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辺境の案内人  作者: 戦犬
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辺境の森

――やれやれ、拝謁を望むとは不遜な――


 目を閉じているのか開いているのかすら分からない暗闇の中に居たのは、それほど長い時間ではなかったはずだが、アリシアはそんな声なき声を聴いた気がした。


 闇の中から急に視界一杯の光を感じ、アリシアは何度か目を瞬かせる。慣れてきた目で周囲を見渡すまでもなく、溢れんばかりの木々で埋め尽くされたその場所は、深い森の中のようだった。

 自分を囲む巨大な木々の群れに圧倒され呆然とするアリシアが、不意に手を引っ張られる感触に顔を巡らせると、キーチが彼女の手を握ったまま嬉しそうな目で見つめていた。


「ちょっと予想外の場所に出たけど……何はともあれ、辺境へようこそ!」


 アリシアはその森が放つ、沢山の動植物の営みが織り成す混沌とした空気を胸いっぱいに吸い込みながら、ゆっくりと周囲を見渡した。

 耳には上空の強い風の音と、揺れる木々のざわめく大きな葉音。そしてその音に掻き回されながら、しかし打ち消される事なく己が生命を主張する、動物たちの力強い鳴き声が聞こえる。


 ただそこにあるだけのはずの自然が、不思議と強く胸を打つのを感じる。


「ここが、辺境。こんなにも――」


 言葉にならない思いをどうにか口にしようと、もどかしげなアリシアを無視して、キーチは真剣な顔つきで周囲を見渡す。


「うーん、植生から見てグウォル森林のどこかに飛ばされたらしいな。あまりにも座標からかけ離れてる……これは干渉されたなぁ」


「座標? それに干渉ですか?」


「ああ、こっちの話。そんなことよりもアリシアは辺境は初めてだろ? 辺境の法則って分かってる?」


 質問にはまともに答えず、逆に質問を返すキーチに、アリシアは首を傾げた。


「辺境の法則……決まった場所に飛ばされるとか、魔術や闘技のような不思議な力が使えるとか、ダンジョンがあるとか魔物が出るとかですよね」


「そうそう、もっと沢山あるんだけど。細かい辺境ルールは道々で教えてあげるよ」


 アリシアが少し考えながら並べる答えに、キーチはうなずく。


「それでこの第8辺境だとさ、今いるグウォル森林から約10日くらい離れた、ヒューの丘って場所のどこかに飛ばされるはずなんだ。境界門からの転送範囲は結構広いんだけど、ここまでずれる事はそんなに無い」


「転送される場所がずれた。それが干渉ですか?」


「んー、うん。ま、有り得ない事態でもないか。目的の平原はこの森林を抜けたさらに先だし、道のりを10日分も短縮できたってことを今は喜んでおこう。それより辺境に入ったんだし、武器は収納鞄から出した方がいい」


 これもルールね、とキーチは言うとベルトの背中側、口を横向きに縫い付けてある小型の収納鞄へと手を入れる。

 そして小さな鞄から、ずるりと引き抜くように一振りの剣を出すと、慣れた手つきで左腰に装着する。黒い革を部分的に金属で補強してある外套に、同じ黒革の鞘に金色の柄、柄頭に紅い宝石があしらわれた剣を帯びたその姿は、黒髪のキーチによく似合っていた。


「あ、そうですね。もう辺境なんだし、護身用以外の武器も解禁されるんだ」


 アリシアもキーチに倣って、たすき掛けにしている収納鞄から細身の剣を取り出すと、腰の剣帯に装着した。キーチはそれを見て少し目を見開いた。


「へえ! 良い剣だ。貫通力特化の術式が付与されてるのか。その収納鞄もかなり内部容量拡大がされているね。着ている革鎧や外套から心配はしていなかったけど、開拓者の中でもそれだけの逸品を持ってるやつはそう居ない」


「あ……実家のものを無断で持ち出してきたんです! う、うちは成金なので!」


 少し慌てて言い繕うアリシアの姿だが、綺麗な空色を基調とした外套を身に纏い、その下に装備している細剣と革鎧、おまけに指輪や腕輪等のアクセサリーに至るまで、強力な攻撃と防御の術式が込められているのが分かる。

 金髪碧眼で美しい顔立ちも相まって、その立ち姿はとても商家の娘とは思えない。まるで聖王都が誇る聖騎士の様な雰囲気であった。


「はは、成金だなんて親が泣くぞー。さあ装備も準備も万端だ、先へ進もう」


 キーチはそう言うと巨木の森の中を迷いなく進んでいく。樹齢は如何ほどなのか、一本一本の木が巨大な森は、木々の間がある程度開けているため二人が並んで歩くのに差し支えはない。しかし踏み均されていない前人未踏の深い森の地面は、アリシアには歩き辛いことこの上なかった。


「先へって、いつもと違う場所なんですよね!? 現在地もしっかり分かってないのに、どっちへ行けばいいのか分かるんですか?」


 悪路に顔をしかめながら付いてくるアリシアの当然の疑問に、キーチは気楽な調子で少し先を歩き易いようにゆっくりと均しながら答える。


「大丈夫大丈夫、方角は分かってるから。このまま進めばいずれぶつかるはずなんだ」


 そう言って口を閉ざしたキーチは、不安そうなアリシアを伴って歩く。

 時間的にはまだ昼前のはずだが薄暗い森の中で、アリシアは時おり聞こえる何か分からない動物の鳴き声や、そこかしこを這う虫たちに怯えながらも必死でキーチの後ろを付いていく。


 どのくらいそうして歩いたのか、アリシアの顔に伝う汗を拭うのも億劫になり、呼吸の荒さを抑えることが難しくなってきた頃、キーチは嬉しそうに前を指さした。


「お! あったあった! 今日はここで休むことにしよう」


 キーチが指し示したのは巨大な森の中に突然あらわれた、固く踏み均された広場だった。


 アリシアには分からなかったが、そこを森を歩く猟師や開拓者が見たのなら戦慄を禁じ得ない、何か巨大なモノが行き交うことで作り出された長大な獣道であった。


「一体、この広場は……でも、休めるのは、助かります……」


 息も絶え絶えなのを痩せ我慢していたアリシアは、手ごろな石に腰掛けると大きく息を吐き、収納鞄から取り出した水筒を呷った。

 そんなアリシアに反して、キーチは疲れを全く感じさせない動きで野営の準備を進めている。


「よくがんばったね。明日からはこれに沿って移動するから、今日よりは歩き易いはずだよ。かなり足に負担をかけた筈だから、豆や靴擦れにならないように治癒系の軟膏を塗るのを忘れずにね。あ、これも辺境ルールな。足は大切に」


「お気遣いをどうも……ただ歩くのが、こんなに辛いとは……」


 俯いてやっと返事をするアリシアを見やって、キーチは楽しそうに笑った。


「喋らなくってもいいよ、野営の支度はすぐ済ませるから、今日はもう寝るといい。それに運が良ければ歩く手間も省けるようになるしね」


 またよく分からない事を話すキーチに、質問をするのも億劫だったアリシアは、野営の支度をしているキーチへ少し罪悪感を覚えながらも、寝具を取り出して横になる。

 アリシアが目を瞑ると、疲労からすぐに睡魔はやってきて、泥のような眠りへと引き摺り込まれていった。


「お疲れさん。さて、あとはこれを火にくべないとなー。臭いが届く範囲に居てくれると良いんだけど。この旅路を占う運試しってところかな」


 眠りに落ちるアリシアを優し気な眼差しで見やったキーチはそう独り言ちる。


 そして野営の準備を手早く終えると火を熾し、収納鞄から一抱えもある植物か何かで出来た塊を取り出すと、その焚火へと躊躇なく投げ入れた。

 塊に火が移ると、周囲に何とも言えない臭気が立ち込める。


「さあ、これで準備は整った。後は運を天に任せてゆっくりと待つとしましょうかね」


 キーチはそう呟くと、たき火の前に座って軽く目を閉じる。


 やがて日が落ちてくると、二人を包み込む広大なグウォル森林の夜はゆっくりと更けていった。


………

……


 その夜半、背中を伝わる微かな振動に、アリシアは目を覚ました。

 濃密な夜の森の空気の中に何かの息遣いを感じ、半分寝ぼけたままで周囲を見回す。


 そして、自分のすぐ目の前にあるソレが何か分からず、ゆっくりと顔を上げる。目に映るその光景に理解が追い付いてくるにつれ眠気は吹き飛び、思わずその目を見開いた。


 アリシアが目にしたのは、自分の体よりも大きな動物の足だった。現実を受け入れられない彼女が顔を上に向けたその先には、二本の牙を持つ巨大な何かが、悠然と佇んでいたのだった。


 少し寒い森の空気に湯気のような呼気を吐き、体中に地衣類を纏わせ、森と一体となったようにすら見えるその生き物は、アリシアの目には、見上げる程に巨大な――本当に巨大な豚のように見えた。


 深く静かな森の夜に絶叫が響いた。



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