第105話「選手生命最後の日」
キングダムドームでの対キングダム戦。スコアは3対0でレジスタンスのリードだが、四回裏キングダムはノーアウト一、三塁の状況を作り出し、打順はクリーンナップに廻った。
「東京キングダム、三番センター中西、背番号10」
アナウンスと同時に、中西の登場曲である「ハウンドドック」の「フォルテシモ」が流れた。リズムに合わせて、中西が巨体を揺らしバッターボックスに向かう。
「飛ばせ 飛ばせよ どこまでも 無限のアーチだ 中西! 中西!」
ライトスタンドからは中西の応援歌。ドーム内に野太い声が響き渡った。
中西は気合充分な表情で打席に入り、対照的にネネはその大声援に少し表情が固くなっていた。
「か、監督……気のせいか、登場曲のボリュームが大きくないですか……?」
由紀が今川監督に尋ねると「あくまで噂だが、プレッシャーをかけるために、キングダムの反撃の時は、わざとボリュームを上げてるらしい」と答えた。
「そ、そんな……」
「それと、このドームの構造によると、音が跳ね返ってきて、マウンドにいると音が襲ってくるような感覚に陥いるという」
「え……ということは……?」
「ああ、どのピッチャーもこの雰囲気に呑まれ萎縮する。しかし、これがキングダムだよ、勝つためには何でもやる。特にホームではな」
いつもおちゃらけている今川監督が珍しく真顔で話した。
「ククッ、キングダムドームの洗礼に完全にびびってんな、あの女」
キングダムベンチからは笑い声が上がり、ドームに響き渡る大歓声を聞いた鬼塚監督は笑みを浮かべた。
(どうだ羽柴寧々? お前には実戦経験が圧倒的に少ない。こんな雰囲気の中で野球をしたことないだろう? これがキングダムドームの恐ろしさだ。アウェイの洗礼を浴びろ!)
『場に呑まれる』と言う言葉があるが、今のネネが完全にその状況だった。
四方八方から襲いかかる敵地の声援に加え、目の前から強烈なプレッシャーをかけてくる中西。
ネネは、まさに獰猛犬に睨まれた子猫のような気分だった。
そんなネネに北条は強気のリードを見せる。
(ビビるなよ、ネネ。勝負だ。ここで逃げたら、今までやってきたことが全て水の泡だ)
北条の想いが痛いほど伝わってくる。ネネは恐怖という感情を勇気という武器で必死に抑え込むと、セットポジションからストレートを投じた。
140キロのストレートは中西の内角にズバン! と決まるが、わずかに外れてボールだ。
(ストライクゾーンに投げることを怖がってるな……無理もない。敵地キングダムドームに加えて相手は中西、経験豊富なピッチャーでもビビる場面だ)
北条はそう思いながらネネに返球した。
続く二球目は外角に「懸河のドロップ」、しかし、これも外れてボール。カウントは2-0になる。
(微妙にコントロールが乱れている。だが、それ以上に中西の様子がおかしい。何か特定のコースを待っているような気がする。それと……)
北条は中西を観察する。
(コイツの最大の武器はフルスイングだが、その気配が全くない。それなら……)
北条は外角低めにサインを出した。
(アウトローはピッチャーの生命線、ここなら間違っても事故にはならない)
腰を落とすと、アウトローにミットをぐっと構えた。
ネネはサインに頷き、セットポジションに入る。一方でバッターボックスの中西は、先程のベンチでの鬼塚監督の言葉を思い出していた。
「ほ……本気ですか? 監督!? 狙ってピッチャー返しの打球を打て、って!?」
「ああ……今回だけでいい。狙い球はストレート。それも高めのコースを狙ってバットをコンパクトに振り抜くんだ」
鬼塚監督は現役時代はバッターだった。だからこそ、ピッチャー返しのアドバイスにも説得力がある。
「まあ……やってみますけど、期待しないでくださいよ」
「ああ」
鬼塚監督はニヤリと笑った。
(高めのストレートをピッチャー返しねえ……)
中西はバッターボックスで首をぐるりと回した。正直、鬼塚監督が何を考えているのか分からない。だが、キングダムを長年率いて、結果も出している名監督だ。それなら、その指示に従うまでだ、と自分に言い聞かせると、スタンスをせばめて、コンパクトなスイングをするため身体を上下に揺らした。
ランナーは一塁と三塁、ネネは牽制球を一球挟むと、セットポジションから左足を踏み込んだ。
すると、一塁ランナーと三塁ランナーが同時にスタートを切った。
モーションに入っていたネネはサイン通り、外角……アウトローにストレートを投じる。しかし、動揺したのかストレートは高めに浮いた。
(きた! 高めのストレート!)
中西は短いステップから、高めのストレートに対してバットをコンパクトに振り抜いた。
カキン!
快音を残した打球がネネに向かって飛んだ。ネネは咄嗟にグラブを差し出した。しかし──。
ガン!
次の瞬間、ドームに鈍い音が響き渡った。そしてボールが地面に落ちると同時にネネはグラウンドに崩れ落ちた。
ボールはピッチャーとキャッチャーの間に転がり、サードの勇次郎がダッシュでボールを掴むが、スタートを切っていた三塁ランナーは既にホームイン。ファーストには投げられず、中西は一塁悠々セーフだ。
中西のピッチャー強襲安打でキングダムが一点を返し3対1と追い上げ、ドームから歓声が上がった。
(チッ、間に合わなかったか)
勇次郎が落ちた帽子を拾い、ネネに目を向けると、ネネはグラウンドに倒れたままピクリとも動かなかった。
(お、おい、ちょっと待てよ……まさか、ピッチャーライナーが直撃したのか?)
ネネが倒れたことでドームは騒然となった。北条、内野陣、今川監督が一目散にマウンドに駆け寄る。
「ね、ネネ……」
ベンチでは由紀がガタガタと震えている。
一方でキングダムベンチの鬼塚監督は誰にも見えないように、右拳をグッと握りしめていた。
(狙い通りだ。羽柴寧々の弱点その3……それは『守備がプロのレベルでないこと』まさか、ピッチャー返しが直撃するとは可哀想だが、プロの世界では有り得る事故だ。悪く思うなよ、羽柴寧々……)
ネネはうつ伏せで倒れたままピクリとも動かない。
(終わりだよ、羽柴寧々……あの中西の打球を至近距離で喰らったんだ。どこに当たったか分からないが、五体満足で済むわけがない。今日がお前にとって選手生命最後の日だ……)
鬼塚監督は不気味な笑みを浮かべた。