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南に座す香美位山(かみいやま)の中腹で、儀式は行われた。


ぽっかり空いた底知れぬ洞穴を塞いでいた岩が取りよけられ、朽ち果てんばかりに古びた封印の印が外された。


領民でさえ、いわれを忘れて久しい洞穴の前に立った祈姫は、(まご)うかたなく清らかで美しく、また、気高かった。

耳に馴染(なじ)みの無い祝詞(のりと)に送られ、気高き生贄は、謎の洞穴に消えた。


まん丸い二つの握り飯と、水の入った三本の竹筒を載せた三宝(さんぼう)が入口に供えられ、真新しい板で作られた頑丈な扉に見える(ふた)で、洞穴はしっかりと塞がれた。


同行した供の者どもは、産み月が近い大きな腹の奥方をいたわり、返そうとしたが、生さぬ仲とはいえ、我が姫の大切な役目を見届けたいと、反対に他の者どもを引き揚げさせ、修験者と共に二人、その場に残った。


さらに続く祝詞の声に見送られ、涙を抑えて下山してゆく人々の姿が消えると、奥方は腹を撫でて笑った。

「ふふ……、これで、この子しか居なくなった」

修験者は祝詞を止めた。


「やれやれ、祟りを起こすのも、なかなかに面倒なものだったわ」

「封印が施された洞窟とは、全くおあつらえ向きに、もっともらしい場所を見つけたわね。土地神ではないのでしょう?」

奥方が目を細める。

「おう、おそらくは、大昔に祟り神か魔物でも封じたのであろうよ。今となっては、誰も覚えて居らん。喰われるかもなあ」


修験者は、さすがに少しばかり眉をひそめたが、奥方はどこ吹く風と受け流す。

「もう、祟りは起きぬ。姫よ、安心して眠りに就くがよい。永遠にな」

いっそ晴れ晴れしいほどに高らかな声で、奥方は洞穴に向かって言い放った。


洞穴の入口は、香美位山の北面である。

板の継ぎ目にあるはずのわずかな隙間からも、光といえるほどのものが入り込む事は無い。

闇の中で、祈姫はその声を聞いた。

やはりと思った。

悲しみながらも、おのれが抱いてしまった疑惑が間違いではなかった事に、 少しばかりほっとしていた。

誰もが認める後添えを疑ってしまった自分を、許すことができる。



時の流れは目に映らない。

特に手がかりさえ無い闇の中では、ことさらである。

どれほどの時が流れ去ったのか、気がつけば、辺りは静けさに囲まれていた。


祈姫は、手探りで姿勢をただした。

出来ることは、一つしかない。

静かに両手を合わせ、土地神に届くようにと、祈りをささげた。

開けても閉じても変わらないが、いつもの習慣で目は閉じた。

何処からか聞こえてきた、ねぐらに帰るらしい鴉の声に、わずかばかりの慰めを感じて。



どれほどの時が過ぎたろう。ふと、喉の渇きを覚える。

瞼を開いてみたつもりだったが、闇しかない。

瞼を開いているのか閉じているのか、自分でも分からなかった。


為す術もないまま、さらにいくばくかの時が過ぎた頃、何処から忍び入って来るものやら、淡い光に似たものが滲んでいるのを感じるまでになった。

三宝があるらしいのが 分かる。

そこが洞穴の入り口なのだろう。

手探りで進み、手を伸ばせば竹筒に触れた。

それをつかんで引き寄せた刹那、ふと、後ろに気配を感じる。


ゆっくりと振り向いた。

そこには、ただ暗がりがあるばかりで、もとより何も見えない。

だが、気配は少し濃くなった。

何か居る。

洞穴を満たす闇よりもさらに黒々とした何かが、うずくまっている。


息を殺していたのは、長くなかった。

握りしめた竹筒の水が、末期まつごの水になるかもしれない。

祈姫は苦心して栓を抜いた。


清涼な水の匂いが、かすかにあふれ出した。

気配が 身じろぎする。

「水が、欲しいのか」

問いかけてみたものの、特に返事は無かった。


祈姫は、黙って、ただ竹筒を持った手を差し出した。

ひったくるようにもぎ取られた。


ぴちゃぴちゃと水の音がしたと思ううちに、気配がずるりと濃くなった。

からーん。

空になったらしい竹筒の転がる乾いた音が、明るく洞穴にこだました。


気配は、蹲ったかのように動きを止めた。

代わりに、かすかな音がし始めた。

それは、少しずつ、少しずつ、うねりながら大きくなり、うめきに似た音になった。


「腹が空いているのか」

再び問いかけたが、やはり返事はない。

祈姫は手探りで握り飯をつかみ、先ほどと同じように腕をさし伸ばした。

乱暴な手ごたえを残して、握り飯は消えた。


やがて、呻きは、岩と岩をこするような、ひび割れた声になった。

「おまーえー はー、…… うー まー そー だあー」

様子を探るように、ガリガリとした声が洞穴の壁を伝った。


「魔物か」

祈姫の問いかけには『私を喰らうのか』が含まれている。


返事は、なかなか返らなかった。




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