呉服屋
団子屋から数分程度歩くと目的地である呉服屋に着いた。以前来たときは虎之助と人に聞きながらだったので、軽く迷子になりかけていたが、最初から場所が分かっていると、ここまで早いものかと実感した。
千鶴はこっそり扉を開けて中に父がいない事を確認すると、ゆっくりと忍び足で呉服屋に入った。
その仕草はまるで盗人の様で、何か悪い事をしている気がしてくる。そのせいか、葛葉の声も自然と小さくなった。
「自分の家なのよね?喧嘩でもしているの?」
千鶴は図星を突かれてしまったようで、初めて葛葉と出会った時以上に全身をピクリとさせた。
「ーー詳しくは言えないけど、喧嘩はしてないよ。最近は上手くいって無いだけだよ」
声色が高くなり、明らかに嘘をついているのだと思ったが、それ以上聞く気にはなれなかった。
葛葉は改めて呉服屋に飾られている着物を眺めていると、その種類の統一性に気が付いた。
飾られている全ての着物が何処かで目にした事のあるもの。所々に綺麗な装飾が施され、道行く人々の物よりも派手な色合いが使われている。少し前から何度か見学している参組の生徒達が来ていた衣装と同じ物だった。
以前この呉服屋に来たときにきっと高級な物だろうと思っていたが、それは正解だったのだ。龍神相手に使う衣装が安い訳が無いのだから。
葛葉は女の子らしく、一度はここに飾られているような衣装を着て舞を踊ってみたいという好奇心に駆られた。だが、それは同時に龍神に捧げられる可能性があるという事。自らに浮かんだ愚かな誘惑を押し退けるため、頭を振って気持ちを切り替えた。
そうこうしていると、千鶴は慣れた手つきでその着物達を折り目が付かないように掻き分けた。すると、隠れるようにして置かれていた一般的な着物が現れた。
かわるがわる取り出してきては、これでも無い、あれでもないと呟き、葛葉に合う物を探した。流石は呉服屋の娘というだけあって、その表情は職人のように真剣で、そんな彼女にどれでも良いとは言えなかった。
千鶴が納得のいく着物を見つけるには一刻程度の時間が掛かっていた。それほどの時間、店主が店を留守にしているはずもなく、千鶴が選んでいる際に帰ってきた。
「千鶴。その子は誰だい?」
時間を忘れ着物選びに集中していた千鶴は、父に名前を呼ばれた事で我に返りその手を止めた。
「……寺子屋の友達だよ」
千鶴に友達と言われて、葛葉は照れ臭くなり顔を紅く染めた。
千鶴の父は葛葉の着ている服を見て、何かを思い出したように真剣な表情に変わった。
「ーー寺子屋の、ではないだろう。神殺しの友達なのだろう?」
その言葉は明らかな嫌悪感を含んでいた。葛葉達の目的は龍神を討伐する事。虎之助からそれをよく思う者は少ないだろうと言われていたが、まさか千鶴の父までそうだとは思ってもみなかった。
彼の表情から察するに、自分の娘が龍神討伐部隊に参加している事が余程嫌なのだろう。
千鶴が盗人の如く呉服屋に入っていた理由がよく分かった気がした。
「お父さん、その話はしないって言ったよね!?私は戦うよ!」
千鶴の声色が大きくなり、こんな大声が出せるのかと感心すると共に、店の空気が緊迫していくのを感じた。
「……父さんも何度も言っているが、お前は戦わなくてもいいんだぞ?」
その言葉が口火となり、千鶴は激昂した。その表情は普段の小動物のような可愛らしいものとは明らかに違う。龍神討伐に選ばれるだけあって、幼いながらも威圧感を放っている。
だが、根は優しい普通の女の子だ。千鶴は口喧嘩に耐えられなくなって店を飛び出した。
呆気に取られていた葛葉も千鶴の父に一礼し、慌てて千鶴の後を追った。
ーー
都を全力で駆け抜ける千鶴を追う事は至難の技ではあったが、山で鍛えられた動体視力を駆使して葛葉は走った。
市場を抜け、寺子屋の前を通過し、全力で走る千鶴が止まったのは街外れにある草木が生い茂る外道。息も絶え絶えに、荒い呼吸を繰り返した千鶴は葛葉に向き直って頭を下げた。
「ごめんなさい。あんなとこ見せちゃって……」
千鶴の声がいつもの口調に戻っている事に安堵し、葛葉は軽く溜息を吐いた。
「謝らなくていいよ。喧嘩の理由は……言えないんだよね?」
先程千鶴が詮索を拒否してきた事を思い出し、葛葉は一歩引いた所から相談に乗れないかと試した。
すると千鶴は下を向いたまま黙りこんでしまった。葛葉を親子の喧嘩に巻き込んでしまった事で、話さないのは卑怯だと考えているのだろう。顔を上げると、その瞳には決意が込められていた。
「あのね……私のお母さんはね、次の人身御供に選ばれているの。だがら私はそれを止めたい。お母さんを龍神様に渡したくない。それでお父さんと何度も揉めちゃって……」
落胆していく千鶴の様子は寂しそうで、今にも泣き出しそうだ。
「何それ?千鶴ちゃんのお父さんは何を考えているの?」
葛葉には千鶴の父の考えが理解出来ない。何故自分の妻が龍神に捧げられると分かっていて何もしないのか、何故娘を止めようとするのかが分からなかった。
だが、千鶴には父の考えも分かっているのだろう。怒りの表情を見せる葛葉を宥めるように口を開いた。
「お母さんはーーというより皆かな。皆は人身御供に選ばれる事は名誉な事だと思っているの。だからね、お母さんは喜んですぐに出て行っちゃったんだ」
葛葉は過去の自分の姿と今の千鶴の姿が重なって見えた。もしもあの時に自分に力があったなら、もしも自分にも父が居たのなら結果は変わっていたのではないか、と。
「……それを黙って見ていろって言っているの?」
千鶴の父が納得している事が葛葉にはどうしても許せなかった。
「うん。自分が選んだ事だから、好きにさせてあげなさいって……」
「そんなの絶対におかしい!助けられるかもしれないなら行動するべきよ!」
「ーー怒ってくれてありがとう。私もね、お母さんを返して欲しくて宮殿に行ったんだ。その時にたまたま虎之助さんと会ってから誘って貰って、これしか無い!って思ったんだ。私は何もしないなんて我慢出来ないから」
千鶴の表情はとても穏やかで、それでいて寂しそうな表情になっていた。母を助ける事が間違っていると父に言われ、それでも自分は助けたい。そのせいで分からなくなっているのかもしれない。けれども修行を続けていられるのは、千鶴の心の強さが起因しているのだろう。
葛葉は千鶴の意を汲み取り、<この場は>自分の感情を抑えた。だが、千鶴の苦悩を拭い去ってあげたい。その一心で千鶴の手を引いて走り出した。
「く、葛葉ちゃん!?どこに行くの?」
葛葉の突然の行動に千鶴は理解が出来ず、挙動不審になっていた。
葛葉はニヤリと笑みを浮かべ、目的地を叫んだ。
「もちろんあなたの家よ!」
ーー
嫌がる千鶴を無理矢理引っ張りながら呉服屋に向かった。葛葉の方が重たい刀を振っているだけあって、腕力は千鶴に負けない。
呉服屋に着くなり、葛葉は勢いよく扉を開けた。
千鶴が広げたままにしていた着物を、綺麗にたたんで元の場所に戻していた千鶴の父が、扉の壊れそうな音に驚いてピクリと跳ねた。
葛葉は千鶴を引っ張って千鶴の父の元へ近寄った。千鶴の父は突然の出来事に頭の回転が追いついていないようだったが、そんな事御構い無しに葛葉は話し始めた。
「千鶴ちゃんのお母さんが龍神様に捧げられてもいいと本当に思っているんですか!?」
「ーー何だね君は?突然やって来てそんな事を急に聞き始めるなんて無礼だろう。何も知らないくせに」
年端も行かぬ葛葉に怒鳴られた事で千鶴の父は不機嫌な表情を浮かべた。千鶴も二人には喧嘩をして欲しくない様子で、間に割って入ろうとしていたが、葛葉が片手で押し除けた。
「……私の母も龍神様に自らを捧げました……千鶴ちゃんにも同じ思いをして欲しくありません!」
千鶴にも、虎之助にすら話していなかった事をこの場で話したのは心の底からの本音であるからだ。千鶴には葛葉と違い父が居る。それでも悲しい思いをして欲しくないのだ。
そんな葛葉の心の叫びは少しだけだが千鶴の父に届いた。まともに話す気になってくれたのだ。
「……そうか、君も犠牲者なんだね……それでも私の考えは変えられない」
真剣な表情でそんな戯言を話す千鶴の父に、葛葉は我慢ならない。
「どうして!?奥さんに居なくなって欲しいの!?」
「そんな訳が無いだろう!」
即答だった。
大人の力強い言葉に、流石の葛葉も一歩引いて口を閉ざした。子供に怒鳴ってしまった事で、千鶴の父はバツの悪そうな表情に変わった。
「ーーお嬢さん、怒鳴ってしまってごめんね。千鶴、正直に話そう。お父さんもお母さんには戻ってきて欲しい」
「それなら、どうして私が戦うのはダメなの?」
「……お前には生きて欲しいからさ。龍神様に勝てるはずが無いだろう?お前まで居なくなったらお父さんは悲しいなんてもんじゃ無い。だから反対しているんだ」
その言葉は今にも泣き出してしまいそうで、それでいて逞しい父親のものだった。彼自身も葛藤しているのだろう。妻には戻ってきて欲しい。だが娘が戦う事には賛成できない。娘には危ない橋を渡らせたく無いのだ。
千鶴は父の本音を聞いてしまい、下を向いて黙り込んだ。彼女自身、そんな事は考えていなかったのだろう。葛葉にしろ千鶴にしろ龍神に負けた場合に待っているのは明確な死だ。勝てる保証などどこにも無い。
だが、父の思いを聞いても千鶴の気持ちは変わらない。顔を上げ、決意を新たにした。
「ーーお父さん、話してくれてありがとう。でもね、私はお母さんを連れ戻すよ。絶対に死なないって約束するからさ!」
笑顔で小指を差し出す千鶴の様子に、千鶴の父も自然と笑みを見せた。二人は本音を言い合っていなかっただけで、本当は仲の良い親子なのだ。
二人が仲直りをした事で、葛葉も笑顔を浮かべ、二人の邪魔をしないようにとこっそりと抜け出そうとした。
しかし、千鶴の父に見つかりすぐさま呼び止められた。
「待ちなさいお嬢さん。君には感謝しなければいけないね。気に入った着物を持って行くといい」
遠慮します、と即答すれば逃げられただろう。だが、断る事が出来なかった。
そこからは呉服屋の親子による着せ替えが始まった。初めて来た時とは違い、千鶴の父も真剣な様子で葛葉に合う服を探した。
二人してあーでもない、こーでもないとかわるがわる持って来ては葛葉に着せて、すぐさま違う着物を持って来る。
二人の着せ替え人形と化した葛葉は修行の時よりも疲れを感じていた。
やっとの事で全員が納得する着物を二着選び終えたのは夕暮れ時。日が落ち始めるまで続いた。
千鶴の父は他にも何着か持たせようとしたが、流石に申し訳なくて断りを入れ、二人に別れを告げようとした時、今度は千鶴に呼び止められた。
「葛葉ちゃん、今日はありがとう」
「私が我慢できなかっただけだから気にしないでよ。着物も貰っちゃったからね」
葛葉は苦笑いを浮かべて手に持った着物を掲げた。
その仕草に千鶴の表情も明るいものとなる。モジモジとしながら話し始めた。
「あのね葛葉ちゃん……葛葉って呼んでもいいかな?」
顔を紅く染めて気恥ずかしそうに話す千鶴の様子に、つられて葛葉の顔も紅くなった。
「もちろんいいわよ。私も千鶴って呼ぶね」
葛葉が了承した事で千鶴は満面の笑みを浮かべた。
その後、葛葉は夕日に照らされる中、千鶴と更に仲良くなれた気がして浮つく足取りで帰路に着いた。