た。
「いいですよ」
ネネはニッコリ笑うと、ヘルメットを被りバットを持ってバッターボックスに入った。
「さあ、いいですよ、大谷さん」
ネネはバットを構えた。大谷はその圧力に少し戸惑った。少なからずも、ネネはバッターとしてプロの投手と対戦してヒットも打っている。その圧力が滲み出ているのだ。
「ありがとう、ネネ」
大谷はボールを握り直すと、その一球を投じた。