夢想するは苦く
あれは、16の春だった。
私は抱えきれない現実に心が折れて、半分魂が抜けたようになっているのを必死に突っ張って取り繕っているような、そんな子どもだった。
学校の図書室の、誰も来ないような小難しい古い本が並んだ一角に身を潜めるようにして、時折私は本を読んでいた。
どこにも逃げ場のない現実からせめて自分を守ろうとするように、半ば無意識に手を伸ばした本にあった一説を私は書き取って、その時持っていた本にしおりのように挟んだ。
その後、卒業を機にその本を私は開いていない。
今も昔も、変わらず本の虫だったはずなのに、いつの間にか手に本を握り締めていたはずが、マウスを握り、毎日来る日も来る日も業務チャットに明け暮れている。
そこには、果てしない文字の死骸のような荒涼とした世界が横たわっていて。
電源が落ちたディスプレイに映り込む疲れ切った自分の顔を、嫌悪と共に眺めるだけの日々だ。
こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかった。
いつかどこかで誰かから耳にした言葉を、繰り返す自分を嫌悪しても。
それが現実だと、あざ笑う自分が同時に存在する矛盾。
くそくらえだと放り投げた紙屑は、見事な放物線を描いてゴミ箱に収まり、こんな風に自分の人生を捨ててしまいたいと一瞬本気で思った。
さぞかし、スカッとするだろう。
下らない妄想に頭を掻いて、私は何気なく本棚から手近な本を抜き取る。
「おっと」
そこから舞い落ちた紙に、見慣れた、今よりも癖の少ない、なのに融通が利かなそうな文字が書いてある。
少しばかり黄ばんで染みの浮いたその紙には、走り書きでこうあった。
『夢想は苦く、現実は甘い』
眉を寄せた私は、その紙をひっくり返し、何も書いていないことを確認して、唸る。
どう見ても、昔小説を手書きしていた頃に使っていた、方眼のルーズリーフだ。
「なんだこれ。どういっても逆だろ」
思春期の、遅れてやって来た中二病まっしぐらな状態だった私にとっては心打つフレーズだったはずのその言葉は、すっかり社会の荒波にもまれ、くたびれ切った大人の私の心にはどうやら響かないらしい。
「メッセージっていうより、これは謎掛けか?」
ぶつぶつ独り言をつぶやきながら眉を寄せる私は、今度は挟んであった本の方を見る。
挟まっていた本は、誰もが一度は目にしたことがあるような、世界的ベストセラーだ。
下手をすると、これは世界最古の、現代まで続くベストセラーかもしれない。
私は自分自身の行動に、フッと苦笑を漏らした。
どうやらよっぽど、あの時代の私はこの本の内容に思うところがあったらしい。
「馬鹿なヤツだな。現実が苦くてしょうがなかったろうに、本当に、馬鹿だ」
思い返せば、いつだって回り道ばかりで、不器用で、中途半端なことばかりしている。
「嘘つきめ」
誰にともなく毒づいて、私はその本を、そっと讃美歌の横にしまった。
今思い返せば確かに煌めきもあった、そんな私にとっての春。
その残り香を、確かに愛したこともあったと。