第8話 電波が繋ぐ恋愛事情
二年最初の中間テストも無事――とは自信を持って言い切れないが――に終了し、教室にだらけた空気の広がる日々が続いている。
あれからというもの、私の携帯にはちょくちょく栗原君からメールが来るようになった。その内容はといえばなんてことない、それでも私にとっては嬉しい日高君のちょっとした話だったり望の好みに関する質問だったり、はたまた全く関係のない学校の話題であったりと様々である。
私も別に人見知りという訳ではないが、こうしてクラスメイトの男子と日常的にメールを交わすということはなかった。しかし彼は明るく人懐っこい性格でメールを続けるのも全く苦痛には感じない。
……彼には全く不満はないものの、しかしながら同じ日にアドレスを交換したというのに日高君の名前は一度も受信ボックスには現れていないのだから、なんとなく釈然としない気持ちにはなってしまう。
なら自分から送ればいいのだが、その文面がまるで思いつかないのだ。特に意味のない日常の出来事を気軽に報告するような関係でもないし、なによりあの日高君なのだ。「それで結局何の用事だ」と大真面目に聞かれかねない。
しかしせっかく栗原君に協力してもらって手に入れたアドレスである。アリスからの応援もあることだし、自分から少しでも頑張ろうと私は今日も今日とて携帯の画面を睨み付けながら唸っていた。
「……ん? 何これ」
今日はアリスもおらず自室で一人携帯と向き合っていた私は、不意に送られて来たメールに首を傾げた。送信相手は望で、それはよくあることなのだが内容を一目見れば首を傾げるしかない。
“やばいやばいどうしようどうしよう!!!”
これだけ送られても訳が分からない。
しかし何か危険なことでもあったのだろうかと不安になった私はすぐに折り返しでどうしたのかと尋ねた。
“ごめんちょっと落ち着いた……。 明日詳しく話すね”
十分程経った頃だろうか、返って来たメールはそう書かれており、その文章の後にはハートや犬、猫などやたらと様々な絵文字で溢れ返っていた。
絵文字から考慮するに多分悪いことではないんだろうなと少しほっとして、ならば一体何があったのかと、日高君にメールを送るのも忘れて考え込んでしまった。
「蛍!」
次の日の朝、教室へ入る三歩前で望に捕まった私はそのまま教室の中に引き摺り込まれ、窓際まで連れて行かれた。
「望、何があったの?」
「あのね、色々あったんだけどとにかくね!」
とても興奮気味の彼女はしかし一度教室内をちらりと見渡してから私の腕を強く握りしめた。ちょっと痛い。
「……好きな人、出来ちゃった」
勢いとは裏腹に非常にか細い声でそれだけ言った望に、私は何とも言えない気持ちになってしまった。
「よ、よかった、ね」
「もうちょっと何か反応してよ! 相手はとか!」
「いや、そうなんだけど……」
曖昧に言葉を返しながらも、私の脳内には先日彼女と話した時の記憶が蘇っていた。栗原君から望の好きなタイプについて質問があった為、それを彼女に尋ねた時のことである。
『好きなタイプ? ……とりあえずかっこいいのは当然として、優しくて……あっ私にだけ特別優しいともっと良い! それで背が高くて運動神経も良い感じの。180は欲しいかな? あとできれば面白くて女心が分かるかっこいい人がタイプかな』
『……』
これは栗原君には言い辛い。
捲し立てるように話す望に圧倒されて何も言えなかった。そんな人間、果たして人口の一体何パーセントいるんだろうか。しかもその後も少しずつ色々付け足していたので限りなく少ないだろうということだけは分かる。
『ちなみに今まで付き合った人数は……?』
『ゼロ! というか……ちゃんと好きになった人もいないし』
『そうなんだ……』
私が望と同じ学校になったのは高校からなのでそれまでの彼女の恋愛遍歴は知らなかったのだが、勝手にもう何人も付き合ってきたと思い込んでいた。まさか初恋もまだだったとは……。
そう思ったからこそ、今目の前で好きな人が出来たと顔を赤らめている彼女に、一体どんな完璧超人と出会ったんだと困惑してしまっていた。
「……それで、どんな人なの」
まさか本当に全てが望の理想通りの人ではないだろうとは思いながらも尋ねると、彼女は待ってましたとばかりに「誰だと思う?」とすぐさま逆に質問を返して来る。
「誰って……私が知ってる人ってこと?」
「そう!」
私の知り合いにそんな人はいないのだけど。
「芸能人とか?」
「違う違う、ちゃんと蛍も会ったことのある人だよ?」
「ええ……?」
ますます分からない。ひとまず脳内で見た目が良い人を思い浮かべてみるものの、全然ぴんと来ない。
「バスケ部の佐藤君とか」
「はずれ!」
「じゃあ二組の高橋君?」
「違う」
「……分からないよ。ヒントは?」
「このクラス!」
そろそろ予鈴が鳴る時間が迫って来たので教室内も随分にぎやかになって来た。私は既に居るクラスメイトを見回して該当しそうな人物を探すことにした。
……だが、このクラスで一番かっこいい人なんて、そんなの私から見たら決まっている訳で。
「……日高君?」
彼だったとしたら私の気持ちをよくよく知っている彼女がまさかこんなに楽しげに言うことはないとは思ったものの恐る恐るそう言ってみると、ぺしりと頭を叩かれた。
「色んな意味で有り得ない」
酷く真顔である。
「はい」
「もう、正解言うからね。あのね――」
普段ならば、だったら最初から言ってくれと少し面倒くさい気持ちになったかもしれないが、まるで少女漫画のヒロインのように頬を紅潮させて嬉しそうな彼女に今はただ、良かったね、という感想しか浮かばなかった。
そして彼女にそんな顔をさせているのは誰なのだろうと興味が湧く。
「実は……栗原く」
「冬樹!」
望の言葉を掻き消す勢いで教室内に声が響き渡る。彼女もその声にはっとして口を閉じ、クラスメイトの視線が集まる彼の方を振り返った。
「猛、煩いぞ」
「そんなことより大変なんだよ!」
「だいたい昨日の意味不明なメールは何なんだ。その後全く返事もないし」
「色々あったんだよ……」
皆の視線が集まる先には、飛び込むようして教室に入って来た栗原君が既に着席していた日高君をがくがくと揺らす光景があった。
ちらりと望の方へと視線を映せば、紅潮した顔のままぼうっと彼らを――恐らく一人だけだろうが――を見つめている。
騒いでいたのが栗原君だと分かると、彼に集まっていた視線は然程時間が掛かることなく散らばっていった。彼が騒ぐのはそこまで珍しいことでもないのである。……まあ一つの視線だけは動くことなく静かに彼を見つめていたのは言うまでもない。
結局朝はろくに話を聞くことが出来なかった為、昼休みになると望は再び私を窓際の席に呼び出して座らせた。その席の持ち主は教室には居なかったものの勝手に座っていていいのだろうかとそわそわしていると、前の席に腰掛けた望が「それで」と一呼吸置くようにして少々小さな声で話し始めた。ちなみに栗原君は同じく教室内にいるものの距離はあるし、何より周囲が煩いので恐らく聞こえないだろうとは思う。
「栗原君を好きになっちゃったんだけど!」
「うん、それは分かったけど、何で栗原君?」
「そう、それが話したかったの!」
少しずつ声のボリュームが上がって来ているが大丈夫だろうか。
望が栗原君を好きになるなんて予想外過ぎて、素直に彼によかったねという気持ちが未だに湧いてこなかった。だって彼女の理想はあれである。一体栗原君のどこを好きになったのだろう。
栗原君がかっこいいかと聞かれれば、まあかっこいい方じゃない? と大半の人が答えるのではないだろうか。この場合、まあ、と方、が重要である。優しくないとは絶対に言わないが、それでも優しい人間だと分類するには少々首を傾げる。トリッキーな行動が多い彼はそういう部類のイメージがあまりないのである。
身長も他の男子と比べると決して高い方ではなく、そもそも今まで望が栗原君を気にしていた記憶がまるで思い当らない。だからこそ栗原君を好きになったきっかけが非常に気になった。
「昨日私部活だったんだけど、ちょっと遅い時間になっちゃって急いで帰ろうとしたのね?」
「珍しいね、写真部が遅いのって」
「他の子と話してたから。まだそんなに暗くはなかったんだけど、それで慌ててたから階段の途中で一段踏み外して」
「え、大丈夫だったの!?」
朝からの突撃を見れば恐らく怪我は無さそうだったのだがそう聞いたのだが返答は来ず、その代わりに「それで!」と強い口調で話が続けられた。
「栗原君が助けてくれたの!」
「助けてくれたって、え? 落ちないように支えてくれたの?」
「ううん、栗原君がちょうど階段を上ろうとしてて、それで」
「受け止めてくれた?」
「下敷きにしちゃったんだけど……」
脳内で怪談の上から落ちてくる女の子を颯爽と受け止める図が浮かんでいたのだが即座に破壊された。現実で受け止めるなんて難しいことは分かっているもののなんとなく落ちにがっかりしてしまうのはしょうがないと思う。
「謝ったんだけど大丈夫大丈夫って笑って許してくれて、むしろ私の怪我がないかって心配してくれて……ね! すごいでしょ? かっこいいでしょ!」
「望、声大きいよ」
好みのタイプなんて全然当てにならないなあ、と思いながらも先ほどから随分大きくなってきた彼女の声を止める。向こうには聞こえてないだろうか。
栗原君、よかったね。私の助けなんてちっとも必要ないみたいだ。
少し悟ったようにそんな感想を抱いていると、不意に膝に置いていた鞄が震えた。望は話し疲れたのかお茶を取り出しており、私は座らされてからそのままになっていた鞄を開けて携帯を取り出して画面を見た。
画面に表示された名前は……栗原君だ。
“ごめん気の所為かもしれないけど今桜井が俺の名前言ってなかったか!? 何か聞こえた気がするんだが俺の幻聴なのか!?”
「もう私を経由しなくていいんじゃないのかな……」
聞こえていたらしい、もしくは意識して聞こうとしていたのかもしれないが。
ちらりと教室の対角線上にいる栗原君を見れば、落ち着きのない様子ではらはらとこちらを窺っていた。周囲に居る他の男子は不思議そうに、そして日高君は疲れた様子である。朝の様子から考えても日高君はどうやら栗原君が望に好意を持っていることを知っているみたいだ。
「ねえ蛍、とりあえずどうしたらいいの!? 告白は早いよね? どうすればいいのか全然分かんないんだけど! お願い蛍、協力して! なんか今回を逃したらもう一生好きな人なんて出来ないかもしれないし!」
「も、勿論……」
初恋らしいので、いざ自分の番になると大変混乱しているようだった。
しかし協力するという言葉には頷いたものの、それはつまり、もう栗原君が望のことを好きだと言ってしまえば済む話なのでは。
「……望、というか栗原君はのぞ」
「ホタル、言っちゃ駄目!」
大きな声と共に突然顔に何か張り付いたような感覚がして驚いたが、よくよく冷静になって見てみればそれは数日姿を見ていなかったアリスだった。
「蛍?」
「もう、こういうことは他の人が言ったら駄目なんだから!」
突然言葉を止めた私を不思議そうに見る望の手前アリスに声を掛けることもできず、不審にならない程度にちらりと視線を送るだけに留めた。
「お互い少しずつじれじれ歩み寄ってそれで告白。……それが醍醐味でしょ?」
そういうものなんだろうか。
望の話も終わると、少し遅くなったがお弁当を開いてお昼ご飯を食べ始めた。食べながらも望はちらちらと栗原君を窺っているし、彼もまた同様だ。なのに絶妙なタイミングでお互いの視線が合わないのが傍から見ていて不思議であるしじれったくもなる。
私はといえば、お弁当に入っていた梨を欲しそうにちらちらこちらを見るアリスの視線と思い切りぶつかってしまった為、望に気付かれないようにこっそりと差し出す羽目になっていた。
「あ、また」
食べ終えたお弁当箱を鞄にしまっていると、再度携帯が震えた。また栗原君だろうかと思いながらメールを開いた私は、その画面に映る名前に一瞬固まり、そして茫然とした。
“そいつが迷惑を掛けて悪い”
日高君、だ。思わずがばりと顔を上げて彼の方を見ると、日高君は少し申し訳なさそうにこちらを見ていた。
彼もアリスが来ていることに気が付いていたのだろう。普通の人には見えなくても私と日高君にはアリスの声は聞こえるし、目を凝らして見なければならない程彼女は小さくない。
「フユキから? もう、迷惑なんて掛けてないって言ってるのに!」
そう言うやいなや、彼女はすぐさま日高君の元へ飛んで行ってしまった。
私は彼女を目で見送った後、もう一度画面を見つめる。普段は勿論こんな風に彼からメールなんて来ないし、わざわざこのタイミングで送られたということは、恐らくアリスに梨をあげている所を見られたのかもしれない。
アリスのことを学校で話す訳にも行かないのでメールにしたたけなんだろうけど、それでも、このたった一文のメールが嬉しくて堪らなかった。好きな人からもらうというだけでこんなにも嬉しいものなのだ。
震える手で返信をしながら望を窺う。彼女は相変わらずぼんやりとため息を吐きながら気付かれないようにちらちらと栗原君の方を見ている。普段から溌剌とした性格だった為恋愛でも積極的なんだろうなと思っていたが全く正反対だ。まるでいつもの自分を見ているようだった。
栗原君のように出来るかは分からないが、とりあえずは望と栗原君がアドレスを交換できるように協力しようと思った。




