責任を果たすということ
2月14日 二回目更新
「二人とも、また来な!」
そう言って、ミランダはリルムの頭をわしゃわしゃ撫でて。
姉御肌の彼女らしい、嫌味のない豪快な笑顔を向けた。
「あ、母さんずるい!
わたしもリルムちゃんをもふもふしたい!」
そんなことを言って、サラリナもリルムの頭を撫でた。
というか狼耳とか尻尾とかをもふもふしだした。
「あうぅ……」
「あ~もふもふ」
至福の極み。とばかりに満足そうなサラリナ。
しかしリルムは、困った顔をおっさんに向けてくる。
「サラリナ、もうやめてやれ」
「え~もふもふが名残惜しいよ」
「はははっ!
リルム、もうちょっとサラリナに付き合ってやりな」
意外なことに、ミランダはもふもふを続けていいという許可を出した。
いつもなら、仕事に戻れとサラリナの尻を叩きそうなものなのに。
おっさんが疑問を感じていると、
「……アンクル」
ミランダがおっさんの名を呼んだ。
声音は低くなり、姉御肌の豪快な笑みは消えている。
真剣な表情から真面目な話があることがわかった。
「なんだ?」
「あたしゃ今から余計なことを言う。
だけどね、頭の隅にちゃんと留めといてほしいんだ」
「……わかった。
聞かせてくれ」
余計なこと――などとミランダは言うが。
この酒場の女主人の言葉が無駄だったことなど、おっさんの経験上一度もない。
「抱えちまったもんは、途中で投げ出すんじゃないよ。
責任はしっかりと果たしな」
ミランダはおっさんの目を真っ直ぐ見つめた。
彼女の言う責任――それはリルムに対する責任だろう。
この女主人はおっさんとリルムの関係に付いて尋ねてはこなかったが。
それでもこの狼人の少女が、貧民街の子供であることに気付いたのだろう。
「勿論だ」
おっさんもこの女主人から目を逸らすことなく言葉を返す。
「相変わらず曇りのないいい目をするじゃないか。
困ったことがあれば、相談ぐらいは乗ってやるよ」
ミランダは優しく笑って、
「サラリナ!
いつまで遊んでんだい。
仕事に戻りな!」
「え!?
だ、だって母さんがもふもふしていいって――」
「ならもう終わりにしな!
おらっ!
客はまだまだいるんだよ!」
「むぅ~リルムちゃん。
またね。
アンクルさんも、今度ゆっくりお話ししようね!」
母娘は仕事に戻っていった。
「あぅ……」
サラリナにずっと撫でられていたのか、リルムは疲弊していた。
「大丈夫か?」
「だ、だいじょうぶです!
し、ししょう、おしごとにいきましょう!」
「無理するなよ。
辛かったら言うんだぞ」
「はい!」
そしておっさんたちは店を出て、歩いて仕事場に向かった。
※
「豪快な女性でしたが、とても優しい方でしたね。
ああいう方は信用できます。
それにあの鋭い眼光、死地から戻った歴戦の戦士のようでした。
勇者様、あの方を連れて冒険に出るというのはどうでしょう?」
今日もおっさんを勇者にすべく、説得を始めるカティ。
「勇者様……?
聞いてますか?」
「……ああ」
おっさんはカティへ、空返事。
彼は今、考えごとをしているのだ。
『抱えちまった問題なら、途中で投げ出すんじゃないよ』
先程のミランダの言葉。
当然、おっさんは投げ出すつもりなどない。
すでに覚悟は済んでいる。
この狼人の少女を弟子にした時に、この少女が挫けぬ限りは、一人前の樵として育てるつもりでいた。
しかし、一人の人間の人生を預かるというのが大きな問題なのは間違いない。
それが身分もない貧民街の出身者の子供であるなら尚のこと。
「ししょう……どうしたんですか?」
リルムは不安そうに尋ねてきた。
おっさんが難しい顔をしていたからだろう。
くるくると機嫌よさそうに回っていた尻尾も勢いを失ってしゅんとしている。
「なぁ、リルム」
「はい」
この少女には生きるための力がいる。
樵として手に職が付けられれば、なんとか生きていくことくらいは出来るだろう。
だが、
「勉強をしてみる気はないか?」
「べんきょう……?
きこりとしてのですか?」
「それは勿論だが。
俺が言っているのは、学校で教えてくれるような勉強だな。
一般常識を含めた生きていくために必要な知識だ」
世の中を生き抜く為には、技術だけではダメだ。
最低限の知識は間違いなく必要となる。
当然、おっさんの持っている知識などたかが知れている。
だがその程度の知識でも、ないよりはあるほうがいい。
「でも……あたし、がっこうにかよえるほど、お金ないです……」
「学校に通って勉強するんじゃないんだ。
俺が教えられる範囲で教える」
「ししょうが……?」
「大したことを教えられるわけじゃないんだが……。
それでも生きていく上で必要な知識はあるからな」
この少女に対して責任を持つ以上、出来ることはやる。
おっさんは改めてそう決意していた。
「勇者様が……徐々にクズでなくなっています……!」
カティ、少し黙ろうな
おっさんは心の中でしっかりと突っ込みを入れた。
その直後のこと、
「……でも……」
「もしかして、嫌だったか?」
「イヤじゃないです!」
強い否定の言葉と共に、リルムはぶんぶんと左右に首を振る。
「だけど……あたし、ししょうにめいわくをかけてばっかりで……」
「リルム……」
リルムは我がままを言っておっさんの弟子になったことを気にしているのだ。
ただでさえ迷惑を掛けている。
この小さな少女にもその自覚はあった。
「そんな心配しなくていい。
子供は子供らしく大人に頼れ」
「……ししょう」
申し訳なさそうな顔をするリルム。
そんな狼人の少女の頭に手を伸ばして優しく触れた。
娘とは違う、モフッとした獣人らしい柔らかい感触が手に伝わる。
「……あたし……いいのかな?」
「うん?」
どういう意味かわからずおっさんが聞き返すと、少女の目から涙が零れた。
「り、リルム!?
ど、どうしたんだ!?」
突然のことで、おっさんは焦った。
何が悲しくて泣いているのか、おっさんにはわからなかったからだ。
だが、悲しんでいるということがそもそもの間違いだ。
リルムは悲しくて泣いているんじゃない。
「あたし……こんなにしあわせで、いいのかな……?」
リルムは嬉しくて泣いていたのだから。
「当然だ。
生まれて来た以上はさ。
誰だって、幸せでいていいんだよ」
当たり前の幸せすら、この少女は知らなかった。
だからせめて、その当たり前を教えてやりたいと。
おっさんは強く想う。
「ぐすっ……ししょうに会ってから、あたしうれしいことばっかりです!
みんなにやさしくしてもらって、ごはんもたべられて……しあわせでうれしいことばっかりです!」
「そっか。
なら、これからはもっと幸せになれるさ。
リルムが頑張れば、きっとな」
「はい!
ししょう、あたしがんばります!
きこりのしゅぎょうも、べんきょうも、がんばります!」
泣きながら微笑む少女の頭を、おっさんは撫でた。
優しい笑みを向けるおっさんの顔を見て、少女は決意する。
いつか必ず、この人に恩を返そうと。
自分の知らなかった当たり前の幸せを教えてくれたおっさんに、一生を賭けてでもこの恩を返そうと。
小さな身体に大きな想いを抱く。
おっさんは、そんな少女の想いなど露知らず。
「さて、話はここまでにしよう。
とりあえず今は働くか!」
「はい!」
今日も樵として伐採に励むのだった。