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第9話 アリスの恋

 うわあああああっ!



 内心で絶叫を上げながら、私は雨が降る薄暗い道を必死に走っていた。ぴちゃぴちゃと足元で泥水が跳ね、靴下が濡れてしまっているがそんなことに構っている余裕などない。


 とにかく私は、早く家に着くようにと祈りながら足を動かすだけだった。













「そこの可愛いお嬢さん」



 それは数分前の出来事である。

 梅雨に入ったばかりの学校帰り、傘を差して一人で帰路を歩いていた時のこと。不意に低い声と共に目の前に黒い人影が現れたのだ。いや、現れたというのは語弊があるかもしれない。暗かったので私が気付かなかっただけで元々その場所に居たのかもしれないが、それでも突然目の前の存在に気が付いた私は驚きのあまり足を滑らせそうになった。


 目の前にひっそりと立っていたのは背の高い男だった。暗い街に溶け込むような、この時期には暑いであろう黒いコートを身に纏い目深に帽子を被っている。しかし彼は傘を持っておらず、ざあざあと振り続ける雨に無抵抗に打たれ続けていた。



 帽子の下から僅かに覗く目が私を捉えると、口元が笑みを作るように弧を描く。そして彼は片手を私に向かって伸ばし――。



「君に少し尋ねたいことが」

「ふ、不審者ーっ!」



 その手がこちらに届く前に、私は即座に背を向けて一目散に走り出したのだった。



 怪しい。何かもう色々と怪しい。お嬢さんなんて声を掛けて来る時点で怖い。よしんば不審者じゃなかったとしても、こんな雨の中で傘も差さずにぬっと出て来られたりしたらお化けの類を連想してしまう。



「あっ」



 引き留めるような声が聞こえた気がしたが構わず走り、遠回りではあるが自宅へ向かう。背後から足音は聞こえないものの、雨が掻き消しているだけではないかと疑心暗鬼に陥りそうになる。








「はあ……っただ、いま」



 異様に長い時間に感じた帰り道を抜けてようやく我が家へたどり着くと、明るい室内と温かい空気が私を迎え、どうしようもなく安堵した。


 急いでいた為濡れてしまった足元や服を着替えて自室へ入ると、私は一二も無くベッドに倒れ込み大きく深呼吸した。



「おかえりー、ホタルどうしたの? 何かすごく疲れちゃってるけど」

「アリス……うちに居たんだ」



 ベッドに体を沈めて心を落ち着かせているとすぐさまで可愛らしい声がした。部屋に入った時には彼女に気付く余裕もなかったが、どうやらアリスが来ていたようだ。

 布団から顔を上げて首を横に向けると、そこには心配そうな表情を浮かべたアリスが至近距離から私を覗き込んでいた。



「何かあったの?」

「何か……帰り道で変な人に声を掛けられて」



 改めて思い返してみても変な人だった。この時期にあの服装は可笑しいし、まるで雨を煩う様子もなく薄闇の中で笑みを浮かべて立つ姿は本当に異様だ。ただ道を尋ねる為に話し掛けたとはとても思えなかった。帽子の所為で碌に顔を見ることもできなかったが、声からしても男性ということしか分からず、その声も若いとも年を取っているとも言い難い不思議なものだった。


 私がそんなことを話すと、アリスは「変な人間もいるのねー」と難しい顔をした後、少し不満げに腕を組む。



「だけど、そういう時こそヒーローが颯爽と現れてホタルを助ける場面なのに。フユキは何やってるのかしらね」

「そんなタイミングよく来るわけ無いでしょ」



 そもそも私が一方的に日高君を好きなだけなので、そんな所で引き合いに出されても困ると思う。






「……ねえ、私のことばっかりそうやって言ってるけど、アリスは居ないの?」

「居ないって?」

「そういう、好きな人とか」



 望と栗原君のことにも興味津々のようだったけど、彼女自身にはそういう相手はいないのだろうか。

 ふとそんなことを考えて訪ねてみたのだが、彼女は無言で何かを考えるように宙に視線を彷徨わせ、そしてややあってから口を開いた。



「居た、かな」



 酷く優しい声で、彼女はぽつりと呟く。



「居たって……今は?」

「すごく昔のことだからね」



 ざっと二百年くらい前だったかなあ、と軽い口調で言われ、そういえばアリスって見た目通りの年齢じゃなかったと今更思い出した。……が、少なくとも二百年は生きているというのは初耳である。妖精と人間では時間の感覚が全く違うんだろうなと頭の片隅でなんとなく思う。



「どんな人だったの? あ、人じゃないか。妖精?」

「知りたいの? そんなに気になるんなら教えてあげてもいいわよ?」



 口調とは裏腹に彼女の方が話したくて堪らなそうな顔をしており、アリスは私が返事を返す前に「私が子供の時の話なんだけどね……」と話し始めてしまった。




「実を言うと、私も随分幼かったからはっきりとは覚えてないんだけどね、本当に綺麗だったのは印象に残っているわ。透き通った綺麗な青色の瞳と羽をしていて、すごく優しく笑いかけてくれた。……彼は長老と同じくらいの年齢だったから、私なんてただの子供にしか思われてなかったと思うけどね」

「長老と同じって……アリスとはかなり離れてたの?」

「そうね、二倍くらいには」

「ええ……?」

「それでも本気だったの! ……まあ、結局その恋は叶わなかったんだけどね」



 その時のことを思い出しているのかアリスは懐かしむように目を細め、そして感慨深くため息を吐く。



「告白とかしたの?」

「ううん。彼、いつの間にかいなくなってたのよ」

「いなくなってた?」

「妖精は好奇心の強い子が多いけど彼は特にそうで、いつも色んな場所をふらふらしてたんだけど……気が付いたら帰って来なくなってた。それ以来、会ってないわ」



 今も生きているかどうかも分からない、もしかしたらもうどこにも居ないのかもしれないとアリスは俯く。金色の髪に隠されてその横顔は伺えなかったが、ややあって彼女はばっと顔を上げてこちらにからっと笑い、「あー懐かしい!」とどこか茶化すように声を上げた。




「だからホタルも、そうならないようにぐいぐいアタックしなくちゃ駄目なんだからね!」

「アリス……」

「フユキみたいな男は待ってるだけじゃ絶対に気付かれないわよ! デートにでも誘って……ってそうそう、それを言おうと思ってたのよ」



 彼女はぽん、と手を合わせると先ほどまでのどこか無理やりな笑顔を消して、いつもの楽しそうな顔をこちらに近付けてきた。




「ホタル、突然だけどまた妖精の国に来ない?」

「え?」

「すっごく綺麗な場所があるの。この前の村からは少し離れた場所にある泉なんだけど、ちょうど花も満開で澄んだ魔力に満ちた場所なのよ。せっかくだからフユキも一緒にピクニックしない?」

「それは気になるけど……私も行ってもいいの?」



 妖精の血を引く日高君はともかく、私は一度事故で妖精の国を訪れただけの普通の人間である。そもそもそんなに気軽に別の世界へ行き来しても良いものなのだろうか。


 もしまたあの空間に行ってしまったら、と嫌な想像が過ぎる中、アリスは「別にいいの」と非常に軽い口調でさらっと言った。



「ホタルが妖精に危害を加える人間じゃないことなんて分かり切ってるから平気よ。他の子達だってホタルに会ったらきっと喜ぶわ。私が向こうに帰る度に二人の進捗状況報告してるし」

「一体何を話してるのよ!」

「一向に進展無しって言う身にもなってよ」



 そんなことを言われても困る。

 あちらの世界に行くのに余計な不安要素が増えてしまった。




「……あの、変な空間にはいかないんだよね?」

「勿論。妖精が引っ掛かるなんてミスはしないわ。一度フユキにも向こうとこちらを行き来する魔法を覚えてもらおうとは思ってるけど、今回はまだね。絶対に失敗するだろうから」

「日高君、あんまり上達してないの?」

「そういう訳じゃないけど、タキシード着せるよりもずっとイメージが難しい魔法だからね」

「……その話はもう止めて、お願いだから!」



 思い出さないようにしていた記憶をいとも容易く掘り起こされて頭を抱えたくなる、というか抱えた。にやにや笑うアリスが若干憎たらしく見える。





「それじゃあホタル、手始めに」

「ん?」



 私がベッドの上で頭を抱えていると、彼女の言葉と共に目の前にぽすっと軽い音を立てて何かが落ちた。釣られて顔を上げるとそこには鞄に入っていたはずの携帯が置かれている。また魔法でも使ったのだろう。



「まずはデートのお誘いよ。ホタル、自分で頑張ってね」



 参考文献もいっぱいあるわよ、と続いてばさばさといつも彼女が読んでいる色んな本がベッドの上を占拠し出す。


 あれから一度もメールをしていない私にとって、最初から結構な難関であった。





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