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スイとスズの世界征服  作者: 妄想ねこ
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スイとスズのひみつきち

 「もうすぐだよ。」


 宣言して、わたしの手を取りスズさんは線路を外れ走り出す。

 足がもつれそうになりながらそれに追随する。 

 雑草を踏み倒していく。途中で咲いていた百合の花を踏みつけることはなんだか躊躇われて大きく跨いで避けることにした。

 辺りの空気に水気が増して土質が変わっていくことが靴越しにわかる。

 斜面が鋭くなる。

 無自覚のうちにスズさんの手をを強く握ってしまう。応じて握り返してくるスズさんの手はさきほど握ったときよりも温かく感じた。

 転ばぬように大地を踏みしめる足に力を込めながら歩を進める。

 ここから先は背の高い木々が生え重なっていて先の景観を隠しているようだ。

 本格的に傾いてきた太陽とカラスの鳴き声が不安を煽る。

 帰れなくならないだろうか、ふとそんな気持ちが心をよぎった。すぐに思い直す。ずっと憧れていたシチュエーションじゃないか。漠然と抱いてきた。まだどこかに自分と波長の合う人がいて、どこかへ連れ出していってくれる。そんな本の中のシチュエーション。改めて考えると自分は限りなく近い状況にいる。今更踵を返す選択肢は、ない。

 非人工的な、道ともいえぬ道を木々をかき分け突き進む。

 枝葉による容赦ない顔面攻撃を食らわぬようあいた手で頬をガードするが夏服のためどうしても晒された脚や腕は守り切れない。幸い擦り切れたりせずに済んだが、それでもぶつかるたびにチクチクと地味な痛みが素肌を襲った。

 しばらく木々との戦闘を繰り広げながら無言のスズさんに連れられていく。

 一歩、また一歩。脚を前へ出すたびに鼓動が少しずつ高鳴っていく。




 視界が開けると、息を飲んだ。

 肺に送られる空気は家や学校にいるときに吸っているものと全く違うものだ。

 周囲を360度緑で囲われた湖が広がっていた。

 規模的は湖というより池だろうか。

 解放されたスペースは上へ上へと伸びていく空だけ。

 葉や枝の隙間から斜めに指すオレンジ色は透徹とした水面に反射して無窮むきゅうの光を煌めかせている。まばたきをする度にその輝き方は微妙に姿を変える。全く同じ煌めきは存在しないその姿には、素直に感動を覚えた。


 「たまにね、ここに来るんだ。」


 誰にという風でもなく言葉を零す。

 かと思うとスズさんは準備運動のような礼儀正しい動作で深呼吸をする。

 すーはーすーはー。なんとなくただ鑑賞しているのも居心地が悪いのでマネしてみる。すーはーすーはー。鼻からリラックスを吸い込み口から不安を吐き出すように、ゆっくりと時間を掛けて呼吸をする。

 3……2……1、吸い込む。

 3……2……1、吐き出す。

 息をするということを意識的に行うことなんてそうないけれど、自律神経が綺麗になっていく気がする。気がするだけかもしれない。自律神経ってのがどこにあるのか知らないし。でも、気持ちがいいのは確かだ。

 何度か繰り返す。

 息を吐き出すと同時に目を開くタイミング──スズさんが水辺に向かって走り出す。

 風を切って、腕を振りぬいて、止まることなんて考えていない全力疾走。


 「ちょ、ちょっと!!」


 呼び止めようとしたわたしの声は想定以上に小さな声で。それは抑止力にならず、木々に吸収されるように消えていく。


 「うおりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 対して耳をろうするようなド迫力の声量で叫びながらスズさんが池に向かって駆け──飛翔する。

 前へと進む力に身を任せて体を突き出し、両腕と脚を後ろに曲げる。 

 差し込む夕陽と水面で反射する光に照らされ、映画のワンシーンのようにどこか幻想的な美しさを作り出す。その背中に、翼があるように錯覚する。

 けれどその錯覚は一瞬で。

 次の瞬間には錯覚した美しさとは程遠いスケールの小さい飛沫と音を経てて着水した。

 1秒。

 2秒。

 3秒。

 4秒。

 5秒。

 スズさんの頭は姿を現さない。あぶくも浮かび上がらずに、ぷっつりと気配が感じられなくなる。空気を読んだのか鳥や虫たちの声も止み、静寂が空間を支配する。竜宮城にでも行ってしまったのだろうか。

 ふとあらぬ妄想が頭をよぎる。

 スズさんは本当に超常的な存在で、普段はどこか別の世界で暮らしている。ある日伝承や絵本なんかで自分らと限りなく近い人間という存在を知るのだ。調べてみると人間は自分らと同じように高度な知能を持っていて独自の文明を築いている。興味が出る。話してみたくなったスズさんは自分と同じ年くらいの女の子が集まる学校に目をつけた。そこで偶然わたしと出会うのだ。しかし、なんらかの理由でこちらの世界での行動には制限あったため、学校から異世界への帰還ゲートとなるこの秘境めいた池までの道のりでだけ人間との会話を楽しむことにしたのだ。そう考えれば白すぎる白い肌も左右で違う瞳の色も自然なものに思えた。

 そうしてどれほどの時間が経ったのだろう。

 誰の声もしない静謐せいひつな空間で時間の感覚が麻痺しているのだろうか。

 実際はほんの10秒程度だったのかもしれないし10分だったかもしれない。まさか1時間ということはないだろう。

 ごく普通に、何の変哲もなく、子供がお風呂でどれだけ潜水することができるか試してみて、けれどすぐに浮かび上がってくるように彼女もまた酸素を求め浮かび上がり、にゅっと水面から顔を出し何度も呼吸を繰り返す。

 何度かそれを繰り返したあと、この空間すべての空気をお腹のなかに納めんばかりに大きく息を吸い込んだ。


 「っっっわああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 怪鳥の鳴き声かと思った。

 空へ向かってつんざくようなシャウト。

 上空へ上空へ声のビームが放たれる。ビームが命中したのかはたまた急用でも思い出したか、ばさっとカラスが一匹止まり木から翼を広げ飛び立っていく。


 「ここ。わたしだけのひみつきち。気持ちいいよ。スイちゃんもやってみなよ。」


 屈託のない笑顔で振り向く。

 その姿を見ていたら、なんて気持ちが良さそうなんだと思った。

 制服は…………最近は夜でも暑いし帰り道にでも自然乾燥するだろう。

 ふと、空を見上げる。周囲をぐるりと見渡す。最後に自分のことをもう一人の自分が俯瞰の目で見下ろす。

 今ここにはわたしとスズさんしかいない。見学者は虫と鳥だけだ。恥は捨てる。

 ぐっと50m走の時みたいに構える。やるからには本気だ。本気なんてもう何年も出してないけど、たぶんこういうのは本気でやったほうがきっと気持ちがいいに違いない。

 心のなかで小さかったころの、幼稚園や小学校の頃の運動会を思い浮かべる。家族がレジャーシートを敷いて一番校庭の内側、観覧スペースにおける最前列を陣取ってビデオカメラを構えている。

 体育の先生がピストルを掲げて、掲げたほうの耳を反対の手で塞ぐ。

 あの頃は家族に後ろめたい気持ちなんかなにもなくて体育の先生のことも大好きだった。全力で風を切る記憶を掘り起こす。体は起こして両腕を振りぬく。頭の中でシミュレーションする。

 3、2、1、BAN!

 脳内でピストルが鳴り響く。

 意識を現実に引き戻し前を見据える。緑と青と笑顔のスズさん。


 「ぅうああああぁぁぁああああぁっ」


 情けないほどに頼りない、大声とはとても言えない裏返った声だった。何年間も大きな声を発してこなかった声帯が機能低下を起こしたのかはたまたわたし自身が感覚として大きな声の出し方を忘れてしまったのか。川に流されてたってこんな声じゃ子供がふざけて遊んでいるとしか思われないだろう。

 走り出した両脚も振りぬく両腕もそれはもう不格好なものだった。

 全力というものはその気になれば出せるものではないと思い知らされる。全力を出したときのパラメータだけではなく、そもそも全力を出す機能というのも長くほったらかしにしていると錆びついてしまうものらしい。

 結局わたしはなんとものろのろとした緩慢な走りと気の抜けるシャウトで池にダイブした。

 それははたから見ればまるで恐る恐る初めてプールに入る子供のようだったかもしれない。

 全身に水を纏う。

 冷たい。ゆっくりと目を開く。人の手が一切入っていない水中で目を開くのは危険だという考えがなかったわけではない。

 でも、気持ちが良かったから。

 走りも、叫びも、飛翔も、スズさんのようにはいかなかったけれど。

 それでも、錆びたわたしにとってはできる限りの前進で、絞りだす声で、二本の脚で大地を蹴ったんだから。

 たくさんのあぶくがわたしの体を漂うようにして水面へ向かって不規則に上昇していく。

 思っていた以上に池は深く、どこまでも広がっている。

 水中に差し込む光の束がわたしを照らす。

 不自由で、自由だと思った。

 この肺に蓄えた酸素の分しかわたしは潜っていられない。でもこうして水中で漂うだけのわたしを邪魔するものはいない。

 安心が体を包み込んでいく。

 この美しい池は、誰にも見つけられることなく幾年もこの場所にただ在り続けてきたのだろう。そうしてただ何処にもいくことができずにじっとしてたらある日、見つけてくれたのだ。スズさんが。

 光の束と水とが織りなす踊りをじっと見つめていた。

 まるでカボチャみたいに制服のスカートが膨れ上がる。

 無理やり押さえつけて空気を逃がしてやる。

 ゆっくりと、ゆっくりと体が浮上していく。

 そこには、夏空があった。名前のわからない鳥たちが飛んでいく。どこまで飛んでいくのだろう。なぜ飛んでいくのだろう。

 視線を下げる。

 目と目が合う。

 優しい顔つきで 穏やかな微笑み。肌の色は病的なまでに白い。瞳の色は深淵のような黒。

 …………アレ?

 はたして、お互いに首から下を池に浸かった状態で、顔だけで対峙したスズさんの瞳は猫のような金と青ではなく、全ての色を吸い込んでしまう闇夜のような黒だった。


 「目の色…………。」


 思考がフィルターを通さずに口から漏れる。

 その声は思った以上にガサガサだった。

 これまた情けないことに、さきほどのへろへろな叫び一発でわたしの喉は枯れてしまったのだ。


 

 「え…………あ、いや、これはその…………あははははははっ……くっくっく、アハハハハ八八ノヽノヽノヽノ\/\」


 最初壊れたのかと思った。馬鹿みたいにその笑い声は続いた。

 途中で、本当に本当におかしくって笑ってるんだって気づいた。

 これがスズさんの、愛想や友好の表現でない、お腹の底からの笑い方なんだ。

 スズさんは頭ごと揺らしながら痙攣でも起こしちゃうんじゃないかってくらいひとしきり笑ったあとに


 「いやぁー、おっかしー。こんなに漫画みたいに”びっくりしました”って顔初めて見たよ。あれね、カラコン。」


 そう言って人差し指で自分の眼を指してみせた。

 不思議と、その黒い瞳のほうがわたしを引き付けて離さない引力があった。


 「で、どう?このひみつきちは。世界征服でもスタンドバイミーでもなくてごめんだけど、最高に気持ちいいでしょ。」


 「うん……。最ッッッ高に気持ちよかった。」


 「あははっ。知ってる。顔に描いてあるもん。」


 「え、え?本当に?」


 ぺたぺた。自分で自分の顔を触ってみる。

 確かに口角が上がって頬が持ち上げられているみたいだ。

 ちょっと。かなり。とても信じられない。

 でもこの笑顔は本物で、自分が今感じている気持ちを信じるに値する現象であることは疑いようがなかった。

 気持ちよくないことを気持ちいいと言い張るのは死ぬほど気持ち悪いけれど、気持ちいいことを気持ちいいと言えるのがこんなに気持ちいいってことを随分と忘れていた。


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