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ライジングキャット★ベースボール  作者: 鈴木涼介
第1章 プロ野球入団編
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第11話「懸河のドロップ」

 キャッチャーの伊藤の動揺がマウンドまで伝わってくる。

 それは未完成で上手く制球できないから、この勝負では投げない予定の変化球を投げる、というサインをネネが出したからだった。

(未完成ということは分かっている。でも、この男にストレートが通用しないなら、この球に賭けるしかないの……)

 ネネは大きく深呼吸をすると、数日前の出来事を思い出した。


「ネネ、ストレート以外に、何か変化球はないのか?」

 ピッチング練習の時、杉山コーチに尋ねられた。他に球種があればピッチングの幅は広がる、というのが理由だった。

「そうですね、独自で練習していた変化球はカーブですかね……」

 ネネは女性ゆえに手は小さく指も短い。必然として投げる変化球は絞られてくる。

「そうか、ちょっと投げてみてくれ」

 杉山コーチに促され、ネネは独自に練習していたカーブを投げた。

 ネネが投じたカーブは少し曲がり、杉山コーチのミットに収まった。それは変化球とはとても言い難い球だった。


「はは、すいません……こんな変化じゃ、実戦では使えませんよね」

 ネネは自虐的な笑みを浮かべたが、杉山コーチはその球の変化に何か違和感を覚えた。

(何だ、この違和感は……? 今まで見てきたカーブとは違う。何かが違う……?)

 杉山はネネの元に駆け寄ると、カーブの握りと投げ方を確認した。

「えっと……私は指が短いから、こうして握っています。あとはストレートと同じです。指で弾く感じでリリースして……」

 杉山の脳裏には、まだ現役だった頃……四十年以上も昔の光景が浮かんできた。


 かつて同じチームの先輩ピッチャーで、カーブを決め球に使う選手がいた。

 その選手は事故で人差し指の先端が少し短く、それ故に独特の握りでカーブを投げていたが、指が短いハンデは、逆にカーブに奇妙な回転を与えていた。

 そのカーブの変化は、自分たちが投げるカーブと質が違った。ブレーキがかかったかのように急に減速し、鋭く曲がって落ちるのだ。

 今でこそ様々な変化球があるが、プロ野球黎明期には変化球と言えばカーブだった。

 先輩投手は、この鋭く落ちるカーブを先輩のピッチャーに教わったという。そして、その先輩ピッチャーも更に先輩から教わった……。

 系譜を辿ると、この変化球を操った投手はレジェンド級の選手ばかりが浮かんでくる。


『ドロップ』

 カーブではなくドロップ。そう先輩ピッチャーは教えてくれた。

 カウントを稼いだり、打者の打ち気を逸らすのではなく、三振を獲るためのウイニングショットだと。

 杉山はチームメイトとともにドロップの投げ方を教わったが、誰ひとりとして、先輩ピッチャーと同じ変化のドロップを投げることはできなかった。

 先輩ピッチャーは笑いながら言った。

「このドロップはオーバースローの速球派、且つ指先の感覚に優れていて、指が短くないと投げれないよ」


 偶然かもしれないが、先程、見せてもらったネネのカーブの握りと投げ方は、その先輩ピッチャーの投げ方に酷似していた。

 ネネはオーバースローで、女性ゆえに指は短く、また指先の感覚は抜群……と『その』ドロップを投げる条件が揃っていた。

(もしかして……こいつなら、あの変化球を投げれるかもしれない……)

 杉山コーチはネネに先輩ピッチャーの変化球を伝授した。


 そして、舞台はネネと勇次郎の勝負へと戻る。


 ネネはボールの握りを変えると、ゆっくり振りかぶった。プレートは一番左端を踏んでいる。

(気付かれてはいけない。あの男は私がストレートしか投げれないと思っている。だからこの一球で仕留めないといけない。この変化球は一度きりの奇襲攻撃だ)

 ストレートと同じように右腕を引き絞ると、杉山コーチの教えを反芻した。

(腕の振りはストレートと全く一緒……違うのはボールを弾くタイミングだけ……)

 何度も練習したが、この変化球がストライクゾーンに決まるのは、10球中3球の確率だった。フルカウントで投げるのは正直厳しい。だがネネは腹を括っていた。

(この球しかない! 自分を信じろ! いけえ!)

 ネネは覚悟を決めると、ラストボールを投じた。


 ネネの指先から放たれたボールは、ホームベースの端から対角線上、右バッターの勇次郎の内角に飛んでいく。

 しかし、勇次郎はネネがさり気なく軸足をプレートの一番端に置くのを見逃さなかった。その動作から、次に来る球が内角であることを読んでいた。


(内角のストレート! 読み通り!) 勇次郎は左足を踏み込んでスイングを開始したが、スイングの途中でボールの軌道の異変に気付いた。

 ボールが真っ直線に自分の肩口に向かってくるのだ。

(うわっ! 抜け球か!? 当たる!)

 ストレート狙いで思い切り踏み込んだ勇次郎だったが、自分に向かってくるボールの軌道を見ると、バッターの本能でボールを避けようと身体をのけ反ろうとした。

 ……だが次の瞬間、ネネの投じたボールのスピードがストレートに比べて遅いことに気付いた。

(何? ストレート……じゃない……?)


 勇次郎の肩口に向かって飛んできたボールはブレーキがかかったかのように急に減速すると、鋭く弧を描いて急降下した。

(な、何!? 変化球だと!)

 ボールはググっと曲がり、ストライクゾーンに落ちてくる。

(まずい! 見逃せばストライクだ!)

 

 バランスを崩された勇次郎は何とかバットに当てようとするが、時すでに遅し。スイングしたバットより早く、ボールはストライクゾーンに落ちた。


「ストラ─イク! バッタ─アウト!」


 グラウンドに杉山コーチの声が響いた。

 ネネの投じた変化球はキャッチャーが構えたど真ん中のミットに見事に収まり、バランスを崩された勇次郎はその場に尻もちをついた。


「や……やったあ! 決まったあ! 勝ったあ──!」

 ネネが喜びのあまり、マウンドで両手を上げてジャンプするのとは対照的に、勇次郎は尻もちをついたまま呆然としていた。


 また、今川監督もネネの変化球に驚きを隠せなかった。

「な、何だ、今の球は? 急激に揺れながら鋭く曲がって落ちたぞ!?」


「遥か昔……まだプロ野球ができる前に、日米野球で澤村投手が大リーガーたちから三振を奪った伝説の変化球……その名も『懸河けんがのドロップ』です」

 審判を務めていた杉山コーチが笑みを浮かべながら説明した。

「け、懸河のドロップ?」

「はい、懸河……すなわち『急激な川の流れのように落ちる』という意味のカーブの元祖です。まあいまや、絶滅危惧種の変化球ですが……」

 説明を聞いた今川監督は目を白黒させた。

(ホップするストレートに伝説の変化球だと? ホントに女かよ、アイツ……)


「監督、監督! やりましたよ!」

 今川監督があ然としている中、ネネが大喜びでマウンドから駆け降りてきた。

「お……おお! 織田勇次郎を三振に取るなんて、お前は大した奴だ!」

 今川監督に褒められたネネはニコニコと笑った。しかし……。


「ちょ……ちょっと、待てよ!」

 織田勇次郎が立ち上がって叫んだ。

「変化球があるなんて、聞いていないぞ!」

 その大声にネネはビクッとして、今川監督の後ろに隠れた。

「どこまで、俺を騙せば気が済むんだ! もう一度だ! もう一打席、勝負させろ!」

 だが、その言葉を聞いた今川監督は真剣な顔をして勇次郎に近寄った。


「おい……テメェ、今、何て言いやがった……」

「え?」

「どこの世界にバッターに球種を教えて投げるバカがいるんだ? それとも何か? お前のルールでは三振しても打ち直しができるのか!?」

「う……」

 今川監督に正論をぶつけられた勇次郎はその場に立ちすくんだ。

「ふざけたことを言うな!」

 今川監督は勇次郎を一喝した。

「一球一球が真剣勝負だ! やり直しなんてできねえ! プロの世界を……野球をなめんじゃねえ!」

 

 今川監督に一喝された勇次郎はガックリとその場に両手両膝をつき崩れ落ちた。

「お前の負けだよ、織田勇次郎」


「うっ、うっ……」

 すると、不意に泣き声が聞こえてきた。ネネが今川監督の後ろから勇次郎を見ると、勇次郎はひざまずいて指で土を掴みながら涙を流していた。


「おい、大丈夫か?」

 今川監督がしゃがみこんで勇次郎を気遣った。

「そんなに勝負に負けたのが悔しいのか? それともキングダムへの入団が絶たれたのがそんなに悲しいのか?」


(そうだった……この勝負は私の入団テストだけじゃない。織田勇次郎のドラフト譲渡権を賭けた勝負でもあったんだ。私、自分の夢と引き換えに、この人の夢を壊しちゃったんだ……)

 ネネは泣いている勇次郎を見て、心が痛むのを感じた。


「ち、違います……」

 勇次郎は泣きながら、声を絞りだした。

「あ、アイツを女だと思って内心バカにしてた……女の球なんて、いつでも打てると思っていた……挙句の果てにはストレートしかないと決めつけていた……俺は……慢心していた……」

 勇次郎は涙を流し続けている。

「アンタの言うとおりだ。勝負にやり直しなんてない……俺はバカだ……今頃、そんなことに気付くなんて……俺はバカだ……俺はそんな自分に腹が立って仕方ない……」

 勇次郎はグラウンドを拳で叩き、泣きながら自分の不甲斐なさを責めていた。


 ネネはそんな勇次郎の姿を見て、心を打たれた。

 今まで野球をやってきて、男子から三振を奪ったことは何度でもある。しかし、皆、女だから本気を出せない、女だから調子が狂う、と言い訳をしてはヘラヘラ笑っていた。織田勇次郎のように、こんなに悔しがる男なんてひとりもいなかった。自分との勝負にこんなに真っすぐに向き合う男なんて、ひとりもいなかった。

 そして……自分を女性ではなく、ひとりの敵として認めてくれたことが、ネネは無性に嬉しかった。


「まあ、そんなに落ち込むな。この羽柴寧々はなあ、タダの女じゃねえ。レジスタンスに入団して、史上初の女子プロ野球選手になるヤツなんだよ」

「え……?」

 勇次郎は涙で濡れた顔を上げた。

「ぷ、プロ野球選手になるだと……?」


 ネネは持っていたタオルを勇次郎に差し出した。勇次郎はタオルを手に取ると、顔に当てて涙を拭いた。

「本当よ。私、レジスタンスに入るの。そして、プロ野球選手としてやっていくの」

 ネネは勇次郎の前にちょこんと座った。

「ね、ねえ、一緒にレジスタンスに入ろう。そして、一緒に頑張ろうよ」

 ネネはにっこり笑いかけた。


 しかし、勇次郎は顔をもう一度タオルで拭くと、スッと立ち上がった。

「……ふざけるな。たかだか二回勝ったくらいで、お前に同情されるほど俺は落ちぶれていない」

 勇次郎の目に、もう涙はなかった。


(な……!)

 勇次郎の言葉にネネはカチンときた。

「な、何なのよ! その言い方わあ!」

 しかし、怒るネネを無視して、勇次郎は今川監督に向き合った。

「……監督、約束は約束です。レジスタンス入団の件は前向きに検討します」

「おお、潔くていいぞ!」

 今川監督は勇次郎の背中をバンバンと叩いた。


 勇次郎はタオルを片手に振り返ると、ネネを見つめた。

「羽柴寧々っていうんだな、お前」

「そ、そうよ!」

 鋭い眼光に、一瞬ドキッとするが、ネネは強く言い返した。

「……次は負けない、必ず打ち崩す」

 そう言うと、勇次郎はさっさと更衣室に戻っていった。


 ……こうして、羽柴寧々と織田勇次郎の勝負は幕を閉じた。

 しばしの沈黙の後、今川監督がパンと手を叩いた。

「さあ、勝負は終わりだ! 皆、ご苦労さん!」

 そして、ネネの周りに伊藤スカウト、水間、真澄が集まってきて、祝福の言葉をかけた。

「おめでとう、ネネ!」

「これから、頑張ってね!」

 皆からの祝福を受けて、ネネは微笑み、頭を下げた。


「伊藤、お疲れさん」

 杉山コーチは伊藤スカウトに労いの言葉をかけた。

「ありがとうございます、杉山さん。でも……自分にできるのはここまでです。後はお願いします」

 伊藤スカウトは、そう言うと杉山コーチに頭を下げた。


 そう……皆、それぞれの居場所と役割がある。一週間だけのチームは今日で解散し、皆、明日から、それぞれの居場所に戻らなければいけないのだ。


 皆に囲まれ、ネネは笑っている。

 ネネにも新しい居場所ができた。それは大阪レジスタンスだ。


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