第108話「レイジングブルの逆襲」
四回裏、キングダムの攻撃はツーアウトランナーなし。
スコアは3対3の同点で、迎えるバッターは元メジャーリーガー、フィッシュバーンだ。
オーロラビジョンには「Raging Bull」(怒れる牡牛)の文字が浮かんだ。「レイジングブル」とはフィッシュバーンのメジャーリーグ時代の通り名である。
打席に入ったフィッシュバーンは開幕戦の対決を思い出していた。ど真ん中の球を打ちセンターフライに倒れた。
(あの打席で調子が狂った。しかも相手は女……何たる屈辱だ……)
開幕戦での凡退がきっかけで、フィッシュバーンは極度の不振に陥り、早々と二軍に降格した。
元メジャーリーガーとしては、腐ってもおかしくない状況だったが、フィッシュバーンは二軍で牙を研いだ。再び一軍に上がり、調子を狂わされたネネにリベンジするためにだ。
そして、日本のピッチャーにも驚異的な対応力を見せて、二軍でホームランを五本放ち、昨日から一軍に昇格していた。
「フィッシュバーン、かなり身体を絞りましたね」
「ええ、表情にも気迫が溢れています。まさに『怒れる雄牛』ですね」
実況席がそう伝える。フィッシュバーンは身体のキレを出すために、メジャー時代のベスト体重まで落としていた。
フィッシュバーンはバットを構え、ネネを睨みつけた。
(羽柴寧々……貴様を打ち崩し、本来の力を取り戻す。第一打席は監督の指示もありバットを振らなかったが、今度は全力でいかせてもらう……!)
フィッシュバーンが睨みつけてくるが、ネネも負けてはいない。負けじと睨み返すと、ランナーがいなくなったことから、大きく振りかぶり第一球を投じた。
ボールは大きな弧を描く。初球は『懸河のドロップ』。
しかし、この変化球をフィッシュバーンは強振。一塁側スタンドへファールとなる。
(コイツ、以前対戦した時より、スイングのキレが増してるな)
北条はフィッシュバーンのスイングを見て、警戒心を高めた。
二球目、外角ギリギリに再び変化球。
しかし、これはドロップではない。曲がりが少なくバッターのタイミングを外す指全体を使って投げる『五本指カーブ』だ。
カーブはコーナーいっぱいに決まり、ツーストライクになる。
三球目、勝負球として、アウトローいっぱいにライジングストレート。
「手を出してくれれば儲けもの」といったコースだったが、フィッシュバーンは悠然と見送り、審判の手も上がらずボール。カウントは1-2となる。
(恐らく前回打ち取られた高めのストレートを待ってるな)
北条はそう推測し、ドロップのサインを出すが、ネネは首を振った。
(変化球はイヤか……それなら……)
再びサインを出し直すとネネは頷き、北条はフィッシュバーンの膝下にミットを構えた。
ネネは大きく振りかぶると、ライジングストレートを内角低めに投げ込んだ。
地を這うようなボールは唸りを上げてホップする。
ガキィン!
ボールが破裂したような音がして、打球は三塁側ファールスタンドに飛び込んだ。
(何て凄まじいスイングだ。これが元メジャーリーガーのスイングか……)
日本人ではまず見られないパワーに、流石の北条も肝を冷やした。
だが、フィッシュバーンもネネのピッチングに驚いていた。
(伸びる……ストレートが手元で伸びる……本当に女かよ、アイツ……)
ネネのストレートに全身の体毛が逆立ち、鼓動が高鳴る。
(まさか、こんな島国でメジャークラスのストレートに出会えるとはな……)
フィッシュバーンは武者震いした。
マウンドのネネが大きく振りかぶるのが見える。
(最高だよ、羽柴寧々……いや『ライジングキャット』……)
フィッシュバーンはバットを握りしめた。
(変化球なんか投げるなよ。ストレートでこいよ。メジャー仕込みのスイングを見せてやるぜ)
ネネは左足を上げて、右足をヒールアップした。目線は北条のミット。全パワーを指先に集中してボールを弾く。
(いけえ!)
唸りを上げたストレートは内角高め……インハイに飛んだ。
(来た来た来た! ストレート!)
フィッシュバーンは左足を踏み込むと、稲妻のような鋭いスイングを見せた。
北条は一瞬、やられた! と覚悟した。
しかし、ネネのストレートは手元でグンとホップした。
ズバン!
ネネの投じたストレートは、フィッシュバーンのバットの上をすり抜け、北条のミットに飛び込んだ。
「ストライ─ク、バッターアウトォ!」
審判の手が上がり、北条は「よし!」と叫び、マウンドのネネも小さくガッツポーズした。
スピードガンは144キロを計測。ネネの自己最速記録だ。
一方で空振り三振を喫したフィッシュバーンは打席でしばし呆然としていた。
(あ、アンビリーバブル……ボールが……ボールが浮いた……?)
スコアは3対3の同点のまま。ネネが小走りでベンチに帰ると、由紀が満面の笑みで抱きついてきた。
「ネネ──!」
「よっしゃ! よく持ち直した!」
今川監督がネネの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。ネネは照れたように、えへへと笑った。
そして、対照的にキングダムベンチは静まり返っていた。
「いやあ、すごいね、あの娘! 完全に立ち直っちゃったよ」
根っから陽キャな藤本が明るく話す傍ら、鬼塚監督は怒りを押し殺してた。
(な……何だアイツは……たかが女とみくびっていたが、ホップするストレートにネコのような身体能力。そして、強い精神力……化け物かアイツは……?)
また、レジスタンス側のブルペンでは、中継ぎ陣がモニターでネネのピッチングを見ていて、そこにはクローザーを務める島津の姿もあった。
(ほー……すげえなアイツ。やっぱただモンじゃねえわ)
島津が感心していると、隣にいる中継ぎの荒木が口を開いた。
「キャンプの紅白戦の時も一軍に揺さぶられたけど、その時は勇次郎のゲキで立ち直ったんだ」
「勇次郎が? ふ─ん、あの無愛想な男がネネにねえ……」
島津は腕組みをした。モニターの中では勇次郎が打席に向かおうとしていた。
「いいかネネ、球数は少ないが、今日は五回までだ。あと一回投げて今日は終わる」
「はい!」
五回表、ベンチで今川監督がネネに指示を出したときだった。
キイン!
ドームに快音と悲鳴が鳴り響いた。
勇次郎が打ったボールは綺麗な放物線を描き、レフトスタンドに飛び込んでいた。
勝ち越しのソロホームランが飛び出して、勇次郎は悠然とダイヤモンドを回った。勇次郎のホームラン数は、これで二ケタの10本になった。
「ナイスバッティング!」
ベンチに戻ってきた勇次郎を祝福する。ネネも笑顔で勇次郎を出迎える。
「おい……勇次郎、また打ったぜ」
「レジスタンスのルーキーで、二ケタのホームラン打つなんて、何十年ぶりだよ……」
ブルペンでも投手陣がモニターを見ながらザワザワしている。
(なるほどなあ……)
島津はモニターの中の勇次郎のホームランのリプレイ映像を見ていた。
(織田勇次郎……ゴールデンルーキーと聞いてるが噂通りだ。また奴の練習量は半端ないと聞いている。コイツの存在がレジスタンスの勢いを加速させてるわけか……)
(それから羽柴寧々……コイツもプレイと明るさでチームを引っ張っている。間違いない。このチームのエンジンは織田勇次郎と羽柴寧々のふたりだ。そして、そのふたりの手綱を握るのが、あの今川監督か……)
島津は再び肩を作りにブルペンのマウンドに向かった。
(面白え、俺もアイツらに負けてられねえぜ)