ドラゴンがストーカーしてくる件について
冒険者として数多の魔物と戦ってきた。
そんな中でただ一つ忘れられない戦いがある。最強種族、ドラゴンとの戦いだ。
三日三晩お互いの力を出しきり一歩も譲らないまさに死闘。それがまさか崩れてきた瓦礫が頭に直撃して自分が死ぬとは思わなかった。まさに死ぬほど驚いたが、相対していたドラゴンも驚いていた。ドラゴンがぽかんと口を開いて呆けるなんてあんな間抜けな姿を見たのは恐らく自分ぐらいだろう。
━━と、まぁ。そんな前世を思い出した訳である。
ミリアリア=テレステア=ヴィ=ローゼンローズ。ヴィアンライゼ王国筆頭貴族ローゼンローズ公爵家令嬢。御年8歳。花舞う春の麗らかな午後のことである。
平民出身な冒険者な男が何をとち狂って公爵令嬢なのか。生きた年数は前世の方が圧倒的に長いが、所詮は前世のことなのか。それとも身体のおかげか。戸惑うことはあれど、割りとすんなり記憶は馴染んだと思う。少なくとも前世が男だからといって、今の私は女なのだから、将来男の人と結婚すると分かっても特にこれといった嫌悪感はない。前世で恋だ愛だよりも戦うことのほうが好きだったからだろうか。貴族なのだから恋愛結婚が出来るだなんて思ってもいないし特に期待してもいないが、この人があなたの婚約者よとお母様に聞かされても特に反発心は抱かなかった。
お相手、第1王子だったけど。
11歳の紅葉色づく秋の日のことである。
そして、現在。
16歳の未だ雪が残る冬の終わり。13歳で魔法学園に入学し、前世の知識を活用してなんとか優秀な成績を修めながらも騒がしい毎日を過ごしていた。そんな本日、一つ上の婚約者である第1王子の卒業パーティーでまさかの婚約破棄を叩き付けられた。王子の隣には同じ学年の男爵令嬢が私を怯えた目で見つめている。
「お前がサリーナに行っていた嫌がらせの数々。果てには先週の放課後彼女を階段から突き落としたことも全て証拠はこちらが握っている。観念しろ」
観念しろと言われても。
ちらりと男爵令嬢を見ると、きゃっと短い悲鳴を上げて王子の後ろに隠れられた。どうやら私は王子の愛する彼女を虐めていたらしいが、見に覚えは全くもってこれっぽちもない。務めとして彼女のことは知っているし、何度か注意はしたが、階段から突き落としたりしていない。
「恐れながら殿下。その証拠というのはどういったものでございましょうか?」
「目撃証言だ。幸いにも我が国民はお前の卑劣な脅しにも屈しない勇気ある心を持っている。それから先週のことについては階段にお前の名入りハンカチが落ちていた。……何か反論はあるか」
イキイキしているなぁと思った。
皆の注意が私に向いているせいか、殿下の後ろに隠れていた男爵令嬢がこっそりとバカにしたように笑ったのが見える。私は一度溜め息を吐いて、すっと顔をあげた。反論も何も。
「現場に自分の持ち物を置いてくるなんて馬鹿にも程がありません?」
「それな」
つい、うっかりと殿下が頷いた。
しらっとした目で見てしまったせいか、誤魔化すように咳をしていたが遅い。先程から思っていたが本当にもう凄く楽しそうですね?
「ジーク様……?」
男爵令嬢が訝し気に殿下を呼ぶ。
それに対してにっこりと笑みを作った彼は腕に絡んでいた彼女の手を勢いよく引き剥がした。すぐそばに控えていた男爵令嬢曰くの友人、殿下の側近達も普段ならちやほやと彼女を囲っていたというのに、誰一人としてよろめく男爵令嬢を助けるそぶりを見せない。
「………ぇ?」
「あーあ、もう少し楽しめたのに。ミリィのせいだよ」
「私のせいにされても。殿下の自業自得でございます」
「ぇ?」
状況を掴めていない男爵令嬢を丸っと放置して、殿下は私の横に立つと慣れたように腰を抱いてくる。
「まぁ、でも十分楽しめたかな」
「それはようございました」
悪趣味なこと、と小声で付け足した言葉は恐らく本人にしか聞こえなかったことだろう。ジークシード=ハインリア=ディ=ヴィアンライゼ。ヴィアンライゼ王国の第1王子にして我が婚約者。常に甘やかな笑みを浮かべる外面の良いこの王子は、はっきりいってクズだ。女遊びは日常茶飯事だし、王族の仕事より外に出て魔物退治をするほうが好き。卑怯な手を当たり前のように使い、息をするように嘘をつく。
そんな彼は婚約者というより私の悪友である。
むしろそんな男だから、気があってしまったのかもしれない。私の前世は男で冒険者なのだから。……自分は殿下ほどクズではなかったけれど。
「あれ、ミリィもしかして怒ってる?」
「えぇ」
「まさかヤキモチ…ではないね」
「妬くと思います?」
「全然。じゃあ、彼のことかな」
彼、と殿下が言った瞬間、地面が揺らいだ。
私が防壁魔法を唱えるまでもなく殿下が展開してくれたおかげで突風に髪が乱れることはなかった。勿論、しっかりと抱かれた腰のおかげで男爵令嬢のように無様に地に尻を打ち付けることもない。
あー、やっぱり出てきた。と小声で笑った殿下をちらりと見てから、私も地面を揺らした巨大なそれに視線を向けた。
遥か昔、前世で見た姿と何一つ変わらない。
空を覆い尽くさんばかりに巨大な漆黒の翼。鋭く深紅に染まった鉤爪。黄金の瞳。
最強種族、ドラゴン。
が、身の丈半分ほどの木の後ろに隠れてこっそりこちらを見ていた。
「全くもって隠れられておりませんわ」
「そもそも降りてくる衝撃が隠せてないから無理があるよね」
ガーンと言うような表情をしたドラゴン。
あの頃よりまた随分と表情豊かになったなぁとぼんやり思う。前世、今からざっと497年ほど前、三日三晩お互いの力の限り戦い、もはやどちらが勝っても恨みなし。この戦いが終わることこそどこか寂しいとさえ思っていたところ、まさかの瓦礫が死因というなんとも微妙な結末に長いこと不完全燃焼を抱えていた彼のドラゴンは、まさかの生まれ変わりである私を目敏く見つけ、再戦を申し込んできた。奇しくも11歳の秋、婚約者と対面したまさに王宮での出来事である。
勿論前世がどうあれ━━記憶も能力も引き継いではいるが━━当時の私は正真正銘ただの公爵令嬢11歳。流石に最強種族、それももはや伝説と化していた黒龍と戦うことなんて出来るわけもなく、丁重にお断りしたが、諦めきれないらしいこのドラゴンは事あるごとに私の後ろをついて回るのだ。この粘着力、まさにストーカーの域。とは、王妃様の言葉である。当時の殿下も殿下で婚約者の私よりドラゴンに興味津々で、この王族達凄く面白がっていやがる。
今まさにそうであるように、どう取り繕おうとこの巨体が付いて回れば、目立たないわけがない。同じく面白がっている陛下のおかげで、今やこの国はドラゴンの守護する国であり、私はその守護筆頭なドラゴン使いの異名を持たされている。嬉しくない。本当に嬉しくない。だが、このドラゴン。残念なことに私が命じれば犬のように言うことを聞いてしまうのだ。こじらせている。
「ミリィ、お願い」
「ラブラドライト、」
ドラゴンことラブラドライトに声を掛けるとぱっと黒くいかつい顔を輝かせて意気揚々とこちらに近付いてきた。彼からすれば小さな私たちを踏み潰してしまわぬようにぎりぎりのところで止まり、まるでなになに?と相変わらず犬のごとく尻尾を振って私のほうに長い首を下ろして伏せる。こうなるだろうなという予測のもと、今回の卒業パーティは外で行っていたため割りと慣れている上位貴族達は元よりドラゴンの着地できそうな広いところは避けており、見慣れていなかった下位貴族や庶民の生徒達は慌てて逃げていたため幸いにも怪我人はいないようだ。
「さて、本人もきたし。話を再開しようか。サリーナ=ロエナ男爵令嬢」
今まで放っておかれた男爵令嬢がびくりと肩を跳ねさせた。突然のドラゴンの登場に驚いていたらしく未だに地面に尻をつけたままだ。だが、声を掛けられて漸くはっとしたらしく勢いよく立ち上がるとその大きな瞳を潤ませ、両手を胸の前で組んでみせる。
「ジーク様どういうことです?…わたしっ、わたし」
「あ、そういうのいいから。君には反逆罪の容疑が掛かっている」
「……………………え」
たっぷりと間を開けて、男爵令嬢は間抜けな声を漏らした。私はこの件について殆どノータッチなので詳しいことは聞かされていないし、調べてもいない。そんな余裕なかったし。
「隣国と密通している件だよ。まさかかつて男爵が手を出したメイドが覇権争いに負けた第7王子の娘だとはねぇ」
彼処の国は本当に泥々しているね、と爽やかな笑みを浮かべているがこの男も女関係は凄まじい。陛下も手が早いので親子とは本当に似るものなのだろう。ただ、あちらと違って無闇に種は蒔いていないとあくまで自己宣告はしている。証拠は特にないので潔癖とはいえないが。
「おかあさま、が、王女……?」
呆然としている男爵令嬢はどうやら聞かされていなかったらしい。だが、王女ではない。あくまで第7王子がお遊びで手を出したメイドの子。王族を名乗る資格は与えられておらず、そもそも覇権争いに負けた王子の子など排除されるだけだ。だから命からがらこちらに逃げて、男爵家のメイドをしていたのだろう。それでも運が良い方だけれど、どこか嬉しそうな様子の男爵令嬢にわざわざ教えてやる気はない。
「じゃあ、じゃあ私は王女なのね!あぁ、これでジーク様と結ばれる!障害はなくなったわ!」
頬を薔薇色に染めて瞳を輝かせている男爵令嬢に対して、横で舌打ちが聞こえたが聞かなかったことにしておこう。腰を抱く腕に力が入ってちょっと痛いけれど。
「本当に話が通じないなぁ」
「あら、殿下。私の気持ちがついに分かりました?」
「嫌なほどね」
ちらりとドラゴンを見たせいか、びくりと巨大なドラゴンが震えた。えぇ、お前のことですよ。
細く長い息を吐き出した殿下は、とりあえず話を進めることにしたらしい。
「それで向こうの使者と取引した男爵によってここに送り込まれた君は、僕達に近付いたわけだ。情報収集はそれなりだったみたいだね。やたらピンポイントに弱味を見つけて甘い言葉を囁いてきたわけだから」
あぁ、あれか。
敢えて外に流している上位貴族の子息達の情報。勿論良く出来た嘘だ。その情報をどう使うか。単純に信じたり、弱味だと思って脅してくればそこでお仕舞い。ちゃんと真偽を確認出来るか。出来た上でどうするか。どこまでその情報が流れているか。我が子達を使ってチェックしている性格の悪い人達も居るものだ。流石クズの親はクズ…おっとこれ以上は流石に不敬罪か。
そして、それをうっかり使ったのかこの男爵令嬢。
「まぁ、期待はされてなかったみたいだけど。それがどうにも上手くいっているようで調子に乗った男爵が色々やらかしてくれて証拠は沢山上がってるよ。先程の茶番のように誰かの証言だとかそんなあやふやではないちゃんとした物的証拠がね」
だから男爵はもう既に捕まっている。という言葉に最近金遣いの荒さがやけに目立っていたらしい男爵を思い出す。ガリガリだったのが凄くでっぷりになったよなぁ。娘が王太子の寵愛を賜っているとか夜会で散々自慢されたと先日お父様が言っていた。それを殿下の婚約者の父親に言う神経が分からない。横には陛下も居たらしいのに。ちなみにその夜会は即行で叩き出されたらしい。
「男爵家は一族郎党縛り首。勿論君もね」
「………ぇ。」
漸く状況が分かったのか男爵令嬢の顔が青褪める。
壊れた人形のように、何度か震える唇でぇ、ぇ…とか細い音を絞り出している。先程馬鹿にしたように私を笑っていた彼女とはまるで正反対だ。だけど、そんな彼女にそれはもう楽しそうに追い討ちを掛けるのがこのクズだ。
「特に許されないのは、隣国と手を組んでミリィを狙ったことだよ」
「そ…んな!だってこの女は私を……!」
この女って言われた。どうでもいいけど。
言葉遣いといい、表情といい。元から淑女とは言えなかったけど、いつも振り撒いていた可愛らしさの欠片もない。
「あぁ、君が言ってた苛められたとか突き落とされたとか?」
「そう!そうよ!」
「それが事実であれ、虚言であれミリィに罰が下ることはないよ」
「なんでぇ!?」
「だって彼女は王太子の婚約者。それになによりドラゴンに守られる者。男爵令嬢の命より、そしてこの僕より優先される立場の人間だよ」
殿下の言葉は珍しく嘘ではない。
横で未だに伏せをしているこのドラゴンは伝説級の生き物。その気になれば一日と掛からずにこの国を灰にしてしまえる危険生物だ。本来なら近付いてくる時点で国を挙げての警戒体制を牽き、どうか無事に通りすぎることを祈る存在。それが、この有り様だ。言い方は悪いが殿下が死んでもスペアの第二王子が跡を継ぐ。だけど、私が死ねばこのドラゴンがここに留まる意味はなく、気紛れに足元の国を滅ぼさない保証はどこにもない。むしろ近隣諸国を巻き込んでここら一帯焼け野原にしていくだろう。勿論、私がこの国を見限れば結果は同じだ。
「そもそもそんな面倒臭いことせずに、ただ命じればいいんだよ。このドラゴンに、ちょっとそこの地面に降りてって」
にっこり笑って殿下が指差したのは男爵令嬢。
そう、それだけで事足りてしまう。わざわざ自分の手を汚さなくても、気付かなかったの一言でこの女を踏み潰してしまえる存在がいつだって私の後ろに居る。現に先程ぶんぶんと振った尻尾のおかげで、後ろにあった木々は根こそぎ倒れている。それに対して呼び出した私が責められることはない。そんなことは些細なことだからだ。このドラゴンが私の後をついて回った結果、何人踏み潰そうが居るだけで他国からの侵略は牽制される。何十人、何百人の犠牲は国の存亡の前では取るに足らない。ふとそういえば王宮も至る所が壊れたよなと余計なことを思い出したが、これについても責められたことはない。ただ時折お父様が胃を押さえているぐらいで。
「なんで……」
どうでもいいことを考えていたせいか、反応に遅れた。ぎっと私を睨み付けた男爵令嬢の瞳に込められた憎悪。どうやら諦めが悪いらしい。
「ここは私の世界なのにっ!私が主人公でっ!私がヒロインなのにっ!どうして悪役令嬢がっ!あんたなんかっ!あんたなんかっ!!!」
言葉の意味は到底理解できない。
だけど、そもそも彼女の言葉に一切の興味すらない。ぼっと広がった炎にそういえば、成績はあまり良くないけど魔力量は多かったと彼女の個人情報を思い出す。誰かが悲鳴をあげたけど、私も隣の殿下もその側近も慌てることはない。
頭に血が登った男爵令嬢はどうやら忘れてしまったらしい。ここに何が居るのか。
ばんっ!!!!と降り下ろされた大きな前足が男爵令嬢を押し潰した。悲鳴さえ聞こない。鉤爪の隙間から男爵令嬢が生み出した真っ赤な炎ではなく、漆黒の炎が僅かに揺らめいたがすぐに消えた。あーあ、と呟いたのは殿下だ。こうなることは分かっていたくせに。のそりと上げられた前足の下には何も残っていない。肉も骨も容赦なく全て燃やし尽くすこのドラゴンの炎には前世で随分苦労したものだ。
刺激が強かったのか、幾人かが運ばれていくのを横目に殿下はパーティーの場所を変えるから移動するよう残っていた生徒に告げた。特に慌てることはなく粛々と移動が完了し、そうしてこの場に残ったのは私と殿下、その側近。それから護衛数名だけ。防音魔法が展開されたため、今から話すことは漏れることはないだろう。
「さて、本題を始めようか。ラブラドライト殿」
『貴様に名を呼ばれる筋合いはないっ』
「ラブラドライト、伏せ」
ぐわっと体を持ち上げたドラゴンは、私の一言に先程と同じように体を伏せた。殿下がぱっと横を向いて口を押さえたまま震えている。いっそ思いきり笑ってやったほうが良いんじゃないだろうか。牙の隙間から炎が揺らめいていたが、私が名前を呼ぶとしゅんと項垂れる。今のは明らかに殿下が悪いが、こんなクズでも死なれると困るのだ。私は。
「いや、ごめんごめん。では改めてドラゴン殿。どういうつもりかな?」
『…………』
「いや。まぁ聞かなくても分かるけどね。どうせミリィだろうし」
殿下が私を見下ろすが、そちらに視線をくれてやる気はない。面倒臭いのは私も同じだ。跡形も無くなった男爵令嬢が居た場所をちらりと見て、思わず溜め息を吐き出す。哀れな娘だこと。
今回の件の発端はこのドラゴンだ。
男爵令嬢は利用されただけ。どうにもあの娘の目的は私を排除して殿下と結ばれ王妃になることだったようだが、男爵家に手を貸した隣国の狙いは勿論違う。あわよくば抱き込んで王家を乗っ取る気が無かったとは言えないが、本命は考えるまでもなく私である。私がこの国に居る限り、その後ろにこのドラゴンがいる限り、ここには手を出せない。それどころか、いつ自国にドラゴンが向けられるか分からない。だからこそ、あわよくば私を引き入れたかった。それが出来ないならどうしても殺しておきたかった。だから、常にそばにいる護衛を、殿下の側近を、殿下をどうにかして引き離したかったのだ。幸い、学園に入学してからドラゴンの目撃情報は減っている。こんなデカい図体邪魔だもの。夜以外は絶対来るなと入学する前にキツく言いつけてある。たまに破っているが。もう少し待てば邪魔な殿下は卒業するが、代わりにドラゴンが昼間も学園に留まることは決定済みだ。その為の兵の詰め所もドラゴンの寝所もつい先日漸く完成した。使用期間1年の実に無駄な設備である。
殿下が男爵令嬢と行動を共にするようになって僅か数日で隣国からの使者が私に接触を図ろうとしていた。全て私個人につけられていた王国暗部に始末されていたが。ドラゴンも後ろをつけてくるが、暗部もつけてくるのだから私が一人になれる未来はほど遠い。そういった意味では先程の茶番には歴とした証拠があったのだ。私は無実だという陛下直属の部下による証言が。
とまぁ、ここまでは隣国の話しだ。
だが、ここにもう一枚噛んでいる奴がいる。何を隠そうこのドラゴンだ。隣国を唆したのもどうせこいつだろう。男爵令嬢にも変な欲を植え付けたのかもしれない。残念ながら確固たる証拠はないけれど。犬のごとく私の言いつけを聞いても、結局のところこれはドラゴンでしかない。三日三晩戦えたのは前世の話で、あれからこのドラゴンは497年生きている。その分強くなっているのだから私が幾ら前世の知識を活用しようともこのドラゴンを倒すことはもはや不可能だ。
「で、ミリィは今回何されたの?」
「昼間っから人の部屋に鉤爪突っ込んでは室内を荒らして服やら何やら取られた。隙を見ては近寄ってきて拐おうとする」
「相変わらずのストーカー」
うっかり令嬢口調が崩れたが、気にすることもなく殿下は慰めるように私の肩を叩いた。何度やめろと言ってもこれだけは聞かない。何がドラゴン使いだ。誰よりこのドラゴンに狙われてるのは間違いなく私だ。
『わ、私はお前を守るのだ!こんなところに居てはまたいつ瓦礫が頭に飛んでくるか分からぬっ』
「去年ドラゴン殿の尻尾が当たって崩れた王宮の瓦礫が当たりそうになっていたけどね」
『黙れ小僧!お前がとっとと騙されて婚約破棄でもすれば余計な手間も省けたものを!』
「いや、あれには騙されないよ。趣味が悪いとかいう以前に頭可笑しい」
『はっ、お前には似合いだろう』
楽しそうだなぁ、殿下。
これでドラゴン大好きだものな。ドラゴンは殿下のこと大嫌いだけど。現状、この国でドラゴンの相手を出来るのは私以外に殿下だけなのだ。クズだが実力はあるし、口も回る。伝説級のドラゴンを前にして臆さない姿は私よりも前世の冒険者に似ている気さえする。勿論クズさは抜きにして。
最近とんと聞いていなかった一人と一匹の争いを横目に、私もそろそろ卒業パーティーの会場へ向かうことにした。一応の確認はしたが、だからといってドラゴンを罰する方法なんて存在しない。巻き込まれた隣国は恐らく近日中に地図から消えるだろう。ドラゴンはここを少し混乱させたかっただけで、私に手を出させる気は毛頭ないのだ。たった一つの瓦礫で死んでしまった私を、もう二度と失わないようにただただ真綿で包んで守りたいと叶わぬ夢を見ている愚かな生き物だ。過保護が過ぎてストーカーと化してしまったが。なんて傍迷惑な。
室内に用意されている新しい会場には、陛下を始めとした生徒の親等お偉いさんが沢山居ることだろう。ここは茶番の為に用意されただけの場所であり、これからはドラゴンの着地地点だ。そうして真っ直ぐ歩いた先にある本来の会場の出入り口は広く作り直されており、巨大なドラゴンが入っていけるようになっている。殿下も参加する卒業パーティーなのに、実質ドラゴンのお披露目会だ。ドラゴンの目的が何であれ、ここは確かにラブラドライトに守られている国なのだから。
『待て!私を置いてどこに行く!?』
目敏いドラゴンに早速見つかった。
「ラブラドライト、ハウス」
『うぐっ』
「僕まで置いていくなんて酷いなぁ」
「殿下は私よりあのドラゴンが好きでございましょう?引き取って頂いても構いませんのよ」
「出来るのならぜひそうしたいんだけどね」
『お前などいらぬ……』
おどろおどろしいドラゴンの声に軽く肩を竦めた殿下がいつも通りに横に並び私の腰を抱く。背後でまたもや呻き声が聞こえたがこれもまたいつものことだ。ハウスと言ったのに、ずしんずしんと後ろをついてくる振動が伝わるのもなんてことはない。全くもって全ていつもどおりのことである。