スイとスズの青春
「ねえねえ、スイちゃんってさ~~~~?」
「──おっぱい何カップ?」
「ぶっ!!」
突然のパンチに噴き出してしまう。
こいつ、少し打ち解けたと思ったら朝の挨拶みたいな気軽さで踏み込んできた。
「べ、別に何カップだっていいでしょ。」
視線を感じて思わず腕で胸を隠す。
「つんってした、つんって。かわいいね。わたしはねーEかぷーだよ。」
「き、聞いてないし。」
そうか、Eかぷーなのか。
そんなつもりないけど自然と、見てしまう。保健室でこんにちはしたときも大きくって綺麗だったなこやつ。
うーむ。
自分のと見比べる。
胸の成長は平均的に15歳程度で決まるといわれてる。
はあ。溜息がでる。
「おやおや、意外と気にしてんだね。ちょっといじわるな質問だったかな。」
「ぃだから。」
「なんて?」
「Aではないから!!Bだから!!」
ウエストだけの偽物のBだけど、一応主張しておく。
「のわっ、大きな声ー。あはははははっ」
何がおかしいのか、楽しそうに笑われた。
すると、こちらが不機嫌になったと思われたか
「戦争や飢餓なんかで文化的な生活から遠ざかると体の大きな男の人がモテて、経済的に安定しだすとお洒落で中性的な男の人がモテ始めるって聞いたことあるよ。ほら偏差値低いヤンキーとかってみんな腕太いじゃん?だからほら、それの女版って考えると貧乳は極めて文化的ってことになる!!」
めちゃくちゃなフォローをされた。
「いっとくけどべつに気にしてないから。それとその理屈だとEかぷーのスズさんは随分と文化的でないってことになるけど。」
「え…………あいや、まあそのなんだ。夢が詰まっているのでよし!!」
自分の胸をもう一度見下ろす。
スズさんの言葉は巨乳には夢が詰まっていて、貧優が夢を分け与えているっていうネットで流行った言い回しの引用だ。わたしもまあそれは知っている。サボリの基本はネットと読書だ。
文化的かどうかの返答にもなってないけれどまあそれも目を瞑ろう。
だが思う。
貧乳が夢を与えた結果がこれならやっぱりわたし自身に”夢”はないんじゃないかって。
生い茂る雑草の背丈がどんどん高くなってくる。
廃駅周辺はまだ写真撮影目的や遊びにくる子供たちに需要があるのだろう。
ここまで来ると人が寄り付く雰囲気もなくなってくる。
空もぼんやりとオレンジ色に染まってきている。真っすぐにしか歩いていないのにちゃんと帰れるのか少し不安になってくる。
遠くの稜線がさっきより曖昧になっているのが世界が明度を落とした証拠だ。
二つの影が背を伸ばしていく。
依然として気温は高く、生暖かい風が頬を撫でつける。
しかしながら夏の暑さを演出するセミたちの合唱はアブラゼミからヒグラシへとバトンが渡りなんだかそれだけでも少し過ごしやすくなった気さえする。
スズさんのほうはまだまだサマータイムな心情のようで、先ほどに続けて俗っぽい質問を投げかけてくる。
「ねえ、スイちゃんって彼氏、いるの?」
「なによ、藪から棒に。いるように見える?」
「う~ん、友達はいなそうだけど案外彼氏はいそうかな(笑)」
「いないよいない。できるとも思ってないし。わたし今まで男の人を好きになったことってないんだよね。だがらそれも含めてちょっとついていけないかな。芸能人とか興味、ないし。」
ちょっと嘘だ。できると思ったことないのも本当だし、男の人を好きになったことないのも周囲についていけないのも芸能人に興味ないのも本当だけど、現実での恋愛観がドライでふわふわとした現実味のない概念的なものになっていくにつれて非現実のありえないような純粋な恋愛に惹かれている自分を自覚していた。とてもじゃないが恥ずかしくて言うことはできないけれど。
「わたしもそうだな。このセミさんたちは長い間地中で体を大きくして地上に出てきたら交尾してすぐ死ぬわけじゃん。せっかく人間に生まれたのに遺伝子を残すためだけに生きるなんて考えられないなー。学校のみんなはセミと一緒だよ。わざわざ進学校に行って大学に行って卒業したらちょっとだけ働いて男のところに行って子供産んで死ぬんだ。種族として正しくてもわたしは嫌だ。そんなの。」
「でも、じゃあ何でわたしたちって生きるんだろうね。」
言ってから顔が熱くなる。何を言ってるんだろうわたしは。
「わからない。わからないけれど今のわたしはただ抵抗がしたくて生きている。」
わたしの恥ずかしい問いかけに大真面目に返してくる。
抵抗。抵抗という言葉がすっと胸に落ちて、最初からそこにあるべきだったパズルのピースが嵌るように馴染む。
いつかわたしのこの抵抗力も摩耗して、認めて、処理して、受け入れられる時が来るのだろうか。それは本当に大人になるということなのだろうか。
大人はわたしたち思春期を見て、「あのころは若かった」なんて言うけれど。
でも彼ら彼女らは本当にきちんと数々の悩みに解答を出した上でそう言っているのだろうか。本当は襲い来る社会に適応するために出来事を咀嚼することなく飲み込んで、答えを出さずに生きていく日々に慣れて、やがてそれが普通になって、そしていつしか周囲への抵抗なんてものは"青い"という周囲と同じ価値観を持つことによって自分も大人になれたという安心感を得たいだけなのではないか。
考えだすと止まらなくなる。これも思春期故の"青い"ってことなのだろうか。
そんなわたしのもやがかった頭の中なぞ露知らず、頭上高くを夜鷹が迷いのない速さで翼を広げ風を切る。悩みなんてなさそうに大空を舞う姿を見て思う。
鳥の世界にも虐めはあるらしい。弱い個体が強い個体に叩かれる。それは人間に限ったことではない。どれほど知識をつけても、文明レベルが上がっても、それが本能だから。でも人間と違ってそれが原因で鳥たちは自殺したりはしないし、無意味な足踏みを繰り返すこともない。生態系の頂点に立ち続け、種族として安定したシステムを築くこと以外にわたしたちが知能を磨き文明レベルを上げ続けていくことにはたして意味はあるのだろうか。
ふと、風に乗って水の匂いが鼻を掠める。