心からの口付けで解ける呪いって、なんだ、この野郎!
誤字報告、評価等ありがとうございます!
ささやかですが、感謝を込めて【おまけ】を追加しております。お楽しみいただければ幸いです。
「私がこの場を防ぐ。君を死なせはしない。生きてくれ、この国と君の平和のためなら……」
ファウストは魔力の矢の前に立ちふさがる。
「ファウスト! なんて事を……私を庇うなんて」
倒れ込んだ逞しい体躯が、華奢な娘を包み込む。ファウストは目を潤ませた娘の頰に触れ、引き寄せると命を移し替えるようにして口付けた。
その瞬間、眩い光が辺りを包み、遠く地平線まで飛散した……。
********
「傘の先をこっちに向けるな」
クソ王子が私に向けて怒鳴る。
まだ16歳だが、よく鍛えられた体には大人以上の力が宿る。
「あらあら、まだ私にそのような口を利くのですか? ファウスト様、躾が足りませんでしたか!」
日傘を畳んで、ぽすぽすとファウストの赤い頭を叩くと、嫌そうに払いのけられる。
「だいたい、いつも、レアーナは説明が足りないんだ」
「あーら、私の言うことをきく約束でしょう? 私に受けた恩を忘れてしまったようですね」
私は今までに、何度もファウストの窮地を救っている。
「他国の王子に怪我をさせて外交問題にならなかったのは、誰のおかげだったか、思い出したかしら?」
「ぐっ……」
「ソニア殿下の発注したネックレスを千切ってしまったのを直してあげたのは?」
ファウストは人よりも腕力が強く、幼い頃は加減ができずに遊び相手に怪我を負わせることが多かった。
私が力との付き合い方を教える前は、牢に繋がれることもあったくらいだ。
私は日傘の長さだけ間をあけて、後に魔獣王子と呼ばれるはずのファウスト第二王子を見る。
「ヒロインと悪役令嬢だけが額に汗して世界を救う時代は終わりました。王子も頑張れ! もっと頑張れ! ハーレム要員として終わりたくなければ、さあ! 脳筋は私に従え!」
「何を言っているんだ……」
ファウストに理解される必要はない。
悪役令嬢に転生して更に何度も命を失った私は、今回こそ平和な老後が欲しいのだ。
もう繰り返される同じ人生はまっぴらだ。
「教えてあげたではないですか、聖女無くして世界平和無しですよ」
私たちが酷い方法で意識を奪った、聖女となる運命を背負った少女、リンファを囲んで押し問答している。
頭は打たなかったと思うが、乾いた動物のフンの上に背中から倒れこむのを目撃してしまった。
――見なかったことにしよう。
「……気が向かないのだ」
「向く、向かないの話ではありません。権力者に人権なんてありません」
私たちは国を救っている最中だ。
すごく省エネなやり方で。
「神」は言った。「転生した世界で魂を救うために抗え」と。
私はきっと別の世界で何かの罪を犯したのだろう、神の望む生き方をしない限りは永遠に、死してもなお、同じ人物の人生に戻される。
(抗ったつもりで、いたんだけどな……)
一人で奮闘して、何度も失敗して、死ぬたびに同じ場所へ戻されて、万策尽きた私は、王子を巻き込むことにした。
結局、この国は聖女の覚醒無しで救われない。
どんなに私が引っ掻き回しても変わらなかった世界が、王家の血の者を従えた途端に動揺しているのがわかる。
もうすでに、いくつかの厄災を防ぐことに成功した私は、結局これが正解だったのかと、軽い絶望感を感じていた。
愚鈍な王子のおかげで計画は遅れている。
国の滅亡までもう二年もない。
まだぐずぐずと悩んでいる王子の尻を蹴る。
「だからって、リンファ嬢にキスだなんて……」
「意識を失っています。つべこべ言わずに、ぶちゅっとしてこい」
「犯罪じゃないのか?」
「こんなの、犯罪に決まってる!! 犯罪に手を染めるくらいの気概がなくて、国を救えるならとっくにそうしてる!」
リンファの淡い金髪が昏倒薬の影響で一部分だけ紫に染まっている。色が戻る前に事を済まさねば。
「1回だけ、1回だけだな。それ以上は無理だからな」
「く ど い !」
「うわっ、うわぁ、だめだっ、俺は……」
ファウストのタイを引いて赤い頭を近くまで寄せると、人慣れしていない初心な王子は途端に顔を赤くする。
「ふふふ、その勢いですよ」
ドンと押して、倒れたリンファの顔にファウストを押し付ける。
「……っ」
ファウストは抵抗したが、耳に息を吹きかけて怯んだ隙に、リンファの顔にファウストの顔を擦り付けた。
念のため頭を押して、グリグリと唇同士が擦れ合うようにする。
「はぁ、こんなことのために、どれだけ時間がかかるのよ」
顔をあげたファウストは、少し涙目で私を睨む。
ゴシゴシと汚れを落とすように唇を拭っているのは、リンファにはちょっとみせられない。
こんな美少女に唇を捧げて、何を嫌がることがあろう。
この王子、ちょっと人から距離を置かれる立場にいたので、王子専任の爆弾処理に選ばれた私に、犬のように懐いてしまったのだ。
「ひ、ひどい、俺の純潔を……」
「おおげさね。単なる接触よ。舌も入れてないから粘膜接触でもないわ」
「とにかく、このキスは不本意だ。こんな事にどんな意味があるっていうんだ」
「うっさい。見てなさい」
乾いたフンの上に寝かされたリンファが光を発している。
その光は大きくなって大気に広まり遠くまで矢のように飛んでいく。これが国に攻め入ってきていた邪を退けるのだ。
後々魔女と呼ばれるようになる私には、キンと高い音がなって空気が清浄になったのが分かる。
魔王を覚醒させないために聖女の早めの覚醒が必要だと分かったのは、すぐ前の生でのこと。
いつもリンファが能力に目覚めるのは、もっと後になってからだ。その時には取り返しのつかないことが1つだけあったのだ。
「王家の血を引く者の接吻で聖女は覚醒する。これが遅いと魔にやられて死ぬ者が増える。まさか、その中に魔王の母親が含まれているとはおもわなかったのよね。毎回、国が滅ぶギリギリで聖女と三角関係恋愛ごっこしなきゃならないのもしんどかったし」
ファウストは掴めるわけがないのに聖女からあふれる光に指を通して、驚いた顔をしている。
「お前が言っていた前世の話は、本当だったのか」
「信じてなかったのね。これでいくつかの命が救われて世界が変わるわ」
魔によって母を奪われた高い魔力を持つ子供が世界を呪い、古代の魔物に身を乗っ取られることで理性を失い、やがて魔王となる。
魔と呼ばれる怪異は、今の光でで全て消え去ったはずだ。つまり、魔に母を殺される子もいなくなる。
「もう、お役御免ね。さあ、もう、私と婚約破棄して。そうしないと、私、あの子を探しに行けない。念のため彼が孤独じゃないか、しばらく見張らなきゃならないんだから」
そのために計画を早めたようなものなのに、ファウストはどう形容したらよいのか分からない顔をした。
お茶に砂糖と間違えて塩を入れた時のような顔で私を見る。
「お前が行かなくてもいい。そいつを孤独にしなければいいんだろ、なんで、レアーナが全部どうにかしなきゃならないんだ!」
私は何となくイラッとしてその横っ面を日傘で殴りつけた。
ちっとも効いている様子もなく、一ミリも動かない。
「はっ、お前がクソ王子だったからだろうがっ!」
「この俺には責任がないだろうが!」
強い力を制御できず、爪弾き者だった第二王子は許嫁の悪役令嬢に利用されあっちへよろよろ、こっちへよろよろ自分を持たずに漂う――そういうストーリーのゲームだった。
他にもヒーローがいるはずなのに、ゲームの世界を模した世界の、第二王子ルートに縛り付けられている。
聖女も悪役令嬢も苦しめ、あげくギリギリで聖女に絆されるファウストはゲームプレイヤーからも無駄筋呼ばわりされていた。無駄筋――無駄な筋肉達磨の略だ。
転生したての頃の驚きや憤りはもう忘れてしまった。もう私はずいぶん長いことレアーナ・アディソン公爵令嬢をしているのだから。
「とにかく、お前の役目はおしまいだ」
「でしょうね、早く婚約破棄なさい」
「くそっ」
口では私に勝てない事を知っているファウストは足元の石を拾うと、鬱憤を込めて空き家の壁に投げつける。
拳ほどの石だったはずだが、壁を突き抜けて柱に当たったようで、ぐずぐずと崩壊の音を立てて空き家は塵芥に帰した。
ずっと無口のまま、私を家に送り返して、その日のうちにファウストは姿を消した。
*****
あれからもう三年が経つ。
私はここに残って知りうる限りの厄災を防いでいる。防ぎきれないものも少しはあるが、三年前に聖女を無理やり覚醒させたので、手に負えないものはそちらに丸投げすることも多い。
手紙が来たのはファウストが姿を消してからすぐだった。
「魔王になるはずだった少年を見つけ出した。どうにかする。しばらく帰れない」とだけ書かれた手紙は間違いなくファウストの肉筆だった。
世界はとっくに滅びている頃だから、ファウストもあの子もきっと生き延びたのだろう。
私はいつも婚約が邪魔して国を出ることができなかったから、誰かが早めに魔王に接触できたのは初めてだ。
ファウストが国を出てすぐ、教会は私に別の相手ができればそちらに嫁いでもよいと許可を出した。いまさらだ。
繰り上げで、王太子妃にと望まれた時は生きた心地がしなかったが、なんやかんやと理由をつけて断った。
第二王子は国の外に逃げたのだ。それで元気にしているなら国の仕事なんかしなくても全くかまわない。
あと少し待てば婚約は完全に解消される。そうしたら私は魔女に弟子入りでもしようと思っている。善き魔女として余生を過ごすのも楽しそうだ。
あと少し。
あと三ヶ月!
(そうすれば、私は本当に自由になるのよね)
そう思っていたある日、すっかり日に焼けたファウストが目の前に立っていた。
まずい時に帰ってきた。
ファウストは、前世の記憶より少し年上で、野性味の溢れる筋肉のつきかたをしている。
王子様というよりは盗賊のような格好だ。
赤い髪は伸び放題で、後ろで一つにくくっている。
「待たせたな、レアーナ」
「まってねーよ」
厄災の芽を摘むために一人で出かけ、森で暮らしている老婆を訪ねた後だった。
ファウストは野太くなった声で私の名を呼ぶ。
「こ、婚約はまだ生きているよな?」
「は? ここんにゃく? そんな方おりましたかな? ええと、養老院にいた方かしら? 記憶ではもう亡くなられたと思いますけど……ココンニャーク伯爵のことよね?」
何となく恐ろしい圧を感じてとぼけると、ファウストはものすごい速さで私の間合いに入り込む。
「とりあえず、まだ婚約者だし、仕方ないから、不本意だが! 再会の口付けを!」
言い訳がましいことを言って私の腕をつかむ。
「ほほほ、ごめんなさぁい! 私、匂いの強いものを食べましたから、またの機会に」
どうにもファウストの様子がおかしいので、手を振り払って後ろにさがる。
安心できずにさらに五歩、後退る。
「もしかして、もう他に婚約者がいるのか?」
「他にって、二股みたいな言い方ね。一股もねーわ」
乱暴に答えて、しっしっと追い払うように手を振る。
「――それで首尾は? 勝手に出て行って、私の愛らしい魔王ちゃんは見つかったの?」
それを聞いてファウストはむっとしたように答える。
「まさか、あんなガキだったとは思わなかった。あいつは世界を呪う悪の魔術師にはなり得ない。もちろん魔王にもだ。魔術は諦めて、剣で世界征服するっていっていたぞ」
「あの細腕で?」
私は記憶の中のショタっ子魔王を思い出した。小さな体に黒いマントをまとって、とても剣を振り下ろす力があるようには思えない。
「俺が稽古をつけてやったら性格が明るくなってな。まあ、今も少々悪い魔術を使うが、もう大丈夫だ。俺もついでに剣の師を見つけて、力の調節を学んでいた」
二人の未来が今までとは変わっていることに内心安堵して、目を伏せる。
「どうして帰ってきたのよ。楽しくやっているようじゃない」
「レアーナ、これを見てくれ」
ファウストは上着を脱ぐと、下着も脱ぎ去って、盛り上がった胸筋を私に見せた。
うっかり筋肉の方を凝視してしまったが、よく見ると心臓の上のあたりに青い絵のようなものが描かれている。子供の落書きのようだ。
「これは――呪いね」
「お前以外の女と結婚すれば死ぬ呪いをかけられた。お前の心からのキスでないと解けない」
ファウストは深刻そうな顔をしている。こんな呪いのせいで、再び私の前に現れなければならなかったのだ。いったい誰の仕業だろう。
「あー、はいはい」
私はファウストの頭を引き寄せると、遠慮なく口付けた。
「んがっ! そんな易々とするな! 言っただろう、心からのキスでないと解けないと……」
「どう?」
日に焼けた胸から、少しずつ青い煙が立ち上り、胸の落書きが空に還る。
「な……解けた……? なぜ……」
当たり前だ。解けないはずがない。
「心からのキスでしょう? 魔術でいう心からって、愛のこもったキスとは限らないのよ。強い想いならいいの。心からなら、なんだって。心底どーでもいいと思ってキスしたって解けるのよ。強い想いが必要なだけで」
「そ、そんなはずはない!」
「どうでもいいっていう心を真剣に込めたわ。解けたんだからいいじゃない、もう私を自由にして。後三ヶ月帰ってこなければ自動的に婚約破棄になるけど、ファウストが一筆書けば手間がなくて助かるわ」
「そんな……」
「国を救った聖女様が神殿でお待ちかねよ。婚約破棄をしてから会いに行ったら? あの子、忙しくて泣いてるわ」
ファウストはギリリと歯を鳴らす。
「まだそんな事を……おぼえてろ!」
「ちょ、待ちなさいよ!」
そのまま高いところまで跳び上がって、ファウストは国に戻らなかった。
それどころかまた姿を消した。
*****
三ヶ月はあっという間に過ぎた。
「では、この話は白紙に戻そう。ファウスト王子の見張りご苦労だった」
強制的にファウストの婚約者として白羽の矢を立てた教会に、労われるいわれはないが、仏頂面で身を屈め、お辞儀をする。
「はい、長いことお世話になりました。今後は、国の狭間の魔女が後継者を探していると聞きましたので、そこに身を寄せようかと思っております。神父様からお許しをいただければすぐにでも参る所存でございます」
許可をもらおうと、申し出たその瞬間、バンと音がして教会の扉が開いた……というか扉が外れて傾いている。
「異議あり!」
大きな剣を腰にはいた人影が、靴音高くこちらにやってくる。
この間の山賊のような恰好ではない。身なりを整えたファウストが神父も目に入らない様子で私の前にひざまずく。
「……ファウスト王子?」
「呪われた。今度はシンプルにお前と結婚しなければ俺が死ぬ呪いだ」
ファウストは真摯なまなざしでとんでもないことを言い始めた。
「はぁ? ちょっと遅かったわね。婚約はたった今、破棄されたわ」
「なら、もう一度結べ」
「そんなのリンファ聖女に解いてもらいなさいな。神殿で頑張って働いてるみたいだから行ってみなさいよ。あの子、仕事のし過ぎで行き遅れちゃうわ」
ファウストは私の手を取って丁度いい強さで握りこむ。
昔はよく骨折させられていたから、この三年で、よほどの訓練を積んだのだろう。
「お前と結婚しなければ死ぬ」
「だいたい誰よ、そんなクソみたいな呪いをかけたのは。何の利益が? 私と王子の婚姻で利権が絡むような事あったかしら……」
心当たりを思い浮かべてみるが、ちっとも思いつかない。
「俺が死んでも、何とも思わないのか?」
その瞬間、血だらけで倒れこむファウストの姿が浮かぶ。
何度も見た光景は、慣れ親しんだ走馬灯の一部だ。
「ファウスト、あなたね、何度も私の目の前で死んだわ。もう慣れちゃったのよねぇ」
毎回私を選ぶに違いないと思うのに、どのファウストも結局、私を選ばなかった。
ファウストは必ず、毎回、もれなく、聖女を守って死ぬ。
今までの私には、その結末を変える力がなかった。
もういいのだ。ファウストとは縁がなかった。
「お前と結婚しなければ死ぬ」
「ファウスト、よくお聞き。呪いは所詮、強い思いこみよ。呪いをかけた者をぶっ叩けばどうにかなるわ。聖女に犯人を捜す手助けをしてもらいなさい。ぶん殴るのは得意でしょう」
ファウストは手を離すことなく、ゆっくりと首を振る。
「無理だ。呪いをかけたのは、俺だから」
「ふぁっ!」
のけぞった。
私はこのおかしな呪いの意味を知る。
「ももも、もしかして、前のも?」
ファウストが頬を染めて頷く。
「おどろっ! 驚いた! え、ええ?! それでその態度?」
「そうだ、悪いか!」
「悪いっていうか、うん……なんか、気持ち悪い……気持ち悪いわ」
今世の出来事が走馬灯のように回る。
今までとあまりにも違い過ぎて、目が回って吐き気がする。
「お前が国を救っているのだから、手強そうなのは俺がどうにかしようと、国外の敵は俺が潰した。この国を救うのに役に立ったと思う。レアーナは俺に、役に立てとよく言っただろ。言うとおりにしたから、結婚しろ。お前以外に呪いは解けない」
「ファウスト、あなたの気持ちは何となくわかったわ。あ、やっぱ、わからんわ。でもね、残念だけど、どんなに私を想っても、その呪い、私の気持ちを丸っと無視してる」
「え、しかし、それは……」
ファウストの握力がいつものように万力で締め上げるようなものになる。
私はこれで何度も手を骨折している。あとどれくらい力を入れたら折れるかぐらいわかる。
ファウストが、死ぬというのなら仕方がない。
「いいわ。結婚してあげる」
「レアーナ!」
「その後、すぐに別れてやればいいわけよね」
*****
私たちは、あっという間に結婚した。
外堀を埋められていたようで、結婚までの計画はすでに出来上がっていた。
式も終わり、私は疲れて居間に新しく置かれたソファに身を沈めた。
永かった。しかし、これがファウストと顔を合わせる最後だ。
「ファウスト、久しぶりに一緒にお茶を飲みましょうか?」
ファウストは私の耳の裏に唇を寄せるようにして、ソファにぎゅうぎゅうに寄り添う。
「隣に腰掛けるのやめて」
「レアーナが好きなんだ。城の牢に繋がれていた時に来てくれた時からずっと。ずっと俺を守って側にいた。誓いのキスだけで足りるとは思えない」
近すぎる顔をぐっと押しのけて、間を作ろうとするが、私の力ではちっとも動かない。
「うるさい。さっさと離縁状書いて聖女といちゃついてこい。騎士に寝取られるわよ」
「聖女に興味はない」
「神はそれを望んでいるわ」
ファウストは何を思ったか、思い出話を始める。
「お前に崖で脅されながら覚えさせられた呪文があったな――役に立った」
「そうでしょうとも」
「暗い洞窟の奥にある古文書をとりにいかされただろ? 寒いし、びしょ濡れになって、あの後洞窟が崩れ落ちたけれど、俺には傷ひとつなかった。あれは、お前の愛を感じた」
そうでしょうね、私の命を分け与えて相手を守る魔法だったし。
「はあ、そうですか。私はたまたま知っていたからそうしたまでで、ファウスト様の為じゃないですよぉ」
私は高く足をくみ上げて、あまり立派ではない作法でお茶をすする。
ファウストの胸に刻まれた呪いは凶悪だった。本当に私と結婚しなければ死ぬ、恐ろしい呪いだったのだ。
稚拙にみえるのに、聖女であってもきれいに解呪できたかどうか分からないくらい複雑だった。
「なぜあんな呪いを? 本当に死ぬやつだったわよ」
「レアーナの愛を信じていたから」
ファウストは私の肩に額を寄せて、大きくため息をつく。
「きっも! なんでそんな偏執的に育ってしまったの? そういうの困るんですけど」
「お前のせいに決まっているだろうが! 俺だってお前なんか嫌いだったんだ。それなのにレアーナが俺を愛するから」
「愛してない! 思い込み怖い!」
私は今夜のうちに魔女の所に行く約束をしている。そうすればもう、私は魔女のものだ。
夜明けの太陽で魔女と契約を結ぶことになっている。
どちらにしてもファウストとはお別れだ。
「お前は、俺のせいで命を落とすのだったな……」
「そうよ。だから関わり合いになりたくないの」
少し違う。
本当はファウストが聖女を庇って死ぬのだ。
それで私の心が死ぬ。
「その時お前は何を思ったのだ? 俺を呪ったか? 嫌ったか?」
「どうだったかしら、なんとも思わなかったわ」
好きでしたよ、貴方に殺されても、なお。
生まれ変わってもなお。
ファウストだけを愛してた……。
そうそう、いろいろやってみて、聖女にファウストを生きたまま譲り渡すことでしかファウストを生かせないことが分かりましてね――。
――私が望んだのは国でも平和でもなく、あなたの命。
何度目覚めても、あなたに恋をしてしまうのが変わらなくて、途方に暮れていた。
私は今夜、ここから去る。
それできっともう、この世には舞い戻らない。
*****
ファウストは初夜の前に消えてしまった花嫁を探して城中を歩き回った。
参列席にこっそり呼んでいた愛弟子の少年の滞在する部屋のドアを叩く。
加減も出来ずに、ドアは音を立てて弾け飛んだ。
「レニウム……ダメだった。行ってしまった……結局、レアーナは俺を愛していなかったのかもしれない」
魔王となる宿命だった少年は、眠い目をこすり、真っ黒な髪を掻きまわす。
「ファウスト様、僕の呪いを甘くみないでいただけませんか。一度目の時も、僕はちゃんと『心からの愛』と指定して呪いをかけました。レアーナ様に丸め込まれたのですよ、あなたは」
「え? は? じゃぁ……最初の時の口付けは……」
「愛が無くても解けるくらいだったら、僕は魔王になんてなりませんよ。そういう強力なやつです」
「しかし、あんなキスで……」
「どんなキスでも、それで解けたのなら、本物です」
ファウストの目に歓喜が宿る。大気の精霊が刺激されて、少し姿を現すぐらいの強力な喜びが辺りに満ちる。
「ファウスト様、魔女に謀られたようですね」
ファウストは聞き終わる前に走り出していた。
魔獣が魔女を追いかける。
追いかけて追いかけて、愛を乞う。
朝日が昇るまでに。
朝日が昇った後も。
end
【おまけ(*´▽`*)誕生日を祝わないと死ぬ呪いって、なんだ、この野郎!】
「俺と誕生日を祝わないと俺が死ぬ」
「また来たのか、いい加減にしろ!」
ファウストは金の棘の魔女と呼ばれるようになった私の住処に、しつこくやってくる。
最初は家に入れなければ死ぬで、
本音を言わなければ死ぬで、
卑猥なキスをしないと死ぬだったり、
ベッドに入れてくれないと死ぬだったり、
死ぬ死ぬはエスカレートするばかり。
「レアーナ様ごめんなさい」
一緒にやってきた小さな魔王のレニウムは、もう中くらいの魔王になった。
「君の呪いの精度はわかったから、もうファウストを甘やかさないで」
ファウストは着いて早々、私に抱きついて離れない。
「レアーナ、久しぶり」
すっかり力をコントロールできるようになって、文字通り抱き潰されることもしばらく経験していない。
「この」ファウストは結局私から離れない。
いくら追い払っても何度も私に戻ってくる。
「私だって鬼じゃないわ。呪いなんてなくても誕生日くらい祝ってやらないでもないわよ」
実際、誕生日の準備はできていた。
私は魔法で壁を飾り、テーブルカバーを暖色のものに取り換える。鍋の中の時間を止めてアツアツのシチューとパイも準備万端だ。
「知ってた。俺の好きなクッキーの匂いがする」
「別にファウストに作ってたわけじゃないわ」
つんけんと返しても最近は効果がないようで、ファウストは私のくせの強い金髪に鼻を突っ込んで……は? 嗅いでる?
「ちょ、やめて……やめてってば!」
私は耳を熱くして絶叫する。
「昔はクッキーをつまむと粉々になってしまうから、茶会では手を出さなかった」
崩してしまったクッキーをスプーンで掬って切なそうな顔をしていたファウストを思い出して、つい笑ってしまう。あの時も仕方なく私がファウストの口にクッキーを押し込んでやったのだったっけ。
「ふふふ、こんなに甘党なのにね」
私はべったりと離れようとしないファウストを引きずって台所に行くと、みちみちとクッキーが詰まったガラス瓶のふたを開け、一つとりだしてファウストの口に入れてやる。
「ファウスト様、もう一生離れられない呪いとかにしてくれません? かけ直すの面倒で。レアーナ様だっていちいち死ぬ死ぬ言われて気の毒です」
レニウムがため息をつきながらファウストに恐ろしいことを言っている。
「レニウム、これでいいんだ。レアーナは俺を愛するのに言い訳が必要なんだから。それに、一生離れないのは呪いじゃなくても勝手にそうするから問題ない」
「はいはい、僕は外に花でも摘みに行ってますから、ごゆっくり。レアーナ様、ご愁傷さまで」
レニウムが心底哀れんだ顔をして外に出て行った。思春期の少年にああいう顔をされると堪える。
「レアーナにプレゼントがある」
「ファウストの誕生日に? 要らないわよ」
ファウストは私を抱きかかえてソファに腰を下ろすと、私の左手をそっと握る。
「やだ……はなして……」
ファウストが取り出したものを見て、はっとして慌てて手を引き抜こうとしても、全く自由にならない。
「……本当にダメ、やめて……許して……」
「許さない」
ファウストは嫌がる私に顔を寄せて、ついばむように口付ける。
優しいキスは勢いを増し、私の思考を奪う。
キスから解放されて気が付けば、私の薬指には明らかに呪いの込められた赤い石の指輪が嵌っている。
「あ、ああああ!!!! しまった!!」
慌てて引き抜こうとしても皮膚と一体化したようになってしまって、動きもしない。
「と、とれない……」
「まあ、一生外せない呪いの指輪くらいなら可愛いものだろ? 金の棘の魔女は既婚だって噂が広まればいい」
「レニウム! あんたなんてもの作ったのよ! 帰ってらっしゃい!」
さっきの「ご愁傷様」の意味が分かって、外に行ったレニウムを呼ぶが、気配がない。
「それで、レアーナは俺に何をくれるんだ? クッキーだけでは足りないな」
ソファに押し倒されてファウストを見上げると、満足そうに笑みを浮かべている。
誕生日を祝わないとファウストが死ぬ。
死ぬというなら仕方ない……。
「――何が欲しいのよ」
私はあきらめて目を閉じた。
❤end❤