武器の価値
葛葉と八雲が試合をしてから数日後。
葛葉との試合により八雲は左肩を捻挫していた。捻挫程度で済んだのは葛葉が手加減をしていた訳ではなく、単純に八雲の身体が岩のように頑丈だったからだ。しかし、しばらく素振りも休んで見学をしているように言い渡された。
八雲は怪我のため参加出来なかったが、それ以外の三人は総当たり戦の形で何度か試合を行った。
中でも葛葉と千鶴の試合は白熱したもので、小柄な体型を活かした機敏な動きを見せた千鶴を、技術と獣のような感覚を用いた葛葉がなんとか押さえつけて勝利した。
その二人に負けた睦月は興味が無さそうに知らん振りを決め込んでいたが、試合の後の方が素振りに身が入っている気がした。
数えていた訳ではないが、普段は千回ピッタリで素振りを終わらせていたのが、皆が終わるまで降り続けていたのがその証拠だろう。
その後、驚異的な回復力を見せて左肩が完治した八雲は、睦月、千鶴と試合を行った。結果は全勝。総当たり戦の結果、現時点では葛葉、八雲、千鶴、睦月の順番で順位付けされた。何度か試合を行った所為で、皆の木刀にヒビや傷が付き、継続不可能として試合形式の修行は幕を閉じた。
同時に、素振りや試合により破損してきた武器を整備に出す必要がある。大量の武器を整備に出す以上、虎之助や辰二郎だと他の役人や事情を知らぬ者に怪しまれる可能性がある。
そこで、誰かが代表して鍛冶屋に持っていくという流れになった。持っていく場所は八雲の実家である鍛冶屋。その為、一人は八雲で決まりだ。だが、八雲だけでは重すぎて道場から鍛冶屋までの距離は長過ぎる。全員で持っていく、という手もあるのだが、それはそれで怪しまれる可能性がまたしても浮上する。
八雲に加えてもう一人は誰が行くかという話し合いが始まった。
最初の候補に同じ男性という事で睦月が挙がった。だが、睦月はそれを拒否。折角の休みを潰したくないと言い張ったのだ。それは葛葉も同じ事。参組の舞踊の稽古は葛葉達の休みの日でも行われている為、その見学に行きたいのだ。
誰にするかという議論は徐々に熱を増し、膠着状態に陥った。
「……俺は一人でも運べるぞ……?」
八雲は時間の無駄と言わんばかりに話を切り上げようとした。それを即座に葛葉が反論した。
「あなた一人だと大変でしょう?睦月が行くべきじゃないかしら」
「ふざるな。家が近い千鶴に行かせればいいだろ」
「私も嫌だよ。その日はお父さんの仕事の手伝いをする予定だし……」
皆が頑なに嫌がっていたが、話を進める為に推薦という形を取ることにした。
当然のように葛葉は睦月を指名。普段から修行に力を入れていないのだから、睦月が動くべきと考えたのだ。
それに睦月は反発して葛葉を指名。理由などは特にない。最後に千鶴が指名する番。千鶴は仲の良い葛葉を指名した。
「なんでこいつを指名しないのよ!」
予想外の展開に葛葉は立ち上がり、声を荒げた。
千鶴は八雲の方に目線をやり、他の皆に聞こえないように葛葉の耳元で囁いた。
「あのね、八雲はあんまり気にしてないと思うけど、この前の試合で怪我をさせちゃったじゃない?謝るいい機会だと思って」
もっともらしい理由をつけて千鶴は葛葉を説得した。葛葉も自分で負わせた怪我の話しを出されたら断れるはずもなく、いやいやではあったが承諾した。
千鶴は葛葉が承諾したのを両手の指を合わせて喜び、八雲に向かって目くばせをした。話し合いの最中、八雲が葛葉の事をチラチラと見ていたのを千鶴は見逃していなかったのだ。
八雲は明確な用事があるとはいえ、葛葉が家に来ると決まってから急に顔を紅く染め、頭の上で湯が沸かせそうな勢いだった。
ーー
翌日。予定していた通り葛葉と八雲は道場で合流し、皆の武器を纏めた。刃の部分を厚い布で覆い、覆ったものから太い紐で括っていく。蒸し暑い室内で二人は黙々と作業を続けた。
実の所二人で道場にいる事自体が初めてで、普段から口数の少ない八雲と二人きりという状況は葛葉にとって気まずいものだ。八雲は様々な工程を率先して行い、葛葉は手持ち無沙汰になる事が多い。その為、自分はいらなかったのではないか、という思いに何度もかられた。
不意に八雲の手の平を見てみると切り傷が出来ていた。何本も紐を扱ってきた所為で出来たものだと直ぐにわかった。八雲が率先して力仕事を引き受けていたのは、女の子である葛葉に気を使ってくれていたのだろう。
この日、怪我をさせた事を謝ろうと決めていた葛葉からすれば、負い目しか感じない。そもそも謝るべきなのだろうか?昨日は千鶴の笑顔に逆らえず承諾してしまったが、怪我をした過程は修行の中のもの。葛葉自身が怪我をする可能性だってあったのだ。
短い付き合いではあるが、八雲は謝罪を望んでいないのではないか?とも思える。葛葉は作業の手を止めて塾考を重ねた。
八雲が黙々と作業をしてくれたおかげで、半刻程度の時間で纏め終わった。葛葉は自分の手持ち分を見てみると異様に少ない事に気が付いた。葛葉の分は木刀の短刀二本。明らかに少な過ぎる。
「八雲、私の分が少ないんじゃないかしら?そんなに持てるの?」
「大丈夫」
八雲は口ではそう言っているものの、彼の分担しているものは目算でも三十貫(約百キロ)はある。辛うじて持ち上げてはいるが、額に血管が浮き出している事から明らかに無理をしているのだろう。
葛葉はせめてその半分位は自分が持とうと言葉を発しかけたが、試合の時の彼の頑固さを思い出しそれを途中で止めた。八雲は一度言い出したら梃子でも動かない。
気が気でないが、彼の男らしい優しさは葛葉にとって好感が持てる。葛葉は何も言わず、笑みを浮かべて三歩後ろから八雲の後に続いた。
寺子屋から鍛冶屋までの距離は一里程度。整備されたあざ道を一歩一歩踏みしめながら進む。その間八雲は一度も弱音や文句を垂れず、足や腕がガクガク震えながらも気丈に振る舞った。
道中、見知らぬ町人に声を掛けられた。
「君達そんなに武器を持っているけど、それはどうしたんだい?」
「私達は寺子屋の生徒なんです。二人で遊んでいるときに道場に飾っていた武器を壊しちゃって……」
虎之助が用意していた台詞をたんたんと述べると、町人はクスクスと笑って去っていった。
鍛冶屋までの道のりで何度かこのような問答を繰り返したが、呼び止められるのは苦行を続ける八雲の所為だと想い、次第に不機嫌な表情に変わって行った。
ーー
鍛冶屋に着き、出迎えたのは遥か先まで金槌の音を飛ばす老人だ。いや、出迎えたというには語弊がある。老人は二人の来訪に気付かず、ひたすら槌を鉄に向かって振り下ろしていた。
此方に見向きもしない老人に何とか気付いて貰おうと葛葉が声を張って挨拶をするも、彼の耳には届いていないようだ。
僅かばかりの苛立ちを覚え、腹の底からもう一度挨拶をした。
「ごめんください!寺子屋の道場から来ました!」
あまりの葛葉の声量に、隣にいた八雲すら目を見開き、唖然としていた。しかし、老人は耳が悪いのか、またしても無視を決め込む。
葛葉は二度も無視をされたことで腹の虫が収まらず、今度は耳元で叫んでやろうと近づくが、それは八雲に止められた。
「ごめん葛葉……じいちゃんは仕事中は何も聞こえないから……少し待ってくれないか?」
普段頼み事などしてこない八雲からのお願いを無下には出来ず、その場で待つことにした。
八雲は荷物を持ったまま、祖父の仕事をじっと観察していた。それゆえ、葛葉も足を崩し座り込むわけにもいかず、ただひたすら鉄を打つ作業を見続けた。
夏の日差しが二人を照らし、身体から汗が滲み出てくる。荷を下ろし、日陰に移ればよいものを八雲は頑として動かない。葛葉は八雲が暑さで頭がおかしくなってしまったのでは、と考えた。
やがて老人が手を止めて額の汗を拭うと、やっとのことで二人に気づいた。
「ーー帰っていたのか。武器の点検だろう?さっさと見せろ」
老人は待たせていた事に詫びもせず、無愛想に手招きをして見せた。その言葉に八雲は口答えなど一切せず、肩に背負った大量の武器を作業用のテーブルに並べていった。葛葉もそれに倣って手に持った木刀を横に置いた。
全て並べ終わると、老人が重い腰を上げて鑑定を始めた。
始めに見たのは五振りの木刀。鉄とは違い、ヒビが入ってしまえば修復は困難である。老人は直せるものと直せないものを素早く仕分けた。
結論だけ言えば睦月の使っていた二振りの小太刀以外は破棄。新しく作らなければならないそうだ。
続いて真剣の方に目をやった。先程とは打って変わり、老人の眼光は鋭い物へと変わっている。元々強面な形相の老人がこのような目をすると、その辺の小動物位なら視線だけで焼き殺せそうだと感じた。
(千鶴が来たくなかったのはこの人に会いたくなかっただけだったりして)
老人は一つ一つを手に持ち念入りに調べた。しかし、真剣の方は素振りだけで未だに何かを切った事はない。強いて言えば八雲が吹き飛ばした大剣に僅かな傷が付いている程度だ。
老人もそれに気付いた様子で、大剣の番になると手を止めて八雲に睨みを利かせた。
「ーー八雲、貴様……武器をなんだと思ってやがる?遊びに使いやがったな!」
老人は先程の葛葉の声量を大幅に超える怒鳴り声を上げた。
「ちょっと待ってくださいよ。八雲も真面目に修行をしていてーー」
「女子は黙っておれ!」
八雲を庇おうと間に入った葛葉にも飛び火が掛かった。流石の葛葉も老人の貫禄ある怒声には逆らえず、数歩下がって様子を伺う事にした。
「ごめんじいちゃん……俺、強くなるから……」
八雲は修行中も寺子屋で勉強中にも見せた事のないような表情を浮かべた。いつものような力強く巌のような雰囲気はそこには無く、葛葉が軽くあしらった他の生徒のような雰囲気だ。
頭を垂れて謝罪を続ける八雲に、老人はさらに追い打ちをかける。葛葉の両手を掴み、手のひらをマジマジと見た後、額に血管を浮き上がらせ、先程仕分けた木刀の中から大太刀と大剣を取り出して八雲に突き付けた。
「それだけじゃないな。貴様はこの女子に負けたのだろう?何が<誰よりも強くなる>だ。笑わせるなよひよっこが!」
老人は武器を見ただけで二人の試合の流れを把握したのだ。その結果、八雲が葛葉に負けた事を知り、怒りが増していた。
老人に怒鳴られ続けても八雲は何も言わない。事実であるからこそ言い返せないのだ。強く握りしめた拳からは血が滲み出し、悔しさが伝わってくる。
八雲は面を上げ、意を決して祖父に反論した。
「俺は!もう誰にも負けない!武器の存在価値と必要性を世に知らしめるまで決して誰にも負けない!」
無口であった八雲はこの時初めて反論したのかもしれない。老人も初めは面食らったような表情を浮かべたが、その表情は次第に笑顔に変わっていった。
「ーーやっと言い返してきたな。だがな、言葉だけじゃ意味が無い。漢なら行動で示せ!」
「はい!」
二人は豪快に笑いだし、今にも酒を酌み交わしそうな勢いだ。
二人の会話についていけなかった葛葉は、一人冷静に思考を巡らせていた。家族の事に口を出すと下手をすれば仲を裂いてしまうかも知れない。それは千鶴との件で経験済みだ。
その為、二人が何かを話し始める前に当初の目的の遂行をすべく、修復に掛かる時間と金額を羊皮紙にメモを取り、逃げるように帰宅した。
葛葉が店を出た後も、二人の声は通りに響き、「腕立て百回!」などと聞こえて来たが、それは気のせいという事にした。
(八雲って普通に話せるじゃない……何で私と話す時は片言なんだろう?)
先程の熱苦しいやり取りを思い返し、疑問を浮かべた。二人の会話を解釈するならば、八雲が龍神討伐に参加した理由は昨今の火の国の鍛冶屋事情を改定したいからなのだろう。
千鶴にしろ八雲にしろ、何かしらの理由があって龍神討伐に参加している。では睦月はどうなのか?葛葉は機会があれば彼にも聞いてみようと考えた。