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ライジングキャット★ベースボール  作者: 鈴木涼介
第5章 先発転向編
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第106話「孤独なマウンド」

 中西のピッチャー返しがネネを襲い、ネネはグラウンドに倒れ込んだ。

「た、タイムだ!」

 今川監督、北条、内野陣がマウンドに走る。由紀はベンチで真っ青な顔をしている。


 キングダムドームの観客たちも静まり返っている。当然だろう。あの中西の打球が顔面を直撃したかもしれないからだ。

 ピッチャー返しの打球速度は約200キロ超と言われている。そんな打球が直撃したとなれば大惨事だ。

 ネネはうつ伏せで倒れ込んでいて、ベンチからは救急班やタンカも出動している。


 オーロラビジョンに先程のプレイがスローで映し出された。皆、固唾を呑んで映像を見つめる。


 中西の打球がネネに向かって飛ぶ。飛んだコースは顔面。ネネは咄嗟にグラブを持つ左手を差し出し、打球をミットで受け止めた。

 しかし、打球の勢いは凄まじく、ボールをキャッチしきれずに弾き、ネネはバランスを崩して、その場に倒れ込んだ。


(か、顔には当たってない……)

 リプレイ映像を見た由紀はホッとすると同時に力が抜けて、思わずベンチに座り込んだ。ドームの観客も同じで安堵の声が上がった。


「ネネ! ネネ! 大丈夫か!?」

 顔面直撃でないことにホッとした今川監督は、うつ伏せで倒れているネネに呼びかけた。すると、ネネの身体がピクリと動き、ガバッと身体を起こした。


「い、痛たた……あ、あれ? ボールは……?」

 ネネはグラブにボールが無いことに気付き、辺りを見渡した。

 ネネが無事なことに皆、ホッとした表情を浮かべた。


「羽柴選手、治療のため、暫くお待ちください」

 アナウンスが流れ、ネネは一旦ベンチに下がった。

 ベンチでグラブをはめていた左手の手のひらにコールドスプレーをかけた。手のひらは真っ赤になっているが、骨折や打撲はしてないようだった。


「ネネ、地面に打ちつけた身体は大丈夫?」

 由紀がネネを心配する。

「うん、上手く受身をとったから、大丈夫……」

 ネネは身体を軽く動かす。こちらも骨には異常はないみたいだった。


(しかし、危なかったなあ……)

 ネネはさっきのピッチャー返しを思い出し、背筋が凍った。

(目の前にボールが見えて、一瞬、ぶつかる! と思ったけど身体が勝手に反応した。『ピッチャーは九人目の野手、投げるだけではダメだぞ』と杉山コーチから特訓を受けていたおかげだ。ただ、ボールをキャッチできなかったのは残念だけど……)

 ネネはスコアボードに刻まれた『1』の数字を悔しそうに見つめた。


 ネネが治療している間、オーロラビジョンに先程の映像が繰り返し流れた。

 ボールをキャッチしそこなかったネネは、利き腕の右腕から地面に落ちるところを無理矢理身体を回転させて、右腕から落ちるのを防いでいる。

 ネネが無事だったため、観客たちはネネの猫のような身のこなしを感心しながら見ていた。


 キングダムベンチからも「ライジングキャットって言われてるだけあって、本当に猫みたいな身のこなしだな」「タヌキ顔だけど、身体能力は猫ってか」と笑い声が上がった。

 しかし、鬼塚監督だけは映像を見ながら、背筋が凍っていた。

(な……何だあの動きは……? あり得ないぞ……)


 側から見れば、ネネがピッチャー返しを捕れなくて、空中でクルッと回転して地面に倒れ込んだ映像だ。

 だが、鬼塚監督からすれば全く違う見解になる。それは『あの中西の打球に反応した。しかも女が』というものだった。


 中西の打球に至近距離で反応すること自体が異常なのだ。しかも、それは相当動体視力が良く、反射神経も優れている証拠だ。

 更にその後、利き腕を地面に打たないように身体をクルッと回転して受身までとっている。恐るべき防衛本能と運動神経だ。


(ヤツは危険だ……このまま放っておけば、子猫はいずれ肉食獣になる……)

 鬼塚監督は四番の渡辺を呼んだ。

「渡辺、アイツを女だと思うな。全力で叩きのめせ」

「わかったで、監督はん」

 渡辺はニヤリと笑った。


 治療が終わると、拍手に迎えられネネは再びマウンドに向かった。

 中西の記録は内野安打。一点は返されたもののスコアはまだ3対1とレジスタンスがリード。しかし、ノーアウト一、二塁のピンチは続いている。


「キングダム四番、ファースト渡辺、背番号5」

 渡辺の登場曲である長渕剛の「孤独なハート」が流れ、観客が合唱する中、渡辺はバッターボックスに意気揚々と向かった。


 そして、ドーム全体からの大合唱と声援に加え、一塁側キングダムベンチからネネに対して野次が飛んだ。

「ヘイヘイ、びびってるよ、お嬢ちゃん!」

「やせ我慢すんなよ、早くマウンドから降りな!」

 敵の応援と野次が容赦なくネネに突き刺さる。


 ネネはグッと唇を噛んだ。打球を取り損なった左手がズキズキと痛む。

(負けるもんか……負けるもんか……)

 北条のサインを確認後、第一球を投げようとモーションに入ると、一塁ランナーと二塁ランナーが同時に走った。

(だ、ダブルスチール!?)


 外角に外れたボールを北条が三塁へ送球するが、東は俊足を飛ばしセーフとなる。

「ワアアアア!」

 ノーアウト二、三塁。キングダムのチャンスは広がり、スタンドが盛り上がる。


「何だ何だ、今のモーションは!? これなら小学生の方がよっぽどマシだぜ!」

「お前、もうマウンド降りろ! ピッチャー失格だ!」

 キングダムベンチからは野次の嵐が飛び、鬼塚監督はニヤリと笑った。


「な……何てひどい野次……ネネは一生懸命やってるのに……」

 ネネに飛ぶ野次に対して、由紀は自分のことのように悔しくなり、目に浮かんだ涙を拭った。

「一生懸命やって報われたら、誰もが成功者だぜ」

「な……」

 由紀は今川監督の冷酷な言い方に腹が立ち、睨みつけた。だが、今川監督の握りしめた拳が震えているのが目に入った。

 

 その姿を見て、由紀は即座に理解した。悔しいのは監督も同じなのだ、と。

 自分のチームの大事な選手を馬鹿にされ悔しいのは同じだ。でも助けてやれない。マウンドでは誰もが孤独なのだ。ふたりは無言でネネを見つめた。


 厳しい野次と手の痛みに耐え、ネネは歯を喰いしばりながら二球目を投げるが、高めに外れてボール。カウントは2-0になる。


「おいおいピッチャー、逃げてんのか!?」

「よくそんなレベルでプロに来たな! 恥ずかしくないのかよ!」

 キングダムベンチからは依然、厳しい野次。


 ネネは北条からボールを受け取ると、目に浮かんだ涙を隠すように、汗を拭くふりをして腕で拭い帽子を真深に被り直した。


 北条のサインが滲んで見える。野次が心に突き刺さる。不甲斐ない自分に腹が立つ……。ネネは流れ落ちそうな涙を振り払うように、指先に力を入れて渾身のストレートを投じた。


 カキ──ン!

 しかし、渡辺はそのストレートを叩く。

 打球は左中間に飛び、三塁ランナー、二塁ランナーが、ともにホームイン。

 長打コースとなり、打った渡辺は一気に三塁を落とし入れる。

 走者一掃のタイムリースリーベースが飛び出し、スコアは3対3の同点。しかもノーアウト三塁、とキングダムの攻撃は終わる気配がない。


 打たれたマウンドのネネは顔面蒼白。完全に心が折れて、三塁側ベンチの今川監督に救いを求めるように目を向けたが、今川監督は首を横に振った。続投の合図だった。


「ね、ネネ……」

 ベンチの由紀は顔を覆った。

(無理だったんだよ、やっぱり……女性がプロの世界でやるなんて無理だったんだよ……)


「か、監督……お願い……ネネを交代させて……私、これ以上、見ていられません……」

 由紀が泣きながら懇願するが、今川監督は首を振った。

「ダメだ、ネネは代えない」

「な、何で……?」

「ここで降りたら、アイツは二度とマウンドに立てなくなる。これもアイツの通過儀礼だ」

 今川監督は強い口調で言い切った。


 対照的にキングダムベンチでは鬼塚監督がほくそ笑んでいた。

(ギブアップだな。女のくせに頑張ったが、まあここまでだ)

 そして、五番バッターの藤本を呼んだ。

「……藤本、羽柴寧々はもう終わりだ。この打席でトドメを刺せ」

「分かりました」

 藤本は爽やかな笑みを浮かべて打席に向かった。


 一方のネネはユニフォームの袖で涙を拭っていた。不甲斐ないピッチングに悔しさで胸が張り裂けそうになる。

 キングダムベンチやスタンドから「帰れ、帰れ」の野次が飛ぶ。

(何で監督は交代させてくれないの……? 私、ダメだよ……もう投げれないよ……マウンドから降りたい……)

 何万人の観客の前で、晒し者になっている気分だった。左手の痛みは引いてきたが、心はズタズタだった。ネネはうつむいた。


「キングダム、五番サード、藤本、背番号8」

 一昨年前の新人王であり、未来のキングダム四番候補と言われる藤本が打席に向かった。

 藤本の登場曲が流れる。桑田佳祐の「波乗りジョニー」だった。

 テンポの良い曲にドームが揺れ、甘いマスクの藤本に女性の黄色い声援が飛んだ。


(チッ……ネネがボロボロなのに、こんな陽気な曲をかけやがって……)

 北条は舌打ちしながら、マウンドのネネを見た。ネネはずっとうつむいている。

(……限界だ。これ以上は選手生命に関わる)

 北条はタイムをかけて今川監督を呼ぼうとした。

 その時だ。ネネが顔を上げるのが見えて、その顔を見た北条は目を疑った。


 ネネは笑みを浮かべていた。



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