武器選び
昼間の授業も終わり日も暮れてきた頃、他の生徒達が帰るのを見届けて四人は離れにある道場に向かった。
寺子屋の敷地内にはあるものの、廊下で繋がっているわけでもないので、完全に孤立した建物だ。
関係者以外踏み入るべからずと書かれたこの建物の内部は槍や剣、弓や斧といった武具が多種多様に飾られている。
四人はこの武具達に圧倒され、皆一様に惚けた表情を浮かべ、入り口で立ち往生していた。すると、中にいた虎之助が集まるように声をかけてきた。
道場の中にいたのは二人。虎之助は勿論の事、もう一人は知らない男性だ。
筋肉質な体型で腰には二本の刀を帯刀している。その風貌は年こそ取っているものの百戦錬磨の武士といった様子だ。
知らない人物に葛葉が警戒していると、虎之助からこの男性を紹介された。
「この人はお前達の剣術指導をお願いした辰二郎さんだ。今では数少ない侍だからな。みっちり鍛えてもらえ」
「少ないは余計じゃろう。人を幻獣みたいに言いおってからに……」
小言を呟く様はどこにでもいる老人の様で、少しばかり警戒心が薄れた。辰二郎と紹介された老人は一人一人の顔や身体付きをじっくりと見て回り、最後には大きくため息を吐き捨てた。
「虎之助、鍛えるのはガキとは聞いておったが、全くのど素人ではないか。本当に龍神を倒す気があるのか?」
辰二郎は皆に遠慮する事なく落胆した表情を見せた。それもそうだろう。一人はただの街娘、一人はどこにでもいそうな体格の少年、一人は体格だけは他よりマシだが、剣術など今迄習った事はない。
それは葛葉も同じ事。山で生活をしていた分他の者よりも体力には自信がある。だが武術や剣術といったものは少しばかりかじっただけだ。
辰二郎は皆の体つきから瞬時にそれを見抜いたのだ。だが、虎之助は自信満々の表情を浮かべている。
「ど素人じゃなきゃダメなんだ。侍を鍛えて欲しいわけじゃない。龍神を倒せるようにして欲しいんだ」
虎之助の意味あり気な言葉を聞き、辰二郎はあごひげをいじりながら考察した。
虎之助が言いたかったのは龍神討伐に人を殺す技術は不問。むしろ固定概念がないうちに特化して鍛えた方が遥かに良いという事だ。
やがて辰二郎もその意図を汲み取ったのか、納得した様子で改めて皆に向き直った。
「何にせよまずは武器を選ぶ事からじゃ。ここにあるものを振ってみて手に馴染むものを選べ」
四人は一斉に動き出した。葛葉が一目散に向かったのは道場の上座に飾られていた大太刀の元。一目見た時から気になっていた代物だ。
長い刀身を鞘から抜き放ち、怪しい光を放つ刀の波紋を見つめる。
両手でしっかりと握り締め、上段から一振り。女である葛葉からすると少し重いように感じるが、龍神を真っ二つにと考えればこれ位が丁度いいと直感がそう言った。他には目もくれず葛葉はこの大太刀に決めた。
瞬時に決めてしまった葛葉とは違い、他の皆は決めあぐねている様子。葛葉の様に直感では選べなかったのだ。早々に決めてしまった葛葉は手持ち無沙汰の時間が出来てしまった。
そこで葛葉は、周りの皆がどんな武器を見ているのか観察する事にした。一番気になったのは同性の千鶴だ。彼女は葛葉とは逆に小刀の集まる場所を見ている。葛葉から見ても華奢な身体付きの千鶴には小刀のような軽い武器の方が使いやすいのだろう。
今しばらく時間が掛かりそうな様子だったので、他の二人の様子も探り始めた。八雲はガッチリとした体型に似合う大型の武器を振り回し、やがて両刃の大剣を選んだ。
睦月に至っては優柔不断にいろんな武器を見ている様子だ。小刀を見ていたかと思うと八雲の様に大型の武器を見ていたり、平均的な長さの刀を見ていたかと思うと、西洋の剣を見始めたり、どこか真剣に考えていないような雰囲気だった。
結局彼が選んだのは千鶴の見ていた二振りの小刀。どれでも良かったのではと思えるような素振りであった。
武器選びを邪魔された千鶴は不快な表情を見せて、当初見ていた物とは違う鍔の無い短刀を選んだ。
全員が武器を手にし、元の位置に戻ってくると辰二郎から声が上がった。
「一度決めた武器は最後まで同じ物を使って貰うが、それでいいんじゃな?」
「……途中で変える事が出来ないって事ですよね?」
葛葉が確認の為に皆を代表して質問した。
「そうじゃ。お前達には時間が無いからのう。一年程度で違う武器に変えてたらそれこそ時間の無駄というもの。直感で選ぶのが一番良い」
辰二郎の言う通り直感で選んだ葛葉はこの武器で問題無い。他の皆も頷いて辰二郎の問いに返事をした。
皆が納得したのを確認し、辰二郎は龍神討伐の作戦概要を話し始めた。
虎之助の情報を元に、<龍神に一太刀さえ入れれば良い>と作られた作戦は、まず龍神を武器の届く範囲に引き寄せる事から始まる。
空を自在に舞い踊る龍神相手に弓矢などの遠距離武器を使わないのは、単純に外す可能性を考えての物だ。龍神に空へ逃げられては戦う事など出来ない。
だからこその一撃必殺。確実に倒せるように訓練するのだ。幸い、囮役は虎之助が引き受けるという事で、四人は同じ内容の修行で良い。
この日皆に課せられた内容は基本的な体力作り。選んできた武器の素振り千回。合わせて道場の中の掃除を徹底的に行うというものだ。
葛葉は、最初にこの内容を告げられた時はふざけているのかと思った。その程度で良いのか、と。だが、その考えが甘かったと思い知らされる。
葛葉の選んだ大太刀は素振りの様に宙で止めるにはかなりの腕力を要する。振り回すだけなら問題無いが、何度も何度も止めるうちに疲労が溜まっていくのだ。百回を超えた辺りから腕の筋肉が悲鳴を上げ始めた。
それは他の皆も同じ事だ。二刀を選んだ睦月も、当然二本共振って素振り一回なのだ。単純に皆の二倍は振らなければならない。
大剣を選んだ八雲の場合はこの二人の比ではない。地面に着く前にこの大剣を止めるには並々ならぬ膂力が必要となる。体格の差は全く優位に働かなかった。
唯一振り続けられたのは千鶴だけ。体格に合う小刀を選び、自分の筋力に合うものを使っている分他の皆よりも余裕がある。だがそれも三百を超えた辺りで止まった。普通の街娘である彼女の体力ではそこが限界だったのだ。
葛葉、千鶴、八雲の三人はそれでも千回の素振りを行おうと必死で身体を動かした。息継ぎをするのもおぼつかず、一心不乱に修行に臨んでいるのは各々が止められない理由があるからだ。
やはりというべきか、最初に根をあげたのは睦月だった。他の者の二倍振る必要があるのが馬鹿らしくなってきたのか、辰二郎に武器の変更のお願いをしに向かった。
「辰二郎さんだっけ?武器の交換をーー」
「貴様、話を聞いていなかったのか?武器の変更は認めん。さっさと素振りに戻れ」
辰二郎は武器の変更を許さなかった。それも当然だ。つい先程念を押したばかりなのだから。
横で聞いていた虎之助もそれには賛成の様子で、睦月の要求を突っ撥ねた。
睦月の表情は明らかに不機嫌なものに変わっていたが、それ以上反発せずに休み休み素振りを続けた。
(あの子、やる気がないのなら帰れば良いのに……虎之助さんは何であんな子を入れたんだろう)
葛葉は睦月の態度に納得が行かなかったが、自分の素振りで精一杯だった為、この時は何も言わなかった。
ーー
素振りを始めておよそ一時間が経過した。葛葉の武器を振った回数が八百を超えた頃、最初の達成者が現れた。身の丈にあった小刀を振り続けた千鶴が千回を突破したのだ。
千鶴は最初に解放され、自由になって嬉しいはずが、疲労のあまり疲れた表情しか浮かべていなかった。
他の皆が終わるまで休憩を言い渡されて、千鶴は道場の外で身体を拭き、皆の素振りを観察し始めた。
先を越されて悔しい思いをしていたが、続く達成者は葛葉だ。元々体力には自信があった葛葉でも真剣を振る事には慣れていない。腕は痙攣し肩が上がらなくなっていた。外に出て身体を拭くときも力が入らず、汗を布に吸わせる程度となった。
そこから更に一時間、葛葉のお腹が小さな音で鳴り始めた頃、辰二郎から止めるように声が上がった。
「……時間のかかり過ぎじゃ。何回づつ振ったか言ってみろ」
息も絶え絶えになりながら、顔を真っ赤にした八雲が先に答えた。
「…………六百……です……」
葛葉や千鶴に出来て自分が出来なかった事が余程悔しかったのか、その瞳からは今にも涙が溢れそうだった。だが、出来なくて当然なのだ。いくら体格が良くとも大型武器を千回振り続けるなど誰にも出来ないのだから。
辰二郎もそれがわかっていたのか、綺麗な布を渡し顔を洗って来いと告げた。
続いて辰二郎は、バツが悪そうにモゴモゴとしていた睦月に迫った。
「お前は何回だ?」
睦月はそっぽを向いたまま辰二郎の顔を見向きもせずに答えた。
「……五百だよ」
その数字を聞いて辰二郎の顔が怒りに震えた。元々普通の街人に素振り千回をさせる事自体が過酷な課題だが、睦月はそれ以前の問題だ。大型武器を選んだ八雲よりも回数が少なく、その上睦月は悪びれる素振りすら見せない。やる気がないと怒鳴られても文句を言えないだろう。
辰二郎が拳を振り上げ、睦月に殴りかかろうとした時、虎之助が二人の間に割って入った。
「まぁまぁ辰二郎さん、落ち着いてくださいよ。元々初日に全員クリア出来るなんて思ってなかったでしょう?葛葉や千鶴ちゃんが出来たのは元々才能があったって事じゃないですか。あんまりいじめないでやってくださいよ」
辰二郎は虎之助の言葉に耳を疑っていた。一年後には龍神を討伐しなければならない。虎之助は何を悠長なことを言っているのか、と。それは葛葉も同じ事だ。真面目にやっていなかった睦月が完全に悪いと、殴られて当然だと考えていたのだ。
だが、辰二郎は怒りを抑え、乱暴に布を睦月に投げつけるだけでそれ以上何も言わなかった。
ーー
皆の休憩が終わると、次は道場の清掃に移った。疲れた身体に鞭を打ち、床や壁を拭いて行く。大剣を六百回振った八雲は身体がまともに動かなくなり、一箇所拭くだけで何分もかかっていた。千鶴も少し動くだけで辛そうな表情を見せている。
そこで葛葉は千鶴に励ましの声を送った。
「千鶴ちゃん。もうちょっとで終わるから頑張りましょうね」
不意に話しかけられた事で千鶴は体を跳ねさせたが、励まされている事を理解して、その表情は笑顔に変わった。
「うん!葛葉ちゃんも頑張ろうね!」
仲良く話す二人の様子に、虎之助は暖かな視線を送っていた。
やがて掃除も終わり、この日の修行は終わった。葛葉には疲労よりも空腹の方が問題である。さっさと家に帰って食事を取り、いつもの暖かな布団で眠りたいと考えた。
その思いを知ってか知らずか、虎之助は皆を呼び止めた。
「お疲れ様!初日はきつかっただろう?その辺で蕎麦でも食って帰るか?」
虎之助の提案により葛葉の表情は笑顔に変わった。蕎麦とはどんな食べ物なのだろうと思い、お腹が大きな音を立てた。
だが、笑顔に変わったのは葛葉だけ。八雲は疲れでそれどころでは無さそうだし、睦月は話しすら聞いていない様子で足早に道場を後にしてしまった。
結局残ったのは千鶴だけ。虎之助、葛葉、千鶴の三人は近場の蕎麦屋に寄り食事を始めた。
「改めて二人ともお疲れ様。お前ら凄いな!普通初日から千回は無理だぞ」
千鶴は謙遜してそんな事はないと言いながらも満更でもない様子だ。葛葉は蕎麦を啜りながら顔を紅くして喜んだ。照れ隠しの意味もあり、修行中に感じた疑問を虎之助にぶつけた。
「そんな事より虎之助さん。あの睦月って子、何で一緒に修行しているんですか?」
やる気が無いのなら止めてもらいたい。そういう気持ちも含めて言った。
葛葉の言葉を聞いた虎之助は、いつものおちゃらけた表情とは違い、真面目な表情で答えた。
「ーーいいか葛葉、お前ら四人にはそれぞれ事情がある。本人が話すまで俺から教える事は出来ない。一つ言っておくとあいつもいろいろあるんだよ」
いろいろと言われて納得出来るわけも無かったが、横で聞いていた千鶴も並々ならぬ事情を抱えているのだと思うとそれ以上聞く気にはなれなかった。
三人は食事を済ませ、各自帰路に着いた。
明日も素振り千回が待っていると思うと憂鬱な気持ちになるが、明日も同年代の女の子である千鶴と会えるのだと考えると明るい気持ちに変わっていた。