25歩目「予期せぬ密告者」
翌日、まだ日が高く人通りが比較的少なめな歓楽街を一人の男が歩いている。一般的なシャツにベストにズボンと大き目の傘のような帽子、この国の一般的な服装の特に印象残りそうにない男性だ。だがもし、彼を朝から見ていた人間がいたならば彼の姿に驚愕していただろう。何故なら一時間前は彼は白いひげを生やした老人の姿をしていたし、その数時間前はふくよかなどこぞの夫人だった。さらにその前には別の姿をしていたのだから驚きだ。
しかし彼を不審に思う人間はいない、何故なら不審に思うような人間を振り切るために『彼女』はこんな面倒なことをしているのだから。
ボンヤリと前を向いて歩いているように見えて、彼は絶え間なく周囲を探っていた。通常の五感を使ってではなく『彼女』なりの方法でだが。たっぷり半時ほど興味本位以外で自分を見ている存在がいないことを確認すると、彼はゆっくりと移動を開始した。
目的地は、桃色の蜂蜜亭。普段の『彼女』であれば絶対に足を運べない場所だ。仮に行こうと言い足した瞬間、周囲の人間からありとあらゆる手段を駆使して止められるだろう。それはそれで面倒なので彼女も命にかかわるレベルの急用でもなければここには来ない。
「いらっしゃいませ、ご予約はございますか?」
やっと接客に慣れて来た木乃美も別段怪しまずに普通の客と同じように対応し、『彼女』も別段気にも留めずに普通の受付嬢に対して声をかけた。
もしお互いに面識があれば、あるいは『彼女』の方にだけでも面識があれば運命は変わったかもしれない。
「予約はない。店主を呼んでくれ、ビスケット好きの客が来たと告げてくれればいい」
「はい?かしこまりました」
木乃美がマハリに、ビスケットのビスまでを言った瞬間、マハリが顔色を変えて立ち上がる。
「木乃美、ちょっとかの……じゃない彼と話があるから。107号室を借りるよ」
「……はぁ」
マハリが男性の腕を引っ張る、というより殆ど引きずるようにして107号室まで引っ張ってきて中に押し込む。念のため周囲を確認してから……厳重に鍵をかけた。
107号室は、夜のお勤めにも使われる部屋で、この宿で一番の防音性を誇る。つまり密会や密談にはうってつけだ。
「……天下の組合の切り札さんが一体何のよう?」
「釣れないなーマハリちゃん。私と貴女の中でしょう?」
男性の姿が解ける様に変化する。中から出てきたのは、工具をたくさんつけたベストを脱ぎながらにっこりと笑った。
「まあ、歓迎はするけど。本当にビスケット食べに来たわけじゃないんだろ?組合の切り札の一枚、発明王トーラちゃん」
笑顔のトーラは一転表情を曇らせる。
「アンタ殺されるよ?このままだと」
戦闘シーンがまだまだ遠いですね。