謎の男の子を取り逃がした俺達…俺は危うく男の子の悲しい魂の深淵に飛び込んでしまう所だった。
「彩斗!彩斗!
しっかりせい!それ以上入り込むな!
ええい!
四郎!
彩斗に気合を入れるじゃの!
思い切りビンタするじゃの!」
はるか遠くからはなちゃんの小さな声が聞こえ、次に俺の左頬に物凄い衝撃が来た。
そして、目の前からあの男の子の姿が消え失せ、四郎が固く俺を抱きしめていた。
「彩斗、許せ。
はなちゃんがやれと言ったからな。
鼻血が出ているな、あとで冷やすが良いぞ。」
俺の耳元で四郎が言い、俺はビルの地下室に戻って来た。
真鈴に抱かれたはなちゃんが両手をじたばたさせてキーキーと怒鳴っていた。
「危ういところじゃったぞ彩斗!
お前、危うくあの男の子の魂の深淵に入り込むところじゃったじゃの!
一歩間違えば戻ってこれんかも知れなかったじゃの!
ええい!お前の精神感能力はわらわが舌を巻くほど進んでいるじゃの!
じゃが、それは諸刃の剣じゃの!
気を付けるじゃの!
深く足を踏み入れる前に魂を遮断する事を学べじゃの!」
四郎が俺の肩を掴んだ。
周りを見るとワイバーンメンバーが心配そうに俺を見ている。
「彩斗、われ達は今お前を失う訳にはゆかんのだ。
リーダーの自覚を持て。
気を付けろ、飲み込まれるな。」
「…うん…判ったよ四郎。
皆、俺は大丈夫。」
真鈴がはなちゃんを抱いたまま俺に問いかけた。
「彩斗、いったい何を見たの?」
俺はかぶりを振って頭をはっきりさせた。
どうやら、短時間ながら立ったまま気絶していたようだ。
「ああ、いや、あの男の子が放り込まれた先は地下の下水道だった。
あの男の子は恐怖に駆られて下水道を泣きながら走って逃げて行ったよ。
そしてあの男の子がまだヒューマンの頃に何かの儀式で去勢されて…そこではなちゃんの声が聞こえたんだ。」
「彩斗、お前はあの男の子に同情しつつあったな。
じゃがそれは悪い事ではないじゃの。
じゃがしかし、あまりあの男の子の内部に入って行くと…深遠を覗き込む羽目になるところじゃったの。
わらわのように1000年生きてそれなりに精神修養が出来ておらん者がそれをすると…いや、わらわでも危ない所じゃったが。
彩斗などはいちころで精神を押しつぶされるかどうかして戻れなくなるじゃの。
気を付けろ。」
「うん、判ったよはなちゃん。
ところで…。」
俺は男の子が放り込まれた下水道の入り口の蓋を見た。
初老の男性アナザーの灰は取り除かれ、リリーやノリッピー達も集まって中を覗き込み、富士の樹海地下で使用した小型ドローンが何機か穴の中に降下して行った。
ドローンの後に穴に潜る予定のスコルピオメンバーが待機している。
「恐らく…後を追って男の子を捕まえる事は無理じゃろうの…。
何百年生き続けたか…1000年以上生き続けて来て逃げること姿を消す技術には磨きがかかっているじゃのう…。
わらわも、もはや気配を追うことが出来んじゃの…。」
いつの間にか俺達の横に来ている加奈が言った。
「はなちゃん、実体がない私達ファンタースマなら後を追えるかもしれないですぅ!」
「加奈、可能かも知れん…男の子は何と言っても実体を持っているから物理的制約には囚われているからな…しかし、別の意味で凄く危険じゃと思うじゃの。」
「なぜ?何故なのはなちゃん。」
「あの男の子の歌…死霊…ファンタースマをいともたやすく昇天させてしまうかも知れぬじゃの。
よほどの恨みつらみを持った怨霊レベルでもな。
わらわじゃから持ちこたえたが…加奈のツンパーもろ見えで爆発昇天してしまう程度のファンタースマではな…あの歌を聞けばひとたまりも無いじゃろ…男の子に悪気はなくともな…歌が止まり、結界が消え失せても、わらわは加奈達が来るのを止めたじゃろうの。」
「…そんな…凄いですかぁ…。」
ノリッピーと話していたリリーが肩をすくめて頭を振ると俺達の方に歩いて来た。
「彩斗達、ご苦労様、助かったわ…でも、あの男の子は取り逃がしそうだわ…巧妙に姿を消したようね…今、スコルピオでも追跡のエキスパートが何人か下水道に降りて男の子を追っているけど…。」
「無理そうなのかリリー?」
四郎が尋ねるとリリーはため息をついた。
「追い詰めて確保する可能性はとても低いわ…東京の下水道なんてここ以上の地下迷宮そのものだもの…。」
「…。」
「まあ、でも、奴らのメンバーの何人かは確保したわ。
これから尋問をしてなんとか情報を聞き出す事にしたの。
今日は収穫ゼロと言う訳でもないしね…。
それにあのピアノ…ノリッピーに言わせると、今現存している最古のバルトロメオ・クリストフォリの1770年製のピアノよりもずっと古い物らしいわね。
その価値はいくらになるのか全く見当がつかない程らしいわ。
あのピアノは何かのヒントになるかも。
後は私達でやるわ、ワイバーンはご苦労さんでした。
何か判り次第連絡するね。」
俺達は撤収する事にした。
今度はエレベーターで1階まで来ると、遅ればせながらも凄い数の報道陣がビルの敷地周辺に集まりカメラを向けていた。
「皆、顔ばれしないようにバラクラバをちゃんとつけてね。」
俺達はバラクラバを被り直して装甲バンに乗り込み、最初の待機場所の倉庫に戻った。
「凛、胸の傷は大丈夫?」
「ジンコ、もう大丈夫よ。
傷が塞がって出血は止まったし、そろそろ傷跡も消えると思うわ…それよりジンコは大丈夫だったの?
私達と違って少しの傷も残ってしまうんでしょ?」
「ああ、これのおかげで助かったわ。
私の身代わりになってくれたわ。」
そう言ってジンコは真っ二つに切断されたUMPサブマシンガンを見せた。
ものの見事に、まるでレーザーか何かで切断されたようにきれいな切り口で、皆は改めてため息をついた。
「ジンコ、命拾いだね~!
良かった!未来の月探査要員を亡くすわけには行かないわ~。」
真鈴がUMPサブマシンガンの切り口を見て言った。
「そうね真鈴、私はまだまだ死ぬわけには行かないわ。
これ、結構かっこ良いね。記念に部屋に飾ろうかな?」
ジンコがにこりとした。
「でも、少しジンコが羨ましいかも…私の傷なんて何日かで完全に消えるもの。
形になる思い出は残らないわね。」
「よしてくれよ凛、お前に傷が残るのは嫌だなぁ。」
クラが渋い顔をして凛が笑い、明石が2人を見て感慨深げに言った。
「確かにそうかも知れんな。
俺も圭子と秘め事の後などで圭子に言われた事があったな、『あなたは何百年も戦って来て酷いけがを何度もしたのに、その傷一つ残らないのね…彩斗みたいに顔に傷でも残れば迫力出てかっこ良いかも』と言って苦笑された事があったな。」
「そうだな景行、俺も腕を斬り落とされたがもう薄い線が残っている程度だ。
何日かしたらその線も消えるだろうな。
思い出は俺の記憶の中だけに残ると言うものか…。」
喜朗おじがお菓子を食べながら遠くを見る目つきになった。
やれやれ、傷は残らないに越した事は無いじゃないか…しかし、思い出と言う点では確かに形に残るか…。
加奈の所に追跡に参加したファンタースマが戻って来た。
「加奈隊長!
全員無事に戻りました!」
加奈が立ち上がって笑顔を向けた。
「お前達よくやった!
お手柄だぞ!」
スケベヲタクファンタースマ達が照れまくり赤い顔をしてもじもじとした。
「あのビルを突き止めた者は誰か?」
加奈が尋ねると、太った正統派的なヲタクの姿のファンタースマが前に出た。
「はい!私であります加奈隊長!」
「おお!霧の夜の散歩者小次郎だな!
よくやったぞ小次郎!
一番お手柄だぞ!
褒美を上げる!
こっちにおいで。」
小次郎が加奈に近寄ると、加奈は小次郎を抱きしめてほっぺにチューをした。
小次郎がとろけるような表情になり派手に爆発して昇天した。
ファンタースマを見える倉庫内の者達が小次郎が派手に爆発してその体を飛び散らせたのを見て嫌な顔をして顔を背けた。
「うわぁああああ!
加奈隊長!褒美が過激すぎますぅ!」
「ひゃあ~!ごめんね~!」
残ったファンタースマ達が悲鳴を上げ、加奈は顔にべっとりついた小次郎の血をスカートの裾を持ち上げて拭った。
巻き上げられたスカートから加奈のツンパーがもろ見えになり、また2体のファンターズマがンフ~!と唸って爆発昇天した。
「ちょっとちょっとちょっと~!
皆、簡単に爆発しすぎですぅ!
もっと耐性を持って欲しいですぅ!」
この騒ぎを見ていた四郎が呟いた。
「うむ…まさに自爆霊と言う奴だな…恐ろしいものだな。」
「四郎、それは字が違うよ…本当は地縛って…まぁ、この場合に自爆の方が意味は合ってるけど…そもそも奴らは浮遊霊だから…。」
俺達は爆発したファンタースマの死体から逃げるように死霊屋敷に戻った。
死霊屋敷に戻るとはなちゃんは見えた限りの、あの男の子の生涯を語り始めた。
続く