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辺境の案内人  作者: 戦犬
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『錆びた短剣亭』

 三大国のうちのひとつ、ライグラム聖王国の南西に、第7から第9辺境へ向かう境界面を管理するサイリンガという街がある。近年膠着状態が続いてはいるがそれでもじりじりと拡大を続ける、人類圏の最先端である辺境へ向かう開拓者たちを支えるに足る、大きく栄える街だ。

 サイリンガは中心を北から南へ流れる大きな河によって東街と西街に分断されていて、その2つの街が中央部で大きな橋によって繋がれることで、一つの街を形成している。

 その巨大な橋から西街と東街の中心部を横切るようにのびる大通りはまさに街の中心で、今も大勢の人が行きかい、様々な店が立ち並び活気に溢れていた。


 そんな人で溢れた西街の大通りの中を、アリシアは足早に歩いていた。

 西街大通りの西端には開拓者ギルドがあるため、進むにつれて行き交う人も開拓者と思しき者達が増えていくのが見てとれる。

 開拓者たちは危険の多い辺境で生き抜くため、腕っぷし自慢の荒くれものが多く、ありていに言って声も態度もでかい上に野蛮で不潔で臭いのばかりで、人混みの西街大通りはアリシアのような人間にとっては、不愉快極まりない人々で出来た淀んだ河のようだった。


 アリシアは不快さで眉根が寄るのを我慢しながら、開拓者ギルドの近くにあるという目的地へと急ぐ。

 大金を積んでやっと掴んだ確度の高い情報からすでに5日、はるばる王都から早馬をつぶしてまでやってきたのだ。目的の人物が見つけられないなんて失態は犯したくなかった。

 逸る気持ちを抑えきれないまま、アリシアは目的地である『錆びた短剣亭』に飛び込んだ。


 『錆びた短剣亭』は辺境付近によくある酒場を兼ねた宿屋で、開拓者ギルドのすぐ向かいという立地もあって、まだ夕方になるかならないかの時間にも関わらず、既にかなりの人が酒を酌み交わしていた。

 気の逸りから少々乱暴に扉を押し開いたせいか、派手な軋みと共に店内へ足を踏み入れたアリシアに対して、荒くれ者達の酒気交じりの視線が集中する。

 そしてほとんどの人間がアリシアの整った顔立ちや、辺境ではあまり見かけない流れるような金髪をみて感嘆の吐息をもらした。

 喧噪の静まった店内、その無遠慮で粘ついた視線や、下世話な囃し立てが自分に絡みつくのを一顧だにせず、アリシアは真っすぐにカウンターの店主と思しき男の元へ向うと、薄桃色の唇を開いた。


「ここに辺境渡りって開拓者が滞在してると聞いたのだけれど、連絡を取ることは出来る?」


 店主はアリシアを一瞥すると興味無さげに手元に視線を戻し、手に持ったグラスを拭き続ける。


「ねえ! 聞こえてるで――」

「なあ、気の強そうなお嬢ちゃんよ」


 あからさまに無視されたアリシアの頬にさっと赤みがさし、普段から気の強そうな眦をさらに釣り上げて言葉を続けようとしたが、それを遮るようにして、顔の下半分を茶色がかった髭で覆われた大男が言った。


「見たところ随分と焦っているようだが、入ってくるなりそれは流儀にもとるってもんだ」


 ここじゃまず何か頼まねえとな、と髭の下でも分かるくらい大仰に唇を歪ませながら、カウンターに銀貨を一枚放り出す。野生の獣じみた強面と巨体だが、大袈裟に動く表情のおかげか不思議な愛嬌を感じさせる、そんな男だ。

 男が放った銀貨はカウンターの上で硬い音を立てながら回り、その場違いな程澄んだ音と共に、店中にさざ波のように嘲笑が広がっていく。


 言葉を遮られたアリシアは、音もなく目の前に用意されたグラスを睨み付ける。無言のまま琥珀色の液体が並々と注がれたそのグラスを掴むと、中味が零れるのも気にせず一気に呷った。

 喉が灼けるような感覚に苛立つ感情を隠しもせず、空になったグラスを乱暴にカウンターに叩き付けると店内の雰囲気から嘲りが薄まり、どこか興味を含んだものに変わるのを感じた。


「ご忠告をありがとう。親切な貴方がわたしの質問にも答えてくれるのかしら?」


 アリシアは髭面の男を正面に捉えると、挑むような目つきでさらに言葉を続ける。


「それとも、貴方がその辺境渡り――だったりしてくれると話が早くて助かるわ」


 まさかそんな幸運はなかろうと思いつつも、アリシアは一縷の希望を口にした。


 カウンター席の中央よりに座り、グラスを傾けながら話しかけてきたその髭面の男は、アリシアから見ても今まで目にしてきた開拓者たちとは一味違う雰囲気――凄みのようなものを感じたからだ。

 着ている服の上からでも分かるほど隆々と鍛え抜かれた筋肉に、歴戦を感じさせる粗野な面構え、酒が入った赤ら顔でもその目は冷静さを保ったまま、油断なく自分を見上げている。


 髭面の男はアリシアの問いには答えず、喉の奥を鳴らすように意味深に笑うと、視線をカウンターの右側へと投げた。その視線を追った先、カウンターの隅の席にひっそりと一人の男が座っていた。


 その男は店内の様子を気にも留めず、グラスを抱え込むようにして静かに酒を飲んでいた。光源を背にしたアリシアから、男が左目に眼帯をしているのがわかった。

 体付きは髭面の男のように筋骨逞しいと言うよりは細身だが、やはり一目で腕利きだと分かるほどに鍛え上げられているのが見て取れる。長めの前髪で隠された眼は見えないが、全身から研ぎ澄まされた刃物のような鋭い雰囲気を醸し出していた。


 アリシアは髭面の男にやはり視線で感謝を告げると、眼帯の男の横の席に座り再び問う。


「はじめまして、貴方があの、辺境渡りと呼ばれる開拓者?」


 アリシアが横に座って初めて気が付いたかのように、眼帯の男は俯いていた顔をあげると皮肉気な笑みを浮かべ、その残った薄緑色の右目でアリシアを一瞥する。


「ククク……もし俺がその辺境渡りだとして、先ほどからお上品な態度が目立つお嬢さんは一体何者かね?」

「――そうね、ごめんなさい。少し気が立っていて、失礼な態度をとったわ。わたしはアリシア・レイノルド。貴方の噂を聞いて、聖王都から依頼をしたくて訪ねてきたの」


 アリシアの謝意を受けて、辺境渡りと呼ばれた眼帯の男は皮肉気な笑みを張り付けたまま、アリシアに正対するように体をずらして座りなおした。


「俺はライルという。それで、お嬢さんはその辺境渡りにどんな依頼を?」

「辺境のどんな危険な場所でも行けると言う、あなたの腕を見込んだ依頼なの。黄金の平原と呼ばれる場所の噂を聞いたことはある?」


「クックク――もちろん知ってるさ。第8辺境の南西、グウォル森林のさらに先……エイス山を越えた先に広がるって噂の平原だろう。南西のエリアはエイス山の中ほどまでしか開拓者が進出していないはずだが、最近になって誰かが山の中腹から見たとか何とか。あの与太話がもう王都まで届いているのか」

「知っているなら話は早いわ。わたしをその黄金の平原へ、他の誰よりも早く連れて行って欲しいの」


 それが依頼。と真っすぐに見つめるアリシアの視線に、ライルは肩を竦めた。


「クク、黄金の平原なんて大仰な話になっているが、あれはかなり眉唾というか、未到達の辺境によくある、行ってみたら大したことなかった場所。なんて笑い話のタネになる噂だと思うが」


「ライルの言う通りだぞ、お嬢ちゃん。たしか深い山の中、ふいに雲が晴れるとその先に広がる大平原――そこは降り注ぐ太陽の光を浴びて、草木からは輝く燐光が溢れ出し、平原そのもが黄金に包まれていた――!! だったか。開拓者なんぞホラ吹きの集まりよ、雲が晴れたってんだから、雨露に濡れた平原が日差しを反射して綺麗だった、なんてのが土産話としちゃ上等な方だと俺ぁ思うぜ」


 いつの間にか隣で聞いていたのか、ガハハと笑いながら髭面の男まで話に乗ってくる。


「眉唾なのは百も承知よ、それでもこの目で確かめたいの。誰よりも早くね」


 あからさまに馬鹿にする二人の態度にも構わず、アリシアは真摯な目で繰り返す。

 ライルはそんな彼女の態度に一層笑みを深くした。


「……未だ攻略されていないエイス山のさらに先だ。その手前、多少なりとも道があるグウォル森林まで開拓者が行くだけでも約10日、見たところ素人のお嬢さんを連れてその先まで行くとなると、50日じゃきかん。クク、生まれも育ちもお上品そうなお嬢さんに耐えきれるかね?」


「おい! 無理に決まってるだろ、この嬢ちゃんの細っこい腰つきを見ろよ! 俺の二の腕くらいしかねえぞ! なまっ白い腕なんて指で摘んだら折れちゃいそうってなもんだ。悪いことは言わねえから、辺境旅行なら開拓済みの名所だって沢山あるんだ。そっちを巡ってお家に帰りな」


 皮肉っぽいライルの言葉に、髭面の男が笑いながら応じる。嘲りの色が強い二人の言葉を受けたアリシアの目が、鋭い輝きを放った。


「辺境を行くのにわたしが足手まといだって言うのね――ならこれで満足かしらっ!」


 アリシアは素早く立ち上がると、腰の短剣を逆手で引き抜いた。短剣を引き抜き様に、空いた左手で髭面の男の後頭部を掴んでカウンターに叩き付け、その目の前に短剣を突き立てるつもりだった。


 喧噪の店内に蹴倒された椅子が派手な音を立てて転がる。


 しかし次の瞬間、岩のようにビクともしない大男の頭にアリシアは舌打ちをひとつつくと、咄嗟に背後に回ってその太い首筋に短剣をあてようとして初めて、自分の右手が空な事に気が付いた。

 驚愕に自失しそうになったアリシアが目を移すと、座ったままのライルがいつの間にか、彼女の手にあるはずの短剣をクルクルと弄んでいる。


「うん。馬鹿にして悪かったな、お嬢ちゃん。あんたぁ中々悪くない身のこなしをしとる。だが男の頭は鷲掴みにするよりは、優しく胸に抱いてやった方が喜ばれると思うぞ」


 髭面の男がゆっくりとアリシアを諭した。その声音が理不尽な暴力に晒されたとは思えないほど、優しく穏やかなのが余計に彼女を戦慄させた。

 髭面の男はアリシアを刺激しない程の動きで倒れた椅子を引き起こし、顔中で笑って仕草だけで椅子に腰を降ろすように促した。

 その笑顔にあっさりと戦意を砕かれたアリシアは、毒気を抜かれた顔つきで促されるまま椅子に座りなおすと、大きく息を吐いた。


「……お願い! お金なら相場の何倍でも用意するから! わたしを連れて行って欲しい。どうか、どうかお願いします!」


 目に涙を浮かべ俯いたアリシアの頭越しに、2人の男は困ったように視線を交わす。


「なあお嬢さん、言いにくい事なんだが……」


 気まずそうにライルがアリシアに声をかけると、店の入り口に影が差した。

 その人影は店内へ足を踏み入れながら、よく通る声で話しかけてくる。


「よお、ライルにガードナー! いい歳こいたおっさんどもが、雁首ならべて可愛らしい女の子を囲んで泣かしてんのか。お前らみたいなおっかない面で迫ったら可哀想だろ! エリスに言いつけるぜ」


 からかうような口調のその男は、アリシアから見ても冴えない風体で、黒髪黒目くらいしか特徴のない顔に軽い笑みを貼り付けて、こちらへ向かって歩いてきた。

 話しかけられた眼帯と髭面、ライルとガードナーは明らかにホッとした顔で言った。


「やはり来たか、キーチ。俺たちはこのお嬢さんを苛めてたわけじゃない。お前の客だ」

「そうだぜキーチよ! お前さんが居ねえから俺たちがちょっと遊ん……話を聞いてやってたんだよ! それにかみさんには絶対に言うんじゃねえぞ、頼むから」


「――――はぁ?」


 ライルとガードナーの言葉に、涙目のまま顔をあげたアリシアは間の抜けた声を漏らした。

 そんなアリシアを見ながら二人はキーチと呼ばれた男を指差し、同時に口を開いた。


「「いやだから、こいつが辺境渡り」」


 二人に指差された黒髪の男は、よろしく、と片手をひらひらさせてアリシアを見る。


「なっ……んで、嘘なんか?」


 混乱の極みの中、キーチと呼ばれた黒髪を無視したアリシアがやっと言うと、ライルとガードナーは顔を見合わせて肩をすくめた。


「俺ぁ嘘なんて吐いてないぜ? ライルの方を意味ありげに見ただけだ」

「ククク……俺だって自分が辺境渡りだなんて言ってないぞ。それっぽく受け答えをしたら勇ましいお嬢さんが勝手に勘違いしただけだ」


 悪びれた風もないその態度に、アリシアは頭一杯の混乱が怒りに変わるのを感じつつ、震え上擦る声を必死で抑え、立ち上がった。


「だ、だから、なんでそんな思わせぶりな態度を取ったのよ!?」


 アリシアの怒りなどどこ吹く風と、それまでの歴戦の雰囲気すら無くした二人は、彼女を見上げて再び同時に口を開いた。


「「だって、暇だったんだもん」」


 なー? と小首を傾げる男共に、アリシアは今度こそ感情を爆発させて叫んだ。


「ふっっっ! ざっけんなーーーー!!」


 店内の喧騒を消し飛ばす怒号と共に、おっさん二人の頭と頭が激突する音が響きわたった。


 その音は歴戦の開拓者たちをして、空恐ろしくなるような音だったという。


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