一歩
消毒されたように青白い廊下を、透明コンテナが音も無く滑っていく。
積荷は椅子が二つ、今期挑戦者が一人、それに女性ナビゲーターが一人。
行く先の試合会場は元々大型機械の動作試験を行う地下施設だった。外界と完全に遮断されるため、仮に事故、例えば対戦機が暴走しても保安上何の問題も無い。かつて薬品や試験装置を輸送したこの通路は、挑戦者が念仏を唱えて心を鎮める最後の場所に変わっている。
直前になって念仏を唱えるとは覚悟が足りない、というのは全く持って見当違いだ。臆病風に吹かれた人間はそもそもここまでやって来ない。命をかける事に納得した者だけがこの通路を通るのだから。
心を静めると言っても仏のようになってはいけない。対戦機を破壊するには抜身の刀のような緊張感が必要だ。決戦場に持って行く種火は必要なのだ。となると結局は、適切な状態を維持するために、つぶやいたり、無意味無機質な動作を繰り返す事になる。貧乏ゆすりや、あるいはこんな風に、深海魚がはためかせるヒレの様に、右手を握ったり開いたりを延々と繰り返すのだ。
直線上のはるか先、会場の入り口はなかなか近付いてこない。
焦燥と安堵が混ざって胸焼けがする。あの扉をくぐればものの数分で自分の生死が決まる。自分と対戦機の両方が無事に残る手段もあるにはあるが、それは自転車をこぎながらトランプタワーを完成させるような曲芸としか言いようがない。そんなものに期待は出来ない。
何も見ない方が良いかもしれない。
目を閉じて呼吸に意識を向けよう。
父から教わった心体調整法の一つ。もう体に染みついている。
昔と同じように、四秒吸って四秒止めて、四秒吐く。
四秒吸って四秒止めて、四秒吐いて四秒止める。
それを繰り返していく……。
微かな機械音と共に今まで聞き流していた音に気付いた。
隣の娘はいつから話していたのだろうか。
「……なので開始前の礼は必要ありません。御存じの通り会場内には無数のカメラが設置され、挑戦者様の口元には指向性マイクが常に向けられております。勝負開始は口で宣言なさっても良いですし、会場中央にて直接手で」
「知ってる。試合が決まってから何度も同じ説明を受けたよ。試合時間は最長二分で、先攻後攻の決定を勝負開始直前にやるようになったことも知ってる。どっちが決めてもいいって事も知ってる。知ってるんだ。すまないが少し静かにしていてくれ。少し集中したい」
娘は素直に、はい、と言ったきり黙ってしまった。
拍子抜けしてまた目を閉じる。
機械が如何にして人に勝つかはもはや過去のものと成り果て、人がいかにして機械に勝つかが始まって一世紀が経とうとしている。
人自らが作った機械を破壊するという行為に一体どんな意味があるのだろう。高く積み上げた積み木の塔を倒すようなヤワな話ではない。それは挑戦者の墓の数が物語っている。困難で見返りの無い行為ではあるが、しかしどこか人の心をくすぐるものがあるのも確かだ。だからこそこんな大がかりな決戦場が作られ、挑戦者が後を絶たないのだ。
人を惹きつけるその根源とは何か。俺は人間の本質と関わっている様に思う。つまり知的活動だ。わざわざ知恵を絞って有形の難題を作り上げ、それをどう解くかに脳髄を絞り、命までかける。面白くない訳がない。
自分がこんな場違いなイベントに参加する事になるとは思っていなかった。無人の戦闘兵器が地を駆り空を飛び、街では治安ロボットが溢れている時代だ。古流武術の様な対人術はもはや伝統芸能である。打撃や斬撃の最大効果を発揮する術理を身に付けても、実践する場所がこの世界には無い。全力で立ち向かう相手もいない。故事にある屠竜の技、竜を殺す技を身に付けたが竜がいなかった、に似ている……ようで少し違うかな。
扉の向こうの対戦機を思い描いてみる。去年までの姿は馬のような胴体の上に一本の腕、二門のレールガン、六本の脚。見てくれは跳び箱のお化けみたいだが、何十人と挑戦者を破って来た凄腕の処刑人だ。今年の相手はさらに改良され姿を変えているかもしれない。
用意してきた作戦は通じるだろうか。去年の挑戦者と同じく戦闘直後に頭を吹っ飛ばされやしないだろうか。
その決定的な瞬間へ向けてコンテナは音も無く自動的に進む。一点透視図のお手本のような通路の先、いつからか処刑場と呼ばれるようになった大会決勝戦の会場へ向けて。
どうもよくないな。さっきから悪い方へ考えてしまって。集中したいから黙れと言っておきながらこの様だ。手慰みは止まらず、考え事もあちこちへ飛んで落ち着かない。こんな事ならもう少し優しい言い方をすればよかった。この世で最後に話をする人間かも知れないのに。
横目でちらっと見てみると、ナビゲーターもこちらをじっと見ていた。その瞳に不満や怒りの色は無い。先生の話を聞く小学生のような熱心な目付きだけど、そこに少し憐れみが含まれている。
「何か言いたい事が?」
「一つお聞きしてよろしいですか?」
「どうぞ」
「怖くはないんですか?」
「…ハハ。その話か」
思わず笑ってしまった。使い古された冗談を聞かされる気分だ。
同時に少しほっとしていた。見知った場所に戻された様な気にさえなった。でもまあ冗談うんぬんはこちらの言い分で、真面目な質問に笑って答えるのはさすがに失礼か。
「君の言う怖くないのかっていうのは、命がけの勝負の事でいいのか?」
ナビゲーター娘は、それ以外に何があるんだと言いたげに、躊躇いがちに頷いた。
「そうか。なら答えは、あまり怖くない、だ。」
「あまり怖くない? 本当にですか?」
「あぁ。全然ではないけど」
「……私にはわかりません。命をかけてまで、というのが」
「恐怖の源泉は人によって違うからな。君は将来に希望を持っているか?」
「……多分、人並みには」
「美しい絵を見たり音楽を聴いたり美味しいものを食べたり。素晴らしい出会いが有り、知識を増やし、生み出してゆく……そういう事がこの先もうないとしたら?」
「え……?」
「ただ平坦で変化の無い道が続いてると気付いた時、これまで危なくてやろうとしなかった事をやりたくなるんだ。避けていたものが視野に入ってくる。すると歩いていた道幅がぐんと広くなる。ところがそうなるとまた新たに可能性について考えるようになって、まだ死ねない、なんて考え出すんだよ。でもな、人は一旦広がった視野を狭める事は出来ない。きっと本能なんだろう。そういうもんなんだ。だから視野を犠牲に危険から身を引く、という事はしない。危険を承知で視野を維持する。逃げずに備えるようになる。俺はこの試合が決まってからあらゆる手を考えて、死ぬ確率を下げようとしてきた。あらゆる記録を探り、武器、防具を検討し、訓練する。思いつく限りの展開を想定して訓練を繰り返してきた。神社にお参りにもいった。そうしていてある一定点を過ぎると、割とどうでもよくなるのさ。試験勉強に飽きて、もういいだろう、さて本番行ってみるかって感じでね。具体的な行動をとると対象の虚構は剥がれ落ちて本当の大きさが見えてくる。自分が死ぬ可能性については理解しているよ。静まってるだけでちゃんと恐怖も残っていると思う。でも恐怖に捕らわれる事はなくなった」
ならば焦燥も不安も無いはずだけど。まあこれは黙っておこう。
へー、そうなんですね、というありきたりな返事は無かった。彼女はずっと生徒の眼のままこちらを見詰めてくる。見詰められるというのはなかなか悪くない。
「もう一つだけいいですか」
「あぁ。何でもどうぞ」
「きっかけは何だったのですか?」
彼女は返事の代わりになかなかの質問を返してきた。そして妙な事に、俺はまた少しほっとしていた。
「きっかけは特にない。強いて言えば時代と生まれか。俺の家は古流武術の道場をやっていた。長い歴史のある、殆ど門下生のいない道場だった。父も教室代だけじゃやっていけないと見切りをつけて、昼は工場で働いて夕方から教室を開いていた、そういう小さなところだった。だから継がせる気はなかっただろう」
不意に道場へ続く廊下が頭に浮かんできた。こんなにつるつるじゃないけど、黒くて綺麗な木の廊下で、冬だけ軋む場所があった。
「俺は教室が大好きだった。毎日父が帰って来るのが楽しみで、大人五人くらいと混じって一生懸命声を出していた。礼儀作法を習い、技を習い、絶対外で使うなと念を押され、沢山叱られたし、褒められもした」
時折彼女と目が合わせて話し続けた。こんなに話しやすい人は初めてだ。自分の事をここまで話した事があっただろうか。
「体も大きくなって一通りの技を覚えた頃、道場を継ぎたいと言ったら、強烈に反対されたんだ。学校へ行って社会へ出てからだ、ってな。父に勝てる訳がないし、まあ何か大事な理由があるだろうと考え直して進学したが、どうだろう、あれは良し悪しだったな。知恵はついたが、うちの道場が行き詰まる事も分かってしまった。それから色々悩んだりしたな。卒業して五年後に父から奥伝を受けた。あれが俺の人生で最高の瞬間だったかもしれない。そしてその三年後に父は鬼籍に入った」
彼女が小さく頷いた。少し気持ちが和らぐ。
顔を上げるといつの間にか会場の入り口が近付いていた。あんなにうんざりするほど遠かったのに。
「門下の人たちは父と密かに『父の代で辞める』約束をしていたみたいだ。俺が未熟だからとか、この行き止まりの道から遠ざけようとか、そんな理由もあったのだろう。それでもやり続ける程ならやればいい、という意味もあったと思う。死蔵していたちょっとした美術品や刀剣を売り払ってでも道場自体はどうにか残してくれたんだから。
だから俺は仕事から帰って、一人で訓練した。父と、楽しくて優しかった門下のおっちゃん達を思い出しながら、皆と一緒にいるつもりで稽古をし続けた。数年が過ぎて気持ちに整理がついてみると、自分の動きに無駄がなくなって、しかもまだまだ受け継いだ技に改良の余地がある様に感じた。感激したよ。これは父からの贈り物だって。それからはまた新たな気持ちでひたすら延々と技を練り上げた。技が発生した理由や本質を考えているうちに、体の構造を理解して自由に操る事が出来れば、技はいくらでも生み出せると感じたんだ。……ああいや、こんな話してもしょうがないか。兎に角俺は武術の芯の部分、核の部分に触ろうと、思い出と一緒に楽しんでいるだけだった。道場を大きくする気も運営する気も無かったんだ。空手や柔道みたいに有名なら良かったけど」
「そのためにこの大会に出られたのですか」
「……今それに気付いたよ。そうか、そうだな。でも大会に出るのを決めたのは名を広めるためじゃない。鎧組打ちの道場は俺の代で本当に終わりだ。嫁も子供も門下もいない。ただし、けが人や死体の山と交換で生まれた術理が俺の中にある。いわば一族の歴史、俺の人生の集大成、ただ消してしまうのはあまりに惜しい。これをガチンとぶつけて死ねるなら本望なんだ。俺が怖いのは……おっと」
コンテナが微かに速度を緩めた。会場入口は直ぐそこまで迫っている。
いつの間にか右手の手慰みが止まっていた。
俺はきっと話したかったんだろう。
ずっと、誰かに。
「不躾な質問に丁寧に答えて下さってありがとうございます」
ナビゲーターが初めて微笑んだ。こんな土壇場で自分に必要だったものが埋まっていく。
「こちらこそありがとう。おかげで落ち着いた。最後に話すのが君みたいな人でよかった」
「もしよろしければ、勝負の感想を聞かせてください」
「……はは! じゃあ十分程待っていてくれ。感想は少し長くなるかもしれんよ」
最後の一時にこんなに気持ちよく笑えるとは思っていなかった。この娘を選んだ人に礼を言わないといけないな。
コンテナを降りナビゲーターに見守られて、決戦の会場へと向かう。
電磁遮蔽された半球の処刑場へ。
ナビゲーターの娘はずっと、振り返っても振り返っても、ずっとこちらを見ていた。
二重の扉を二度抜けて、一つ礼をして真っ白な場内に入った。正面の日の丸に向けまた礼をする。前回大会と大差のない処刑人を見つけ、もう一度、礼。跳び箱のお化けは礼をしない。これが彼と我との差だ。
半球の壁面に景色を映し出す事も出来ると言われたが、どうせ生き死には数秒で決まる。必要のない事だと断った。
あの娘が言っていた通り、壁面には無数のカメラとマイクが設置されていて、中の様子は立体映像として配信される。一世一代のお披露目の舞台は、酒場のちょっとした箸休めの話題になり、あるいは賭けの対象にもなっている事だろう。
白の球面に赤色で五分が表示された。
そのままカウントダウンが始まる。
下は細かな砂利が敷き詰めてある。これは前回大会と同じ白と黒と灰と茶。血の色も混ざっているかもしれない。感触は悪くない。コンクリよりは断然こっちの方が良い具合だ。
その身一つでやりあうという建前上、火薬の使用は禁止されているが、弓や投石機、あるいは電磁式の飛び道具は許可されている。決戦場全天が厚さ十メートルの強化プラスチックで覆われているのはそのためだ。
相手はレールガンを二門装備、まず間違いなく試合開始直後に撃ってくる。秒速二キロを超える初弾をかわす事が出来るだろうか。飛び退いたところを狙う次弾をかわせるか。間合いを取る相手に追い付けるだろうか。近付いた時、相手の斬撃を捌ききれるか。
対戦機処刑人までの距離は約五十メートル。二者の間に木製の台座と工芸品が置いてある。主催者の粋な計らいと聞いたが、さて、それに触れる機会があるかな?
壁面に二分の表示。
開始まで後二分。カウントダウンが続く。呼吸に変化なし。
……フフ。そう呼吸に変化はない。大丈夫。
熟練の狙撃手の如く静かにその時を待つ。
壁面に一分の表示。開始一分前。
処刑人のモーター音が呻りを上げ始めた。
前回大会にて、処刑人のKOタイムはおよそ三十分の一秒。瞬きをする間もなく挑戦者は死んだ。言わせてもらえば、彼らには覚悟が足りなかった。だが俺はすでにそのハードルは乗り越えている。試合映像から考え付いた事はすべてやった。十分な期間をかけて特注の武器にも慣れた。
奴はレールガンとは別に接近戦用の得物を持っている。俺は大型の棒手裏剣と太刀を使う。一本ずつで十分。手裏剣で体勢を崩して接近し、脚二本を貰う。二本落とせば処刑人の動きを大幅に制限できる。初っ端二発のレールガンをかわして、次弾発射までの三秒が勝負。
かわして、止めて、始末する。それが筋書きだ。
バランスが悪くなるから背中の太刀はまだ抜かない。まずは左手の手裏剣を活かせるかどうか。
腕に力がこもる。
脚に力がこもる。
じゃり、と音を立てて足の位置をきめる。
残り五秒
四
三
二
一
レールガンバレルの一方がこちらへ指向。
発射。
直前に飛ぶ。
無傷でかわす。
くそ。ソニックブームで少し体軸がぶれる。
視界の端でもう一方のバレルが指向。
ちくしょう、よく見えない。
二発目発射。
渾身の手裏剣投擲。反作用で上体を僅かに逸らす――
鉄球に左腕を吹き飛ばされる。
しかし衝撃に耐え切り身体は無傷!
かわした!
二発ともかわしてやった!
劣化ウラン手裏剣は派手な音を立てて敵本体に命中。
運動エネルギー弾を突き立てられた処刑人がよろけ、距離をとる脚が止まる。
レールガン次弾装填発射まで三秒。
ここで決める!
亜音速でジグザグに距離を詰め劣化ウラン刀を抜刀。
試合開始一秒経過。
処刑人のアームが槍を取り出して構えた。
槍の間合い。
相手の一撃を潜ってかわす。
ぎりぎりの間合いから右から左へ脚を斬り飛ばし、返す刀でもう一本。
残り一秒。さらに距離を詰める。
しかし早い!
殺意の塊のようなレールガンバレルが再度こちらを向いた。
やはり改良されていたのか――
バレルを右目に突き付けられた瞬間、色々なものが瞬時に、ごちゃ混ぜで脳裏に浮かんだ。
若い両親の姿。門下の人達。飼っていた猫。
学友。同僚。
プロモーター。スポンサー。
しつこく確認をする医者。
整備屋のおっさん。商社の男。鍛冶の男。
ナビゲーターの女。
処刑人には破壊される恐怖も、危機を乗り切る喜びも無い。
致命的な鉄球は、何の躊躇いもなく、即座に発射された。
およそ百年前、とある勝負の結果を受け入れず対戦相手を破壊して唾を吐いた奴がいた。
それからだ。こんな馬鹿な大会が始まったのは。
機械とは何か。
機械とは、人類の知恵の結晶だ。
機械との勝負とは人類の科学の歴史と勝負する事。
機械に勝つとは人の歴史に勝つ事。
生半可な覚悟では為し得ない。無事でいようと思っていては土台無理な話なのだ。
これまでの挑戦者はそこに隙があった。体を一部機械化しても脳を捨てきれなかった。それゆえ脳を守るため機体能力の限界を低くせざるを得なかったのだ。
だが俺はその境界を踏み越えた。体の加速に耐え、全てを表現できるように。
ただの計算機になってはいないか、新たな思考を生み出せないのではという危惧は、生身の人間だって生後時間をかけてプログラムされて、自身の動きを最適化して動いているじゃないか、何かのきっかけで生き方が変わるのは、それはつまり、外部刺激によりソフトが更新されるという事なんだ、と強引な理論でねじ伏せた。
しかし……。
自分では人間だと思っているが、本当にそうなのか。その問いに最後まで答えを出せなかった。自分では人間だと思っているが、本当にそうなのか。その問いに最後まで答えを出せなかった。
俺が唯一怖かったのは、全身の機械化後ずっと思い悩んでいたのはそれだ。試合が始まる前に、すでに終わっているのではないかという危惧。定義と証明方法を決めきられなかったが故に生じた恐怖。数百年にも及ぶデカルトの呪い。
小物と言われるかもしれない。しかし俺の恐怖の源泉はまさに、「他者から人と認められない事」だった。
しかし今やその問題は解消されていた。
ほっとしたのはそのためだったんだ。
怖さは生の証だ。
あの質問は俺を人として見ていたからこそのもの。
高速処理が生み出す疑似走馬燈にも現れた彼女は、俺を人と認めてくれた。
この心のかせを外された時点で勝負は決まっていたのだ。
亜音速で処刑人の脚を切り落とし、レールガンバレルを向けられた瞬間、考えるより早くこれまで実行した事のない命令をボディーに下していた。
下半身を左回りに一回転、地面に脚を突き立て固定した直後、のけ反りながら上半身を高速回転。
高速の弾丸は空を撃ち抜き、劣化ウラン刀が下から敵本体を捕らえバターの様に両断。
処刑人は含リチウムのバッテリー液を噴き、紅の炎が宙を美しく染め上げた。
二つになった処刑人を滅茶苦茶に切り裂き、破片を蹴り飛ばす。
残骸を踏みつけ、俺は太刀を掲げ気狂いの様に絶叫していた。
ただひたすら、この体に必要のない息継ぎをはさんで叫び続けた。
とめどなく溢れる涙に笑いながら、あらん限りの声で叫び続けた。
涙を実装していて良かったと馬鹿みたいに笑い、そして叫んだ。
そしてそれは処刑場の外でも同じだった。
世界中で皆が叫んでいた。
観客も、プロモーターも、スポンサーも、処刑人制作側も。
手術をした医者も、整備屋のおっさんも、商社の男も、鍛冶の男も。
賭けに勝った奴も負けた奴も。
扉の向こうで待つナビゲーターの女も。
内側から湧き出るエネルギーの源が一体何なのか、その場では誰も言葉に出来ない。
だが、何か恐ろしい事が起こった事は理解していた。
人類は自らの歴史すら丸飲みし、新たなステージに進んだのだ。
どれ程時間が経っただろうか。
泣き腫らした後のような程よい疲れと爽快感に酔いながら、俺は中央に目を向けた。
大会決勝のケリを付けなくてはいけない。
中央までの栄光の道をゆっくりと味わいながら歩いて行く。
初弾のソニックブームに吹き飛ばされた工芸品は半分以上が裏返っている。
なるほど、おあつらえ向きだ。このほうが格好がつく。
それらを木製の台座に戻し、しばしうっとりとした。素人目にも分かる逸品。こんな荒事の繰り広げられる場に似つかわしくない品だ。
満足のいくまでたっぷりと眺めた後、その内の一つをつまみ上げた。それを台の中央からやや右下に叩きつけ、高らかに宣言する。
「2六歩」
処刑人は動かない。
沈黙のまま奴の持ち時間の一分が過ぎ、俺の勝ちが確定した。
馬鹿な男が乱暴な盤外戦術に出て以来、実に九十五年ぶり。
人間に名人の称号が戻った瞬間だった。
元々は、「すでに将棋が完全に解析され後手必勝と判明し、タイトル戦は決闘で先後を決めるようになっていた」という話でした。
構想を練っている途中で、ニコニコの電王戦を観て、いよいよとなったら機械壊せばいいじゃん、なんて思う内に、戦闘能力を持った将棋ソフトの話にまとまりました。